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2015年7月

2015年7月31日 (金)

迫力満点ボローニャの斜塔 頭上に崩れ落ちる日は来ないだろうか・・

フィレンツェの北 80kあたりに エミリア・ロマーニャ州の州都 ボローニャがある。

北イタリアとローマを結ぶ幹線上の要衝として 政治的・文化的に重要な街、




今回は特に その賑やかな街のど真ん中に立つ 2つの斜塔が見たくて 立ち寄りました。







01.      屋根に印象的な列柱が並ぶ 「 パラッツォ デル ポデスタ Palazzo del Podesta 13C 」 は

「 ネットゥーノ広場 Piazza del  Nettuno 」 に面している。



その広場にある 「 ネットゥーノ噴水 Fontana del Nettuno 」の  筋肉隆々たる海神ネプチューンと

乳房を押して水を噴出させようとする海の女神セイレーンの姿が 荒削りな豪快さを放っていた。

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02.           ’ イタリア人 ’     これが日常の顔 ・・・

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03.     「 サン ペトローニオ聖堂 Basilica di San Petronio 」 は 1390年に建築が始まったが

いっこうにはかどらず ファサード上半分には 未だに装飾大理石板が貼られていない。



イタリアでは 自治都市が それぞれ一つの国のようなものだった訳で、 繁栄・衰退の潮流や

時代ごとの価値観が  聖堂への投資に もろに響いたかも知れない。

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04.        サン ペトローニオ聖堂に面した 「 マッジョーレ広場 Piazza Maggiore 」



汚れにくい ’ 石の文化 ’ ですから みんな 石があればどこにでも座ります ~~

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05.       マッジョーレ広場から入る小路には  カフェや八百屋などが雑然と並んでいる 

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06.        Vodafone ( 携帯会社 )の宣伝 

 ’ あなた好みの上着 バッグ スカートなどを着せ替えて 写真を撮りましょう ’



肉屋さん  ’ 日曜も店開いてます ’ 。  カトリック国と言えども ここでは 日曜も稼ぎ時でしょう

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07.       さて、 ボローニャ独特のアーケード ’ ポルティコ Portico ’ の向こうに

何やら 塔が二つ見えてきました !    確かに傾いてます !!

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08.     右側が 「 アジネッリの塔 La Torre Asinelli 97.2m 」  西に傾いている。

左側が 「 ガリゼンダの塔 La Torre Garisenda 48m 」  南東に傾いている。



この2基の堂々たる塔の傾きを カメラで捉えるのは至難の業でした ~   それに 実際は塔が 

もっと真上にそびえ、 今にも頭上に崩れ落ちるのではないかとハラハラさせられるような風情でした !



この二つの塔は 皇帝派と教皇派に分かれ 相争った豪族 アジネッリ家とガリゼンダ家が 

1109年から1119年にかけて 勢力を誇示せんと 相争って建てたもの。 

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09.        低い方の塔の足場はこんな具合に傾いている。 


ここも ’ 石の文化 ’ と言うのでしょうか、 1000年の積み石を 人々はベンチ代わりにしています ! 

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10.       イタリア語のサイト Torri di Bologna da Wikipedia で見つけた写真、 

あっと驚くと共に、  人間の 競争心という本性を垣間見て 思わず微笑んでしまいました。



11世紀頃のボローニャの風景を 1917年に描いた絵らしいのですが、 人々が権力を誇示せんと 

争って建てた塔が アスパラガスの如く ニョキニョキと生えている姿は  何とも凄過ぎです ! 

