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2015年3月

2015年3月27日 (金)

超人気 「ガウディのサグラダファミリア 」 内部は超モダン

スペイン、カタルーニャ地方の大都会、「 バルセロナ Barcelona 」 は

今や 旅行先としての人気 世界ナンバーワンと言えそうです。     何はともあれ



まず 有名な 「 サグラダファミリア 聖家族教会 Sagrada Familia 」 を訪ねます。







01.      ここは バルセロナ市街を一望する 「 モンジュイックの丘 Montjuic 」



’ ユダヤ人の山 ’ と言う意味の この丘には カタルーニャ美術館やスペイン村などが点在しているが、

なんといっても 西側に広がる街の眺めと 東側に広がる地中海の風景が 最高に美しい。

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02.       北東方向に 「 サグラダファミリア 」 の尖塔が ニョキっと突き出ている。

遠くから見ても かなり個性的で すぐにそれとわかります ! 

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03.     市内を巡回する観光バスのバス停をネットで調べて出かけたが、 ホテル近くのバス停では

バスは止まらず びゅんびゅん素通りする。  数か月前に そのバス停が無くなったことを 


カフェのお姉さんも 八百屋のおばちゃんも お巡りさんも知らなかった。  お蔭でかなり時間をロスし

サグラダファミリアに着いたのは 11時近く。  もう入場打ち止めでした~!

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04.       他所を回って 3時過ぎに再びやって来た。

何年振りかで 再会したサグラダファミリアだったが、 すっかり立派になって別人の様だった。



まだ 天井に空洞があって 何者になって行くか想像も出来なかった不完全な聖堂の魅力と、 

いよいよ 完成に近づいた聖堂の魅力は   全く別物でした ・・

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05.       入場口がある 「 生誕の門 」 のファサードには 15体の天使の像があった。

34年もサグラダファミリアの建設現場で働いている 日本人の石工彫刻家 外尾悦郎さんの作品だ。



うち2体が 東洋人の顔つきだそうだが、        私には どのお顔も  

西洋の教会ではなかなか見かけない 穏やかな東洋風に見えました。

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06.      教会のファサードを 真下から  しかも至近距離から見上げるのは一苦労だ。


カメラに全体像を収めるのに苦心している そんな間にも、 観光バスが どんどんやって来た。

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07.     さていよいよ中に入ることに。 うわ~~ 超モダンアートだ! 想像と違っていた。


もともと 外側はシンプルな石積みで、 内部の装飾・構成物などで凝りに凝る聖堂が多いものだが

サグラダファミリアの場合、聖堂の構造体そのものが キリスト教教義の様々な要素を表現しているため、

内部に多くを頼る必要がないのかも知れない。    スッキリしてシンプルだ。




ガウディのオリジナルな設計図は焼失してしまったそうだが、  ガウディの基本志向とは別に、

建築年代に応じて 時代ごとのマインドやアート傾向が加味されることになるのも 当然かも知れない。 

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08.     赤いテープの内側が 祈りを捧げる人たち専用のスペースだ。  ただし、

毎日毎日 押し寄せる観光客の波の中で、 本当に心静かに祈れかどうかは疑問だが ・・




ところで、 中央祭壇の天井から吊り下げられたキリスト磔刑像、これまでの どのキリスト像とも違っていた。

上体が垂れ下がり 膝がたわんでいる。  十字架上で絶命した人間の実像をリアルに追求し、

キリストの苦難をより身近に感じられる造形になっている、と感じた。

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09.     ところで、ガウディが 自然から発想の源を得たということはよく知られているが、 

同時に 科学的に 独自の構造力学的合理性をも追求した。  具体的には 重りの付いた紐を吊り下げ、

安定的な構造を探る 「 逆さ吊り模型 」 という実験装置を作っていた。  



模型の上部にある鏡をのぞき込むと サグラダファミリアの尖塔のような形が見えて来る。 

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10.        「 アントニ・ガウディ Antoni Gaudi 、1852年生れ 」 は

