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2014年11月

2014年11月28日 (金)

「奇跡の聖地・ルルド」 巡礼者の世界は驚くことばかり!

スペインからピレネー山脈を越え、フランスに入り  ルルドにやって来ました。
 




'  巡礼地 ' には 歴史的に 流行り廃りというものがあるけれど、 欧州で 恐らく現在ナンバーワンの

巡礼地 「 ルルド Lourdes 」 は ある意味異次元の別世界、 さすがの私も 驚きの連続でした !







01.    カトリック本山が認定する ’ 聖地 ’ の基準は 相当厳格なものですが、 世俗的な隆盛を

極めるかどうかは 一般庶民からの人気が 重要なバロメーターでしょう。    




賑やかな街並みと 溢れる大勢の巡礼者・観光客を見て、 一目でルルドの繁栄ぶりが読み取れました

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02.    山あいの小さな村にすぎなかったルルドが  ある奇跡を発端に 一大宗教都市となったのは

19世紀の中頃で、  長いヨーロッパ史上では つい最近の出来事と言えそうです

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03.    聖域に入ると 立派な聖堂が現れました。     水平の陸橋を境目に

下が 「 ロザリオのバシリカ Basilique du Rosaire 」 ( 1889年 )

上が 「 チャペル レリック Chapelle des Reliques 」



入口の窪みに描かれた壁画は 金ピカで 如何にも財政が豊かそう !

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04.    さて、 まず その美しさに目を奪われたのが 

サンクチュアリを貫ぬく 「 ポー川 Gave de Pau 」



土手から溢れんばかりの勢いで走る エメラルドの早瀬は 如何にも聖域に相応しい清らかさでした ・・・

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05.    写真右手の 岸壁の洞窟で 1858年2月11日、 14歳の少女 ベルナデット・スビルー 

Bernadette Soubirous に  聖母が出現したことが 事の始まりです。




勿論 少女は初めから それを聖母だと思っていた訳ではなく、 聖母と認識されたのは 

18回の出現のうち 最後の方のことになる。

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06.    その洞窟から流れ出る泉水が やがて 数々の奇跡を生み、 今日でも このように

人々は 口に含み、 手足に降りそそぎ、 あるいは 体ごと聖水の桶に浸かったりする



ペットボトル持参の人も多いが、 私も 少量、はるばる日本まで持ち帰ったのは 言うまでもありません !

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07.    個人的にやって来る巡礼者も多いが、 こうして 世界各地の教会支部から 団体でやってくる

巡礼者もたくさんいる。  続々やって来る車椅子の列は 壮観であり、まさに別世界でありました。

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08.     さて、 ここが ” ベルナデットがマリアに遭遇した洞窟 ” だ。



一日 何千人訪れるのかはわからないが、 この洞窟前で 代わる代わるミサが行われる。 各地の教会の

” 講 ” を率いてやって来る神父さんの 一世一代の晴れ舞台に違いない。  信徒の心には  日頃の


説教以上に響くことだろう。   フランス語はもとより、 イタリア語 ドイツ語 スペイン語 英語、

そして 何語か聞き取れない 祈りの言葉が 代わり合って鳴り響いた

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09.    こうして見ると  マリア出現の洞窟の真上に 教会が建てられたことがわかります。



バシリカの側壁に掲げられた お盆のようなプレートには 世界各国の言葉でこう書かれている

「 行ってこの水を飲み あなた自身を清めなさい 」 ( 当然 日本語もありました )

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10.    蝋燭立てには ” ろうそくの明かりが あなたの祈りの時間を 長らえる ” とあった。




その隣にある施設が 「 沐浴場 Piscines 」、  コップで聖水を飲むだけなんて生温い。

もっと 心からの渇望を以って 真剣に神の奇跡に賭けようと、 全身で聖水に浸かる病人が大勢いる。




車椅子が便利になる前  日本でもリヤカーに病人を乗せた時代があったように、  昔の写真には

ベッドもろともやって来た 素朴ながら 熱い信仰心を持つ人々の姿が 収められている。



もちろん 今回 私が訪ねた当日も 沐浴場には 長い列が出来ておりました ~ 

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11.     教会の支部から来たと思われる人たちは 同じ色のスカーフを首に巻いている。



