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2015年8月

2015年8月28日 (金)

今日の絵画 「 楽園の鍵 」 パステル

残暑がまだ厳しい頃、 とある土曜日 サークルで裸婦デッサンをして、  その翌日曜日 

友人が 植物園内のお洒落なコーナーで 絵の個展をすると言うので出かけてみた。




花の香りが漂う緑の木陰を通り 個展の会場に入ると 植物園の雰囲気とマッチする素敵な油彩が並んでいた。




その足で 熱帯植物ブースも訪ねてみた。    ブースは ’ 楽園 ’ のようであったが

とりわけ バナナの大きな葉っぱが光に透けて美しかった !



それで 土・日分併せて描いてみることにした ・・

Photo_2

いつもながら パステル画は写真に撮ると ザラザラ デコボコ というタッチと

複雑な色の絡みがすっかり消えてしまう。   写真も未熟 、、 絵も未熟 、、 




でも 鷲が運ぶ楽園の鍵は しっかりキャッチしたいと願っています ! 





★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

2015年8月22日 (土)

「シエーナ大聖堂の 床象嵌装飾図」シエーナの意地と知性を感じました!

イタリア トスカーナ州にある古都 「 シエーナ Siena 」 は昔から 何かにつけ

州都フィレンツェと 覇権を争って来た。    今日 観光地としての魅力で言ったらどうでしょう。 



個人的には 私は あのフィレンツェ以上だと シエーナに軍配を上げたい !    

その魅力の四番バッターこそが シエナの大聖堂 「 ドゥオーモ Duomo 13C ~ 」 なのです。







01.       金彩をポイントとして 白く輝くその姿は 真新しいのでは、と思うほど煌びやかだ。

実は この大聖堂を 十字形の ’ 短軸 ’ とし、  直角に交わる ’ 長軸 ’ をさらに付け加え

フィレンツェの大聖堂に負けない馬鹿でかい聖堂を シエーナ人は造ろうとしていたのです。


しかし 14C ペストや飢餓に襲われ工事は頓挫、 側廊となるはずだった壁だけが残されている。

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02.      内部には グレーと黒の縞模様を基調とした 大理石の列柱が並び シックで超豪華 !

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03.       そして 特筆すべきは 世界でも類を見ない高度な技術によって作られた「 床装飾 」。 


写真のような作品が56枚、聖堂の床を埋め尽くしている。  それらには 巫女の寓意や 聖書・神話を

題材とした物語が描かれており、  紛れもない大傑作揃いでした ~

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                   (  出エジプト記 Mose sul Sinai を題材とした図柄  )







04.       これらには 大理石の 「 象嵌 」「 掻き絵 」「 きりばめ細工 」 と呼ばれる

技術が用いられ、  15C当初から200年かけて 40人の芸術家たちが作り上げたのだと言う。  



聖人の顔の上に デ~ンと別床が設えられたりして 時代の変遷も感じられる。

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05.           「  受胎告知の預言者 エリュトレイアの巫女 sibilla eritrea 」 

彼女は 百合と共に描かれることが多いが ここでは 葉だけが描かれている

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06.       聖堂内では次から次へと 登場人物が多く 面積が広い立派な絵が現れますが、 

ロープが張られているので、 カメラで意のままに全体像を捉えることが出来ない。


暗いものもありますが、 解かりやすい部分を切り取って並べてみました。

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  (    賢者の丘の寓意 allegoria del colle della sapienza 1504年   )





07.             「 無実の者の大虐殺  strage degli innocenti  」


預言者からキリストが誕生したことを告げられたヘロデ王が、 将来キリストによって王座を追われることを恐れ  

片っ端から生まれたばかりの赤ん坊を虐殺させたと言う マタイ福音書からのエピソード。


この時 マリアは キリストを抱いてエジプトへ渡り 難を逃れている。

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08.       左 「 キリストの降誕を予言した サモスの巫女 sibilla samia 」 お腹に天使が描かれている 

 右 「 キリストの復活を予言した フリュギアの巫女 sibilla frigia 」 いずれも衣服の描線が 柔らかく美しい

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09.        左 「 キリスト磔刑を予言した ヘレスポンティカの巫女 sibilla ellespontica 」  

右 「 キリスト降誕を予言した クメアの巫女 sibilla cumea 」    



足元で握手する狼とライオンは、 それぞれの動物が象徴する都市 「シエーナ」 と 「フィレンツェ」 が

握手して 和平を結んだとされる場面。       9都市のシンボル動物も描かれている。

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10.        イスラエルの王 ダビデの三男 「 アブサロムの死 storie di assalonne 」 

父ダビデに対して反乱を起こし 敗れた彼は  心臓に棒を打ちこまれ死んだ。

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11.        11.12.は 出エジプト記、モーゼ,  などが題材となっているが、  

日本画の線描にも似て 柔軟な線のデッサンが芸術的です ! 

