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2014年12月 5日 (金)

「ルルドの奇跡」 18回のマリア出現に立ち会った少女ベルナデッタ

ピレネー山脈の北側、フランスの 「 ルルド 」 に 年間600万人もの人々がやって来るように

なったのも、  ベルナデッタと言う 貧しい暮らしの一人の少女が 全ての始まりでした







01.     ベルナデッタ・スビルー Bernadette Soubirous 1844~1879年 は

14歳の時、 1858年2月11日から 18回にわたり聖母と出会う。




彼女は ’ 写真に撮られたカトリック教会の最初の聖人 ’ でした。  つまりは 聖母の出現は

大昔のお伽噺ではなく、  既に カメラが普通にあった時代の出来事だったのです。

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02.    南にピレネー山脈を望むルルド、  足元ではポー川が大きく彎曲している。




現在はすっかり整備されているが、ベルナデッタの時代には 彎曲部の中洲には牧草が茂っていた。

薪を拾いに行ったベルナデッタは 川の浅瀬を渡る前 靴下を脱ごうとした。 その時 一陣の風と共に

白い服を着た輝く女性に遭遇する。  それが 初めてのマリア出現でした。

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03.    その彎曲部に 今は 「 巨大な地下礼拝場 」 が出来ている。 車椅子でも降りられる

スロープを辿って行くと、 あっと驚くようなシーンが広がった。 向こうの端が見えない程壮観な礼拝だ。

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04.    現在の立派な聖堂の足元の岩壁に 聖母出現の「 マッサビエルの洞窟 」 がある。



特筆すべきことは、 ここに聖母が出現したり奇跡が起こった時、ベルナデッタの傍に 多かれ少なかれ

必ず誰かがいたことだ。   一人の少女の妄想でなく、 多くの人の批判的な目や 検事や町長・医師 

新聞社や教会の 厳しい検証と言うフィルターをくぐり抜けて 今日に至ったと言えるのです。



写真の ルルド教区の主任司祭、 ペラマール神父も 彼女を審問したうちの一人だ。

A04

                                   (   聖水を飲むローマ法王   )







05.     ベルナデッタは マリアを ” あの人 ” と言っていたが  再三、名前を聞いて来るよう

周囲から諭される。 3月25日の出現の時、 その人は 「 私は無原罪の御宿りです 」と答えた。



ベルナデッタは意味がわからぬまま、「 ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・カウンセプシウ 」という言葉を

忘れないよう、途中 何度も何度も 反復しながら帰って来た。




学校でちゃんとした教育も受けられず、 標準的なフランス語すら話せなかったベルナデッタが 

” Que Soy Era Immaculada Councepciou ” と言う 

カトリック教義の言葉を知る由もなかった。   

それまで半信半疑だったペラマール神父は 驚愕し、その時 マリアの出現を信じたと言う。 

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06.     さて、こちらは現在の様子。  夜9時ごろから 「 行列 プロセッション 」が始まる




マリアの出現が教会から認定される前の時点で  既に、  

ベルナデッタが聖母から取り次いだ  ” 洞窟まで行列をしなさい ” という指示に従い、 当時の

’ 幼きマリア会の少女たち ’ が 手に手にろうそくを持ち 自発的にこの行列を始めていた。     

それが 今日の このような大行列の原型でした。

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07.     ところで、 2月25日の第9回目の出現の頃には、洞窟の前にはもう350人くらいの人々が

集まるようになっていた。   騒然たる雰囲気の中で ベルナデッタは  ” その人 ” の言葉に従い 



洞窟内で地面を掘ると、 最初は泥水が湧き出し そしてやがては清らかな泉の流れとなったという。

人々の目の前で 聖なる泉は流れ始めたのだ !

