「バイヨンヌ」波乱のスペインバスク、美食のフランスバスク
” バスク ” と言えば 真っ先に 過激な民族闘争が思い浮かびます。 が、
ピレネー山麓に広がるバスクの風景は 美しく豊かで、 ’ 普通の ’ 生活が
当たり前のように 流れておりました
01. フランス南西部のバスク地方にある 「 ビアリッツ Biarritz 」 は 大西洋の
ビスケー湾に面する 保養施設が整った国際的なリゾート地。
海岸には遊歩道 Les Promenadesが敷かれ、
花咲き乱れる通りを 潮風に吹かれて散策すると リッチな気分になる
( 遊歩道の突端には マリア像が立っている 乙女岩 Rocher de Vierge がある )
02. ビアリッツは 100年前までは 一寒村に過ぎなかったが、 ナポレオン三世が
皇后ウージェニーに 離宮を建設し、 当時の有名人たちをも引き連れて来たことから
一般的にも人気となり 一気に有名なリゾート地となった。
イギリスのヴィクトリア女王やエドワード7世も長期滞在したと言う
03. フランスの南部、 地中海とは雰囲気がかなり違い 男性的な豪快さが感じられます。
04. さて こちらは ビアリッツの隣町、 「 バイヨンヌ Bayonne 」
バイヨンヌは 昔から バスク地方の重要な町の一つでした。 ところで、 バスクには
” フランスバスク ” と ” スペインバスク ” があるのをご存じでしょうか。
もともと一つの地域だったものが 1659年のピレネー条約で フランスとスペインに分かれましたが、
当時はまだ 国そのものが今のようにはっきり線引きされていた訳でなく、
長く バスクはバスクのまま ピレネーの一地域として 存在して来ました。
近代国家が形成されてから、 二つの地域は はっきりそれぞれの帰属国に編入されましたが、
フランスバスクは 波乱万丈のスペインバスクに比べて
民族闘争の気運も低く 比較的穏やかな都市生活が営まれてきたという訳です。
05. 雨模様で川が粘土色だ ! ほぼ同じ時期の 聖地ルルドの青く澄んだポー川との違いに驚いた。
ところで、バイヨンヌは 大西洋からアドール川 L’Adore を 8km ほど内陸に遡った港湾都市。
世界の海には 船底にとり付いて 木材を食べ穴を開けてしまう ’ 船食い貝 ’ なるものがいるそうだが
帆船が木造だった時代、河川の 海水が攻めて来ない淡水の個所に停泊させることで それを退治出来たという。
ヨーロッパの多くの港が わざわざ内陸部に造られたのには そういう理由もあったのですね。
06. さて、一方 スペインバスクの方は 1936年には自治憲章が公布されたものの、翌年には
バスクの自治の象徴であるゲルニカが 反乱軍と手を組んだドイツ軍に爆撃され、 フランコ政権下の内戦時には
15万人以上のバスク人が難民となり、 バスク語の使用禁止や バスクの国旗掲揚の禁止などを始め
徹底的な弾圧の憂き目を見た。 それに抗して
地下に潜った勢力が組織した 「 バスク祖国と自由 EAT 」 が 激しいテロリズムを巻き起こし、
バスクと言えばテロ、 という概念を 一般に植えつけるようになってしまったのです。
( 写真は 昔のバスク人。 山バスク と 海バスク があると言うが、
バイヨンヌは海のバスクと言えるでしょう )
07. ところで、最近はあちこちの自治体が 独立を目指している。 < カタルーニャ > は
豊かな経済力で裏打ちされているが ピレネーにまたがるバスクはそうはいかない。 < スコットランド > では
英語ばかりでなくゲール語も公用語として採用されているが、 バスクでは バスク語での教育は行われず
バスク語を話す人は 現在本当に数少ない。 長く同胞としてバスクを形成していた隣国 < ナバーラ > には
1982年 独立自治州として バスクから出て行かれてしまった。 2000年代に入ると
テロも下火となり、 あらゆる意味で スペインバスクの独立は遠くなったかのようです ・・・
( 赤または緑の 窓枠・鎧戸が バスクの建物の特徴 )
08. 一方 フランスバスクは フランスとほぼ言語・文化を共有し 豊かな食文化を享受している。
真北のボルドーからは美味しいワインが産出され、バイヨンヌ郊外では 美味いフォアグラや生ハムが作られる。
海辺には高級リゾート基地が広がっている。 食文化が豊かにならないはずがありません!
09. バイヨンヌで人気のレストランでも フォアグラのテリーヌが 当然のように出されました。
10. 蛇足ですが 銃の先に剣が付いた銃剣は 「 バイヨネット Baionette 」 と言う。
まさにここの地名を採ったものだ。 1640年バスク人が考案し 1703年以来 フランス歩兵隊が
使用して来た。 ’ 背中から銃先を突き出して歩く歩兵 ’ の絵や映画を 見たような気もするが ・・
11. 幼い兄妹が余りに可愛かったので 写真を撮らせていただいた。 例によってフランスの
童謡を歌ったら すぐに仲良くなりました。 お勘定シートが入れられたケースは
ジュートと呼ばれる麻の一種で編まれたバスク独特の靴 ” エスパドリーユ ” のミニチュア版
12. さて、 翌日は スペインのサンチャゴデコンポステーラを目指して ピレネーの
山越えに挑む 巡礼者の背中を追いながら 次の町へ向かいました。
途中、 小柄でがっちりした バスクの墓標を見て、
慎ましやかで素朴な バスク人の魂を思いました ・・・
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コメント
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こんばんは
バスク地方・・・ですか?
これまたお恥ずかしいことに、初めて聞きました (^_^;;!
マリア像にお参りするために、あの橋は架けられたのでしょうね。
それだけでも人々の信仰心の篤さが感じられます。
街の建物の姿、私はドイツやスイスあたりとは、ちょっと違いますね。
どう表現して良いのか分かりませんが、デザインが規則正しいと言いましょうか・・・(-_-)ウーン
料理、美味しそうですねぇ!
でもカロリーも高そうな気が・・・(^_^;;
余談ですが、我がドイツの親友夫婦は今、アンダルシアへ出かけています。
もう2通メールが届きました。
投稿: 慕辺未行 | 2014年12月12日 (金) 22時38分
ピレネーに沿って、地中海から大西洋までの大遠征(!)でしたか。
バスクといったら、バスクベレーと遠い地方の独立運動ぐらいしか知らないノーテンキでしたが。(笑)
山脈の北側が正式にフランスになって日も浅いとはいえ、ながい歴史と生活はもともとがフランス風だったのでしょうね。
投稿: kurakame | 2014年12月13日 (土) 16時42分