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2014年12月26日 (金)

バスクの「サンジャン ピエドポール」カンドゥとザビエルそして司馬遼太郎

「 バスク地方 」 は ’ スペインバスク ’ と ’ フランスバスク ’ に分けられますが

今回訪れたのは フランス側のピレネー山麓にある町 

「 サンジャン ピエ ド ポール St.Jean Pied de Port 」







01.       この町は 人口 1,500人ほどの 小さな町ですが 

サンチャゴ デ コンポステーラへ向かう 多くの巡礼者や観光客で賑わっている

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                               (  町への入口 ノートルダム門  )







02.   「 サンジャン ピエ ド ポール 」 は 12世紀来 ナバーラ王国の首都として栄え

1627年には 4つの砦からなる城塞 「 シタデル 」 が 町の北側に造られた。 



小高い山々に囲まれた、 いかにもピレネー山麓の要塞小都市らしい風景です

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03.     スペインの聖地 サンチャゴ デ コンポステーラへの巡礼が盛んだった頃、 

ここは 国境の峠へ向かう 険しい山道に入る前の 最後の宿場町でした。  



人々はここで英気を養い、 来るべき試練への 物心両面の準備をしたのです

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04.    今日でも 町の至る所に、 巡礼の象徴 ホタテの標識や看板が掲げられ、 

ドアノブ 水飲み場なども ホタテに姿を変えている。



町のあちこちに巡礼宿があり、 接待所には 宿の手配や様々な相談に応じる係員が常駐している

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05.     この町には 巡礼以外にも ちょっとした話題がある。   時は1925年、

イエズス会の宣教師 カンドゥ神父 Sauveur Candau という人物が日本にやって来た。 



彼はゼロから日本語を学び、 ’ 上質のユーモアを交えた完璧な日本語で ’ 「 カンドゥ全集 」なる 

全7巻の書物を著し、 宣教師としては 稀に見る才能を発揮した人物でした。




’ 柔らかく透き通った魂の持ち主であった ’ 彼は 日本と日本人を深く愛し、信徒からも非信徒からも

強い敬愛を集めたと言う。   そのカンドゥ神父が生れたのが この町だ。




(  彼、またバスクについては 司馬遼太郎の 「 南蛮のみち1 」 に詳しく書かれている。  )  

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06.     因みに 司馬遼太郎の取材旅行は 大変豪華だ。 出版社の編集部、通訳、運転手

画家、フォトグラファー 様々な人が彼に随行する。 もともと 彼には膨大な知識と学問と情報がある。 

それらが融合し 著された彼の本が 魅力たっぷりなのは当然のことかも知れない 




写真のように、 通りに面した古い家屋には  装飾のモチーフや ’ 私の小鳥 ’ とか ’ 愛の家 ’ 

などといった家の名前 建てられた日付 所有者の名前、 時にはその職業まで記されていることがある。

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07.    ところで、 この町にやって来たのは司馬遼太郎ばかりではない。 評論家であり

敬虔なカトリック信者だった 犬養美智子も カンドゥ神父の実家を訪ねている。 
 




バス停を降りた犬養美智子は さて、どうやって彼の家を探そうかと思案し あたりを見回す。

そして 最初に声をかけた老婦人が  たまたま ソヴール・カンドゥの姉だったのだ ! 




姉は驚嘆し 大喜びし、 城門そばの家に彼女を連れて行った。  その日は店を閉め 一晩中 

共に語り明かした。  因みに 犬養美智子は 長くフランスに暮らし 聖書の研究に携わって来た人で

言葉の壁は 全くなかったはずだ。

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                       (    情緒たっぷりな 二ーヴ川  la Nive   )







08.    さて、「 サンジャン ピエ ド ポール 」 にまつわる人物がもう一人いる。

フランシスコ・ザビエルだ。  なんと カンドゥ神父の家の向かい側に ザビエルの父方の家がある。




日本人にとって 余りにも有名なザビエルだが、 父方のルーツがバスクだったことは 驚きだ。


ザビエルの父は 長じてから イタリアのボローニャ大学で博士学位を取る。 その後ナバーラ王国の

宰相に上り詰め、 貴族の娘と結婚する。 その娘は二つの城を持参してくるような名家の出だった。



その ’ ザヴィエル城 ’ で生まれたのが 

「 フランシスコ・ザビエル Francisco de Xavier 」 だ。

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                                 (   バスクの特産品   )