江戸時代の ’ 富士講 ’ ではないが、 一生に一度はルルドを訪れたいものと、 皆 貯金をしたり 

体調を整えたり、 どうしても不都合な場合は 人に願いを託したりと、 相当な準備があったに違いない

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                                (  左上は スコットランド人  )







12.     洞窟の泉ばかりでなく、 ポー川の流れで手足を清める人も多い。   前日の雨で 



近域の川は 真っ茶色の濁流と化していた。  単に地形の所為とは思うが、   ルルドの川が

余りに青々と澄んでいたので   さすがサンクチュアリと感嘆せずにいられなかった ・・ 

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この夜 広場を埋め尽くすプロセッション ( ろうそく行列 ) があった。 次回は  その模様と



ベルナデットの生涯について もう少し詳しく触れてみたいと 思います

 

2014年11月21日 (金)

「大岩の修道院」・「ピレネー国境の峠には歴史あり、ローランの歌あり」

.スペインの カタルーニャ地方、アラゴン地方を旅して来ましたが、 次は ピレネー山脈の峠を越えて

フランス側に入ります。       が、その前に スペイン側にもう一か所




ピレネーの南隣 ペニャ山脈の山中に 稀に見る形の修道院跡があるというので、 

急きょ寄り道することになりました







01.     不思議な岩肌を見せる 野性的なペニャ山脈 Pena の山中を しばらく進んだが

修道院の案内板もなく、一向に辿り着かない。  道を間違えたのではと不安になった頃、 


突然 衝撃的なその姿が現われた!

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02.      その建物は 大岩に潰されかかっているかのようだった。  後ずさっても

全体像がカメラに入らない。 それ程 狭い山道に唐突に存在していた。

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03.    「 サン・ファン・デラ・ペニャ修道院 Monasterio de San Juan de la Pena 」

は、 イスラム教徒に占領されていた9世紀、ピレネー地方で キリスト教の信仰を守る目的で建てられた。          



「 中庭回廊 」 は 屋根となる大岩と 壁となる断崖に挟まれ、 列柱はミニチュア版で再現されている。

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04.     内部には 公会議室 アラゴン地方の貴族の霊廟 王家の霊廟 教会 回廊 美術館 などが 

地下 地上階 上の階に 複雑に配されていて 結構な広さがあった。



泉から水が湧いているので 生活用水は困らなかったのではないだろうか。

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05.     アラゴンとナバーラの 歴代の君主は 5世紀間にわたり この霊廟に埋葬されたと言うから

山奥ながら 当時は 相当な聖地だったに違いない

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06.     18世紀に改修された霊廟部分だけが 不似合いなほど新しかった ・・  



ところで このペニャ修道院は 有名な サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼地にもなっている 

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07.    さて いよいよ この 「 ハカ Jaca 」 という町を通って ピレネーの峠に向かいます。



8世紀に アラビア人の侵攻を早々と撃退し アラゴン王国の首都となったハカ、 

保存状態の良い この要塞 「 ペニャ・デ・オロエル Pena de Oroel 長さ1769m、

16世紀 」 が  戦略上の重要な役割を果たして来たと言う。



2~30km先 真北の方向に ピレネー山脈が控えている。 

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08.     フランスとの国境となる 「 ソンポルト峠 Pueruto de Somprt 1632m 」 



ピレネーの山越えは フランスからサンチャゴへ向かう巡礼路の中でも 最大の難所として知られている

ホタテマークの看板が 巡礼路のしるしです。

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09.     ソンポルト峠は 例外的な降雪は別として 中央ピレネーでは唯一、年間を通して冠雪しない峠だ。



従って 古来より、 ポンペイウスの軍団が通れば ローマの街道となり、イスラムが攻めた時は サラセンの道となり、

真摯な巡礼者たちが通れば サンチャゴ巡礼路となった。

とにかく ナポレオンを含む  あらゆる人々が、  様々な理由で 引きも切らず

この峠を越えて行ったのだ。 



現代でも 自動車道路から付かず離れず、 巡礼路が 山や丘にくねくねと張り巡らされている

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10.       峠から西側に伸びるピレネー山脈

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11.     峠から東側に続くピレネー山脈      こちら側の山の連なりには 

所どころ、石灰岩が風化し崩れ 鋸の歯みたいになって 屏風のように連なる個所がある

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12.     その屏風の中で 一か所だけ 奇跡のように ポッカリ口を開ける場所がある。



