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2015年2月20日 (金)

「ザビエル城」・「何故ザビエル城近くにレストランYamaguchiが!?」

ポルトガル人、と思われている 宣教師フランシスコ・ザビエルは 実はスぺイン人、

しかも スペイン北部ナバーラ州にある 大きなお城に生まれたプリンスでした。







01.    サングエサ Sanguesa という町の北東7kmに

「 ハビエル城 Castillo de Javier 」 がある。 この城は ザビエルの母が

結婚に際して持参した城で、       「 ザビエル San Francisco Javier 」 は



1506年 夫婦の6番目の子としてここに生まれた。   彼は 22年後  留学中のパリで 

イグナチウス デ ロヨラと出会い、 共に 新しい修道会「 イエズス会 」 の基礎を築くことになった。 

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02.     ポルトガルから 宣教師として派遣されたザビエルは 日本ばかりでなく インドのゴアや

中国のマカオなどに上陸している。   展示品の中には 多数のエキゾチックな品々が見られました。

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( この古い本にもあるように 彼の名は クサヴィエー、ハビエル、ジャヴィエル、などとも発音される )







03.     日本関係の展示品も多数ありましたが、   特に 日本の戦国大名大内義隆による

当時の様子を伝える掛け軸には、 侍など 人々が彼らを丁重に迎えた様子が 興味深く描かれている。

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04.     「 ハビエル城 」 は 見ての通り、 荒涼とした丘に建つ 純粋に戦の為に造られた要塞で、

1515年 ナバーラ王国がカスティリャ王国に併合された際、  戦略的構造を持つ城の一部と

周りの城壁をすっかり解体されるという憂き目にあった。     




その後 20世紀に改修工事が始まり、 今日では ザビエルが創設したイエズス会が運営する博物館となっている。 

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05.     さて、 作家の司馬遼太郎一行が 1980年代に 「 ハビエル城 」を訪れた際

隣村の 「 Yamaguchi ヤマグチ 」 というホテルに泊まったとの記述があった。



そこで私達も Yamaguchiを探した。    城から4~5km北 イエーサという小町だったが 

幾筋かの道路を行きつ戻りつ やっとその名を見つけた時は さすがに嬉しかった !




ヤマグチは ザビエルが足跡を印した周防の王 大内氏の都・山口にちなんだ屋号だ。

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06.     午後3時、労働者たちが 昼休みを取っている時間帯だった。 カウンターのお姉さんに

いろいろ聞きたかったが スペイン語オンリーで、 ニコニコ恥ずかしそうに顔を伏せるだけで 埒が明かない。




司馬によれば Yamaguchi は 1960年にオープン、 平屋に食堂と宿泊部屋があったと言う。

それから50年以上も経っているから、 建て替えがあっても不思議ではないだろう。

まして 名前の由来など 従業員や地元民は知る由もなかった。  




ハポンからわざわざ来たと伝え、テレビのサッカー中継を聞きながら コーヒーを飲んで さよならした。

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07.    それから さらに北東に4km、 泥灰岩質の岩峰を登って その日の宿、レイレ修道院に着いた。



「 レイレ修道院 Monasterio de Leyre 」 は ナバーラ王国の信仰の拠点として

11世紀初頭に創建された。  その威光は 60カ村と70の教会・修道院に及ぶものだったと言う。 

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08.     私達の部屋は修道院の中庭に面していた。  すぐにスケッチブックを取り出した。

前日の パンプローナのサン・フェルミン祭の雑踏と比べたら まるで天国の静けさだ ・・

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09.     特筆すべきは ここの 中世ロマネスク初期様式の地下礼拝堂 ( 1057年 )。 

石造りの総重量を支える柱が 下に行くほど細くなり、 見事な造形美を誇っている !



建築に詳しい人なら 一層理論的に面白いと感じるかも知れない ・・

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10.     この修道院のレストランのディナーは フルコースにワイン又はミネラルウオーター付きで

16ユーロと格安だった。 この日は美味しいヒレ肉が入ったから いつもよりレベルアップだった、そうだ。



奥さんがシェフで 旦那さんがフロア担当だ。  ここは安くて美味しいから日本の人に沢山来てほしい、

口コミは ’5’ を付けておいて下さい、と 言付かりました ~

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11.    さて、翌朝食の雑談の中で、 「 Yamaguchi 」 のことが 少し解明された。