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08.    そして その泉が 早、衆目の面前で 幾つかの奇跡を起こす。  3月1日、2日、3日と

聖水を飲んだり浸すことで、 動かなかった右手が動くようになった、 瀕死の赤児が蘇生した、

失明していた目が見えるようになった という奇跡が立て続けに起った。  

(   そのうちの一人は  後に 司祭になっている   )


 
  

この時以来、聖水で病気が治ったという申告は 今日まで 7,000件を超えるそうだが、 

かなり厳格なカトリックの審議基準で 正式に ’ 奇跡 ’ と認定されたものは 66件だと言う。

A08







09.     さて 現在のプロセッション、 信者ばかりでなく、各地の修道院のシスター達も

参列している。  印象的だったことに、 誰もニヤニヤしたり、 照れる人はおらず 

歓びを抑えつつ 真剣な 誇り高い面持ちで行進していた。  行列は春から秋の初めまで 毎日行われるが

何日もルルドに滞在して、 毎晩参加し続ける人もいるそうだ。





儀式が終わると 長年の夢を叶え興奮し だれかれとなく握手したり抱き合う人々もいた。

脇で見ていただけの私も 抱き付かれて 面喰ってしまったが ・・ !

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10.      ところで ベルナデッタは 貧しい水車小屋の粉引きの家に育ったが、小麦の不作時に

職を失った父たちと 離散して暮らすようになる。 不遇の中で育った少女だったが もっと恵まれない

人々への思いやりは忘れることがなかった。 両親ももともと 善良で慈悲深い 真面目な人間であったらしい。





その上 ベルナデッタは 極貧の中に生活しながらも 衣服は清潔で その所作は美しく品位があったと言う。

聡明で美しい顔立ち、 その上病弱で 常に持病に悩まされるという 奇跡のヒロインとしては

正に打ってつけの少女を 神はお選びになったものだ !



贅沢で我儘、金持ちの上流階級の少女には 聖母は降臨しないのだろうか ・・・!?

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11.    その後 フランス全土で有名になったベルナデッタは 人々の好奇の目に晒されたり、

名士たちのインタヴューに煩わされた。    しかし、 ある神父の紹介で ブルゴーニュにある

ヌヴェール愛徳修道会に入り、 「 サール・マリー・ベルナール 」 という名前で修道女となる。




修道院には 持参金を持って入るのが習わしだったが、 ベルナデッタの持参品は、 一本の日傘と

手提げかばんだけだった。  修道院もある意味 学校と同じ側面があり、 授業料が必要だった。 

が、 彼女は無料の授業を受講し、さまざまな雑用や看護婦としての仕事に従事しながら学んだという。




特に 字の書けなかったベルナデッタは 習字に専念し、  後年は見事な文字を書くに至った。

A11

(  行進が終わると 再び町が賑わい、 こうこうと明るい店々は 稼ぎ時です   )







12.     しかし、病弱だったベルナデッタは 1879年 35歳という若さでこの世を去った。

今日 彼女の遺体は ヌヴェール Nevere の修道院に安置され ガラスケースに収められている。

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ヨーロッパでは たまにあることだが、 死の30年後に掘り起こされた彼女の遺体は 

匂うこともなく 腐ることもなく、 生前とほとんど変わることのない姿だったと言う。




ただ 顔と組んだ手が 軽く左側に傾いていた。  聖人の宿命だろう !  ベルナデッタの右胸から

肋骨が2本取り出された以外は そのままの姿でミイラとして保存されることになった。

むき出しになっていた顔と手から 直接型が取られ、蝋で作られたマスクが嵌められた。






こうして ベルナデッタは 美しいまま 人々の前で 永遠の命を生きているのです。 






・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆






貧しく字も書けない 一人の田舎の女の子が  今日のルルドの大繁栄をもたらしたとは

驚くべきことですが、     それだけ  彼女の信心は海より深く、

人間としての価値は空より高かった ということでしょうか ・・



奇跡を崇めると言うより、 小さき存在が こんな影響力を持つこともあるという史実に

感銘を受けた旅となりました。

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コメント

こんばんは
bellaさんのこのブログを読むまで、ルルドという地名さえ知りませんでした。
しかし、この信じ難いほどの奇跡の話、本当にビックリです。
教育も受けられず、字も書けなかった少女にマリア様は降臨!
次々と起こる奇跡の話に「凄すぎ!」と思わず声が
しかし時代が違っていたら・・・信じてもらえたのかなぁ・・・という疑問も!
一人の貧しい少女の身に起こった出来事が、今日のこのルルドの街を繁栄させたこと、確かに『奇跡』ですね。
それにしても敬虔な信者が本当に多く、羨ましくなります。

.
.

