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2017年6月

2017年6月30日 (金)

「ジャイアンツコーズウェイ」 柱状節理群 最北で六角の奇観を見る


一口にアイルランドと言っても、 アイルランド島には二つの国が存在する。

「アイルランド共和国」 と 英連合王国に属する 「北アイルランド」 だ。





今回は 北アイルランド最北の海岸 「 ジャイアンツコーズウェイ 」 を訪ねます。







01.         6000万年も昔 大陸と陸続きだったブリテン島に 

大きな地殻変動が起こり、 火山活動で噴出した溶岩が冷えて岩となる時


六角形の柱を束ねたような 「 柱状節理群 」 が出来たのだという。 

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02.      この奇観地区は 1986年にユネスコの世界遺産に登録されたが

同時に イギリスのナショナルトラスト運動によっても 厳重に保護管理されている。

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03.       海岸へは 自然保護の観点から一般車は入れず、 

ナショナルトラストが運営する巡回バスに乗ることになる。



車掌が 面白おかしくガイドして 車内は終始爆笑に包まれた。 

英国にこんなガイドがいるんだ、とびっくりした! 


そうか、(詳しい分析は別として!) イングリッシュでなく アイリッシュなんだ ・・

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04.        当然ながら これらの六角柱の根元は 海底へと伸びている。

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05.   「 ジャイアンツ・コーズウェー Giant's Causeway 巨人の石道 」 という名は

アイルランドに住んでいた伝説の巨人フィン・マックールが 


スコットランドへ戦いに向かうため作った道だとも  

他の島から愛する女神を呼び寄せるため作った道だとも 言われる。


いずれにせよ 海中へと続く節理の道が 想像をかき立てる !

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06.        山側にも  相当な数の節理柱が 丘となって連なる。

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                                         (  右上は 「 巨人のブーツ 」 )






07.      さて、 柱状節理群が見られるジャイアンツ・コーズウェーから

東側・西側 どちらに進んでも、 20kmに渡って 個性的な美しい風景が見られる。



東側には 節理が連なる崖壁沿いにトレッキングコースがある。    


足元の隙間から恐る恐る入江をチラ見しながら渡る 楽しい吊り橋を通って

断崖上の絶景ポイントまで歩くことが出来る。

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08.           「 巨人のハープ 」

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09.           「 オルガン 」

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10.      ところで 火山列島日本でも  福井の東尋坊、宮崎の高千穂峡

兵庫の玄武洞など 各地で見事な柱状節理が見られるが



こちらの特徴は 局所的でなく 美しい海岸線が長く続くことと、

ナショナルトラストが 保護観察の対象としている 動植物の

手つかずの豊かな生態系があることだ。



この日も 多種多様な海鳥を観察することができた。

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11.       コーズウェイから 西側にも 奇岩の海岸線が続いている。

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12.      やがて 「 ダンルース城 Dunluce Castle 16C 」 の廃墟が現れた。

とりわけ 北国のどんよりした寒空で見る廃墟は 胸に堪える。



戦争や跡目争いなどで崩れた古城を復興して維持管理するには 

まず城主なり財団なり 明確な所有者がいて、 お家のためとか観光のためとか

はっきりした復興モチベーションがあって、 さらに莫大な資金・財源が必要だ。



そんなハードルの高さに力及ばず、   時の流れに身を任せ、 

崩れ去った城が    何百、何千とあったことだろう。

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13.        崖にぴったりサイズを合わせて城が造られたことがわかる。



この城の最盛期がどれくらい続いたかはわからないが、 

栄枯盛衰、、  つわものどもが夢の跡、、  


北アイルランドの古城廃墟は 薄もやの中で 淡い詩情を湛えておりました。

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★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
   

2017年6月23日 (金)

「ぺルージュ」フランスの最も美しい村 現代から中世にワープするにじり口

 
ぺルージュ Perouges は リヨンの北東36kmに位置し、

今日でも 中世の姿をそのまま留めている小村だ。


’ 人口2000人以下という フランスの最も美しい村に登録される条件 ’

の通り、  現在は 1200人程が住んでいる。   



織物産業のメッカ ・ リヨンに近いこともあり 

昔は 織工 tisserands が多く住み 繁栄の基盤を成していた。








01.      ぺルージュ村を囲む城壁は 家と一体化していて 如何にも

頑丈そうだ。   この狭い通路は 敵の侵入を防ぐのに役立ったに違いない。



それに 中世と現代を行き来する ’ 躙り口 ’ そのもの
だ!