1926年 6月7日、ミサに向かう途中路面電車に轢かれたが、 晩年身なりに気をつかわなかったため

浮浪者と間違われて手当てが遅れ、事故の3日後に73歳で息を引き取った と言う。




葬儀の様子など多数 写真が展示されていたが、教会地下にある彼のお墓も ガラス越しに覗くことが出来た。

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11.     本来エレベーターで塔の上まで登れたが とにかく待ち人の列が長くて諦め、外に出た。



ブーゲンビリア越しに 美しく静かなサグラダファミリアを見た時、 初めてホッと一息ついたものでした。

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12.     ガウディ没後100年の 2026年完成予定を目指して 急ピッチで建設が続いている。 



” アンダー コンストラクション ”  それが サグラダファミリアに添えられる 宿命の形容詞ですが

それもまた 勲章というものでしょう。  





すっかり完成した後の世の人々には こんな姿は 逆に想像すら出来なくなることでしょうか
ら ・・
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2015年3月20日 (金)

ローマの遺跡の街「タラゴナ」・ 人間ピラミッドは土台が肝心!

スペイン、カタルーニャ地方  バルセロナの南西80kmあたりに、 

地中海に面した港湾都市 「 タラゴナ Tarragona 」 がある。



紀元前にローマ人によって拓かれたこの都市は 古代・中世から現代に至るまで

地中海の要衝として繁栄して来ました。 


今日も バルセロナから ショートトリップで訪れる観光客が沢山いる。





01.     地中海の光を一杯に浴びて タラゴナの旧市街は段丘状に広がっている。

手前に見えるのが 「 円形闘技場跡 Ruines del’Amfiteatre 1世紀 」

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02.     旧市街は ぐるりと城壁に囲まれており、 街のあちこちにローマの遺跡がある。


「 地中海のバルコニー Balco del Mediterrani 」 と呼ばれる遊歩道 (写真右下)

から見渡す 紺碧の地中海は ことさら美しい。

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03.      城壁内には 昔の狭い道が網の目のように広がっているが、 


「 フォルム広場 Placa del Forum 」 では ローマの城壁跡に隣り合って

市場が立っている。    今昔が 当たり前のように馴染んでいて面白かった。

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04.     「 カテドラル Catedral 12世紀着工 」 は ロマネスク、ゴシック様式に

イスラム様式も加わり 内外共に なかなか個性的な風貌でした。 



紀元前3世紀に築かれた 「 考古学の道 Passeig Arqueologic 」 沿いの城壁は 

幾度と修復が重ねられ、 これまでの2000年の重みを 石肌が物語っていた ( 写真左下 )。

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05.     ところで、 タラゴナと言えば 歴史遺産ばかりでなく、  9月末に開催される 

「 サンタ・テクラ祭 」 で催される 「 人間ピラミッド 」 も 世界的に有名です。



もともと 1321年からカテドラル前で行われていた宗教行事でしたが、    今や    

街の広場や闘牛場などで大々的に催され 全市民が人生最高の情熱を傾ける一大イベントとなっている。

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(   写真は インフォーメーションサイトより   )








06.     ここは 「 人間ピラミッド 」 が 大々的に行われる 「 フォント広場 Pl.dela Font 」  

オープンカフェがずらりと並ぶ その先には市庁舎がある。   街路樹が金色に輝いていた。


” taberna   食べるな! ” と言われてもネ ・・   古代ローマ、古代ギリシャを経て使われて来た

食堂という意味だけど、  夜はきっとこのあたりで食べることになるでしょう !

