« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2015年5月

2015年5月29日 (金)

今日の絵画  「  オルナンのミューズ 」

今日の絵画  「  オルナンのミューズ  Muse d'Ornan  」 油彩



フランス北東部にある ” オルナン ” は 画家ギュスターヴ クールベの故郷

美しい自然に囲まれたオルナンは クールベに多くの芸術的啓示を与えました。





町の背には 白い石灰岩の岩壁が連なり その一部からは 滔々と清浄な泉水が流れ落ち、

町を貫くルー川は 現在は マス釣りのメッカとして知られています。

Muse_dornan

クールベの芸術は 必ずしも 静謐一辺倒でなく、 寧ろ 多くの人生上の苦悩や

芸術上の苦悶の嵐が吹きまくっていました。





しかし、 故郷オルナンの自然 そして 本当にいるかどうかはわからないけど!?

芸術の女神たる オルナンのミューズ

それが  彼の心の拠り所だったかも知れない ・・

2015年5月22日 (金)

「ルッカ」てっぺんにカシの木が茂る塔! 円形競技場跡の丸い町並!

  
イタリア トスカーナ州の北西部 肥沃な平野の真ん中に 「 ルッカ Lucca 」 という

ローマ時代からの 古い町がある。   




教会が多い町とは聞いてましたが、  意外と 他にも見どころ満載の面白い町でした。







01.     ルッカには 午後 雷鳴がとどろく中到着。  「 ルッカ大聖堂 11C 」 が

まるで 薄暗がりの中世を思わせるような 不思議な姿を見せていました。

01







02.    ルッカは  周囲を4kmほどの城壁で囲まれている城塞都市。 城壁と言っても

ゆったりした幅の 木々に囲まれた美しい遊歩道になっていて 市民の憩いの場となっている。 



この日は 城門の屋根の下で 学生たちと 暫し雨宿り  ・・

02







03.     さて翌日は天気も回復し、 シエナカラー(  赤茶の褐色  )の美しい家並を

遠くまで見渡すことが出来ました。

03







04.       旧市街を散策すると あちこちでイタリアらしい教会に出会う。

上は 「 サン・フレディアーノ聖堂 12C 」 下右は 「 サンタ・マリア・フォリスポルタム教会 12C 」

04







05.     特に 「 サン・ミケーレ・イン・フォロ教会 12C 」 は 横から見るとまるで衝立のような

ファサードが天を仰いでいる。 独特の形をした そのファサードは ’ ルッカ様式 ’ と言われ


アーチ型のギャラリー( 回廊 )に 華やかな象嵌や浮き彫りが施され リッチで美しかった。
05







06.     大聖堂内の さらに鉄柵の中に安置された 「 木彫りのキリストの磔刑像 」 や 

石棺の上に配置された 「 イラリア・デル・カッレットの彫像 」など 美しい芸術品も見応えがありました。

06







07.     さて、14世紀の最盛期には この町にも 100を超える塔が立ち並んでいたという。

今はたった2つの塔が残るばかりだ。    この 「 グイニージの塔 」 は 高さ41m、



てっぺんに樹木が茂っている !  人間の頭の髪みたいで なんか変わっている ・・

07







08.     この塔からの眺望は価千金だ ( 写真03 )。  頂上に茂っていたのはカシの木だった。 



結構な太さで驚いた !    そもそもの始まりは こんな鳩君が 偶然フンで種を運んだのだろうか ・・ 

それとも グイニージ家が日除けのために 意識的に植えたのだろうか ・・08

 