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02.      石畳、などという穏やかなものでなく、 でこぼこに突き立つ丸石が

まるで罰ゲームのように 足裏に当たって来る。  



外敵のことや水はけのこともあったろう、  昔の人は わざと

不便さを 受け入れていたのかも知れない。

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03.      実はぺルージュはこんな形をしている。  丸っこい 可愛い村、  


誰でも 一度は訪れてみたくなるでしょう ・・

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04.     他のフランスの最も美しい村同様、 ここも映画のロケ地となった。


特に 1921、1932、1961年の 「 三銃士 Les Trois Mousquetaires 」 は 

半世紀以上も前だけに 村の様子がより忠実に映し出されているかも知れない。 


(  最近の映画は CGを織り交ぜて場面設定することも多いので 、、 )

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05.         村の中心の ラ・アル広場にある ホテルレストラン。  


ハーフティンバー、持ち送り式の造りは いかにも中世の趣きだ。

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06.    物寂しい村の佇まいではあったが、  見物人がたくさん来ていた。


一般の観光客相手とは別に、  子供向けのガイドツアーもあって 

ガイドは 毎年開かれる中世祭を彷彿とさせる衣装を着ていた。

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07.        最近は 城壁の外側に住居を移した村民も多いらしいが、 


現地の子供たちの姿も確認し 何だかホッとした ・・

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08.         ところで ぺルージュ Perouges という村の名、   



例のサッカーの中田選手が住んでいた イタリアウンブリア地方のペルージャ Perugia

から来た人々が興した集落だったから その名が付いたという説と、


’ ピエール ルージュ pierre rouge 赤い石 ’ が 元になっていると言う説がある。


(  詳しくはわからないが、 赤い石は 生贄の代わりに捧げられた

血の色をした赤い石を意味するらしい ・・ )

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09.      写真左下に写る太い幹の菩提樹は  フランス革命後の1792年に


自由 Liberte のシンボルとして植えられたものだ。 

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10.       ぺルージュのガレットは お土産として有名だが


蝋燭や銅製の鍋や水差し、陶器、古道具なども なかなか魅力的だった。 

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11.       村には二つの門がある。 上の門は La Porte d'En-Haut、


下の門 La Porte d'En-Bas は、  それ自体が城塞そのものと言える 

サント・マリー・マドレ―ヌ教会の脇に建っている。



夕方、村の中は早い時間から日影となるが 外側はまだキラキラとまぶしい!

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ところで、 広場に面した家の日時計には 午前10時から午後2時までの

文字盤しかない                 そして 日時計君は

こう言っている。    ” 私は お天気が良い時しか 時を刻めない ・・ ”



城壁の外側なら もっと多くの時刻をキャッチ出来たのにね !?









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13.       城壁と一体となって 中世以来ぺルージュ村を守って来た教会、

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そのドアも  現代から中世にワープする 躙り口のようであったし、


ドラえもんの ’ どこでもドア ’ のようでもあった ・・・・・
 







  ゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

2017年6月16日 (金)

4年ぶり bellaのフラワーアレンジメント



2013年以来 久しぶりに ささやかなフラワーアレンジメントを

幾つか 載せさせていただきます。 



それにしても 昨今の巨大なアレンジメントは 舞台装置のようで、

個人の生活のお花とは また別物ですね ・・






01.       梅雨時には 爽やかな色合いが気持ち良い 、、

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02.       バレンタインデー の、イメージはこんなカナ 、、

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03.     水仙とオンシジュームで 天使の居場所を作ってあげました ~

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04.        幸せになれるという ’something blue’ を組み込んで

花嫁のブーケを ~

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05.        脱力系?  枯れ枝をひょいと組み合わせて 、、

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06.        ピンクの帽子のようにも 、、  ランプシェードのようにも 、、

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              (  ブルーのランプも ハンドメイドです ~ )






07.       梅雨が明けたら 眩しい夏の光が待ってます。


シュロの葉を編み込んで 麦わら帽のイメージを ちょと添えました 、、

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☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:*
   

2017年6月 9日 (金)

「ボーム・レ・メッシュー」フランスの最も美しい村、「ルー川の泉」は世界の起源?