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07.      広場を囲むアパルトメントの窓辺に ’ カタルーニャの独立を願う旗 ’ が出ていた。



旧市街の外側には 現在 タラゴナの新市街が大きく広がり、 石油化学など 数々の産業が発達している。

そんな活況が バルセロナと共に カタルーニャの独立運動を盛り上げる 経済的根拠の一助となっている。

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08.         メインストリート、 7月の昼下がり

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09.     さて、 「 フォント広場 」 に面した我がホテルの ボーイさんは パラグアイ出身。

もう4年も国に帰ってないそうだ。 サッカーワールドカップで 丁度日本代表が パラグアイに負けたばかりの

この日、 シャイな笑顔で 日本ありがとう! って礼を言われました ~




それから この老婦人に 黄色い花を付けた街路樹の名前を聞こうとしましたが 言葉の壁で撃沈 !

せめて 写真を撮らせてとお願いしたら、ワシのことなんか撮ってどうするだ ~ って言われました。

意思の強そうな 魅力的なお顔です !! 

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( ホテルには毎朝オレンジが届けられる。 オレンジの生ジュースを 浴びるように飲みました !  )







10.     こちらも 広場の老婦人4人衆。 何かのお集まりの帰りだと思うが、 お顔、ポージング

性格、そして多分人生観 どれを取ってもそれぞれ違っていて個性的。 たまたま通りかかっただけの男性が



キスして行きました。    私も10カットほど写真を撮らせていただき 握手。   


もっとおしゃべりが出来たらよかったのに ・・   スペイン語の壁で また撃沈 ・・ 

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11.     さて 人間ピラミッドだけれど、 テレビなどで見る時 どうしても 一番上に乗る

子供などに目が行ってしまうが、  何事によらず肝心なのが 基本 ・ 土台 。  



輪の中心に位置する 屈強な男たちのこの真剣な眼差しはどう!  

周囲を取り巻く人垣がカチンカチンに固まって 強固で安全な土台が出来る。    それこそ、 



一番目立つ 上に伸びるピラミッド自体は 氷山の一角と言えるかも知れない ・・  

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 (   左側写真は 05. に同じ   )







12.     日頃から どれ程体を鍛えているのだろうか、  どれだけチームで真剣な作戦を

練っているのだろうか、  どれだけ練習をしているのだろうか 、、、

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夕食で 普通に出てきたハムの量を見ながら、 

 

スペイン人のエネルギーの源を見た思いがしました !




                                    

2015年3月13日 (金)

「ゴヤの生家」への往復は 荒野でびっくり、風車でびっくり!

1746年、画家ゴヤが生まれたのが サラゴサから南に44km、 

アラゴン地方の荒野に佇む 寒村 「 フエンデトードス 」。 




スペインの大都市・サラゴサから フエンデトードスに向かう時、 車の窓から眺めた

褐色の 乾いたスペインの大地は 緑に慣れた目には ある意味驚きの風景でした。 







01.      サラゴサから出た直後は 道路の脇を 鉄道が共に走っていましたが、、

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02.       程なく 赤い大地のただ中に 放り出されました。

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03.       時々 小さな町やセメントの町工場などを 通ります。  

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04.     幹線道路から外れて いよいよ ” ゴヤの道 Camino de Goya ” に入る。


ゴヤがサラゴサに向かった時代と 風景はほぼ同じだが、 ゴヤは馬車で揺られたことでしょう ・・

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05.     フエンデトードスに近づこうとした時、 衝撃的な風景が待ち構えておりました


” 風車の森 ” です !    丘から丘へ 次から次へと 発電風車群が現れ、 

しかも どれもが グワングワンと 恐ろしい勢いで回り続けていたのです

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06.        その間をくぐり抜ける度、

得も言われぬ 不思議な恐ろしさに襲われ  知らずうち鳥肌が立ちました ・・



’風車の森’ を知っていて出会ったなら また別な興奮を覚えたかも知れませんが、

なにしろ 不意のことで ・・



ゴヤの時代の不毛の大地は 今こうして一発逆転 宝を生み出す大地となっていました。
 



幾つかの風車の柱は ゴヤの版画を拡大して描いた巨大アート作品となっていますが、

広い荒野の4地点、 ガイドツアーでないと 恐らく見つけられないでしょう。

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07.       フエンデトードスに着きました

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08.     ここには ゴヤの生家ばかりでなく、 動植物の生態を探るトレッキングコースが

