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2016年12月16日 (金)

サマルカンドは ’ サマルカンド・ブルー’ に染まっていた

 
  古都サマルカンドは ウズベキスタンの東部 タジキスタンとの国境近くにある。


その名には 何故か郷愁を誘う響きがあり、   そのいにしえの都は

’ サマルカンド・ブルー ’ という神秘的な色に染まっていた。 






01.      「 シャーヒズィンダ廟群 」


町の北東部 アフラシャブの丘の南麓には  ティムール王国ゆかりの人々の

霊廟が約20棟  通りの両側に ほぼ一直線に並んでいて


 色合いから ’ 青い迷宮 ’ と呼ばれている。

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02.       サマルカンドは 紀元前4世紀からずっと シルクロードの要衝として

繁栄して来た。  しかし 1220年 チンギス・ハーンのモンゴル軍の攻撃を受け


町の人口の4分の3が殺されるという壊滅的な被害を被ると同時に

このアフラシャブの丘にあった町も徹底的に破壊し尽された。

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03.     しかし14世紀、軍事的天才と称されるティムールが彗星の如く現れる。


ティムールは 勢力を拡大する傍ら 帝国各地から職人や建築家を連れ帰り 

強さと美しさを兼ね備えた 壮大な建築群の建設に登用した。   


そして イスラム世界の宝石と呼ばれる ティムール帝国の首都サマルカンドの

復興を成し遂げた。

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04.    そのティムールゆかりの人々が この霊廟群に祀られている。

ティムールの部下 ティムールの妻 ティムールの乳母 ティムールの妹や姪 等々だ。


ここは装飾の多様性 色の美しさで 中央アジア屈指の霊廟と呼ばれている。

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05.      廟が並ぶ丘に登る階段。   この階段を上る時、

また下りる時、 その数えた段数が同じだったら 天国に行けると言われている。


確か36段だったが、 その数が正解かどうかはわからない ・・

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06.     さて、 現在のアフラシャブの丘の大半は枯れ草が覆う荒地となっている。


かつては華やかなサマルカンドの都が 何代もそこにあり続けた訳だが、    

発掘調査によると 文化の痕跡が 11層も積み重なっていると分かったそうだ。



現在は 丘の一部は 市民の墓地となっている。

中には写真入りの墓石が幾つも並んでいた。 墓標はキリル文字だ。
 
キリル文字は 厳密にはいろいろあるが

ロシア語文字と近いとみなされている。

ウズベキスタンが 近年までソ連の支配下にあったことがわかる。

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07.      サマルカンドのお嬢さん   若さと穏やかな品の良さが漂っている。

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08.      「 アミール・ティムール廟 」   

ここには ティムールとその息子 孫 ひ孫たちが眠っている。

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09.      中央の黒い墓石がティムールの墓


ここには ティムールの孫ウルグベクの墓もある。  近年の墓の発掘調査で 

彼は断首され 亡くなったことが分かったそうだ。    ( ※ 文末につづく )

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10.      「 バザール 」   ナッツ類やドライフルーツは お土産に便利だ。   

少年が売る香辛料が入った袋は 元は 日本のデジタル製品が入っていたもの。

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11.      多分 羊乳のバターを売っているのではないだろうか ・・

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12.      大きな体を包む ゆったりワンピースの大きな模様、 

民族衣装は 本当に魅力的だ。       観光客との対比が面白い。


因みに 手のひらが赤いのは 何かのまじないをしているだそうだ。

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13.       学校の先生も民族衣装だ。    この子たちが大きくなった頃も

生活が西洋化せず しぶとく民族的であって欲しいと ふと思った。。。。

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次回も サマルカンドの青い遺跡群を巡ります。







※   ガイドブックによると、  


「 ティムールの孫 ウルグベク (1394~1440) は 勇猛な為政者

ティムールと違い 自ら教鞭を執り 学問の高揚に努めた学者だった。



天文学 詩 音楽 神学 歴史学などに造詣が深く 彼の指示で 

多くの神学校やモスクが建てられ、 

’花咲けるサマルカンド ’ の名が世界にとどろくことになった。



特に彼の指導の下 天文学が発達し 天文表が作られ、 

後にヨーロッパにも伝えられるまでになる。  




しかし こうしたことが保守的なイスラームの指導者の反発を買い、

彼らは ウルグベクの息子をだまし その父親に刺客を向けさせた。

そして ウルグベクは55歳の非業の死を遂げてしまった。



当時はまだ宗教が科学に優先していて 彼の天文学は

到底受け入れられるものではなかった。


ウルグベクの百年後に現れたガリレオでさえ 地動説を唱えたことで

宗教裁判にかけられたのだから ・・   」







当時のサマルカンドが如何に文化都市であったか 物語る話として

大変興味深く感じました ~
   









゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

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「ウズベキスタン」 サマルカンドとタシケント」カテゴリの記事

コメント

bellaさん、こんばんは happy01
サマルカンド・・・、遠い昔に聞いたことはありますが、すっかり忘れてしまいました。
なるほど・・・ウズベキスタンの古都でしたか?!
それにしても、見事なブルーのモスクですね。(モスクと言って良いのかな?)
デザインが繊細で素晴らしい lovely
もし私がここを一人で訪れたら・・・
きっと、あの歌♪異邦人♪を歌っているでしょう。そんな気にさせるところですね。
女性たちの笑顔、そして3人とも美人ですね。
このような素敵な笑顔を引き出せるのも、旅慣れたbellaさんご夫婦だからでしょうね。
民族衣装も素敵です。
今夜も楽しく、かつ神秘的なバーチャル旅行させていただき、
ありがとうございました。 confident

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