   スイスとの国境近く、フランシュ・コンテ地方に フランスの最も美しい村の一つ

「 ボーム ・ レ ・ メッシュー Baume les Messieur 」 がある。


アクセスはあまり便利でないが、その分 素朴な美しさに満ちている。







01.        ジュラ山脈の西のへり 切り立つ白い石灰石の岩壁の裾に

ボーム・レ・メッシュー村があり、  ’ 絵のような風景 ’ が点在していた。

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02.   ’ ボームの袋谷 Cirque de Baume ’ と言われる 圏谷 (カール) は


とりわけ活発な水の作用で 石灰石の層が浸食され 

数億年かけて出来上がったものだ。

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03.     不便な?地域には たいてい 教会や大きな修道院が開かれるものだ。


「 サン・ピエール大修道院 Abbaye Saint-Pierre 」 には 9世紀来の歴史がある。

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                                    (    下段が修道院    )






04.         ここでは 人の姿はあまり見かけなかったが 

草を食む乳牛の群れが 人里のぬくもりをそれとなく伝えていた ・・



道路幅いっぱいを占拠しつつ 牛舎に帰る群れ 、

我が車窓を ゆったりすり抜ける立派な体躯に 惚れ惚れした !!

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05.      ボームの岩山展望台から 見事なボームの袋谷を見渡すことが出来る。



盆地を取り囲む ジュラ山脈の石灰質の岩壁が 見事な馬蹄形を呈している。 

内側は 長年の水の浸食で ドカ~ンと崩落したらしい。

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06.     馬蹄形の一番奥のところに 「 テュフの滝 La cascade des Tufs 」

がある。        残念ながら水量が豊富な時期ではなかったが 

垂れさがる鍾乳石が  滝を作った時間の長さを感じさせた。



時空を探検しよう! と 洞窟や鍾乳洞潜入のポスターがあちこちに出ていたが

気楽なな見物向きでなく、  きっと それなりの準備がいることでしょう・・

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07.        再び  ボーム・レ・メッシュー村の風景を ・・



人影がなくとも、 煙突の煙や 祈りの道祖神に ホッとさせられる。

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08.    何の変哲もない田舎の川、、、  クールベの故郷オルナンのように 

ここも 美しい風景画のインスピレーションが得られる穴場かも知れない。

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09.      ここには エアシャワー種の親仔牛がいて しばらく見とれました ・・

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10.         さて、 画家クールベの故郷オルナン近くに戻ると 、、

保育所の子供たち  牛とおんなじ、  道路も土も草も友達です。



” 日本って知ってるよ、 僕は英語も出来るさ、 one two three ----ten !  ”


"  名前はなあに、って英語で聞いて! My name is Jullian . I have a sister.  "


フランス人の子でも 英語が出来ると嬉しいんデスネ !

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11.        「 ルー川の泉 Source de la Loue 」

オルナンに 美しい風景と恵みをもたらす ルー川の源泉がここにある。



200mほどの 切り立つ断崖の洞窟から ほとばしり出る湧水、

ミシュランガイドの三ツ星、 ジュラ地方の奇観の一つに数えられている。

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12.      当然 クールベも この風景を描いている。



左手には 水車小屋らしき建物が建っている。  当時の電力事情からしたら

これだけの水勢は 貴重な動力源だっただろう。

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13.      最近観光用にやっとバス便が整備されたようだが、 当時にしたら

用事がない限り誰も近づかない  手つかずの さらに辺鄙な場所だった。



しかし 画家クールベは その暗く湿った不思議なムードと 

尽きることなく湧き出ずる水源の力強さに魅了され、  


頻繁にここを訪れ 13枚もの水源の風景を描き残した。

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クールベは  ありとあらゆる人間が 例外なくそこから生まれいずる


女性性器 「 世界の起源 」 という絵を描いているが、




ありとあらゆる存在物が 水を源として存在し得ることを思えば


この水源洞窟こそ  ’ 世界の起源 ’ だと思ったに違いない ・・・  









・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 

2017年6月 2日 (金)

クールベの故郷オルナン これぞ水辺の風景画!


