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2014年6月27日 (金)

エクサンプロヴァンス「人嫌い・セザンヌのアトリエ」

南仏 「 エクサンプロヴァンス Aix-en Provence 」 は 紀元前からの歴史があり、

今日では 芸術・学術が盛んな プロヴァンス地方の中心都市となっています

特に 画家ポール・セザンヌ P.Cezanne の故郷として 多くの観光客が訪れている






01.    街には 樹齢数百年というプラタナスの並木が 涼やかな影を落とし、 

大聖堂や 古い貴族の館・大学が点在し 知的で端正な雰囲気を醸し出しています

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02.    セザンヌは 大変気難しく 人付き合いが悪かったので 人々から敬遠されていました

特に かれの女嫌いと潔癖症は有名で 女性とちょっとすれ違って洋服が触れただけでも 何度も拭ったという

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03.    後年 母親と妹と妻オルタンス、3人の女性が同居することになるが

この3人は折り合いが悪く いつも喧嘩ばかりしており、  険悪な家庭生活の中で 唯一の救いは

一人息子 ポールに向けた愛情だった

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(  サントヴィクトワール山が見える丘に通じる坂道と アトリエへの入口   )







04.    1897年 母親の死を契機に 妻との関係が修復するやにみえたが、 嵐のような日々が

収まることはなかった。 セザンヌは 1902年に、 財産の権利から妻を除外し 全てを

息子に与えるという遺言を書いた。  その時 妻オルタンスは 彼の母親の形見を燃やしてしまったらしい

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05.     そういう訳で ここレ・ローヴに建てたアトリエは セザンヌにとって単なる仕事場ではなく

妻を含む 様々な人間関係から逃れ、 心の安らぎを得るための聖域だったのです

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06.     セザンヌは 地方銀行家の息子でしたから 生活のために働く必要はありませんでした。

しかし、フェルト帽製造の事業でも成功した父親が、 当然のように 彼に跡継ぎを期待していたので

その気がないセザンヌにとって、 父親からの束縛感はかなりの重圧でした。  しかし 父親が死ぬと 



父が残した莫大な遺産により 経済的不安から解放され、 芸術活動に専念出来ることになったのです

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07.     さて、 安定した光と静けさの中にあったアトリエには  英語で 熱心に解説する

ガイドの声が響きました ・・ 日本人用には クリアファイルに入った日本語の解説文が置いてありましたよ

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08.     写真は当然禁止ですので、 ドアの外からパチリ!  

正面からのちゃんとした姿は 絵葉書を買うことになります ~  

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09.     セザンヌが描いた絵のあちこちに、テーブルなどアトリエの備品を発見することが出来ますが

棚の上のびん類などは 地震のない国でよかった! と 思わざるを得ません ・・

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10.     《 台所のテーブル 》 は 対象物を 一つの視点から そのまま正確に捉えるのでなく 

複数の視点から見たものを 一つの画面に再構成するという 新機軸を確立した有名な作品で、 後の 

多くの画家たちに 革命的な影響を与えたと言われています




我々がこのような絵を描くと ’ おい君、デッサンが狂ってるよ  ’ って 絶対言われそうです !

逆に言えば、’ セザンヌのように 複数の視点で描いているのよ ’ って 言い訳できそう !? 

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セザンヌの写真は 彼が心を許した数少ない人物の一人、後期印象派画家エミールベルナールが撮ったもの 

 







11     上の作品では もう一つ 別な発見があるかも知れません。 それは 彼は絵のあちこちに

彼の愛した 「 サントヴィクトワール山 」の面影を描き込んだ ・・という お話です



白いナプキンやテーブルクロスの皴や重なり具合が まるでサントヴィクトワール山みたいに見えないでもない



次々回の記事で  白いサントヴィクトワール山を 訪ねますので 是非見比べてみて下さいね ・・ 

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12.    セザンヌの晩年には 彼の絵も評価され 高額で取引されるようになりましたが



糖尿病など健康状態が悪化し、精神状態も不安定になり、対人関係が一層困難となる中

1906年、ここ エクサンプロヴァンスで肺炎により死亡しました

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彼のアトリエは 緑と光にあふれ、 なるほど、傑作がバンバン生み出されるに相応しいところでした




そして、 人嫌いのセザンヌが 美しいプロヴァンスの自然と 魅力的なエクサンプロヴァンスの街に

どれほど助けられたことかということも 想像に難くありませんでした 

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コメント

この美しいプロバンスの光を拝見すると、セザンヌが初期に仲間であった印象派のイメージが思い起こされました。
印象派を離れて、「デッサンの狂ったような」絵がなかなか認められずに、やがて、故郷のサントヴィクトワール山にのめり込む頃に、また、この「印象派の光」が現れてきたようにもみえますが。
有り余る財産と才能があっても、人付き合いが苦手で、近い女性たちとも上手くいかない、哀しい天才の一面をも伺うことができました。

こんばんは
セザンヌ・・・名前はかすかに聞き覚えがあるのですが・・・(^_^;;ハズイ
最初の写真のプラタナス、まずそちらに感動です。
プラタナスって、こんなに白く太くて大きいのですね。
♪プラタナスの枯葉舞う冬の道で~♪と歌ったのは、「はしだのりひこ」さんだったでしょうか?
このセザンヌが唯一『心の安らぎ』を得られる場所・・・、今の私にも感じるものがあります。
私にも睡眠時間以外に安らげ癒される時間がありますから。
いつの時代、いずこの場所・・・人間の苦悩は常に付きまとうのでしょうね。

セザンヌのアトリエが残っていて、公開されているんですね。
絵からは想像できない彼の人柄や行動を知る事ができて
たいへん興味深く拝見いたしました。
乾いた南欧の風が吹いて来るようです。 (^_^)/

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