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11.      12~13世紀には100以上あった塔は 現在は この二つを含め 24が残っている。


上のサイトでは 一つ一つについて 通り名と写真を添えて説明しているが、

大体は5~6階ぐらいに縮められ? すっかり 今日の家並に溶け込んでいる。 

人間の歴史は こうやって折り合いをつけて行くのだなあと感心させられた。



ラヴェンナで客死したダンテも そこで書き上げた 『 神曲 地獄篇 』 の 2か所で

巨人アンタイオスの有様を 傾いて襲いかかって来そうなガリゼンダの塔に例えて表現しているそうだ。

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12.       100mのアジネッリの塔の前では 折しも 自転車フェスタが開かれていた。


そう、1000年の歴史も こうして現代生活に飲み込まれて行くのだ ・・・

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13.     それにしても 地震とは無縁ではないイタリア、 ボローニャの斜塔は よくここまで持ったものだ。



ピサの斜塔もいいし、   林立するサンジミニャーノの群塔もいい。 

しかし、 街のど真ん中にあって、 人々の頭上に垂れ込めるボローニャの斜塔の迫力は満点です !

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現在は 最高の科学の粋を駆使して 傾斜を食い止め 安全を確保しているのは間違いない。



しかしながら、、、   何の疑いもなく自転車を漕ぐ人、   塔の真下で愛を語らう人 、、、

SF映画やゴジラ映画のように、 彼らの頭上に石片が降り注ぐ日が来るかどうかは  ’ 神のみぞ知る !? ’








★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・
゜  

2015年7月24日 (金)

「ラヴェンナのモザイク画」 美しき聖女たち、1500年も行列し続けてます

イタリア エミリア・ロマーニャ州にある 「 ラヴェンナ Ravenna 」 は 

アドリア海から15kmほど内陸にある 歴史遺産に彩られた輝かしい古都ですが、 



とりわけ そのモザイク は 長く世界中の人々を魅了して止まない芸術品なのです。 







01.            「 サン・ヴィターレ聖堂 Basilica di San Vitale 547年 」 


キリスト教の聖堂としては ごく珍しい八角形をしており、 床・壁など 一面モザイクで覆われている。   



特に 聖堂内陣のアーチの上下左右に配されている キリストと12使徒、 皇帝と皇后のモザイク画は 

率直な人物表現が古めかしくもあり 退色しないモザイクの輝きが新鮮でもあり 本当に見事でした !

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02.      当初西ローマ帝国の首都であったラヴェンナは 6世紀には東ローマ帝国の総督府となる。


8世紀初頭には東ローマ帝国から分離されたものの  河川を通じてアドリア海に開けていたラヴェンナは 

その後も ビザンチン帝国の首都となったコンスタンチノープルと 深い関係を持つことになる。  


聖堂の随所に ビザンチン様式がみられるのも当然のことでしょう。

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03.           アーチ向かって左手の壁  「 ユスティニアヌス一世と廷臣たち 」 

登場人物は  一人ひとり 誰であるか分かるように描かれている。

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04.          向かって右手の壁には 「 皇妃テオドラと侍従たち 」 

ネックレスも冠も 今付けたばかりのように輝いている。

モザイクは タイル 石 ガラス 貝殻 木 などを組み合わせ、 床や壁面に 幾何学模様や歴史画・宗教画

などを表すものですが、 表面のでこぼこを極力抑えつつ 芸術的図案通りに 広い面積をびっしり

モザイクで埋め尽くす訳ですから、 想像しただけでも 気の遠くなる作業だということは間違いありません。



モザイクは  崩れ去らない限り  半永久的に劣化せず輝き続けるのですから

そこが 最大の魅力と言えるでしょう。  

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05.       こちらの 「 ガッラ・プラキディア廟堂 Mausoleo di Galla Plcidia 5世紀 」 は

サン・ヴィターレ聖堂と同じ敷地にあるが さらに古い霊廟です。  四辺のアーチには  キリストと羊の群れ 

聖人の受難などが描かれている。   とりわけ アーチ型の天井に描かれた 濃紺の天空に煌めく金の星々の

精密さには驚かされる。 



どれ程腕の立つ職人が作ったことか、、、 手先の器用な日本人でもお手上げかもしれない ・・・

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06.       狭い内部は真っ暗で 目が慣れるのを待つことになる。  建物を外側から見ると

