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2015年3月 6日 (金)

フエンデトードス「ゴヤの生家」 ・ 堀田善衛を読んでみました

きらびやかな聖母の都 サラゴサを離れ 車で10分も走らないうちに

360度ぐるりと アラゴンの赤い大地に囲まれる。  その44km先に ゴヤの生家がありました。







01.      カサカサと音を立てそうな乾いた野の草を透かして 

「 フェエンデトードス村 Fuendetodos 」 が 丘の上に現れた。   



小さな村落なのに 教会だけは立派にそびえている。   1937年の激しいスペイン内乱で焼失し、

その後再建された教会だから 西洋には珍しく ごく新しい建物だ。 

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02.    車で入って行くと 昔ながらの石造りの 貧しげな家々が並んでいる。  1746年


「 フランシスコ・デ・ゴヤ Fransisco de Goya 」 は この村に生まれ

14歳までここで暮らし、 その後サラゴサの学校に入り、彼の画才を認めた画家のアトリエで修行する。

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03.      ゴヤ研究に造詣の深い 堀田善衛著 「 ゴヤ スペイン・光と影 」 によると


ゴヤの父親は メッキや装飾の細工に携わる鍍金師 (ときんし)だった。 教会とか修道院・貴族など

いわば上流社会相手の職業だから、  ゴヤの家族が  この村の雰囲気から想像されるような 

’ その日暮らしの貧農 ’ だった訳ではなさそうだ。   ならば、サラゴサにいればいいものを 



何故 家族がこんな寒村に引っ込んだかというと、 サラゴサで流行ったペストを避けるためとか

父親自身の病気療養のため、 というのが定説だと 堀田は言っている。

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04.     さて 村に着いたが 殆ど人がいない。 とりあえず 「 ゴヤ版画博物館 」     に向かった。



ゴヤの生家は 普段はカギがかかっているので、 博物館のスタッフに開けてもらわねばならない。

従って、 休館日の月曜に行くと、 博物館も生家も見られない破目に陥る !  

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(  昔の市場、 博物館スタッフ、 鉄製のゴヤ像、 碧玉製のゴヤ像   ) 
 







05.      人口200人余の 村の食料品店前(写真左手) に車を止めさせてもらったが、 

その向かいに 村の 「 共同井戸 」 があった。     ゴヤの家には井戸はなかったから 

少年時代のゴヤが 桶をかついで 毎日ここに水を汲みに来たに違いない。




村の名前 Fuendetodos は  ’ 全ての人々の為の泉 ’ という意味だそうだ。 

何の取柄もない この村の最高の宝、 それがこの豊かな地下水で、 

ローマ時代から近世まで 時代ごと 様々な人々が住み付いた理由はそこにあったと言う。

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06.     ゴヤの版画集 「 気まぐれ 」「 闘牛 」「 戦争の災禍 」「 ナンセンス 」から

約100点が展示されている。  この版画集が他の彼の作品群と違うところは、 誰か依頼主に注文されたとか


時代のニーズを意識して制作されたものではなく、 ゴヤの最大限の自由意思をもって生み出された いわば

’ 個人日記のようなもの ’  という点だ。 

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07.    さて これが 「 ゴヤの生家 」 18世紀初頭築。  もともとは 下級貴族だった

ゴヤの母の兄弟の家だった。  ゴヤの家族が去ったのちは 村の旅籠になったり持ち主が代変わりしたり、



20世紀になってようやく サラゴサのアーティストたちのグループによって 

” ゴヤの家 ” と アイデンティファイされたのだ。

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(  生家の右側は現代アートなどの美術館   

左側は 裸のマハ ・ 着衣のマハをイメージした 「 Maja 」 と言う名のレストラン   )







08.     ところで 堀田善衛が初めてここを訪れた1960年代、 村にはまだ電気が来ておらず

ゴヤの家も 全くの廃墟だったそうだ。 窓ガラスさえ嵌ってなかったという。 それが 1971年には



” もの凄い勢いで 全てが変わってた ” そうだ。  ゴヤの家は綺麗に整えられ 漆喰が塗られ

隣にはレストランも出来ていた。

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09.     確かに 私が見た室内は 白壁が眩しいほどで 時代考証を経た調度品が それらしく

セッティングされていた。  ちょうど 日本の古民家の改装のような感じもあったが、



アラゴンの荒涼たる原野を寒風が吹きすさぶ中、 電気もトイレも水道もなく、調理兼暖房の炉の火だけが 

心の拠り所だったであろうゴヤの時代は きっと もっと 身も心も不自由なものだったに違いない。  

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10.    この村には あと20年のうちに 新たに ’ 未来の美術館 ’ を建てる構想があるらしい。 

ゴヤの作品の展示数を増やすことと、 新たなアート活動の拠点とするためだそうだが、 結局は

観光地としての発展を目指しているのかも知れない。  



部外者から言えば ( 寒村のままでいて欲しい、と ) ちょっと残念な気もするが ・・

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11.     ゴヤは 1828年 フランスのボルドーで 82年の波乱に満ちた生涯を閉じた  が、

今 その遺体はマドリードに眠っている。 マドリードのプラド美術館には ゴヤの巨大な銅像が立ち

ゴヤの作品の扱い方から言っても まさに ’ ゴヤの美術館 ’ と言っても過言でないと思う。



堀田善衛も ゴヤの全てを語るのに 文庫本全4巻を要している。

そんな ’ 巨人 ・ ゴヤ ’ の ささやかな 人生のスタート地点を見たことは 私にとっては

大変面白く意味あることでした。

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           (   生家に展示されていた 昔の写真    )






12.     ところで、 堀田にとって ゴヤを語ることは 即ち スペインを語ることであり、 

それは同時に スペインの光と影を語ることでした。        例えば 



” スペイン人口のたった2パーセントの貴族や大地主が いまだに 全国の土地の半分を所有している。  

しかし、 その多くが不毛の土地であったら 持っていても仕方ないが ・・  ”  


” スペインの大都市は残酷なものだ。 周辺から全てを吸い取り、しかも還付することがない ”   


” あらゆる都市は マドリードのために働くが マドリードは誰のためにも働かない  ”

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スペインの土地がどれほど不毛なのか 、、  



スペインの大都市を一歩出ると どんな荒野が待っているのか 、、



ほんの参考まで、  「サラゴサ」から 「ゴヤの生家」 そして 「タラゴナ」への風景写真を 

次に添付することにします ~

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コメント

こんばんは
今回はゴヤを訪ねての旅ですね。
芸術に疎い私はゴヤについて何も知りませんが、写真を拝見し、村の様子を楽しみながらバーチャル旅行させていただいてます。
建物は石でできたものがほとんどのようですね。
屋根は、まるで瓦のようにも見えます。
ゴヤの生家、なるほどスペイン風の古民家という風情なのですね。
井戸の形がおしゃれですね。
今日も楽しく旅させていただきました。ありがとうございました。

有り難うございました。堀田善衛の書物はよく読みます。
ゴヤは勿論ですが、[天上大風」は大事にしています。
旅行記を愉しみにしております。

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