09.       ルッカは オペラの ’ トスカ ’ や ’ 蝶々夫人 ’ でお馴染みの 

「 ジャコモ・プッチーニ 」 の生誕の地でもあります。



立派な銅像の斜め後ろが 生家で、  今は 「 プッチーニ博物館 」 となっている。

09







10.     博物館は 入口の切符売場以外はカメラ禁止でした。    音楽家の博物館は 

そもそも 本来耳で聞くものを 目で見る物体 家具や文字・楽譜・写真に置き換えての展示となりますから 

だいたいどこに行っても 理屈っぽく つまらない? ことが多い。



ここでは トイレに寄ってホッとさせていただいたのが 私にはせめてもの収穫だったでしょうか ・・ 

銅像広場で見かけた女性の ダメージ加工スキニーの方が 余程印象的でした ~~

10







11.     最後にやって来たのが 「 アンフィテアトロ広場 Piazza Anfiteatro 」

建物が サークル状に建てられ カフェやレストランのテーブルも それに沿って丸く置かれている。

11







12.     ここは 紀元1世紀頃 ローマの植民地時代の 円形闘技場があったところだ。


歴史上の様々な理由で 闘技場の役目が終わると、 大抵は 闘技場の石は盗まれたり運ばれたりして

何か別な建物に転用される。     勿論 競技場がそのまま 牢屋になったり市場になったり

あるいは 人がそこに( 勝手に ) 住み始めたりすることもある。



19世紀までは この丸い広場の全面に 無秩序に家が建って、 アリーナの形状は跡形も無かったが

何度か整備を繰り返して、 やっとこのように 競技場の面影を示す ’ 円形広場 ’ に戻したということです。

12







13.      努力の甲斐があって、観光地としての ’ 売り ’ が出来たというものですね。

扇型とか 半円形の街並みは たまにありますが、 こんな円形は そうは見つからないですし ・・13



空撮の絵葉書 いろいろ並んでいましたが、 私は お土産に こんな小さな壁掛けを買いました。  
  




イタリアは どの町も それぞれに個性的でとても楽しい !


次はどんな町が待っているでしょうか ・・・




★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

2015年5月15日 (金)

「塔の町 サン・ジミニャーノ」 石の塔は無骨だけどロマンチック!

イタリア、フィレンツェの南 50km余に    ” 美しき塔の町 ” として人気の観光地 

「 サン・ジミニャーノ San Gimignano 」 があります。





01.     緑豊かなトスカーナ平原の ほぼ中央にあるサン・ジミニャーノは 

ぶどうとオリーブが茂る 小高い丘の上にある。  



町中に入るもよし、 こうして遠景もよし、 人々を惹きつける理由がわかります。

01







02.       サン・ジョヴァンニ城門から 丘の上の中心部まで 登り坂が続く。

通りの両側に 店が並んで賑やかだ。

02







03.        家並から ニョキっと 「 サルヴィッチ塔 」 が突き出している !

03







04.        町の中心地が 「 チステルナ広場 Piazza della Cisterna 」。 

12~13世紀の建物に囲まれたこの広場、 真ん中にある井戸 ’ チステルナ ’ が その名の由来だ。



町に入ってしまうと 近すぎて塔が見渡せないが、   この角度からは4本の塔が見える。
04







05.       さて、私は このチステルナ広場に面したホテルを予約していたので、 

荷物を降ろすため 車を直接広場に乗り入れることが出来た。     



ホテルでは 物静かなマダムに2つの部屋を案内され、 どちらかを選ぶことになった。  

広場側の部屋で 楽しく人々の姿を眺めるか、、 谷側の部屋から トスカーナの美しい自然を眺めるか、、 

05







06.       マダムを待たせて、、     これ程迷ったことは かつてなかった !