四方にボールド( かまぼこ型の天井 )(12.5m×10.25m) が伸びているのが分かります。

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07.     話は変わるが、 ラヴェンナでは ホテルでなくアパルトメント(貸し部屋)を予約した。  

朝からオーナーとメールのやり取りをしていたが 約束より少々早めに着いた。



何の変哲もない建物の 「P」 のマークがある所が入口だ。 呼鈴脇にオーナーの電話番号が書いてある。 

たまたま通りがかった彼らが 自分の携帯でオーナーに連絡してくれた。 



オーナーがやって来るまで結構待ったものの  美男美女の顔をまじまじ眺めるチャンスと相成った! 

猫のような銀緑色の目をした彼女はロシア人。 ゴリラTシャツの彼は 26歳のイタリア人。

カルチョ(サッカー)好きだが ラヴェンナのチームは セリエC所属で 弱いからと期待薄の感じ !  



アパルトメントの方は 2部屋続きでベッドは合計5個、 結構広く まあ悪くはなかったですよ ~

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08.          旧市街の ホコ天 メインストリート

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09.     さて再びモザイクです。   こちらは 「 サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 

Basilica di Snta'Apollinare Nuovo 」。    519年に作られたこの聖堂のモザイク画はデザインが斬新 !      



特に 「 聖女の行列 Processione delle sante 」  は ’白’ が美しく 清潔感に溢れていました。 

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10.     聖女たちは東方の三博士の後に続き 町、港を出て 聖母へ捧げものを手渡すべく行列している。



聖女の向かい側の壁には 玉座のキリストに向けて歩む 26人の男性聖人殉教者たちの行列が描かれている。  

こちらは カメラ的には生憎逆光でしたが、 リズミカルな構成と白の美しさは変わりありませんでした ~

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11.      個人的には 一番心に残ったモザイクでしたので、 改めてアップにしてみました。



女性の顔つきは皆違っていますし 服の模様やひだ、貢ぎ物の持ち方まで それぞれ異なっている。

参考とした実際のモデルがいたかも知れない ・・



とにかく 永遠に劣化しない美しき聖女たち 1500年も行列し続けてるなんて スゴイ!

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12.        ヨーロッパの街角では 不思議と 子供か 犬か 彼女を 連れて歩く人が多い ・・

この町も そんな感じでした ~



ショウウインドウに飾ってあったオートバイは ” ローマの休日 ” で グレゴリーペックとヘップバーンが

乗ったと同じ車種 同じ年代のオートバイだそうですよ 。

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13.        さて ラヴェンナのモザイクは まだまだ随所で傑作が待っていました。  

紙面の都合で 断腸の思いで!? カットしましたが   最後に一言。   



ラヴェンナには 「 ダンテ Dante Alighieri  1265~1321年 」 の墓もありました。

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ローマ教皇庁と神聖ローマ帝国との大いなる争いの中で、 永久追放の宣告を受け、再びフィレンツェに

足を踏み入れることはなかったダンテは、 流浪の生活の果て 最終的にラヴェンナに落ち着き 

1321年 あの 『 神曲 』 を書き上げる。





以後 フィレンツェ側は ダンテの墓のランプの油を毎年奉納し ラヴェンナにダンテの遺骨の返還を

求めているが、 ラヴェンナはこれに応じていないと言う。




ダンテ追放は 歴史のなせる業とは言え、 フィレンツェにとって 逃した魚は大きかったようですね。





★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

2015年7月17日 (金)

「ナカータの居たペルージャ」「狼伝説のグッビオで白トリュフのフルコース!」

地中海に突き出したイタリアにしては珍しく 海に面してない地域、ウンブリア州がある。

今回はその州都ペルージャと 古都グッビィオを訪ねます。





01.    「 ペルージャ Perugia 」 は 1998年から 中田英寿がサッカーチームに

在籍していたこともあり、 どんな町か知りたくて 短い時間だったが 寄ってみることにした。



「 11月4日広場 Piazza 4 Novembre 」 が街の中心で、 

周りに 自由都市時代の繁栄を物語る 13~14世紀の古めかしい建物が並んでいる。

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02.         広場の真ん中にあるこの 「 大噴水 Fontana Maggiore 1278年 」、

なんでこんなに立派な噴水が必要だったかと思わせるほど 豪華堅牢でした!