現在ヤマグチは2軒あり、 なんとその一方の2階に レストランの夫婦が住んでいると言うのだ。 



昨日訪ねたヤマグチでは 店員に何一つ通じなかったと言ったら、 

あゝ 彼女には外国語は無理ですよ、と笑った。




しかし 彼もヤマグチという名の由来を知っている訳ではなく、 ipadを使いながら ザビエルの動線や

山口のことなどを 説明すると、   もともと 地元民として ’ ザビエル愛 ’ に燃える彼、

レストランのネーミングの由来を 早速ヤマグチのオーナーに今日伝えるよ ! っと 目を輝かせました。 

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(  修道院から イエサ Yesa 人造湖と アルティエダ山脈の 見事なパノラマを望む  )







12.     ところで 山口県の旧ザビエル教会は 残念ながら 1991年9月に火災で全焼してしまった。

再建された 「 山口ザビエルメモリアル教会 」 は モダンで 昔のしっとりした趣きは全く無い。




レストランの彼に見せたのは 昔の教会だったけど、 もともと超重量級の古めかしいハビエル城などを

見慣れた 彼の眼には えらくシンプルで簡素な教会に写ったに違いない。



あの偉大なザビエル様の教会が こんなに質素・・・   彼の顔に 微かな戸惑いの表情が浮かんだ。 

こっちの新しい モダンな教会を見せていたら どんな反応だったろうか 、、

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それにつけても、  彼らは Yamaguchiが まさか日本語とは つゆ知らず、


私達も Yamaguchi などというレストランが スペインにあろうとは つゆ知らず、


こうして現代生活を送って来たが、  



ザビエル自身は  天国で   ニヤリと膝を打っているかも知れない !






                               






蛇足だが、  ザビエルは中国の上川島で亡くなり、 棺に石灰を敷き詰められて海岸に埋められた。

その後掘り起こされた遺骸は マラッカに運ばれ、   続いて インドのゴアに移された。

いずれの土地でも 棺の蓋を開ける度に 遺骸が腐ることなく 生けるが如きであったという。






そのゴアで珍事が起きた。  ひしめく群衆に 3日間だけ遺体への拝観が許されたのだが、

イザベラ・ド・カロンという貴婦人が 彼の足に接吻するや     やにわに 

ザビエルの右足の第4指と 第5指を噛み切って逃げ去ったのだ!




彼女は 生涯それらを大切にしたが 死ぬ時にゴアの聖堂に返還した。  

その2本のうちの1本が  1902年、 今回の 「 ハビエル城 」 に移されたと言う。





話はそれだけではない。 遺体が腐らないという奇跡の証拠を重んじる ローマカトリックから

「 遺骸の右腕を切断して送れ 」 と命令が出される。 その右腕は 今ローマのある聖堂に

収められている。   その写真は ブログの ’ ローマ編 ’ でお伝えできると思う。






さらに驚くことに その右腕は 昭和24年、 なんと日本に 一時里帰りしたのだそうだ !

本当に  宗教とは なんと凄まじいものだろうか ・・・


                                                            

教科書の写真でお馴染みの 髭のザビエルさんでしたが 


改めて ある意味 普通の人間の人生が彼にもあったし、  ある意味 偉人として


世界に尋常でない影響を及ぼした人でもあったと  改めて認識した旅となりました。




   

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コメント

フランシスコ・ザビエルのお話の一端は、異教徒いや無関心教(?)のボクも聞いてはいるのですが。
bellaさんの、これはザビエルに纏わる時空を超えたお話に改めて心惹かれました。
500年の時間と、スペインの田舎と極東の島国の端っこのヤマグチと。

レイ修道院の地下室の柱に注目されていますね。
1本の柱では足元が細いと、もちろん倒れてしまいますが、複数(3本以上)なら、上のほうで固められていれば、こういう構造は成り立ちます。
むしろ、感覚的に細い足の上に大きな重量が乗っている、その以外さや新鮮さが美しさを強調しているのではないでしょうか。

こんばんは
PCのハードディスクのトラブルで修理に出し、再設定などに手間取り、やっと訪問できました。
あのフランシスコ・ザビエル、スペイン人だったのですね。
私はてっきりポルトガル人かと・・・(^_^;;
ザビエルの日本でのことはよく知らないのですが、山口県と深い関わりがあったとは意外な感じがしました。
まして、スペインに”Yamaguchi”という名のレストランがあろうとは?!
それにしても、bellaさんの旅はいつも新しい発見をさせてくれます。
発見というより勉強ですね。
いつも楽しいブログ、ありがとうございます。

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