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2016年11月

2016年11月25日 (金)

ウズベキスタン:ディナーは民族衣装の踊りとファッションショー


  ウズベキスタンの古都 ブハラには 「 タキ 」 と呼ばれるバザールが 幾つかあり、 

そこでは 宝石 毛皮 木工細工 陶器 絨毯 布地  帽子 スパイスなどが売られている。







01.       「 スザニ 」 は ザクロ・ブドウ・唐辛子・サソリ・鳥など

それぞれ意味がある図柄を絹糸で刺繍した布のこと。   


嫁入り道具などは 本来は心を込めて 刺繍だけで模様を表現するものだが

一般には プリント図柄の上に刺繍が施される。

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02.      焼き物は それぞれ地方ごとに特徴が異なるが 

このお皿は 周囲の ’ 砂漠色 ’ とは対照的な 鮮やかな緑色だ。

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03.      伝統的な図柄のこれらの絨毯は 栗の木やザクロなど

天然の草木を染料とした絹糸を用いて 手織りで仕上げられる。


こんな若くてチャーミングな女性が そんな根気と技術を持ち合わせて

いるとは 本当に素晴らしいことだ!

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04.      さて、オアシスの町ブハラには 近年まで 町中に運河が

張り巡らされ、 池 (ハウズ ) も200近く存在した。    しかし、

池で洗濯したり 汚物を流したり 不衛生であったため 疫病が流行し、

人々の平均寿命も32歳とかなり短かった。



今日では 整備された6つの池だけが残っている。   

写真の 「 ラビ ・ ハウズ 」 の水辺には 樹齢数百年の樹木が生い茂り 

木陰でお茶を飲んだり ボートを漕いだり 人々の憩いの場となっている。

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05.      こちらは 「 ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ 」 の中庭。

民族舞踊のディナーショーが行われた。    土間に絨毯が敷かれている。

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06.       踊りのバックに 生演奏バンドが付いた。  

タンバリンのような打楽器 小太鼓 短いフルート、  そして

琵琶形のマンドリン、 膝立て型のヴァイオリン、そしてボーカル。    


やはり西洋音楽とは違う 民族調でアラビアンチックな旋律だ。

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07.      このショーは踊りや音楽、美女が目玉ではあるが  

ある種 民族衣装のファッションショーでもある。


ウズベキスタンの布地は 絹100%のものが 「 アトラス 」、

絹と木綿が50%づつのものが 「 アドラス 」 と呼ばれている。


いずれも 単調な砂漠の風景に抗うかのごとく カラフルで大胆な図柄だ !

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08.       ダンスは完璧とは言い難いが 選りすぐりの美女ばかりだ。

どの衣装も 帽子がポイント、 一段とムードを醸し出している。

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09.      ディナーはこんな感じ。   ウオーキングによるファッションショーもあった。 


モデルの多くが すらりとした 色白の ’ ロシア系美人 ’ だ。

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10.      伝統的なアトラス織シルク生地は 虹をイメージした七色の糸で

孔雀のように華やかに織り上げられるが、 時代ごと変化があって当然だろう。


ましてや ファッションショーならば シックなものも登場 !



しかし図柄だけは ” 矢絣模様 ” という矢羽をモチーフにした幾何学模様が

基本になっている。 日本の絣 (かすり) に似た懐かしさをちょっぴり感じます ~

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11.     今回のブハラ土産はコウノトリ型のハサミ。 メス型とオス型の

それぞれに私達夫婦のイニシャルを彫り 赤と青の袋に入れてもらった。


それにしても 売り口上を述べるこのおじさんの日本語の上手なこと!

どこで日本語を覚えたのだろう ・・

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12.      さて、 ブハラを出て いよいよサマルカンドに向かったが、

途中 「 シャフリサーブス 」 に立ち寄った。  



後にティムール王国を築いた ティムールが生まれた町だ ( 1336年 )。

写真は 「 アク・サライ・宮殿跡 」 ( 1380年着工、1405年まで建設が続いた )

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13.      「 ドルッティロヴァット 建築群 」 ( ~1435年 ) 

” 瞑想の家 ” と呼ばれるティムールゆかりの建築群。



13世紀に出現したチンギス・ハーンの次々世代に現れたのがティムールで、

高校の世界史で よく勉強した人には憧れの人物らしい。


私は不勉強で 名前ぐらいしか知らないけれど ・・・!