何本かあり、  観光客や学校の生徒たちの活動の拠点となっています。

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09.       さて、 フエンデトードスを出発して 再び北上、 

バルセロナ、タラゴナなど大都市を擁するカタルーニャ地方 方面に向かいます。

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10.       幾つかの切通しを越え 、、

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11.       丘を越え 、、

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12.        廃村

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13.         こちらは ’ 現役 ’

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14.     ’ 貧乏だ~い ’ と読めそうですが  決してそんなことありません !

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15.      幹線道路に戻ると ようやく緑が見られるようになりました。


収益率の高い作物ではないけれど、 荒れ地に手が入り オリーブや果樹が植えられているだけで

意味合いが全く異なります。

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バスツアーなどでも スペインの観光は 町と町のあいだの移動距離が長く お尻が痛くなる、

なんて話をよく聞きますが、     フエンデトードスを尋ねたワンデイトリップでも 



そんな噂を想像する材料の一端となったでしょうか ~~ 

                        

2015年3月 6日 (金)

フエンデトードス「ゴヤの生家」 ・ 堀田善衛を読んでみました

きらびやかな聖母の都 サラゴサを離れ 車で10分も走らないうちに

360度ぐるりと アラゴンの赤い大地に囲まれる。  その44km先に ゴヤの生家がありました。







01.      カサカサと音を立てそうな乾いた野の草を透かして 

「 フェエンデトードス村 Fuendetodos 」 が 丘の上に現れた。   



小さな村落なのに 教会だけは立派にそびえている。   1937年の激しいスペイン内乱で焼失し、

その後再建された教会だから 西洋には珍しく ごく新しい建物だ。 

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02.    車で入って行くと 昔ながらの石造りの 貧しげな家々が並んでいる。  1746年


「 フランシスコ・デ・ゴヤ Fransisco de Goya 」 は この村に生まれ

14歳までここで暮らし、 その後サラゴサの学校に入り、彼の画才を認めた画家のアトリエで修行する。

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03.      ゴヤ研究に造詣の深い 堀田善衛著 「 ゴヤ スペイン・光と影 」 によると


ゴヤの父親は メッキや装飾の細工に携わる鍍金師 (ときんし)だった。 教会とか修道院・貴族など

いわば上流社会相手の職業だから、  ゴヤの家族が  この村の雰囲気から想像されるような 

’ その日暮らしの貧農 ’ だった訳ではなさそうだ。   ならば、サラゴサにいればいいものを 



何故 家族がこんな寒村に引っ込んだかというと、 サラゴサで流行ったペストを避けるためとか

父親自身の病気療養のため、 というのが定説だと 堀田は言っている。

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04.     さて 村に着いたが 殆ど人がいない。 とりあえず 「 ゴヤ版画博物館 」     に向かった。



ゴヤの生家は 普段はカギがかかっているので、 博物館のスタッフに開けてもらわねばならない。

従って、 休館日の月曜に行くと、 博物館も生家も見られない破目に陥る !  

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(  昔の市場、 博物館スタッフ、 鉄製のゴヤ像、 碧玉製のゴヤ像   ) 
 







05.      人口200人余の 村の食料品店前(写真左手) に車を止めさせてもらったが、 

その向かいに 村の 「 共同井戸 」 があった。     ゴヤの家には井戸はなかったから 

少年時代のゴヤが 桶をかついで 毎日ここに水を汲みに来たに違いない。




村の名前 Fuendetodos は  ’ 全ての人々の為の泉 ’ という意味だそうだ。 

何の取柄もない この村の最高の宝、 それがこの豊かな地下水で、 

ローマ時代から近世まで 時代ごと 様々な人々が住み付いた理由はそこにあったと言う。

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06.     ゴヤの版画集 「 気まぐれ 」「 闘牛 」「 戦争の災禍 」「 ナンセンス 」から

