「奇跡の聖地・ルルド」 巡礼者の世界は驚くことばかり!
スペインからピレネー山脈を越え、フランスに入り ルルドにやって来ました。
' 巡礼地 ' には 歴史的に 流行り廃りというものがあるけれど、 欧州で 恐らく現在ナンバーワンの
巡礼地 「 ルルド Lourdes 」 は ある意味異次元の別世界、 さすがの私も 驚きの連続でした !
01. カトリック本山が認定する ’ 聖地 ’ の基準は 相当厳格なものですが、 世俗的な隆盛を
極めるかどうかは 一般庶民からの人気が 重要なバロメーターでしょう。
賑やかな街並みと 溢れる大勢の巡礼者・観光客を見て、 一目でルルドの繁栄ぶりが読み取れました
02. 山あいの小さな村にすぎなかったルルドが ある奇跡を発端に 一大宗教都市となったのは
19世紀の中頃で、 長いヨーロッパ史上では つい最近の出来事と言えそうです
03. 聖域に入ると 立派な聖堂が現れました。 水平の陸橋を境目に
下が 「 ロザリオのバシリカ Basilique du Rosaire 」 ( 1889年 )
上が 「 チャペル レリック Chapelle des Reliques 」
入口の窪みに描かれた壁画は 金ピカで 如何にも財政が豊かそう !
04. さて、 まず その美しさに目を奪われたのが
サンクチュアリを貫ぬく 「 ポー川 Gave de Pau 」
土手から溢れんばかりの勢いで走る エメラルドの早瀬は 如何にも聖域に相応しい清らかさでした ・・・
05. 写真右手の 岸壁の洞窟で 1858年2月11日、 14歳の少女 ベルナデット・スビルー
Bernadette Soubirous に 聖母が出現したことが 事の始まりです。
勿論 少女は初めから それを聖母だと思っていた訳ではなく、 聖母と認識されたのは
18回の出現のうち 最後の方のことになる。
06. その洞窟から流れ出る泉水が やがて 数々の奇跡を生み、 今日でも このように
人々は 口に含み、 手足に降りそそぎ、 あるいは 体ごと聖水の桶に浸かったりする
ペットボトル持参の人も多いが、 私も 少量、はるばる日本まで持ち帰ったのは 言うまでもありません !
07. 個人的にやって来る巡礼者も多いが、 こうして 世界各地の教会支部から 団体でやってくる
巡礼者もたくさんいる。 続々やって来る車椅子の列は 壮観であり、まさに別世界でありました。
08. さて、 ここが ” ベルナデットがマリアに遭遇した洞窟 ” だ。
一日 何千人訪れるのかはわからないが、 この洞窟前で 代わる代わるミサが行われる。 各地の教会の
” 講 ” を率いてやって来る神父さんの 一世一代の晴れ舞台に違いない。 信徒の心には 日頃の
説教以上に響くことだろう。 フランス語はもとより、 イタリア語 ドイツ語 スペイン語 英語、
そして 何語か聞き取れない 祈りの言葉が 代わり合って鳴り響いた
09. こうして見ると マリア出現の洞窟の真上に 教会が建てられたことがわかります。
バシリカの側壁に掲げられた お盆のようなプレートには 世界各国の言葉でこう書かれている
「 行ってこの水を飲み あなた自身を清めなさい 」 ( 当然 日本語もありました )
10. 蝋燭立てには ” ろうそくの明かりが あなたの祈りの時間を 長らえる ” とあった。
その隣にある施設が 「 沐浴場 Piscines 」、 コップで聖水を飲むだけなんて生温い。
もっと 心からの渇望を以って 真剣に神の奇跡に賭けようと、 全身で聖水に浸かる病人が大勢いる。
車椅子が便利になる前 日本でもリヤカーに病人を乗せた時代があったように、 昔の写真には
ベッドもろともやって来た 素朴ながら 熱い信仰心を持つ人々の姿が 収められている。
もちろん 今回 私が訪ねた当日も 沐浴場には 長い列が出来ておりました ~
11. 教会の支部から来たと思われる人たちは 同じ色のスカーフを首に巻いている。
江戸時代の ’ 富士講 ’ ではないが、 一生に一度はルルドを訪れたいものと、 皆 貯金をしたり
体調を整えたり、 どうしても不都合な場合は 人に願いを託したりと、 相当な準備があったに違いない
( 左上は スコットランド人 )
12. 洞窟の泉ばかりでなく、 ポー川の流れで手足を清める人も多い。 前日の雨で
近域の川は 真っ茶色の濁流と化していた。 単に地形の所為とは思うが、 ルルドの川が
余りに青々と澄んでいたので さすがサンクチュアリと感嘆せずにいられなかった ・・
この夜 広場を埋め尽くすプロセッション ( ろうそく行列 ) があった。 次回は その模様と
ベルナデットの生涯について もう少し詳しく触れてみたいと 思います