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次はかつてのティムール王国 サマルカンドに向かいます。    







゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

 

2016年11月18日 (金)

ウズベキスタン: 「ブハラ」 チンギス・ハンに頭を下げさせた塔


ウズベキスタンの中央部にある古都 「 ブハラ 」 は イスラム教とその文化、

中央アジアの政治経済交易の中心地として 10世紀と16世紀に繁栄期があった。


1993年に世界遺産に登録された数々の遺跡が 街中に点在している。






01.    「 アルク城 」 ここが 2000年以上前の古代ブハラ発祥の地で、

歴代のブハラ・ハーンが拠点を置いて来た。


広大な内部は一つの町になっていて  これまで 敵の来襲で城が破壊されたり

また再建したりの繰り返しだったと言う。

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02.    「 イスマイール・サーマニ廟  943年 」 

ブハラの最初の繁栄期に建てられた 中央アジア最古のイスラム建築物。


日干し煉瓦による装飾が美しい。 建物を三周すると願いが叶うそうだ!

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03.     「 ミル・アラブ・メドレセ神学校 16世紀 」 (写真上 

中央の巨大アーチには 青と白のモザイクタイルに 植物やアラビア文字の模様が

隙間なく描かれ、 その両側に2つの青いドームが聳える様子が印象的だ。



メドレセの向かい側に建つのが 「 カラーン・モスク 16世紀 」 (写真下 の右端)

一万人の信者が礼拝できる広さだが ソ連時代は倉庫となっていた。

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04.     カラーン・モスクの前に立つのが 「 カラーン・ミナレット 1127年 」

高さ46mのこの塔は 文字通りブハラのシンボルで 数々の伝説を持っている。



町中が破壊された大地震にもこの塔だけは無傷だったとか、


チンギス・ハーンが来襲した時、 塔を見上げたハーンの帽子が頭から落ち

それを拾おうと腰をかがめた彼が こう叫んだ。

” これは 私に頭を下げさせた立派な塔だ。 決して壊してはなるまいぞ ”

      こうして この塔は破壊を免れたとか、


18~19世紀になると 塔は死刑に用いられ、 袋に詰めた死刑囚が 

上から投げ落とされたので ’ 死の塔 ’ と呼ばれるようになったとか、
  

等々 ・・・

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05.     アクリル絵の具で 民族的な絵を描くアーチスト

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06.     色鮮やかな民族帽。   シルクロードは ’ 楽器ロード ’ でもあった。

色々な国をルーツに持っていそうな楽器たちだ。


弦楽器ラバブは 日本の琵琶とルーツが同じと言われている。

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07.      「 アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ 17世紀 」 


これも左右対称だが、 インドやトルコからの影響が加わり 

青と白ばかりでなく 豊かな色味で彩られている。

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08.      内部には アーケード状の部屋がある。 イスラム建築には珍しく

人の顔をした太陽 鳥や花など 模様も色使いも豊かなのが特徴だ。 

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09.      「 ウルグベク・メドレセ 1418年 」 ( 写真上 

中央アジア最古の神学校で タイルの模様が一段と豪華だ。  扉に記された格言は

’ 知識欲こそ ムスリム (イスラム教徒) に無くてはならないものだ ’ 



「ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ 1622年 」 (写真左下)

( 当夜ここで民族舞踊のショーが行われ  多くの美女を眺めることになる )



「 神学者像 」 (写真右下) ナディール・メドレセは 当初キャラバンサライ 

( 隊商のための取引所や宿泊所 ) として建てられたが、

ハーンの怒りを買うのを恐れ メドレセ (神学校) とした経緯がある。

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10.      ナディール・メドレセの正面タイル
 

二羽の鳳凰が爪で白い鹿を掴み 顔の描かれた太陽に向かって飛ぶ図柄、

偶像崇拝を否定するイスラムの教義に反してはいるが お咎めなしだったらしい。


文化が円熟してくると ある種 鷹揚さが許されるのかも知れない。

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11.       大人もそうだが 子供たちは特に屈託なく明るい !

