ウズベキスタン:オアシスの町ヒヴァ、羊の解体は生きた教育!
ウズベキスタンの首都タシケントの西 約1000kmにある 「 ヒヴァ 」 は
1990年 ウズベキスタンで最初にユネスコの世界文化遺産に登録された古都だ。
アムダリヤ川下流のオアシスに出来たこの町は 古代ペルシャ時代から
カラタム砂漠への出入り口として繁栄して来た。
01. 約420mx750mの長方形の城壁に囲まれた城内 ( イチャン・カラ ) には
新旧の宮殿 20のモスク 20のメドレセ (神学校) 6基のミナレット (塔) 等がある。
右奥のミナレットは ヒヴァでは最も新しく(1910年) 最も高い(44.5m) 塔だ。
02. ミナレットから見る町の風景は いかにも砂漠にある町だ。
高さ約10m、厚さ約6m、全長2,250mの イチャン・カラを囲むこの城壁は
日干し煉瓦造りで、 雨が降ったら どんどん水を吸い込んでしまうのではと想像するが、
殆ど雨は降らず 降っても ’ 焼け石に水 ’ 程度だと言う。
03. 青いタイルで装飾された 「 アラクリ ・ ハン ・ メドレセ 」
04. 霊廟には 墳墓がたくさん並んでいる。 丸い屋根の一つひとつが
墓のように見えるが、 棺そのものは地中に設置されている。
左上は

城壁もお墓も パン焼き炉も 同じ日干し煉瓦で出来ているところが面白い。。。
05. 「 ゼロ 」 を発見した ヒヴァ生まれの学者ムハンマド・アル・ホレズミ
( 783~850年 ) の像があった。
06. 人懐っこい子供たち
07. 明るい若いママたち
08. 牛乳を配ります ~
09. 左側奥にあるのが パン焼き釜、 薪をくべてパンを焼く。
女性たちの 貴重な井戸端会議の場でもあるのでしょう ・・
10. ため池で釣りをする少年たち。
そもそもオアシスに出来た町だから 基本的に緑は結構ある。
しかし 貴重であることには違いない。 防虫剤が塗られた木もあった。
11. ’ 羊の解体 ’ 手慣れた大人の主導のもと
子供たちも 解体を手伝い 手順を覚えて行く。
12. つい今しがたまで 普通に生きていた羊の頭が 道傍に置かれている。
皮も剥がれ 足首も切り落とされた。
日本人には 軽くショックな場面ではあるけど、 これが 生きる ということであり
生きた教育 というものなのかも知れない。
13. 真ん中の 「 カルタ・ミナル 」 は 青の彩釉タイル模様が美しい塔だが
1855年に 高さ26mで工事が中断されたままの姿だ。
この三倍くらいの高さを目指していたらしい。
旅路の夕刻は ロマンチックでもあり 物悲しくもあるが
未完の塔の向こうに夕日を眺めつつ
ガイドブックで旅の続きの勉強をする ・・・
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
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コメント
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こんばんは


ウズベキスタンの旅の続き、楽しみにしていました
海外どころか国内・近隣のドライヴさえままならない今の私には、
すごく楽しみなbellaさんのブログです
砂漠のオアシスの街、異文化、人々の暮らし・・・、
何もかもが「へぇ~!」っと思いながら拝見しています。
子供たちだけでなく大人たちの表情も、素敵ですネ!
それに衣装の色やデザインが、オシャレ
ヒツジの解体・・・見慣れない日本人には、目を覆いたくなるかもですが、
現地の人々にとっては必要不可欠のことなのでしょうね。
投稿: 慕辺未行 | 2016年10月21日 (金) 23時10分