「郵便配達夫がつまずいた奇妙な石」「理想宮はゲテもの?アート?」
フランス南東部 ローヌーアルプ地方・ドローム県の オートリヴ Hauterives という町には
郵便配達夫が たった一人で築き上げた 「 理想宮 」 がある
01. オートリヴは 人口1500人ほどの 農地に囲まれた平凡な町だが、 最近は
「 理想宮 」を訪ねる人のため、静かな町のあちこちに看板が立てられ 駐車場も整備されるようになった
02. この石の宮殿は 長さ26m 幅14m 高さは18m程の大きさで、
東の側面に居並ぶ 「 3人の巨人 」は 今も 遥かな理想を追い続けているようだ
03. 郵便配達夫 フェルディナン・シュヴァル Ferdinand Cheval は
理想宮の建設を 「 私以上に辛抱強い人にしか出来ない苦行 」と表現し、
経験した壮絶な苦難と その同量の誇りを言い充てた言葉や文を あちこちのパネルに残している
「 空想上の宮殿の入口 」「 夢想に捧げた人生 」「 神・祖国・労働 」「 たった一人の人間による仕事 」
04. さて この 理想の宮殿を建てるという途方もないアイディアは 1879年4月のある日、
彼が石につまずいたことから始まった。 その石が 階段を上がった2階テラスにあるという
05. ありました! 通路右手、 銅像の台のようなものに乗っている
06. ” ある日配達から帰る途中、テルザンヌ Tersanne の手前で 私は石につまずいて
転んだ。 私が躓いたものが何だったか 目を凝らすと 何とも言えず奇妙な形をしていた。 ”
” お守り代わりにポケットに入れて持ち帰ったが、 翌日も同じ場所で もっと美しい凄い石を見つけた。
それらは 水の流れが長い時をかけて作り上げたもので、
人間が真似しようとしても 到底作り得ないほど変わった形だった ”
07. ” 自然が 彫刻家になったのだから 僕は 左官になり建築家になる ! ”
” しかし、そのことは誰にも言うまいぞ。 人は私を馬鹿にするだろうし、 第一 私自身が
おかしなことを思いついたと 自分で笑ってしまうくらいだから・・ ”
彼はこんな村の道を 仕事とは別に 何度も何度も往復して 石を集め、運び続けた
08. さて、彼は 理想宮の内部地下に自分の棺を納めたかったが、 当時フランスには
火葬と言う習慣も まして火葬場もなかった。 村の規則や教会の決まりもあって それは叶わぬ夢となった
09. そこで彼は 村の墓地の方に 自分の墓を作ることにした
” 私は当時77歳 自分の夢の宮殿を33年がかりで作り上げた。 幸いなことに 自分の墓を作る気力が
まだ十分あったし 健康にも恵まれ、 さらに8年間の重労働の末 自分の墓を完成させることが出来た ”
墓が完成した2年後 1924年 彼は88歳で死去、 「 終わりなき静寂と休息の墓 」 と
自ら命名した墓に埋葬された。 ( 今 この墓の内部に 入ることは出来ない )
10. さてフランスでは、 印象派たちの輝かしい活躍などがあって 他国より芸術的感覚は
一歩進んでいたはずだが、 実際は 20世紀末まで 芸術界は 昔ながらのアカデミズムに支配され
シュヴァルの芸術は ” はぐれ ” や ” 異常 ” などと 正当に評価されることはなかった
それどころか 当時の文化庁の見方は ” 醜悪極まりない 狂気の沙汰。 愚かな田舎者が作った
おぞましい岩の塊り ” と 散々だった。
しかし、 1930年頃に アンドレ・ブルトンや ピカソなどに支持されるようになり、1969年
やっと 時の文化大臣アンドレ・マルローが ” 確かに 幼稚な部分もあるが フランスが世界に誇れる
ナイーヴ アート L’art naif だ ” と認め 文化財として登録されるに至りました
11. さて私は オートリヴを出たあと 北上し、 ヴィエンヌ Vienne に向かった
紀元前からローマの植民地だった ヴィエンヌには ローマ神殿や 円形劇場などがあり、
古いものには事欠かないヨーロッパの町の代表例を 当たり前のように眺めてまいりました
街路を 菊の花が飾り、 日本の花がこんな風にアレンジされていると
こちらの方にずっと新鮮な感動を受けたのが 面白かった ~~ !
12. 丘の上から ローヌ川と ヴィエンヌの街を一望
30km先のリヨンには 翌日向かうことにして、 この日は
ヴィエンヌ郊外の 庭の池に白鳥が泳ぐ 高級邸宅レストランホテルに一泊
ローマの神殿などが 普通に残っている文化からしたら、 シュヴァルの理想宮は
確かにゲテモノかも知れないし、 新鮮な前衛アートかも知れない、、
見事に洗練された 芸術的フランス料理を食べながら いろいろ考えた夜となりました ・・・
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コメント
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こんばんは
つまずいた石の造形の素晴らしさから、あのようなものを作り上げるとは、ただ者ではないですね。
それにあちこちに残した言葉、何よりも何十年もかけて作ったことが、彼の信念の強さを感じます。
それにしても本当に奇妙な形の石、というよりたしかに彼の言葉通り「自然が彫刻家になった」のでしょう。
もし私がこの石と出会ったら、私もきっと持ち帰ると思います。が、このようなものを作る発想は出ないでしょう。
当時のフランスの芸術や文化からは評価されなかったものが、時代の変遷とともに評価が変わり、今では立派な『文化財』。
郵便配達夫は建築家でもあり素晴らしい芸術家として認められたのですね。
このようなことを知ることができるのも、bellaさんの好奇心の賜物、そのおかげと思っています。
いつもいつも素敵な旅のおすそ分け、ありがとうございます。
投稿: 慕辺未行 | 2014年8月29日 (金) 22時12分
「理想宮」の田舎街Hauterivesや、歴史のある街Vienneのご紹介を拝見すると、
この特異な「石の建造物」の存在の背景が、普通の美しい南フランスの街の一角にあるということにあらためての驚異を感じます。
「狂気と天才」と、簡単に片づけることはできましょうが、マルローさんの言葉、「幼稚な部分もあるが、世界に誇れるナイーブ・アート」に、素直に肯けますね。
投稿: kurakame | 2014年9月 1日 (月) 08時46分