こここそ  フランスとスペインを 徒歩でのみ行き来できる峠で、 オルデサ国立公園から北西へ8km、  

アラゴンピレネー山脈の 標高2804mの地点にある  「 ロランドの裂け目 

Brecha de Rolando( 幅40m 高さ100m ) 」 と呼ばれる地点です。



( フランスでは当然 ’ ローラン ’ と フランス語表記になりますが・・  )

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ところで、 《 ローランの歌 》 という 武勲詩がある。  名前だけは聞きかじったことがある。

詳しい内容はさて置き、 何故か切ない響きで、、 日本で言うと平家物語の物悲しさだろうか・・






778年 カール大帝のスペイン遠征軍のしんがりが ピレネー山脈で全滅した際、  ローラン将軍は

サラセン軍の襲撃で戦死する直前、 死力を振り絞って角笛を吹いた。  その音は峰々にこだまし、

これを聞いて奮起した主力軍が劣勢を跳ね返し サラセン軍を粉砕した という言い伝えになっている





イスラム勢力との戦いは 実際ヨーロッパのあちこちであった訳ですが、 このカール大帝のイスラム勢力との

戦いが 今日のキリスト教を中心としたヨーロッパ世界の礎となり、幕開けともなったという認識が

ヨーロッパの人々に根強くあると言う。





とりわけ その象徴たる 《 ローランの歌 》 という武勲詩が 11世紀以降 広まるにつれ、 

ローランこそが サラセン人を押し返したキリスト教徒の代表的英雄だという認識が定着したらしい。

逆に言えば 《 ローランの歌 》という詩がなかったなら ローランはこれほどの英雄に

ならなかったかも知れない。   





このピレネーの ” ロランドの裂け目 ” も 伝説上は ローランが 剣をふるって

岩を切り落としたものとされている。  

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ところで、 実際の古戦場は ロンセスバリェス Roncesvalles という ナバーラ地方の 国境の町だ。


スペイン側の言い伝えでは  カール大帝を敗走させたのは ナバーラのバスク軍であり、

その戦いで 英雄的活躍をしたのが ベルナルドという若者で、 


 
《 ベルナルド・デル・カルピオの歌 》 という武勲詩まであると言う。



国境の向こう側とこちら側、 フランスとスペイン 両者の言い分が違うのも ある意味 

大変面白いことです。







この旅行で 私は 一旦フランスに入り、 再びスペインに戻ったのですが


その際、その ロンセスバリェスを 通りました。


出来ればその風景も 後にお伝え出来ればと思っています ・・・




(  ’ ロランドの裂け目 ’ は登山しないと行けませんので 写真は ウイキぺディアからお借りしました  )

2014年11月14日 (金)

アラゴンピレネーの高い壁が目の前です!「 オルデサ国立公園 」

” ヨーロッパ文明は ピレネーで終わる ” という言葉がある。  ヨーロッパに於ける

スペインの孤立、発展の遅れを意味する言葉ですが、     ナポレオンは さらに乱暴にも

” ピレネーの南はアフリカだ ”  つまりスペインはアフリカ同然だ、 などと言ったそう !!



そんな高い障壁、ピレネー山脈を 近くで この目で見ておきたく、その山裾まで出かけて行きました。








01.    右を見ても 左を見ても 石、石、石だらけの町 アインサ Ainsa(10月31日付け記事)

から、 「 オルデサ国立公園 Parque National de Ordesa 」 に向かうことにした

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02.    アインサの高台から ピレネーの個性的な山塊が見える

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03.    途中で 馬の背のような地型が 幾筋も 川に落ちている個所があった。

石灰岩地層が見せる面白さだ !

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04.    いよいよ 「 オルデサ国立公園 」 に到着した。 千メートルに近い岸壁がそそり立つ。

勢い込んで山道に向かったが、 通行止めの遮断機のバーに阻まれた。  

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05.    考えてみれば当然だが、 自然保護と落石などの観点から、 専用のバスでしか入山できない。



結構なつづら折りの山道だったが バスは慣れた足取りで吹っ飛した。  終点はつまりはハイキングコースの

起点であり、  レンジャーの事務所や ハイカー用のトイレなどがあった。

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06.    公園内を歩き始めしばらして アラサス川 Rio Arazas を横切った。  雪解けの時期には

幾筋もの滝がこの川に流れ落ち 相当な水量になるという。

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07.     コースは ある地点までは このように整備されていて 素人でも歩きやすい。