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03.   さて ペルージャは小高い丘に作られた町で 麓のトンネルに潜りくねくね進んで行かねばならない。

外国人にしては こんなルートをよく探り当てたものだと 我ながら思ったものでした ・・




駐車場からは 急峻なエスカレーターを乗り継ぎ、 どこもかしこも急坂の道をフーフー言いながら登り、

やっと 頂上部分にあたる 先ほどの広場に辿り着いた次第でした。

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04.          大芸術家を輩出した フィレンツェやローマ ミラノなどとは別に 

’ ウンブリア絵画 ’ が生まれた町だと聞いたが、 美術館に入る余裕は全くなかった。  


また ヒデトシ・ナカータ が生活を楽しんだ片鱗に触れてもみたかったが、そんな時間もなかった。

それでも 町はやはり魅力的ではありました ~~ !

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05.    「 サン・ベルナルディーノ教会 Oratorio di San Bernardino 1461年 」 


ルネサンス期の建築の逸品で、 大理石の色合いと繊細な浮き彫りが醸し出すハーモニーが魅力的でした。

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06.        教会正面の 音楽を奏でる天使たちの浮彫は 他で類を見ないほど繊細でたおやかだ。

ウンブリア芸術は神秘的で穏やか、時として甘美すぎるほど優しいと評されるそうだが、 

これほど ピンクの大理石に似合う芸術もないのではないだろうか。




因みに ドライブの途中、道路工事で強制的に田舎道に迂回させられた。 っで たまたまピンクの石の

採掘現場を通った。  今もこんな石が採れるのだろうか。  時には迂回も悪くない!?

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07.       さて 夕方ペルージャを出て、 次は 同じウンブリア州の奥地 「 グッビオ Gubbio 」 

に進みました。  ここは インジーノ山 Monte Ingino の斜面にへばり付くように形成された町で

再び どこもかしこも坂道ばかりが待っておりました   

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08.     こうして町を見上げると ひとかたまりになって見える旧市街だが   幾層もの山道が

階段状に重なって 大聖堂や宮殿、公爵邸や塔、教会や広場、住居や職人の店などを構成させている。  



「 パラッツオ・コンソーリ 執政官邸 Plazzo dei Consoli  」(下の写真) は白く優美な建物だが

全体としては ゴツゴツとした 中世の城塞都市の厳しいムードが溢れる町でした。

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09.     長屋根付きの作業場 ロッジャLoggia (写真右側奥)は いくつかの伝統産業のうち 

羊毛産業用の作業場だったところだ。  その向こう側の教会が 「 サン・フランチェスコ教会 」。



小鳥に説教したとして有名な サン・フランチェスコは ペルージャにも そしてここグッビオにも

遥かな山並みを越えて アッシジから度々やって来たという。 

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10.     中世そのままのこんな通りでは、扉がすっかり塗り塞がれたものがある。 それは

「 死者の扉 Porta  di Morto 」 と呼ばれ そこから棺が運び出され 再び戻らぬよう塗り固められたものだ。



ここグッビオは 美食の町としても知られている。 地味な佇まいの山あいの町ではあるけれど、家畜肉 

ジビエ(野禽)  チーズ・サラミ 野草 オリーブなど 意外なほど多種な地元の食材に恵まれている。

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11.     そういうことで、 山から狼がしばしば降りて来て 動物や人間にかなりの悪さを

繰り返していた時代があったらしい。 そんな狼に説教をして悔悛させたのがアッシジの聖フランチェスコだ。



” そもそもお前が他者を襲うのも飢えの所為に違いない。 これまでの悪事を悔い 平和に暮らすことを

約束すれば ここの人々が 死ぬまでお前に食料を与え続けるだろう ”  と狼を諭すと  

狼は 脚を聖フランチェスコの手に置き  もう人を襲ったりしないと誓った。



人間の兄弟となった狼は 住民によって迎え入れられ その2年後の死まで 食料を与えられ続けたという。 

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12.     さて、 私は狼のように 悪さをしないと悔い改めた訳ではないが、 なんとグッビオで

” 白トリュフのフルコース ” を味わう 大チャンスに恵まれた!  



