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2015年10月30日 (金)

「立派だったバチカン市国」「想像が駆け巡った聖職者達の帰宅風景!」

バチカン市国は よく知られている通り 国土面積が0.44k㎡の世界最小の独立国で、

ローマ教皇庁が 国家運営の主軸をなしている。 



そして バチカンは ’ その昔繁栄したキリスト教の国 ’ ではなく、 

今まさに権力の頂点にあり 繁栄の只中にある国だけあって 見る物どれもが凄かった !





 

01.     「 サン・ピエトロ広場 Piazza San Pietro 」 は 合計284本の列柱からなる

円弧形の二つの腕に囲まれている。 その真ん中に 1世紀にエジプトから運ばれたオベリスクが立っている。


この広場には 30万人もの信者が収容出来るという。

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02.         「 サン・ピエトロ大聖堂 Basilica di San Pietro 」  


この大聖堂はもともと 紀元64年頃 ネロ帝によって逆さ十字に架けられ命を落としたピエトロ(聖ペテロ)

の遺体を埋葬すべく、 コンスタンティヌス帝が ここ殉教の地に聖堂を建てさせたのが始まりだ。

そして  ピエトロ広場も大聖堂も 今日の形になったのは17世紀半ば。



ベルニーニ作の ねじれが加えられた4本の柱で支える 「 ブロンズの天蓋 」29m、

この真下に 「 聖ペテロの墓 Tomba di S.Pietro 」 があり、 最も神聖な場所とされている。

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03.     聖堂内は とにかく豪華にして威風堂々、 あらゆる設え・装飾類は芸術性が高いと同時に、

信者を地にひれ伏させる威厳と 魂を天に昇華させる清らかな神聖さを併せ持つ 独特な異空間でした。



カトリック世界の総本山だけあって、 そんじょそこらの大聖堂とは比べ物にならないほど 

お金が掛っているなあ、 手間が掛っているなあと 率直にそう思いました ・・

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            (  ミケランジェロの 「ピエタ」、  地下にあるペテロの墓  )







04.    大聖堂の隣には フレスコ画が描かれた 「 ラファエロの間 Stanze di Raffaello 」 がある。



4室からなっており、   その第1室が 「 コンスタンティヌスの間 」

ラファエロの死後 弟子たちによって描かれた 「十字架の出現 」(左)と 「ミルヴィオ橋の戦い 」(右)

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05.      第3室が 「 署名の間 」  ラファエロが最初に手掛けた部屋。



「 アテネの学堂 Scuola di Atene  1509年 」 では ソクラテス、プラトン、ヘラクレイトスなど

古代の哲学者や人文学者など 名だたる有名人が一堂に会している。 流石に、 有名なこの絵は一番人気でした!

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06.    アテネの学堂の興奮が冷めやらぬ間に 私は 「 システィーナ礼拝堂 Cappella Sistina 」 に入った。

実は この写真の下方では 足の踏み場も無いほど 人が押し合っている。 



シャッターを1~2回切った時、 あなた知らないの No Photo よ! と 誰かに英語でたしなめられた。

後でわかったことだが、 聖職者達がこもり 次の法王を選ぶ ” コンクラーベ ” が行われるのがこの部屋だ。

審判を下す神の姿を背に執り行われるこの行事、  確かに 美術館ではなく 現実的に神聖な部屋でした !




何はともあれ、 ミケランジェロの「 最後の審判 」と 数々の天井画の前に 私は口を開けて立ってはいたが

本当は  有名過ぎて その前に立っているという現実感が乏しかった ・・

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07.     さて、 話は唐突に 日本の徳島県にある 「 大塚美術館 」に 変わります。


ここでは 世界の名画がそのままタイルで再現されている。 曖昧な ’模写’ではなく、写真を元にしているので

寸分違わぬ絵画が再現され かなりクオリティーが高い。  



ここでなら 誰に咎められることなく 天井画の微細な写真を撮ることができるし、 ゆっくり勉強も出来る。  

とにかく 一か所で 世界中の芸術作品に会える お勧めの美術館です !

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08.      舞台は再びバチカンへ。    システィーナ礼拝堂を出ると 回廊も華やかでした。

「 地図のギャラリー 」「 タペストリーのギャラリー 」などが 120mにわたって続いていた。

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09.     「 バチカン美術館 Musei Vaticani 」 には 絵画も豊富に収蔵されているが 

特に彫刻作品やエジプト美術に特化した 「 ピオ・クレメンティーノ美術館 Museo Pio Clementino 」 が秀逸だ。



八角形の中庭のコーナーに 風雨に半分触れる形で 「 ラオコーン 」や「 ヴェルヴェデーレのアポロ 」

などが 惜しげもなく立っていた。

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10.      「 バチカン美術館 」 の入口は バチカンとイタリアを隔てる堅固な城壁部にある。

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                           (    上は 美術館内部の 螺旋階段   )






11.     今回私は サン・ピエトロ大聖堂を見学しているうちに 夕方6時の閉館時間を迎えてしまい

正面ではなく 裏口から出ることになった。         すると、  

観光客が普段見かけることのない  
聖職者たちの帰宅の場面に出くわした。 




ミケランジェロがデザインしたと言うコスチュームを着た
スイス人の傭兵がガードする傍らで  

彼らが立ち話をしている!   何となく人間的だ !

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12.     「 ローマ教皇庁 Curia Romana 」と「 バチカン市国 Citta del Vaticano 」 は


意味合いが少し違うが 表裏一体ではある。  バチカン市国は国である以上 行政や財政 法務や教育・厚生

外交や広報など どの国にもある組織がある一方  ローマ教皇庁としては キリスト教の教義や

聖職者の人事を扱う特殊な部門も持つことになるだろう。



結局 枢機卿や司教・司祭などは聖職者であると同時に 国のお役人・国家公務員と呼べるかも知れない。

立ち話する ’ お役人たちの ’ 帯や帽子の色が微妙に違う。  


そして 彼らは これからどこに帰って行くのだろう ・・

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13.     気になったので調べてみたら 彼らは確かにバチカンの城壁内に住んでいるらしい。 


バチカンの人口は800人余。 市民の殆どがカトリックの修道者で、 教皇庁で働く3000人にものぼる

修道者以外の一般職員は だいたい市国外(すなわちイタリア)に居住し、そこから通勤しているそうだ。





⦅  南米出身の現在のローマ法王フランシスコは 大聖堂を出る時、待ち受けていたリムジンを素通りし、

ほかの枢機卿たちを送迎するバスに乗り込んだ。 また、教皇はバチカン宮殿内の歴代の教皇が使用してきた

豪華な公邸ではなく 寝室が2室しかないバチカンの宿泊施設 カサ・サンタマルタを選んだ ⦆  という

産経ニュースのコラムも目にした。

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立派な法衣を着た聖職者たちの 帰宅時間に遭遇したばかりに 

いろんな想像や興味が頭の中を駆け巡った。   





あの豪壮なサン・ピエトロ大聖堂や 有名なミケランジェロやラファエロの芸術に触れたと言うのに

最も印象的だったのが ” 坊さんたちの赤い帯と丸い帽子ーカロッタだった ” とは 

我ながら面白いことでした!!






法王が信者に説教する サン・ピエトロ大聖堂のバルコニーを 振り返りつつ

イタリアとの国境を越え 帰路に着きました ・・・ 





★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

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