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08.    岸壁が迫りくる。  これが 文字通り ’ 文明を阻む壁 ’ と言えそうカナ
・・・

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09.    松 唐松 樅 ぶな 楓など 美しい樹林が広がる。  無機質な岩肌の傍らでは

命ある緑が 一層輝いて見える。

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10.    このオルデサ渓谷には 三つの本格的トレッキングコースがあるが、いずれも ちゃんと

万全の装備を整えて入山しなければならない。 日本からもトレッキンググループが 時折来てるようだ。




写真の 「 トロンボテラの滝 60m 」 を眺めた地点で 私は引き返すことに ・・

このあたりまでは おこちゃまでも来られます。

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11.     さて 話しは変わりますが、 フランスとスペインの国境沿いには  西からバスク、

ナバーラ、アラゴン、カタルーニャ という4つの自治州が接しており、  ピレネー山脈自体も

’ アラゴンピレネー ’ と ’ カタルーニャピレネー ’ に分けられます。

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今 独立の機運が高まっているカタルーニャは 北側にピレネーを抱えてはいるが、 東側は地中海に面し

フランスと国境を接しているために 高度な文化・進歩的思想・近代的な工業などが いち早くもたらされ、

バルセロナが スペインのパリと呼ばれた時代もありました。   歴史上の数々の争いや駆け引きには

常にフランスの影響、支援が見え隠れしていました。





現代でも 太平洋側の沿岸から 夏ともなればバカンスで フランス人がどっとスペインに入ります。

と言うのも ユーロ導入の前でも、カタルーニャの観光地ではフランが使えましたし、外国語を話さない

フランス人( 今では死語となりましたが・・ ) が フランス語で気楽に過ごせたからでした。




もっとも最近の独立志向は 歴史的な経緯よりは 経済上の理由の方が 大きいようですが ・・





  ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆



12.    一方 この 「 オルデサ国立公園 」 がある アラゴン地方は 

北側はピレネーに塞がれ、 エブロ川沿岸の僅かな緑地帯以外 全域 荒涼たる原野に覆われ

人口密度も低い。 しかし その住みにくい環境を 頭脳と努力で克服した誇り高い国でした。

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12Cには東の隣国カタルーニャと 結婚によって連合、15Cには南の隣国・カスティリアのイザベル女王と

アラゴン国王の結婚によって 連合王国を築き、  その勢いで レコンキスタ(イスラム勢力からの国土回復運動)

を成就させ、  スペインの一大王国となった時期も長くありました。





その後の あまりにも複雑で波乱に満ちたスペインの歴史の推移は さて置き、





今日 結果的に、 経済発展したカタルーニャは スペインからの独立の道を模索し、 

一方 サラゴサ以外大きな都市を持たないアラゴンは どうみてもカタルーニャから置いてきぼりにされ、 

田舎の国のままでいる。



そんな対照的な2つの地域となりました ・・・





しかし そうした 人間の歴史に頓着することもなく  ピレネー山脈は その大きな胸に 

しっかと アラゴンとカタルーニャを抱きかかえておりました ~

 

2014年11月 7日 (金)

「ピレネーの中世ロマネスク教会」「スペインが負けようが関係ありません!」

東西に走るピレネー山脈には 南北に幾筋もの谷間が深く切れ込み 雄大な景観を形作っている。



そんなピレネーが生み出した自然の恵み、  中でも ” 石の文化 ” は

とりわけ不思議な魅力を放っておりました







01.    リーポイの東 車で15分ほどの サンジュアン デ・ラス アバデサス San Juan de las Abadesas

には、 ロマネスクの教会と テル川に架かる「 中世ロマネスクの橋 Pont medieval 」がある。 



橋の一番高い所から川面を覗き込むと 結構な高さがあり、怖いほどでした 

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02.     リーポイ Ripoll 「 サンタマリア修道院 Monestir de Santa Maria 教会」 の正面玄関 

( ポルターダ Portada )の浮彫 12C、には 旧約聖書の物語や12の月の仕事などが刻まれており 

まさに ’ 石の聖書 ’ と言えそうです。       入口ドア両脇の     



聖ペテロ、聖パウロの首が落ちているが、 中央上部の ’ 御座の神 ’ は立派な姿を留めている

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03.    教会正面には 風雨を避ける塀が13Cからあったものの 時の流れによる磨滅は避けられず、

