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2015年8月 7日 (金)

動物と心が通じた 「 アッシジの聖フランチェスコ 」 

アッシジは 「小鳥に説教した聖フランチェスコ」 の町として 世界にその名を知られている。


スパージオ山の斜面に白く輝く町の姿は 聖フランチェスコの高潔な心を そのまま表しているかのようでした。







01.      城壁で囲まれた「 アッシジ Assisi 」 の姿は  丁度 一艘の白い船の様で、

北西側の舳先に 「 サン・フランチェスコ聖堂 」、 南東側の艫に 「 サンタ・キアーラ教会 」がある。

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02.      アッシジの町本体に入る前に、  フランチェスコが初期の仲間と共に 

洞穴に寝泊まりしながら  祈りを捧げ瞑想した聖地を 訪ねてみることにした。 
        



それは アッシジの東4kmほどにある 「 カルチェリの庵 Eremo delle Carceri 」 という場所だ。 

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03.      山道に入ると ’ Zona Sacra 聖域 ’ という看板が出て、 何とはなしの緊張感が漂う。 



フランチェスコ会の修道士たちが洞穴前で 修行に励む姿が再現されていた。  それにしても ここには

観光客や普通の巡礼者に混じって 本物の?シスター達がたくさん 真剣な面持ちでやって来ていた。



聖フランチェスコへの信心深さと その人気の高さを  誰かに千回説明されるより 解り易かった。

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04.       ここが カルチェリの庵だが、  フランチェスコが こんな立派な隠棲所で

修行した訳ではなく、 建物は14Cに建てられたものだ。         しかし、



当初の フランチェスコたちが籠った洞穴 粗末な寝床 井戸などは 当時のままに保存されている。

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05.     さて アッシジの 裕福な毛織物商の息子に生まれた 「 フランチェスコ Francesco d'Assisi 

1182~1226年 」 は 何度かの戦争と大病を経験した後、 ある日  ” 行って私の教会を建て直しなさい ” 

という神の声を聞く。    その神秘体験を機に 世俗を捨て 修行の道へと入ったのだ。
 




その信条は 一切私物を持たず、 日々の食事も 労働もしくは托鉢で得、 当然金貨も銀貨も持たず、 

旅の荷物・衣服・履物・杖も持たない というものだ。 



結果 フランチェスコは靴を脱ぎ裸足となり、  皮のベルトを捨て縄を腰に巻く姿となった。

そう言う訳で  フランチェスコを描いた絵は 一目で彼と分かるのです ! 

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                                       (   食堂 ( じきどう )   )







06.     ところで 跡継ぎとして期待していた息子の変わりように 父親がどれほど深く絶望したかは

想像に難くない。 父親の商売ものを持ち出しては売り払い 教会に差しだす息子と口論になったのも当然だ。



最後に フランチェスコは服を脱いで裸となり ” 全てをお返しします ” と衣服を父に差し出し、

自分にとっての父は 「 天の父 」 だけだとして 親子の縁を切ってしまう。

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  (   着物を返すフランチェスコ 左     小鳥に説教するフランチェスコ 右    )







07.       当時 聖職者や修道士は托鉢を禁止されていたし、

司祭職でもない修行僧が説教を行うことも 許されてはいなかった。      そこで  

異端として弾圧されるのを恐れたフランチェスコたちは  ローマ法王に活動の許可を求めた。  



もちろん 当時 カトリックの中で 禁欲的会派が無かった訳ではないが 

痩せ細って、汚れたぼろを纏った彼らの姿は とりわけ衝撃的だったらしい。



一切の所有物を認めないのは厳しすぎるではないか、 と言う法王に  フランチェスコは 

” 何かを持つと それを守ろうとする気持ちが生じます ”  と答えたと言う。




免罪符の交付などで蓄財した聖職者たちの腐敗を抱え、  同じ教義を信条とするカトリックでも

これだけの振り幅があることに 実際 法王も苦悩したのではないだろうか ・・    


その時は 結局は フランチェスコ達は  ’ 仮免許 ’ のような形で 黙認されたらしい。

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                      (     カルチェリの庵がある丘から アッシジの町を望む    )





08.      さていよいよ アッシジの町 「 コムーネ広場 Piazza del Comune 」 に到着した。 

すると なんと 「 ポポロの塔 Torre del Popolo 」 に羽が生え、  歓迎してくれました ~08

 
(  たまたま 車のフロントガラスに 鳥の羽が貼りついたので 急いでシャッターを切りましたよ !   )





09.          街中では 当たり前のように  あちこち 聖職者が歩いておりました。

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10.         ところで フランチェスコの思想は 従順・清貧・貞潔に生きることで 

物質的な豊かさはもとより、 知的な豊かさも認めなかった。 




現代でも 経済的に豊かな者が 結局は知的な豊かさを得られる場合が多いし、   

知性を持つと 結局は 何かに対する疑問や不従順を生む場合が多い。



そんな思想を 現代版に置き換えると なにやら危険な思想にも見えてしまうが 、 

「 心貧しいことこそ神の御心にかなう 」 という フランチェスコの言葉は ’ 全能の神 ’ を旨としており

黙るしかないほど 的を得て正しい信条なのかもしれない。

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(  町から見上げる 「 ロッカ・マッジョーレ Rocca Mggiore 」 

最初の城塞はローマ時代に築かれたが   この大城塞は 15Cに完成したもの   )







11.         そういう意味では  フランチェスコは 邪念の多い人間に比べ  

神の創造物として 動物は上位にいると考えたのかも知れない。   オオカミに説教した話は 



このブログの 「 グッビオ編 」 で触れましたが、  その他 ジョットの絵で有名なハトばかりでなく 

ウサギ、セミ、キジ、ロバ、魚 などとも心が通じ よく語りかけたそうだ。

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12.        坂道の多い町、 時代を経た石の風合い、 どこを切り取っても 絵になります

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13.      美しい聖職者の町に  カラフルなお菓子を見つけて  ふと現実に呼び戻されました!




夜は美味しい料理をいただいて、 

明日の 「 フランチェスコ聖堂 」 訪問に備えることにいたしました ・・

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★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

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