約100点が展示されている。  この版画集が他の彼の作品群と違うところは、 誰か依頼主に注文されたとか


時代のニーズを意識して制作されたものではなく、 ゴヤの最大限の自由意思をもって生み出された いわば

’ 個人日記のようなもの ’  という点だ。 

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07.    さて これが 「 ゴヤの生家 」 18世紀初頭築。  もともとは 下級貴族だった

ゴヤの母の兄弟の家だった。  ゴヤの家族が去ったのちは 村の旅籠になったり持ち主が代変わりしたり、



20世紀になってようやく サラゴサのアーティストたちのグループによって 

” ゴヤの家 ” と アイデンティファイされたのだ。

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(  生家の右側は現代アートなどの美術館   

左側は 裸のマハ ・ 着衣のマハをイメージした 「 Maja 」 と言う名のレストラン   )







08.     ところで 堀田善衛が初めてここを訪れた1960年代、 村にはまだ電気が来ておらず

ゴヤの家も 全くの廃墟だったそうだ。 窓ガラスさえ嵌ってなかったという。 それが 1971年には



” もの凄い勢いで 全てが変わってた ” そうだ。  ゴヤの家は綺麗に整えられ 漆喰が塗られ

隣にはレストランも出来ていた。

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09.     確かに 私が見た室内は 白壁が眩しいほどで 時代考証を経た調度品が それらしく

セッティングされていた。  ちょうど 日本の古民家の改装のような感じもあったが、



アラゴンの荒涼たる原野を寒風が吹きすさぶ中、 電気もトイレも水道もなく、調理兼暖房の炉の火だけが 

心の拠り所だったであろうゴヤの時代は きっと もっと 身も心も不自由なものだったに違いない。  

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10.    この村には あと20年のうちに 新たに ’ 未来の美術館 ’ を建てる構想があるらしい。 

ゴヤの作品の展示数を増やすことと、 新たなアート活動の拠点とするためだそうだが、 結局は

観光地としての発展を目指しているのかも知れない。  



部外者から言えば ( 寒村のままでいて欲しい、と ) ちょっと残念な気もするが ・・

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11.     ゴヤは 1828年 フランスのボルドーで 82年の波乱に満ちた生涯を閉じた  が、

今 その遺体はマドリードに眠っている。 マドリードのプラド美術館には ゴヤの巨大な銅像が立ち

ゴヤの作品の扱い方から言っても まさに ’ ゴヤの美術館 ’ と言っても過言でないと思う。



堀田善衛も ゴヤの全てを語るのに 文庫本全4巻を要している。

そんな ’ 巨人 ・ ゴヤ ’ の ささやかな 人生のスタート地点を見たことは 私にとっては

大変面白く意味あることでした。

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           (   生家に展示されていた 昔の写真    )






12.     ところで、 堀田にとって ゴヤを語ることは 即ち スペインを語ることであり、 

それは同時に スペインの光と影を語ることでした。        例えば 



” スペイン人口のたった2パーセントの貴族や大地主が いまだに 全国の土地の半分を所有している。  

しかし、 その多くが不毛の土地であったら 持っていても仕方ないが ・・  ”  


” スペインの大都市は残酷なものだ。 周辺から全てを吸い取り、しかも還付することがない ”   


” あらゆる都市は マドリードのために働くが マドリードは誰のためにも働かない  ”

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スペインの土地がどれほど不毛なのか 、、  



スペインの大都市を一歩出ると どんな荒野が待っているのか 、、



ほんの参考まで、  「サラゴサ」から 「ゴヤの生家」 そして 「タラゴナ」への風景写真を 

次に添付することにします ~

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