それに やや摩耗した大理石の表面が かえって 不思議なムードを醸し出している。

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 (  ヘブライ人の約束の地への行進 marcia del popolo ebraico verso la terra promessa   )





12.      因みに この装飾床は 経年摩耗を出来る限り減らすため 普段は布が掛けられ

8月中旬から2か月間しか見ることが出来ない。  見られてラッキーだったとしか言いようがありません !

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13.       床に見とれて 呆然としていた時、 ふと見上げた円天井に 星が瞬いていた !

そして ぐるりと聖人が下界を見下ろしている。 




全くもって凄いものを シエーナ人は造ったものだ !
 

少し言い過ぎとは思うが、 金に飽かせて豪奢を貪った フィレンツェに対して、 

こちらシエーナは 中堅都市の意地みたいなものだろうか、 しっかりと自己を確立し

派手さよりは 芸術そのものに金を賭けたと言えそうな気がする 、、 

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芸術の分野で フィレンツェが チマブエ ジョット フィリッポ・リッピ ボッティチェリ

ダ・ヴィンチ ミケランジェロと 豊かなルネッサンス表現様式の王道を歩んだのに対し、  


シエーナの方は 理知的なギリシア風 または アラベスク模様のビザンチン風を礎に、 それに加えて 

シエーナ独特の 抒情的で柔軟性に富む洗練された芸術を生み出した  と言われている。





確かに シエーナ派などという名称も、芸術家たちの名前も 一般にはあまり知られてない。

シエーナが フィレンツェに負けない シエーナ独特の芸術を持っていたことを知っただけでも

今回 私は シエーナに来た甲斐があったというものでした !    








因みに 上の巫女たちは お印として それぞれ ゆりかご まぐさ桶 十字架 釘 貝殻 などを

絵に添えるのが 決まりではあるけれど、  シエーナの巫女さんたちは どの人も ” 本 ” を手にしている。

ただの巫女と言う以上に絵に説得力があるし シエーナの知性をも感じ取った次第でした ~ !








★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

2015年8月14日 (金)

アッシジのフランチェスコに生涯を捧げた聖女「 サンタ・キアラ 」

アッシジには 小鳥に説教した 「 サン・フランチェスコ 」 と もう一人、 フランチェスコに帰依し 

女性修道会を開いた 「 サンタ・キアラ 」 という美しき修道女がおりました。






01.           光差す 朝のアッシジの町

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02.      古代ローマ時代にも 市民が集まっていたこの広場、 「 コムーネ広場 」 に 

アッシジという町の歴史の古さを物語る 「 ミネルヴァの神殿 Tempio di Minerva 」 が建っている。  
 



かのゲーテが アッシジの中で最も気に入った建物だったそうだ。 内部は現在は教会となっているが

正面にコリントス様式の列柱が6本残っており、 保存状態の良さは イタリアでも一二のギリシャ神殿だという。

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 03.      サン・フランチェスコ聖堂へ通じる 「 サン・フランチェスコ通り 」 の両側には

中世・ルネサンス期の家屋が建ち並び 風情を醸し出している。  



とりわけ 所どころ枝分かれする階段道は  まるで別世界に通じているかのようだ !

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04.      「 巡礼の礼拝堂 Oratorio de Pellegrini 」 の壁には 15世紀のフレスコ画が残っており

静かに現代生活を見守っている。

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05.       坂道のサン・フランチェスコ通りに 観光客の列は絶えない。   その名の由来となった

アメリカの サン・フランシスコからも きっと 毎年 大勢の人々が来ているに違いない !

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06.     さて ここが 「 サン・フランチェスコ聖堂 Basilica di San Francesco 1253年~ 」 


丘の中腹から見えている部分が  ’ 上のバシリカ Basilica superiore ’ で 

この下に  ’ 下のバシリカ Basilica inferiore ’ がある。

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07.       下のバシリカの内部は採光が少なく天井が低い。 薄暗い中にフレスコ画が並ぶが 

作者不詳の この 「 小鳥たちに語りかける聖フランチェスコ 」 が見つかれば 来た甲斐があるというものだ ・・

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                                     (  上左は 聖フランチェスコの墓 Tomba di Francesco )







08.      上のバシリカは ゴシック様式らしい姿だ。 身廊の天井が高く 高い窓から光が注ぎ、

入口付近から チマブエやジョットの シックな色合いの ドラマチックなフレスコ画が続く。 

その物語は 信者の胸には感動を沸き起こし、  私のような部外者には 聖書の勉強の題材となる。 

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                                        (   回廊に出ると 明るい日差しが溢れ 気持ち良い   )






09.      さてアッシジには、 聖フランチェスコの弟子であり同志であった 一人の美しき女性がいた。



「 サンタ・キアラ Santa Chiara d'Assisi 1194~1253年 」 は アッシジの名門に生まれ、 

順当に行けば裕福な貴族と結婚したはずだが、  16歳のある日 路上で聖フランチェスコの説法を聞くという 

運命の出会いがあった。   心を動かされた彼女は 彼の元に走り、 修道生活に入ってしまう。



初期の家族の奪還作戦も空しく、 結局彼女は サン・フランチェスコ会の尼僧院長まで上り詰めることになる。

それどころか 後に母親 妹たち 叔母なども修道生活に入ったというから どれ程の影響力があったことか! 