今日では さらにガラス窓が付け加えられている





教会奥の 内庭回廊 Claustro の 「 柱頭彫刻 」 も ロマネスクの傑作です

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04.    ラ・セウ・ドゥルジェイ Seo de Urgel ( セオ・デ・ウルヘル )の 「 サンタ・マリア大聖堂 

Catedral de Santa Maria 」の 内庭回廊の柱頭彫刻 13C も 大変興味深い



フランス人の職人が 花崗岩の柱頭に、 ユーモアを交えつつ 熟練の技術と見事な構成力で 人間や動物を

彫りあげたと言うが、  動物に足をかじられたり、獅子に組み敷かれる人間の姿は 何かの比喩だろう ・・

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05.    さて、ドゥルジェイのオールドタウンの一角にある ’ アーケード街 ’ も 

中世の石の文化遺産の一つです。  

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06.     遺産と言っても 今日でも当たり前のように 人々が アーケードの下を行き来している。


アーケードの一角に 煮炊きしたと思われる ’ かまど ’ が 幾つか残っていた。 湯気が上がる様子が

容易に想像されるし、 冬は格好の暖房の場だったのかも知れない ・・

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07.     ピレネーの山中をさらに西へ向かい ボイの谷を分け入ると 「 タウール Taull 」 

という村に着く。 ボイの谷にある 6つのロマネスク教会が全て世界遺産に登録されているが



なかでも この「 サン・クリメント教会 Eglesia de Sant Climent 1123年 」 は 

スペインで最も美しいロマネスク教会と言われている

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08.    ピレネーから採れる切石と スレート瓦の屋根、  色のない村落の風景から 

厳しい山岳の気候と 質素な生活の様子が 直に肌に伝わって来る

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09.    標高2000mの高地に 100人足らずの村民しかいない タウールだが、

” ピレネーの宝石 ”  知る人ぞ知るロマネスクの村、 ここを訪れる人々は 少なくない。  



この日は 校外学習のスペインの高校生がたくさん来ていました~  

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10.   「 サン・クリメント教会 」 写真07.の鐘楼から 通称上の教会「 サンタ・マリア 」を望む。



この日 私が村に着いたのが3時過ぎ、 下の教会「 サン・クリメント 」には番人がおり 

4時にならないと その番人がカギを開けてくれない。  一方、上の教会は無人で いつでも入ることが出来る

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11.    二つの教会の内部のフレスコ画は 剥がされ、バルセロナのカタルーニャ美術館で 

修復保存・展示されている。  旅の後半 私はバルセロナで本物に出会うことになったが、


” やはり野に置けレンゲソウ ” の例え通り、 ピレネーの谷間で出会った12世紀の教会の

本物の佇まいは 美術館の立派な展示とは 少し異なったものだった





この 上の教会「 サンタ・マリア 」の内部のフレスコ画は 原画通りに再現されたコピーだが

それでも あの古臭い匂い!? 共々 雰囲気は十分素晴らしかった !

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12.   ところで 「 サン・クリメント教会 」 の番人が戻るまでの 小一時間、私は

教会隣のカフェレストランで時間を費やした。  マスターは丁度遅いランチを食べようとしていたので、  



話しかけては悪いと思ったが、  大きな飼い犬が奥の方から のそりと姿を現した。 

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その犬をダシに話が始まった。  なんでも 当地を中心に写真を撮っている日本人のフォトグラファーが

当カフェに2度 やって来たとか。  その写真家の伝手で 彼は日本に2回旅行をしたことがあるのだとか。




訪れた日本のあちこちの話、 日本の素晴らしい点 いろいろ話してくれたが 

日本びいきの外人さんによくあるような 浮ついた雰囲気がない ・・・

カタルーニャ独特の 山の男の落ち着きだろうか、、





話は 2014年のサッカーのワールドカップで スペインが 一次リーグで敗退した件になった。

強いはずのスペインが あんなことになって 残念だったでしょう !?




彼はすかさず答えた  ” とんでもない、 全然 残念だなんて思いませんよ、    だって 

僕はスペイン人ではなく カタルーニャ人ですから、 スペインが負けようが関係ありません!   ”






ほお~~  カタルーニャ人は そこまで徹底しているのだ !


感慨深いものを感じながら  話の矛先を変えた ・・・・・

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