「サラゴサ」は巨大聖堂とゴヤの街 そして 話題のアギーレ監督の街
スペインアラゴン地方の ちょうど真ん中あたり、 エブロ川流域の大都会 サラゴサにやって来ました。
「 サラゴサ Zaragoza 」 は 12世紀来 アラゴン王国の首都として栄えた街で、
びっくりするほど巨大な 大聖堂が待っていました。
01. 「 ピラール聖母教会 Basilica de Nuestra Senora del Pilar 」
ピラール広場を挟んで、 向かい側のホテルにチェックイン。
02. ヨーロッパの典型的な 天高くそびえる教会と違い、 幅120mはあろうかという
横長の堂々たる教会で、 イスラムの面影を残すムデハル様式と ゴシック様式・バロック様式が混ざリ合い
なんとも不思議な魅力を放っていました。
早速バルコニーから 写真を撮ることにしましたが、 大きすぎて カメラに収まりませんでした ~
03. ” ピラール ” は 柱という意味で、 エブロ川で祈りを捧げるヤコブの前に 聖母が現れ、
自分を模した木像と碧玉の柱を与え ここに教会を建てよと命じたという。
39センチしかない ” ピラールの聖母像 ” は 小さいけれど 大きな聖堂の立派なご神体であるので
カメラは禁止でしたが、 お土産屋さんで そっくりに再現されたマリア像を間近かに見て
なるほど、こういうものか・・ と、 納得しました ~ !
( 右上は ゴヤが描いたピラールのマリア、 祭壇とマリア像の写真は 紹介サイトから、
マリアの柱の部分には 祭礼ごとに 異なる色の布が巻かれます )
04. ピエドゥラ橋 を渡って エブロ川の対岸から ようやく
ピラール聖母教会 ( 最終的な建設は1681~86年 ) の全貌を 捉えることが出来ました
05. 如何にも頑丈そうな ピエドゥラ橋の向こうに
「 大聖堂 ラ・セオ La Seo 」 の塔がそびえています。
06. サラゴサは 何と言っても長い歴史を持つ街なので あちこちに ローマ時代の遺跡がある。
ところで 思い出すのは サッカー日本代表の前監督 アギーレ氏。 短いお付き合いでしたが
今話題になっている事件は 彼が率いた ここのクラブ 「 レアル・サラゴサ 」 にまつわるものだ。
ハビエル・アギーレ氏 Javier Aguirre は 実はメキシコ人。 しかし 両親は
スペインのバスク地方からの移民で、 血そのものはスペイン人と言えそうです。
アギーレさんのニックネームは ” エル・バスコ El Basco ( バスク人 ) ” 。
画家の エル・グレコが ” ギリシャ人 ” とニックネームで呼ばれたのと似ているが、 確かに
しっかりした面構えはバスク人のそれだし、 名前もフランシスコ・ザビエルの Javier だし、
在位がもう少し長く続けば もうちょっと馴染みを感じたかも知れませんね。
良し悪しは別として トルシエとか オシム、ザッケローニ などは
それなりに個性的な印象を 日本人に 残して来ました ・・
( 右上は 市場 )
07. みんなが 代わり合ってまたがるので 馬の背が ピカピカ !
08. 「 アルフォンソ一世通り 」
09. レストランでは 古い映画がサイレントで映し出されていました。
動くオーナメントとでも言いましょうか、 お洒落な演出でした ~ イカ墨パスタ、ハモン・イベリコ、
アスパラの天ぷら、 どれも美味でした。 デザートの屋台が来たので、あれこれ選びましたよ 、、
10. さて 上の 「 ピラール聖母教会 」 の壁や天井には びっしりと彫刻や絵が
描かれていますが、 これは「 ゴヤ 」 の作品。 晩年の ’ 黒い絵 ’ の萌芽が見え隠れしています
11. そう、 サラゴサは 画家ゴヤが活躍した町でもあるのです。
12. 夜の 「 ピラール聖母教会 」 は 素晴らしく幻想的でした ! ところで
宮廷画家として活躍したゴヤの 生誕の地は 「 フエンデトドス Fuendtodos 」。
サラゴサから南に45km、 荒野の一隅に佇む 極貧の村でした。
翌日は 急きょ、 フエンデトドスに ゴヤの生家を訪ねることにいたしました ・・