こちらを選んだ決め手は、   爽やかな緑は当然ながら、  

観光の側面ばかりでなく 住んでいる人々の日常生活が 垣間見られるかも知れないということと、

窓の真下のぶどう棚で たまたま 老夫婦が仲良く土を運んでいたからだった ・・・

06







07.       「 ドゥオーモ広場 Piazza del  Duomo 」  13世紀に自治都市となって 

隆盛を極めたサン・ジミニャーノ、  最盛期には72もの塔が林立したが、 今残るのは13の塔。


この広場からは7~8本の塔が見え隠れする。 それぞれ 厄介者とか双子といったあだ名が付いている。




ところで これらの塔は 豪族たちが己の実力・権力を見せつけるために 競って造ったもので、

実益よりは 高さなどが重要、  内側は空洞というものが殆どだ。 

07







08.      しかし 塔の下部はちゃんと利用したらしい。  地上階が仕事場、2階に寝室、 

火事になった場合も鑑みて 台所は3階に置いたそうだ。   また 内部の広さを確保するため  


木製の階段やバルコニーは 塔の外側に巡らせ、    時には同族同士が行き来できるよう 

塔の窓から窓へ 渡り廊下みたいなものを架けたこともあった。   何やらオモシロそ !

08

 ( 夜の町は 観光客の姿も消え、 ライトアップの中に 中世の面影をずっしり感じることが出来る   )




09.      「 参事会教会 Duomo Collegiata 12C 」 ドゥオーモ広場に面したこの教会、

側廊を飾る 新約聖書の物語のフレスコ画が 美しく圧巻だ !

09







10.      「 ポポロ宮 Palazzo del  Popolo 13C 」  今は市立美術館となっているが

14世紀の井戸がある この中庭は特に魅力的だ。

10







11.      さて、 ポポロ宮の裏手の丘に登ると 林立する塔と 下町の家並、 美しいトスカーナの平原を

見渡すことが出来る。      遠くから サン・ジミニャーノの丘を見上げた時の感動も思い出した ・・

11







12.        町に戻ると犬がいた。   おまけに ブタ君が丸焼きになっていた ・・・

12







13.       14世紀半ば サン・ジミニャーノはフィレンツェの支配下に入り、自治権を失う。

飢餓やペストの追い打ちもあり、  町の勢いは衰退し 歴史の蚊帳の外に置き去りにされた。

 

しかし、 貧困のまま捨て置かれたことで 新たな建設もなく、 塔を修理・破壊する金すらなく、 

今日こうして 多くの塔が中世のまま残され、  結果 町に富をもたらす宝物となったのです。  13

 

つやつやの石畳、 無骨だけどロマンチックな石の塔、 慎ましやかな老婦人、




サン・ジミニャーノには 静かな未来が続くような気がする 。。。。。




 ★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★

2015年5月 8日 (金)

イタリア「ピサの斜塔」 これ以上傾かないよう 皆必死です!

イタリア  トスカーナ地方にある 「 ピサ Pisa 」 は 海軍基地と海洋貿易の拠点として、  

12~13世紀に 繁栄を極めました。



現在 ピサ市に莫大な富をもたらしている 「 ピサの斜塔 Torre Pendente 」 は 

まさに 当時の共和国の強力な経済力が 生み出したものの一つでした。







01.      城壁の傍には 露店やレストランが軒を並べている。 斜塔はまだ見えない。 期待感がいや増す!



そして、 城門をくぐると 目の前に 真っ白い大理石の建物群が広がった !

01







02.        人々が 初めに目にする光景は こんな感じ ・・

02







03.       さらに近づくと、 なるほど 確かに塔は傾いておりました!   