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12.        囲碁のような遊びにふける人

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13.      体重計で商売する男の子がいた 。


500ムスは 日本円で約24円相当、 高いのか安いのかわからないが

たまには体重を測る人もいるのだろうか。 

   
少なくとも日本人のように ダイエットなど気にしないだろうし

家に体重計なんて わざわざ置かないのかも知れない。

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「 ブハラ 」 つづきます。








゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
 

2016年11月11日 (金)

ウズベキスタン : 古都ヒヴァの奴隷市場とハーレム


               ここヒヴァには 昔、 中央アジアじゅうにその名がとどろく大きな奴隷市場があった。


               また 支配者・ハーンの華麗な私生活の場、ハーレムもあった。

           
               ’ シルクロードのハーレム ’ とは どんなものだろうか ・・・







  01.     「 パルヴァン・ダルヴァサ門 (東門) 」  ( 別名 奴隷の門 ) 


今はこのように 門前で日常品が売られているが、  かつては ここに 

中央アジアで最大の奴隷市場があった。     16世紀来 支配者が変わっても

300年間 奴隷市場の勢いは衰えることなく続いてきた。

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02.     ヒヴァのハーンは 近郊で住民や旅人を捕まえさせ 彼らを奴隷として

仕入れた。   市が立つと 門の内部から 鎖につながれた奴隷たちが引き出され、


カラクム砂漠を越えてやって来たトルコ人部族や

草原のカザフ族が 彼らを買ったと言う。

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              (  バザールで売られているのは お焼き? 餃子? )






03.      18世紀になると 南下して来た多くのロシア人が捉えられ奴隷となる。   

そこで ロシアは ロシア人奴隷の解放を口実に軍隊を派遣し、 

1873年 ヒヴァを全面降伏させた。     そして 奴隷市場もその幕を閉じる。



ガイドブックによると その当時 ロシア人の奴隷は3000人、それ以外が3万人。 


特に 健康で強靭なロシア人は 奴隷一人当たりラクダ4頭で売られたと言う。

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04.     さて ヒヴァの朝市バザール、  電気製品の修理屋さんがいた。 

モノは長く大切に使うのだろう。  


’ MOPC ’ は ロシアの飲料メーカーの飲み物だ。  

非炭酸飲料で クランベリーやブルーベリーなどから出来ている。  


独立したとは言え やはりロシア文化は浸透しているようだ。

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05.        「 タシュ・ハウリ宮殿 」 1838年建造


ヒヴァの中で 最も豪華なタイルや装飾品で飾られている ハーンの居城。

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06.      中庭には お客が来た時に ” ユルタ (移動式テント住居) ” を

建てる 丸い土台が出来ている。


お客時に限らず 中庭のユルタで過ごすのを好んだハーンもいたそうだが、 

その気持ち なんだかよくわかります ~~

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07.      さて 宮殿の一角に ” ハーレム ” がある。 

長方形の中庭を 二階建ての建物がぐるりと囲んでいる。 


この中には 執務室・ 宴会やお客を接待する部屋など 大小163もの

様々な役割の部屋があったが、  


メインは 左手の ハーンの執務室と正妻たちの部屋だ。

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08.        謁見や儀式が行われた最重要な部屋が 左側の部分。 

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09.      その天井は 木枠と赤い幾何学模様を組み合わせた豪華な造りだ。   


七宝焼きタイルの青い側壁と 装飾彫刻が施された茶褐色の木の柱の空間で

見慣れぬ赤が 一際異彩を放っている。

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10.      ところで 正妻と言っても 第一夫人から第四夫人までいて、 

儀式の間の右隣に 正妻の部屋が4つ並んでいる。 

それぞれの部屋に柱が1本、 計4部屋だ。    


奥さんが4人もいて、、 序列があって、、  なかなか大変な世界です。

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11.      しかし その上  中庭をはさんで 正妻たちの居室の向かい側に

側室 ( 又はその候補 ) たちの部屋がずらりと並んでいる !   


彼女たちは 向かいの正妻達の部屋を眺めては 羨んだり 情勢の変化を

気にしたりしたと言う。



日本の大奥のように

この長方形のハーレムの世界にも 様々な物語が行き交ったことでしょう。

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12.       子供たちは地元の子ではなく 近隣から来た観光客。



左は コーランを置く木製の台を売る人。   日本人にコーランを推奨しても

仕方ないので、 本の他 スマホが置けるヨ、 iPadも置けるヨ、 と熱弁。


日本語数字を唱えつつ、9通りもの X型の木枠の組み方を実演して見せた。

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13.      さてここまで 世界遺産の古都ヒヴァの街を散策して来ました。 


ヒヴァの観光地としての整備は 今日でもまだ続いているようです。  



この遺構は単なる仕事場でしょうか・・

それとも 立派な宮殿に修復され いずれはここにも観光客が来るでしょうか・・

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次は 少し大きな都市ブハラへ向かいます。












゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。   

2016年11月 4日 (金)