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                                (   上のバシリカと下のバシリカを行き来する 外階段   )





10.     こちらの 「 サンタ・キアラ教会 Dhiesa di Santa Chiara 」 は 

バラ色と白の石灰岩の縞模様が美しく、 いかにも 聖女サンタ・キアラに相応しい外観です。



ところで、フランチェスコたちが 説教や托鉢で国中を歩いて回ったのに対し、 

女性が粗末な衣服で外界を彷徨うなどはもっての外だし、 ” 清貧 貞節 従順 ” という尼僧規則にも準じ、   

キアラたちは 修道院の外に一歩たりとも出ることなく 祈りと院内労働で日々を過ごしたと言う。

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11.       サンタ・キアラの遺体は 760年余 教会内で静かに眠っている。 

キアラが自分で作った衣服   フランチェスコが履いたクツなども展示されているが、 

多くの女性聖人の例に似て 巻き毛が保管されていた。  その生々しさに 目が吸い寄せられた。



フランス・ルルドの、  35歳という若さで逝った 「 聖女ベルナデッタ 」 の場合、  

遺体は 蝋で作ったマスクが被せられ 美しい顔で眠っていた。


キアラは 59歳で病弱なその生涯を閉じている。 

飾ることなくありのままのお顔を晒すことも 聖女の在り様かも知れない。

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12.      ところで、 ものすごく下世話な勘繰りをすれば キアラとフランチェスコは お互い 

’ 惚れて ’ いただろうか ・・   類まれな美貌の持ち主だったというキアラと  いかなる困難にも

決然と立ち向かう強さと  動物にも心が通じるという優しさを持ち合わせていたフランチェスコ、

人間の男女として ある種の気の迷いを 少しくらいは持っていて欲しいところだが ・・・  !?




実際のところ、  数々の 宗教上の苦難を分かち合い、 命懸けで 修道会の発展に共に尽した彼らは 

生涯 真の同志だったに違いない。 



しかし  病に伏したフランチェスコが 1226年に亡くなるまで、 その看病を誰にも任せず 

一手に引き受けたキアラ、 その期間 彼女は もしかして人生最良の日々を過ごしたかも知れない ・・・

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(  サンタ・キアラ教会前の広場にて   

白い羽の生えた年増の?エンジェルは 水晶と生年月日による 簡単な占いをしているようでした ~   ) 






13.       サン・フランチェスコの足跡を訪ねてやって来た アッシジでしたが



「 サンタ・キアラという聖女 」 の存在に触れ、 バラ色の教会と共に 思いがけない 

こころのお土産を頂きました ~

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教会前でお昼を食べる可愛い子供たち、  将来 どんな人生を歩むのカナ。



大人になったら  キアラさんのような人生も  理解できるようになるのカナ ・・







★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

2015年8月 7日 (金)

動物と心が通じた 「 アッシジの聖フランチェスコ 」 

アッシジは 「小鳥に説教した聖フランチェスコ」 の町として 世界にその名を知られている。


スパージオ山の斜面に白く輝く町の姿は 聖フランチェスコの高潔な心を そのまま表しているかのようでした。







01.      城壁で囲まれた「 アッシジ Assisi 」 の姿は  丁度 一艘の白い船の様で、

北西側の舳先に 「 サン・フランチェスコ聖堂 」、 南東側の艫に 「 サンタ・キアーラ教会 」がある。

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02.      アッシジの町本体に入る前に、  フランチェスコが初期の仲間と共に 

洞穴に寝泊まりしながら  祈りを捧げ瞑想した聖地を 訪ねてみることにした。 
        



それは アッシジの東4kmほどにある 「 カルチェリの庵 Eremo delle Carceri 」 という場所だ。 

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03.      山道に入ると ’ Zona Sacra 聖域 ’ という看板が出て、 何とはなしの緊張感が漂う。 



フランチェスコ会の修道士たちが洞穴前で 修行に励む姿が再現されていた。  それにしても ここには

観光客や普通の巡礼者に混じって 本物の?シスター達がたくさん 真剣な面持ちでやって来ていた。



聖フランチェスコへの信心深さと その人気の高さを  誰かに千回説明されるより 解り易かった。

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04.       ここが カルチェリの庵だが、  フランチェスコが こんな立派な隠棲所で