こんなにふんだんに 白トリュフがかかった料理は 恐らく人生で二度と食べられないかも知れない。

後になって写真を見て気付いたが、 料理類は  白トリュフのニュアンスを消さないよう 

ホワイトソースなどの 上品な薄味系の仕上げになっていた ・・

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13.       このレストランの名前は ” タベルナ デル ルポ Taverna del Lupo ” 

つまり狼レストランだ。  成る程 この町の狼伝説は こんな所でも生き続けていた ・・      




支配人とオーナーが出て来て いろいろ楽しい会話が続いた。 

トリュフをこんなに大盤振る舞いしていただき幸せでしたよ、と言うと 

この町、このレストラン、この時期(10月)だからこそ出来たことですよ、 と 笑って答えた。
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写真左側は 悔い改めた狼が 聖フランチェスコの手に足を乗せている場面です。  



質素を旨とした聖フランチェスコの逸話は 多かれ少なかれの真実を含んだ史実であったに違いない。





・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆





 
アッシジを訪ね、是非 そんな謙虚な空気を感じてみたいと思った私でした ・・・・・






(   実際は 押すな押すなの観光客で ビックリでしたが   !!!   )





★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

2015年7月10日 (金)

今日の絵画  「 母の日に牡丹 」

今日の絵画 「  母の日に牡丹 」  パステル



5月の母の日に 娘から牡丹の花束をいただいた。     重たげで豪華な牡丹の花、 

花びらは一体何枚重なっているのだろうか ・・  枯れる前に 取りあえず描いておかなければ ・・




折しも 春に赤紫の花をびっしり咲かせた庭木の ハナズオウ、 5月に 花は豆の実に変わっていた。

ハナズオウの葉っぱは ハート型だ。  牡丹にハナズオウの枝を組み合わせて描くことにした。

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娘からの愛情の印しの ’ ハート ’ と

 ’ マメに働け ’ という自らへの叱咤をこめたのです  
!     




★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

2015年7月 3日 (金)

「メディチ家の墓所は大理石とミケランジェロで出来ている」「美術の森ピッティ宮」

フィレンツェの繁栄と切っても切り離せないのが メディチ家の隆盛、 


そのメディチ家の人々が 終の棲家とした墓所は 

「 サン・ロレンツォ教会 」 に付属した とてつもなく立派で 異様な雰囲気の建物でした。







01.      「 メディチ家礼拝堂 Cappelle Medicee 」 と呼ばれる その墓所は 

八角形の筒状の建物で ちょうど高さ59mの井戸の底に居るような具合で、 目が慣れるまでは暗かった!



床と側面は 様々な色の高価な大理石と貴石で埋め尽くされ、 棺が八方に設えられている。

現在は 墓の中身は空で、 遺体は地下に収められているそうだ。 

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02.     メディチ家は初めから大豪族だった訳ではない。 フィレンツェ近郊の片田舎から

徐々にのし上がった一族で、 薬草を扱った薬問屋を手始めに 両替商 銀行家 ローマ教皇庁の財務管理者

政治家 そしてフィレンツェ共和国を統治する支配者まで上り詰めた。 




従って メディチ家の紋章にある幾つかの ’ 玉 ’ は 丸薬を象徴しているというのが有力な説だ。

そして、   医師・医学を表す名詞・形容詞が 

medico(メディコ 単数) Mmedici(メディチ 複数)だというのも興味深い事です。 

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03.     さて 礼拝堂の隣には 「 新聖具室 Sagrestia Nuova 」 という小霊廟がある。