感銘深く読ませていただきました。
(仏教徒ですが、まずもってお寺参りはしない人間です)
.

☆Bellaさんにもすてきな奇跡が起きますように。
\(*⌒0⌒)b♪

.
.
■□☆:*:・°★:*:・°☆:*■□
.
.
ちなみに、
Bei mir bist du schon
と言う歌が大好き、
年が分かろうというもの。
l could say“Bella, Bella”even “sehr wunderbar”
というフレーズがあります。

bellaさん、こんにちは。
このご遺体は亡くなられたときのまんまの状態なんですか?
蝋人形っぽく処置がされているとか?
いずれにせよものすごく綺麗で驚きました。
ルルドへもこの修道院へも行ってみたいものです。
心の綺麗な人は死してなお美しいものなんですね。。。あ~、心が痛い。

蘆荻さん こんにちは
コメントをいただいて 大変ありがとうございました。
そのお歌は 耳で聞いたらわかるかも知れませんね。
You Tubeで探せるでしょうか・・
わたくし、bellaめも ヴンダーバールだといいのですが~! ^&^

.
。☆Bella 様
.
ブログを拝見してますと
きっとsehr wunderbarな方なんだろうと
想像にかたくありません。
.
"Bei, . . . "は
友人もCD出しているんですが
送る手段がなくて、、、。
私の好きな歌手、
アンドリューシスターズのYouTubeです。
下をクリック下さいませ。
https://www.youtube.com/watch?v=Xe2UXccid40

.
.
。☆Bella 様
.
.
すみません、
リンクは自動で入らないんですね。

htmlタグで入れようとしたのですが、
これもだめなので、、、。
アンドリューシスターズの
YouTubeは
下の「蘆荻」↓をクリック下さいませ。

奇跡、せいぜいが中世以前のことだと思っていたのですが。
ルルドのベルナデッタ、19世紀のこの奇跡はいったい(?)、これはもう東洋人には理解し難いほどの、やはり西洋の「奇跡」以外の何ものでもありませんね。
その流れの中にbellaさんも立ち会われて、奇跡の修道女が静かに横たわっている事実。
何にも知らなかったピレネーのふもとのルルドがなんだか親しいものに思えてきたのもbellaさんの冒険(?)のお陰です。

蘆荻さま
こんばんは。 Bei mir bist du schon 聞きました!
勿論知っている曲でした~!  でも タイトルがドイツ語とは!!
恥ずかしながら By me missed the train,,とかなんとか
いい加減に予測してました・・
bellaと歌っていますね。 有難うございました。
一つお利口になりましたし、勉強もさせていただきました。
You Tubeのお気に入りにいれました。 また聞きますね

.
.

☆ bella様

.
.
By me missed the train,,
すばらしいです~。 w(゚o゚)w.
そう思って聞くと、確かに、聞こえますっ。 !そらみみ!! \(◎o◎)/!

TV番組で「たもりクラブ」という深夜番組があるんですね。
その中に「空耳アワー」というのがあるんですが
これがとてもおもしろいんです。

さすがに、英語に堪能なbellaさんだと思います。
.
.
Bei mir bist du schon を歌っている友人に話す絶好のネタができました。

.
.

■□☆:*:・°★:*:・°☆:*■□
.
.
ところで、bellaさんって、イタリアかスペインの方のお名前だと思うのですが、
イタリア人なんですか?
あっと、、、個人情報ですよね~。 ご回答は、 適当に・・・・・・。

.
.
どうぞ、よいクリスマスをお迎えくださいませ。

\(*⌒0⌒)b♪

蘆荻さま
空耳アワーは 知っていますよ~  あまりにドンピシャだと
笑ってしまいますね!  
メロディーがそっくり、という番組も好きです。 例えば
トゥーランドットが ’ 山のお寺で鐘が鳴る~~’ とか
ショパンのピアノ・コンチェ が ’ あなた変わりはないですか~~’ とか ・・・

お恥ずかしい、私は純粋ヤマトナデシコです~~ ^&^
イタリア語は恋人のように胸がはずむので大好きです!
それで 美しいというbellaを採用しました。
図々しいですね!!  ^&^

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