ウズベキスタン : イスラームの聖都にロシア風美人が

 
    ウズベキスタンの古都 ヒヴァはアムダリア川流域下随一のイスラームの聖都


と称され、 その長い歴史の変遷を物語る建物が随所にある。       







01.    「 キョフナ アルク (古い宮殿) 」 17世紀に建てられたハーンの宮殿。  

新しい宮殿が建てられた後、 区別するために 古い宮殿と呼ばれるようになった。


3つの入口、 左側の庶民用から右側のハーン用へとドアの丈が高くなっていく。

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02.     ハーン用入口。   ところで チンギスハーンという名前はよく聞くが、 


” ハーン ” という名称は アジアの遊牧民の君主や有力者が名乗る称号で、  

ウズベキスタンも 13世紀にチンギス・ハーン、 16~18世紀にかけて

ブハラ・ハーン ヒヴァ・ハーン コーカンド・ハーン などに支配されている。

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03.      ’ ロシア風美人 ’、 顔つきも服装も土地の人とどこか違っている。

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04.      宮殿内にはモスクやハーレム、 ハーンの玉座の間などがあるが、

兵器庫、火薬工場、造幣所もあった。


絹のお札が作られた時代もあったという。

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05.      宮殿内では かまどを使ってモノを作る場面が再現されていた。 


宮殿の外に見えた 現代のパン焼き釜と比べて

差ほど大きな違いがないところが面白い。  文明の利器が発達しようが

この窯で焼いたパンほど美味しいものはないのかもしれない。

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06.       「 ジュマ・モスク 」 多柱式建築のモスク。


10世紀に建造され、18世紀まで改修が続き現在の姿になった。


約3mの間隔で 231本の木の柱が並んでいるのだが、天井の木組みも含め、

砂漠の国で見る木の仕様は 独特な異国情緒があるものだ。

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07.       柱の彫刻は 一つひとつ違っている。  幾何学模様、

綿花やチューリップの形、 魔除けの印しや仏陀を表すものもある。

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08.      左側は 最も古い柱 ( 10~11世紀 ) の神秘的な彫刻、  

右側は日本語を話すガイド。

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09.        「 パフラヴァン・マフムド廟 」 


ヒヴァの庇護者パフラヴァン・マフムド (1247~1326年) は毛皮職人だったが

同時に詩人・哲学者であり 武道にも優れていたため 人々から絶大な尊敬を得ていた。


従って 彼のそばに葬られると来世で幸せになれるという言い伝えがあり、 

周りに幾つもの墓がある。   もちろん身分の高い人々の世界での話だが ・・

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10.       「 イスラーム・ホジャ・メドレセ 」 1910年築の最も新しい建物

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11.       内部には 民族衣装や道具類が展示されている。



イスラームの影響が色濃く残る ヒヴァの建造物や文化ではあるけれど

ウズベキスタンは 紀元前の古代ギリシアから 7世紀の中国 8世紀のアラブ 

10世紀のトルコ 13世紀チンギス・ハーンのモンゴル

そして ティムール、 ペルシャ、ロシアなど 様々な勢力の支配を受けて来た。



このような道具類にも いくつかの民族の名残が感じられる。

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12.      ウズベキスタンは 近代になると、1860年頃からロシア帝国に、

1924年頃からは ソヴィエト連邦に支配された経緯がある。


そして ソヴィエト連邦の崩壊に伴い 独立したのが ごく最近の1991年だ。  



130年ほどロシアの支配下にあった訳だから、 ロシアの文化も流入し

ロシア人との混血もあっただろう。



観光にやって来た女性たち、    アジアの面影があるようでもあり、、

またロシア風でもある。    服装はヒヴァの人たちより断然現代的でお洒落だ。

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13.      そして、 子供たちは明らかにロシア人的だ。



実は今回のウズベキスタン旅行は アフガニスタンの北側の国でもあるし 

テロなどがあるのではと心配した。         しかし、



1991年の独立まで ウズベキスタンなど中央アジアの国々は 

長く社会主義体制下にあった訳で、   結局のところ


警察権力が非常に強く、 かえって治安がよく保たれていて安心だ、

という 情報があり 旅行に踏み切った訳でした。 

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因みに ブログフレンドの方が 地図では


” ウズベキスタンは UZBEKSKAYA、北側のお隣のカザフスタンは KAZAKHSTAYA ” 

と出ていたと 調べて下さいました。



多分これも ロシア語表記の一環なのでは、 と想像しました 、、、










゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
 

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