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2014年12月12日 (金)

「バイヨンヌ」波乱のスペインバスク、美食のフランスバスク

” バスク ” と言えば 真っ先に 過激な民族闘争が思い浮かびます。  が、



ピレネー山麓に広がるバスクの風景は 美しく豊かで、   ’ 普通の ’ 生活が

当たり前のように 流れておりました








01.    フランス南西部のバスク地方にある 「 ビアリッツ Biarritz 」 は 大西洋の

ビスケー湾に面する 保養施設が整った国際的なリゾート地。  


海岸には遊歩道 Les Promenades
が敷かれ、 

花咲き乱れる通りを 潮風に吹かれて散策すると リッチな気分になる

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(  遊歩道の突端には マリア像が立っている 乙女岩 Rocher de Vierge がある  )







02.    ビアリッツは 100年前までは 一寒村に過ぎなかったが、 ナポレオン三世が

皇后ウージェニーに 離宮を建設し、 当時の有名人たちをも引き連れて来たことから 

一般的にも人気となり 一気に有名なリゾート地となった。



イギリスのヴィクトリア女王やエドワード7世も長期滞在したと言う

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03.    フランスの南部、 地中海とは雰囲気がかなり違い 男性的な豪快さが感じられます。

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04.    さて こちらは ビアリッツの隣町、 「 バイヨンヌ Bayonne 」 


バイヨンヌは 昔から バスク地方の重要な町の一つでした。     ところで、 バスクには

” フランスバスク ” と ” スペインバスク ” があるのをご存じでしょうか。



もともと一つの地域だったものが 
1659年のピレネー条約で フランスとスペインに分かれましたが、 

当時はまだ 国そのものが今のようにはっきり線引きされていた訳でなく、

長く バスクはバスクのまま ピレネーの一地域として 存在して来ました。




近代国家が形成されてから、 二つの地域は はっきりそれぞれの帰属国に編入されましたが、

フランスバスクは  波乱万丈のスペインバスクに比べて 

民族闘争の気運も低く 比較的穏やかな都市生活が営まれてきたという訳です。

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05.    雨模様で川が粘土色だ !  ほぼ同じ時期の 聖地ルルドの青く澄んだポー川との違いに驚いた。




ところで、バイヨンヌは 大西洋からアドール川 L’Adore を 8km ほど内陸に遡った港湾都市。   




世界の海には 船底にとり付いて 木材を食べ穴を開けてしまう ’ 船食い貝 ’ なるものがいるそうだが

帆船が木造だった時代、河川の 海水が攻めて来ない淡水の個所に停泊させることで それを退治出来たという。


ヨーロッパの多くの港が わざわざ内陸部に造られたのには そういう理由もあったのですね。

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06.     さて、一方 スペインバスクの方は 1936年には自治憲章が公布されたものの、翌年には

バスクの自治の象徴であるゲルニカが 反乱軍と手を組んだドイツ軍に爆撃され、 フランコ政権下の内戦時には   

15万人以上のバスク人が難民となり、 バスク語の使用禁止や バスクの国旗掲揚の禁止などを始め

徹底的な弾圧の憂き目を見た。       それに抗して




地下に潜った勢力が組織した 「 バスク祖国と自由 EAT 」 が 激しいテロリズムを巻き起こし、   

バスクと言えばテロ、 という概念を 一般に植えつけるようになってしまったのです。 

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(  写真は 昔のバスク人。      山バスク と 海バスク があると言うが、 

バイヨンヌは海のバスクと言えるでしょう  ) 







07.     ところで、最近はあちこちの自治体が 独立を目指している。  < カタルーニャ > は

豊かな経済力で裏打ちされているが ピレネーにまたがるバスクはそうはいかない。 <    スコットランド > では



英語ばかりでなくゲール語も公用語として採用されているが、 バスクでは バスク語での教育は行われず

バスク語を話す人は 現在本当に数少ない。  長く同胞としてバスクを形成していた隣国 < ナバーラ > には 



1982年 独立自治州として バスクから出て行かれてしまった。  2000年代に入ると 

テロも下火となり、  あらゆる意味で スペインバスクの独立は遠くなったかのようです ・・・

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(    赤または緑の 窓枠・鎧戸が バスクの建物の特徴   )





08.    一方 フランスバスクは フランスとほぼ言語・文化を共有し 豊かな食文化を享受している。



真北のボルドーからは美味しいワインが産出され、バイヨンヌ郊外では 美味いフォアグラや生ハムが作られる。

海辺には高級リゾート基地が広がっている。    食文化が豊かにならないはずがありません!

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09.     バイヨンヌで人気のレストランでも フォアグラのテリーヌが 当然のように出されました。

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     蛇足ですが 銃の先に剣が付いた銃剣は 「 バイヨネット Baionette 」 と言う。



まさにここの地名を採ったものだ。 1640年バスク人が考案し 1703年以来 フランス歩兵隊が

使用して来た。  ’ 背中から銃先を突き出して歩く歩兵 ’ の絵や映画を 見たような気もするが ・・

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11.    幼い兄妹が余りに可愛かったので 写真を撮らせていただいた。  例によってフランスの

童謡を歌ったら すぐに仲良くなりました。     お勘定シートが入れられたケースは



ジュートと呼ばれる麻の一種で編まれたバスク独特の靴 ” エスパドリーユ ” のミニチュア版

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12.     さて、   翌日は スペインのサンチャゴデコンポステーラを目指して 
ピレネーの

山越えに挑む 巡礼者の背中を追いながら  次の町へ向かいました。  

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途中、   小柄でがっちりした バスクの墓標を見て、

慎ましやかで素朴な バスク人の魂を思いました ・・・

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コメント

こんばんは
バスク地方・・・ですか?
これまたお恥ずかしいことに、初めて聞きました (^_^;;!
マリア像にお参りするために、あの橋は架けられたのでしょうね。
それだけでも人々の信仰心の篤さが感じられます。
街の建物の姿、私はドイツやスイスあたりとは、ちょっと違いますね。
どう表現して良いのか分かりませんが、デザインが規則正しいと言いましょうか・・・(-_-)ウーン
料理、美味しそうですねぇ!
でもカロリーも高そうな気が・・・(^_^;;
余談ですが、我がドイツの親友夫婦は今、アンダルシアへ出かけています。
もう2通メールが届きました。

ピレネーに沿って、地中海から大西洋までの大遠征(!)でしたか。
バスクといったら、バスクベレーと遠い地方の独立運動ぐらいしか知らないノーテンキでしたが。(笑)
山脈の北側が正式にフランスになって日も浅いとはいえ、ながい歴史と生活はもともとがフランス風だったのでしょうね。

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