ザビエルは フランス・パリで学問を修め、 そこでロヨラらと共に イエズス会を結成する。 

その会の活動に 深く関わっていたポルトガルの支援で 宣教の旅に出る。
    



大航海時代  アメリカなど東半分を支配領域としたスペインに対し、 アフリカやアジアなど 西半分を

テリトリーとしたポルトガルが後ろ盾だったことから、 ザビエルは インドのゴアを手始めに 

マカオを経て、 日本にまでやって来たのだ。






09.      城門内で 私は プレートを手掛かりに 必死でカンドゥとザビエルの家を探した。   

そして 家の壁に掲げられたプレートを発見 ! 「 ここにフランシスコ・ザビエルの父方の先祖が暮らした 」




写真奥の 城門にひっついた家が ザビエルの父方の家、 画面左側が カンドゥ神父の実家だ。

家は 結構新しくも見えるが、 白壁を剥がしたら 古色蒼然としているに違いない ・・




洋品店に入り、カンドゥさんのおうちですか~ と尋ねたところ、 そうですよ~ と笑顔で返事が来た。

司馬や犬養のように 居室に通され、話が発展するはずもないが、   

私は 家を見つけただけで 静かな感慨を覚えた。

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10.    ところで 私達が慣れ親しんでいる 「 ザビエル 」 という呼び名も 発音は国により

マチマチだ。  シャビエル、 サヴィエー、 ハビエル、 クサヴィエル、 シャヴェーリョ などなど ・・



近代国家が カッチリ形成される前、 世の中は 豪族や王家単位、宗教勢力単位で 流動的に動いていた訳で、

ザビエルの生い立ちにも バスク、ナバーラ、フランス、スペイン、イタリア、ポルトガルなど 数々の

国と地域が登場する。   どれが正しい発音か、という議論は 寧ろナンセンスなのかも知れない

 

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11.     さて、 司馬遼太郎一行は サンジャン ピエ ド ポール なる バスクの町について、

急傾斜の牧草地と羊の群れに囲まれた うら寂しい小村を思い浮かべたらしく、 

ホテルを予約しようとは思わなかったそうだ。



私は 幸い ホテル・ピレネーという よいホテルを予約しておいた。 今日のインターネットのお蔭だ!





朝食時一緒になったマダム達は ボルドーからやって来て、 もう2週間も滞在していると言う。

滞在費がかさむのよォ~ と ぼやいていたが、 お洒落度から推しても 相当な金持ちマダムだと思う。

このホテルの マシュマロが 事のほか美味しくて マシュマロ談義となった。




ボーイさんに お土産に売ってくれないかと聞いたところ 売ってはいない、との返事だったので

朝食のテーブルに エクストラで出してもらった。  外側のカリカリが 絶妙で個性的だった !

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12.      私は、 サンジャン ピエ ド ポールを出たのち、  パンプローナを経て

ナバーラ地方の ザビエルの生まれた 「 ザビエル城 」 に 行ってみた。  



そして、 ザビエルって こんなお城の王子様だったんだ~ と 驚いた。

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” 川の流れは絶えずして しかも 元の水にあらず ・・ ”   




辺鄙でド田舎のバスクの旅のはずでしたが、  思いのほか、 様々な歴史の流れが 

滔々と交錯する 不
思議な地域でした。



いろいろの感慨にふけりつつ、   サンジャン ピエ ド ポールの 二ーヴ川

その落水を しばし 見続けました ~ 

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ピレネー山麓・フランス側も面白い!」カテゴリの記事

コメント

こんばんは
毎週金曜日はbellaさんブログの更新日なので、バーチャル旅行を楽しみにしています。
今回はフランスのバスク地方の街・サンジャン ピエ ド ポールですね。
と言っても私は初めて聞く名の街です (^_^;;ヘヘッ!
いかにも『要塞の街』という感じですね。要塞そばの民家の1階は、さぞ日当たりが悪いのでは・・・なんて思ったりしました。
街の中の様子、狭い路地の両側にびっしり並ぶ宿屋やレストラン、土産物屋・・・いかにも巡礼路の宿場町といった感じがします。
大きなザックを背負った人々・・・帽子がおしゃれだなぁ!
落ち着いた雰囲気も感じられ、行けばしばらく滞在したくなりそうな街です。
ところで、フランシスコ・ザビエルって、フランス人だったのですか~?!
私はてっきりポルトガル人だと・・・(^_^;;ハズイ
学生時代、日本史や世界史の授業はほとんど寝てたからなぁ・・・(笑)
司馬遼太郎さんの著書は読んだことがなくて・・・(^_^;;ハズイ
『竜馬がゆく』さえも読んでません (。_。)

フランスバスクの小さな田舎町にも、これほどの数多くのロマンが潜んでいたのは驚きでした。
多分にbellaさんの探究心のお陰であることはいうまでもありませんが。
「ホタテの巡礼」、30歳ほども若くて、現在のようにヒマがいっぱいあれば(笑)、憧れの道ではありますが。
この町が、そのフランスからスペインへ抜ける宿場町であるのですね。
なお、この山中の(?)小さな町も、歴史の洗礼を受けてきた名残の要塞の町であったことも心惹かれることでした。

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