こちらは 部屋の設計・配置 墓碑像など全てをミケランジェロが手掛けたという ゴージャスな墓所だ。



” 思索 というタイトルの付いた ロレンツォ・デ・メディチ の墓碑 ” には

 ” 黄昏 Crepuscolo ” (左) と ” 曙 Aurora ” (右) という 二つの寓意像が乗っている。

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 04.     真向いには ” 行動 というタイトルが付いた ジュリアーノ・デ・メディチの墓碑 ” がある。

これには ” 夜 Notte ” と ” 昼 Giorno ” という 寓意像が乗っている。



さすがミケランジェロ、 凄い迫力だ !            面白いことに

4体とも 寓意の男性名詞・女性名詞通りに 男女の姿で表現されていて、 ポーズの取り方もそれぞれ絶妙だ。



例えば  右腕を左太ももに置くといったひねりは 

同じくひねったポーズの ’ 考える人 ’ を作ったロダンが見た時 どう思っただろうか ・・・

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05.     サン・ロレンツォ教会 (1420年着工) の未完の外観には 少し驚かされた。


外構もミケランジェロが手掛けるはずだったが 1534年 ミケランジェロがフィレンツェを去ったため

未完に終わっている。 しかし彼の所為ばかりでなく 資金の欠乏だって もしかしてあったかも知れない。



いずれにせよ、 このギザギザ段状に 大理石の板を嵌めて作っていく過程が見えて面白い。

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06.       さて、次は 「 ピッティ宮 Palazzo Pitti 」 にまいります。  


巨大な石壁にずらりと並ぶ窓、横長の堂々たる建物は メディチ家の競争相手 ピッティ家の館でした。

後に 結局はメディチ家のものとなり、 現在は メディチ家が所有していた 膨大な美術品が展示されている。



威風堂々たる館を眺めるには それなりに 後ずさるための大きな広場が必要だと見えますね ・・

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07.        このピッティ宮は ボッティチェリの絵があるウフィツィ美術館と 

アルノ川を挟んで  バーザーリの回廊で結ばれている。  

当時の政治的意図は別として、 現在では 正に ” 黄金の絵画鑑賞回廊ルート ” ですね !



館内は ” 美術の森 ” を 次から次へと かき分けて進む感じです ~

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08.       「 大公の聖母  」 画面奥下「 トンマーゾ・インギラーミの肖像 」

「 アニョロ・ドーニの肖像 」 など ラファエロの有名作品が 普通に飾られている。

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09.       「 小椅子の聖母 ラファエロ 」 「 ヴェールの女 ラファエロ 」

「戦争の恐怖 ルーベンス 」 「 悔悛するマグダラのマリア ティツィアーノ 」 等々 ・・

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10.     さて、 ピッティ宮の3階部分は 18~20Cの作品を集めた「 近代美術館 」となっている。


風景そのものが主役となる前の時代、 主題も庶民的で ホッとさせられる絵が多い。

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11.          巨匠たちの歴史画や宗教画の 奥深い森を抜け、 

普通の女性が描かれた こんな絵に出会った時 何故か数倍も新鮮に感じられました ~~

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12.       さて 外に出て 少し町をお散歩。    イタリアの焼き物はカラフルで元気です。



あとになってから 写真を見てみたら  ’ No Photo ’ の張り紙がありました!

写真ばかり撮って、買っていかないと 店の人も腹が立ちますよね ・・

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13.        こちらのピノキオ君は カメラ 大いに推奨しています  ^$^

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今回で 4回分のフィレンツェの旅は 終了となります。 




私の  旅の 率直な感想としては、 



これだけ 莫大な過去の遺産に恵まれた街が  それらの維持管理の義務に押し潰されず、 

新しい 自分らしい生き方を見出していくのは 容易なことではないなあ、と 

他人事ながら思ったものでした。





★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・★゜

 

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