  一般的な旅行先としては あまり有名ではないが、    フランス北東部 

ブルゴーニュ・フランシュ・コンテ地方に位置する 「 オルナン Ornan 」 は 


画家クールベの故郷として 絵画愛好家などに 知る人ぞ知る地となっている。






01.       「 ギュスターヴ・クールベ美術館 Musee Gustave Curbet 」


この ルー川 la Loue 沿いの風景は  物静かな 奥深いオルナンの魅力を

百の言葉より雄弁に物語っている。

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02.       街の中心にある 「 オルナン橋 Grand Pont d'Ornans 」  

その両側に、 心に沁みる ルー川沿いの水辺の風景が広がる。    



街の背後に迫る白い崖も オルナンには欠くべからざる美しい舞台背景だ。

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                       ( 橋の突き当りが 宿泊したホテル )







03.          橋の南側      水鳥が遊んでいる ・・

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04.           朝靄に包まれて ・・

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05.        橋の北側    オルナンと言えば これが看板風景だ。

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06.        こんな美しい街も 半世紀に一度ぐらいは災害に見舞われる。


市役所 (写真上左) に 1953年の大洪水の写真が掲示されていて、

川岸の水位計にも その爪痕が記録されていた。

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07.      ホテルの窓から 町並みやオルナン橋が見えた。  


そして窓の日除けには 印象的な言葉が、    ”  夢  午睡  怠惰  ”

如何にも フランス人らしいつぶやきだ ・・・

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08.      実は ルー川は フランスでもマス釣りの名所として知られていて

宿泊したホテル・ド・フランス は 入漁料を扱う元締めでもある。


ディナーは当然マス料理、  メイドがテーブル脇で身を開きサーヴしてくれた。


ところでクールベも 釣られた ” 瀕死のマス ” という絵を描いている。

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09.      さて、 ルー川を南側に辿ると 一層趣のある景色が待っていた。


これぞ 水辺の風景画 !

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10.       プロ・アマ問わず 画家が押し寄せる景勝地は数々あれど


オルナンは クールベの故郷と言うことを忘れても、  

美しい風景画のインスピレーションが得られる穴場だ と思う。

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11.       ギュスターヴ・クールベ  (1819 - 1877) は 

オルナンの裕福な地主の子として生まれ、 21歳で パリに出る頃には 

デッサンなど 十分な絵の基礎を身に着けていた。



また人間としても なかなか気骨ある人物として成長したようだ。  



書簡によると    ” 僕は今15歳。 僕は常に自由の中で生きて来たし、

自由のまま人生を終わりたい。  そして僕が死ぬ時 こう言われたい。  

彼はどのスクールにも どの教会にも どの団体にも 

どのアカデミーにも 属さなかった。 


彼が属した ’ 自由体制 regime liberte ’ 以外には ・・  ”

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12.    クールベは 現実世界をそのまま描く レアリズムの旗手と言われ、


「 オルナンの埋葬 」 では    誰一人有名人が登場しない 

名も無き田舎町の葬儀を まるで貴族の葬送のように壮大な絵画に仕上げた。



赤い服の聖職者は酒に酔って赤い顔をしているし、 縦に掘られた墓穴は

誰も死を逃れられぬと言いたげに 絵を見る者に向かって口を開けている。


背後の白い岩壁こそ 聖地ではなく、 外ならぬオルナンの証し。

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「 画家のアトリエ 」 では 彼は自分の芸術生活を寓意的に表現している。


画家本人を中心に 右側には 自分を支える ’株主’ つまり

友人や労働者たち、 芸術を愛好するものたちを配し、


左側には  芸術を解さず 野卑な別の世界で生きる民衆、

政治家やブルジョワジーなどの搾取者、 無知なる批評家など

死によって生きる人々を 配している。







13.       クールベは美形の血筋に生まれ アラブやトルコを思わせる

彫りの深い風貌だった。    魅力的な自画像を数多く残しているが



オルナンの街角 とあるショウウインドウ、 

とりわけインパクトのある一枚を飾っていた。

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いずれにせよ 画壇や批評家から激しく非難された彼の芸術と


彼の心に激しく渦巻く情念のバックグラウンドに



こんなに美しく こんなに静かな故郷、 オルナンがあったことが 


不思議でもあり、 逆に 何故か納得してしまうのではある ・・・









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