修行した訳ではなく、 建物は14Cに建てられたものだ。         しかし、



当初の フランチェスコたちが籠った洞穴 粗末な寝床 井戸などは 当時のままに保存されている。

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05.     さて アッシジの 裕福な毛織物商の息子に生まれた 「 フランチェスコ Francesco d'Assisi 

1182~1226年 」 は 何度かの戦争と大病を経験した後、 ある日  ” 行って私の教会を建て直しなさい ” 

という神の声を聞く。    その神秘体験を機に 世俗を捨て 修行の道へと入ったのだ。
 




その信条は 一切私物を持たず、 日々の食事も 労働もしくは托鉢で得、 当然金貨も銀貨も持たず、 

旅の荷物・衣服・履物・杖も持たない というものだ。 



結果 フランチェスコは靴を脱ぎ裸足となり、  皮のベルトを捨て縄を腰に巻く姿となった。

そう言う訳で  フランチェスコを描いた絵は 一目で彼と分かるのです ! 

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                                       (   食堂 ( じきどう )   )







06.     ところで 跡継ぎとして期待していた息子の変わりように 父親がどれほど深く絶望したかは

想像に難くない。 父親の商売ものを持ち出しては売り払い 教会に差しだす息子と口論になったのも当然だ。



最後に フランチェスコは服を脱いで裸となり ” 全てをお返しします ” と衣服を父に差し出し、

自分にとっての父は 「 天の父 」 だけだとして 親子の縁を切ってしまう。

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  (   着物を返すフランチェスコ 左     小鳥に説教するフランチェスコ 右    )







07.       当時 聖職者や修道士は托鉢を禁止されていたし、

司祭職でもない修行僧が説教を行うことも 許されてはいなかった。      そこで  

異端として弾圧されるのを恐れたフランチェスコたちは  ローマ法王に活動の許可を求めた。  



もちろん 当時 カトリックの中で 禁欲的会派が無かった訳ではないが 

痩せ細って、汚れたぼろを纏った彼らの姿は とりわけ衝撃的だったらしい。



一切の所有物を認めないのは厳しすぎるではないか、 と言う法王に  フランチェスコは 

” 何かを持つと それを守ろうとする気持ちが生じます ”  と答えたと言う。




免罪符の交付などで蓄財した聖職者たちの腐敗を抱え、  同じ教義を信条とするカトリックでも

これだけの振り幅があることに 実際 法王も苦悩したのではないだろうか ・・    


その時は 結局は フランチェスコ達は  ’ 仮免許 ’ のような形で 黙認されたらしい。

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                      (     カルチェリの庵がある丘から アッシジの町を望む    )





08.      さていよいよ アッシジの町 「 コムーネ広場 Piazza del Comune 」 に到着した。 

すると なんと 「 ポポロの塔 Torre del Popolo 」 に羽が生え、  歓迎してくれました ~08

 
(  たまたま 車のフロントガラスに 鳥の羽が貼りついたので 急いでシャッターを切りましたよ !   )





09.          街中では 当たり前のように  あちこち 聖職者が歩いておりました。

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10.         ところで フランチェスコの思想は 従順・清貧・貞潔に生きることで 

物質的な豊かさはもとより、 知的な豊かさも認めなかった。 




現代でも 経済的に豊かな者が 結局は知的な豊かさを得られる場合が多いし、   

知性を持つと 結局は 何かに対する疑問や不従順を生む場合が多い。



そんな思想を 現代版に置き換えると なにやら危険な思想にも見えてしまうが 、 

「 心貧しいことこそ神の御心にかなう 」 という フランチェスコの言葉は ’ 全能の神 ’ を旨としており

黙るしかないほど 的を得て正しい信条なのかもしれない。

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(  町から見上げる 「 ロッカ・マッジョーレ Rocca Mggiore 」 

最初の城塞はローマ時代に築かれたが   この大城塞は 15Cに完成したもの   )







11.         そういう意味では  フランチェスコは 邪念の多い人間に比べ  

神の創造物として 動物は上位にいると考えたのかも知れない。   オオカミに説教した話は 



このブログの 「 グッビオ編 」 で触れましたが、  その他 ジョットの絵で有名なハトばかりでなく 

ウサギ、セミ、キジ、ロバ、魚 などとも心が通じ よく語りかけたそうだ。

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12.        坂道の多い町、 時代を経た石の風合い、 どこを切り取っても 絵になります

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13.      美しい聖職者の町に  カラフルなお菓子を見つけて  ふと現実に呼び戻されました!




夜は美味しい料理をいただいて、 

明日の 「 フランチェスコ聖堂 」 訪問に備えることにいたしました ・・

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