1173年に着工 1350年に完成したロマネスク様式のこの塔は、  傾きの所為か

各階が螺旋状に巻いて上がるかのようにも見える。 

03







04.      1178年には 既に年間1~2ミリづつの傾きが観測され始めたと言う事ですが、

足場が沖積層のため脆弱で、 塔が地面にめり込むように傾いているのが 写真からもわかります。 



歴代の建築家が ” この残念な傾き ” と 長く闘って来たそうですが、   結局は 

いよいよ 現代科学の力の出番となった訳でした。

04







05.     1990年には 塔の2階部分にステンレススチールの2本のケーブルを巻き 反対側から引っ張り、

1993年には 台座を鉄筋コンクリートで補強し、そこに 傾きに釣り合う670トンの鉛を埋め込んだそうだ。



結果 今日 なんとか 斜度3.97度のままで 食い止めている。

05







06.       世界的には ピサの斜塔ばかりが有名ですが、 ここドゥオーモ広場には 

真っ白い大理石の 堂々たる美しい建物が 斜塔を含めて4つ建っている。 



「 大聖堂 ドゥオーモ Duomo 」 と 「 洗礼堂 Battistero 」 の内部は豪華で 

聖母やキリストの像 説教壇、安置された聖人の遺体などが 見るべきものとされている。

06







07.      もう一つの建物 「 墓地 Camposanto 」 は 訪れる人もまばらで

斜塔の喧騒とは対照的な静寂に 支配されておりました。



壁を飾るフレスコ画は 色褪せたとは言え見事な出来栄えで、 床には 600ほどの墓石が敷き詰められている。

07







08.      1944年の 連合国側の砲撃による火災で破壊されたが、 なかには 完全な形で

残っている墓石もありました。   一方のピサの斜塔が砲撃を免れたのは 偶然だったのでしょうか。

文化財を守る最低限の良識が 連合国軍にあったのか・・  大理石の強靭さのお蔭だったのか ・・

08







09.       さて、斜塔は 当然ながら 見る方向によって 傾きの方角も変わります。

09







10.      アルノ川 Arno は フィレンツェからピサを経て 地中海に注いでいる。


ピサは 歴史ある立派な街ではあるけれど、 世界中から 山のように しかも引っ切り無しに押しかける

観光客の狂想曲の故に 大きな何かを失っているかのようにも見えました。



しかし、 それは まさに宿命であり 

斜塔がある限り、未来永劫 決して食いはぐれることはないことへの 代価なのかも知れない ・・

10







11.      もう一度 
白く輝く姿を 目に焼き付けようと ドゥオーモ広場に戻って来ました。11







12.     人々が 思い思いの格好で写真を撮っている。  何をしているかすぐわかりますね ~

12







13.      人々が ネットに投稿した自慢の写真をシェアさせていただきました。



私もやりました。 倒れかかる斜塔を押さえようとする 最も在り来たりなショットでしたが ・・

13






国も、 観光客も、 ピサの斜塔がこれ以上傾かないよう 必死に手当てしているんです  ^&^   



中には 蹴飛ばそうとする不届きものもおりますけれど ~~ !!    

 

2015年5月 1日 (金)

東京大学農学部、ハチ公 やっとご主人に会えました!

本郷にある 東京大学農学部キャンパスで 今年の3月8日 

上野英三郎博士とハチ公の 銅像の除幕式がありました。       

気になっていましたので、  先週 構内に立ち寄った折り  僅かな時間でしたが

やっとご主人に会えたハチ公の幸せな姿を見てまいりました。





 
01.      1923年11月生まれのハチ公が 博士と暮らしたのはわずか1年半

1925年5月に 上野英三郎は 大学構内で急逝してしまう。

B1







02.      当時の農学部は 駒場にあったので、 ハチ公は 通い慣れた渋谷駅に

博士の姿を探し求めて 朝夕10年間も通ったと言う事です。

B2







03.       本ブログの カテゴリー 「 スコットランド エジンバラ 」 編の          

” スコットランドの忠犬ハチ公 ” という記事で、   同じようにご主人の死後も 

お墓に寄り添い続けたボビー という犬を 紹介させていただきました。      

B3







04.     ボビーと比べて ハチ公は 銅像とは言え やっとご主人に会うことが出来たのです。


博士とハチ公 二人? の笑顔を見て  何とも幸せな気分になりました!

B4

(  写真はオフィシャルサイトから 制作者上田努氏のアトリエでの ハチ公の粘土塑像 )







05.     本もののハチ公

B5

                      

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2019年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

カテゴリー

リンク先

フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック