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2016年10月

2016年10月28日 (金)

ウズベキスタン:土着のバザール、逞しいボディラインに女の力が

 
    ウズベキスタン西部 世界遺産の町ヒヴァの朝市は とても興味深い。


実際の生活に根差した ’ 土着の匂い ’ がプンプンと漂っている。







01.    イチャン・カラ ( 城内 ) に入る東門 ( パルヴァン・ダルヴァザ ) 

前の広場で開かれる朝市 ( バザール )。   


砂漠気候の7月 一年でも一番気温が高い季節だが 

午前中のせいか 気になる程の暑さではない。 

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02.       まずは 強そうな女性たちの服に目がとまった。   


頭から被れる簡易服  ’ アッパッパ ’ スタイル、 

色も模様も様々で 逞しいボディラインに女の力がみなぎっている。

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03.       スイカ、  メロン ・・

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04.      日差しが強く雨が少なく 寒暖の差が大きいため 果実は甘みが強い。

ぶどう あんずなどのドライフルーツ ナッツ類も よいお土産となる。

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05.      ニンジン色の総菜、  

素材はよく分からないが 多分サフランなどで着色してると思う。

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06.      ニンニク、ニンジン、米などを売る女性


荷物を運ぶのが 軽トラかロバか はたまた荷車か足だけかわからないが

とにかく 力仕事であることは 女性の逞しいボディラインが物語っている。

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07.      自家製ホウキ

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08.      バザールにやって来る多くの人たちが サンダル履きだ。

サンダルの修理屋さん,  接着剤で剥がれた靴底をくっつけている。

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09.      イスラム教の国だが 羊肉ばかりでなく 牛肉 馬肉 鶏肉なども食べる。

シルクロードの東西交易の町だけあって 食文化にも多様性がある。

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10.      にわとりを抱く男性。    シャツと短パンにサンダルと、

女性に比べ 特に 若い男性たちの服装は民族色が薄いようだ。    


もしかして、 男性の方が 

風習を少々脱いで 手っ取り早く 現代的なものを取り入れやすいのだろうか。

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11.      ニワトリだけでなく カモや いろいろな雛も 売られていた。  


彼らが動かずにいるのは 足元を縛られているから。

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12.       所変わって、 今は高級ホテルとなっている 

「 ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ 」 前にも  バザールが立っていた。


イスラム文化がもたらしたアラベスク模様のタイルも 美しい土産品だ。

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13.      民族衣装を着た操り人形や指人形の土産品、 


昔は 男も女もこんな格好だったのだろう。  祭りなど特別な場合は別として、

男たちにとって、 Tシャツにジーパンの方が動きやすいのは確かだ。

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日本に行ったら サムライと芸者ばかりがいる、などと思う外人は 

今日 さすがにいなくなったのと同じように、 



シルクロードの町々も 年々グローバル化しているのが

旅行するとわかるというものだ ・・・ 
 








゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

2016年10月21日 (金)

ウズベキスタン:オアシスの町ヒヴァ、羊の解体は生きた教育!


ウズベキスタンの首都タシケントの西 約1000kmにある 「 ヒヴァ 」 は

1990年 ウズベキスタンで最初にユネスコの世界文化遺産に登録された古都だ。


アムダリヤ川下流のオアシスに出来たこの町は 古代ペルシャ時代から

カラタム砂漠への出入り口として繁栄して来た。







01.   約420mx750mの長方形の城壁に囲まれた城内 ( イチャン・カラ ) には

新旧の宮殿 20のモスク 20のメドレセ (神学校) 6基のミナレット (塔) 等がある。


右奥のミナレットは ヒヴァでは最も新しく(1910年) 最も高い(44.5m) 塔だ。

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02.     ミナレットから見る町の風景は いかにも砂漠にある町だ。    


高さ約10m、厚さ約6m、全長2,250mの イチャン・カラを囲むこの城壁は  

日干し煉瓦造りで、 雨が降ったら どんどん水を吸い込んでしまうのではと想像するが、


殆ど雨は降らず 降っても ’ 焼け石に水 ’ 程度だと言う。

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03.      青いタイルで装飾された 「 アラクリ ・ ハン ・ メドレセ 」

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04.     霊廟には 墳墓がたくさん並んでいる。 丸い屋根の一つひとつが

墓のように見えるが、 棺そのものは地中に設置されている。


左上は
 お墓でなく ! パンを焼く炉。   上部の穴に種を貼り付けて焼く。



城壁もお墓も パン焼き炉も 同じ日干し煉瓦で出来ているところが面白い。。。

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05.      「 ゼロ 」 を発見した ヒヴァ生まれの学者ムハンマド・アル・ホレズミ 

( 783~850年 ) の像があった。

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06.         人懐っこい子供たち

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07.       明るい若いママたち 

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08.       牛乳を配ります ~

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09.       左側奥にあるのが パン焼き釜、  薪をくべてパンを焼く。


女性たちの 貴重な井戸端会議の場でもあるのでしょう ・・

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10.      ため池で釣りをする少年たち。


そもそもオアシスに出来た町だから 基本的に緑は結構ある。

しかし 貴重であることには違いない。 防虫剤が塗られた木もあった。

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11.       ’ 羊の解体 ’    手慣れた大人の主導のもと 

子供たちも 解体を手伝い 手順を覚えて行く。

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12.      つい今しがたまで 普通に生きていた羊の頭が 道傍に置かれている。

皮も剥がれ 足首も切り落とされた。



日本人には 軽くショックな場面ではあるけど、 これが 生きる ということであり

生きた教育 というものなのかも知れない。

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13.      真ん中の 「 カルタ・ミナル 」 は 青の彩釉タイル模様が美しい塔だが 

1855年に 高さ26mで工事が中断されたままの姿だ。 


この三倍くらいの高さを目指していたらしい。

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旅路の夕刻は ロマンチックでもあり 物悲しくもあるが 


未完の塔の向こうに夕日を眺めつつ 


ガイドブックで旅の続きの勉強をする ・・・









゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

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2016年10月14日 (金)

ウズベキスタン:砂漠の中で千数百年眠っていた廃墟遺跡


ウズベキスタンという国が どんな国でどのあたりにあるのか

的確に説明できる人は少ないかも知れない。   


最近 私の身近な人が旅行して来た。 

シルクロードの真っただ中にあるエキゾチックなこの国、 

せっかくですので、写真を中心に掲載させていただくことにいたしました。







01.  「 ウズベキスタン 」 は カザフスタン、キルギス、タジキスタン、

トルクメニスタンを含めた中央アジア5か国のうちの一つ。


ロシア 中国 中東の諸国に囲まれて 見るからに複雑な歴史を持っていそうだ。

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02.    旅行はウズベキスタン西部のカラカル・パクスタン自治共和国から始まった。


もともと 砂漠地帯の水資源やオアシスを巡っての争いがそのまま歴史となった地域で、

数々の王国の盛衰は このアムダリヤ川と切っても切れない関係にあった。

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                                      (   上は 農業用水路  )






03.    庶民にとってロバは 相変わらず大切な労働力。 


スイカとメロンは旅行者にとって 美味しくて貴重な生水の代用品ではあるが 

食卓に出るまでの過程で どうしても生水に触れるのかも知れない。

スイカのお陰で 旅行中ずっと下痢に悩まされた人もいた。

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04.     さて 当日の見物地 「 トプラク・カラ遺跡 」 紀元前1世紀~ 


13世紀に 勢力を拡大したチンギス・ハーンが アムダリヤ川を堰き止め、

流れの方向を変えたため この地域は水資源を失い 王国が滅亡したと言う。

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05.     現地ガイド  大学で日本語を学び 日本にも留学した二十歳代の女性。

日本語が流暢なだけでなく 説明が的確でとても頭のいいガイドだったそうだ。

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06.        住民の居住跡

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07.       昼食は ユルタと呼ばれる建物の中で。 

ビールも日本とは水質が 違うので ほどほどにしないと下痢の心配ありで 要注意。

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08.     ユルタの内部は興味深い。  移動に便利な組み立て方と 

砂漠の上に敷かれる絨毯が 民族的な香りを醸し出している。

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09.      次の見物地は 「 アヤズ・カラ遺跡 」 6~7世紀

砂漠の土くれにまみれた廃墟で 当時の繁栄を想像するよすがもない。

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10.    これらの遺跡群が観光ルートに組み込まれたのは最近のことらしく 

ガイドも 説明に足りる資料を持ち合わせていなかった。  


発見されたのが1930年だから 千数百年も砂漠で寝ていた城塞の方こそ

起こされてびっくりしているかも知れない。

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11.     観光バスに激しく揺られながらやって来たこの乾いた大地、

強烈な日差しを遮るユルタの有難さが分かろうと言うものだ。


山麓の ’ユルタキャンプ ’ には ユルタが12あり 

その中には 食事をしたり泊まることが出来るものもある ( 写真07,08 )。

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12.       観光用にラクダが待っていた。   

ラクダの背に乗り 近場を一周。 大回りしたところで 景色に変化はない !?

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13.     成田から首都タシケントに着いたあと 国内線でウルゲンチへ、

さらにバスでヒヴァという街にやって来て 上の二か所の廃墟を見物した訳だ。



ヒヴァのホテルに2泊。 案内書によれば ウズベキスタンの

ホテルは砂漠地帯に点在しているため、ホテルのグレードに関わらず 

水やお湯が出にくい場合があると言う。

今回は特段の支障はなかったが、、



ここはユルタでなくちゃんとした建物だが 床の絨毯がいかにも中央アジアだ!

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この後は 現存する宮殿や世界遺産の街を巡るので 

もっと ’ 色のある世界 ’ が見られるはずです ・・・





゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。



お断り :  このウズベキスタン旅行記は
bellaーDanna(旦那)さんの写真と談話から構成されています。  

2016年10月 7日 (金)

今日の絵画 「 ボーヌ夕景 」 早くパリに帰りたい!



フランス東部にあるブルゴーニュ地方は

ブルゴーニュワインや ムタール(マスタード)で有名です。


そして かつて豊かな財政を誇ったブルゴーニュ公国には

色瓦で 建物の屋根をデザイン装飾する文化がありました。




今日の絵画 「ボーヌ夕景 油彩」 は そんな文化の名残を留める

古い木組みの家を中心に、日暮れ時のボーヌの街角を描いたものです。

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ところで、昔、

ある日あるフランス人の案内で パリからボーヌ方面に

朝から一日ドライブに出かけたことがありました。



その人は 主人の知り合いでしたが 私にとっては初対面、

ドライブの道すがら 昼食も夕食も立派なレストランでご馳走になり 

無愛想では申し訳ないからと 一日何とか会話の穂をつなぎました。



’人見知りでボキャブラリーの乏しい ’私は くたびれ果て

早くパリに帰りたい 、、 早く家に帰りたい 、、



そう願った 切ない!? ボーヌの夕景でした。
 







★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★
 

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