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2014年5月

2014年5月30日 (金)

「オーバーアマルガウ」 キリスト受難劇はパッションの賜物!

南ドイツ バイエルン州の 「 ガルミッシュ・パルテンキルヒェン Garmisch-Parthenkirchen 」



1936年の冬季オリンピック開催以来、 ウインタースポーツのメッカとして 国際的な名声を得ている町だが

何と言っても その名前の響きがカッコいい ! 






01.     ドイツの名峰 「 ツークシュピッツエ 」に登る 歯条式鉄道が この町から出ていて、 

夏場も 観光客が途絶えることがない。      さらに 作曲家 リヒャルト・シュトラウスが 


没年まで(1949年)  ここ ガルミッシュ・パルテンキルヒェンに住んでいたことでも有名です

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02.     さて、 この日は テラス付きの素敵なホテルに泊まったが 生憎の雨模様、

残念ながら ツークシュピッツエに登ることは諦めざるを得なかった。 天候は運次第、 いつも出たとこ勝負です ~ 



同宿のオーストラリア人夫婦は 長期滞在につき、 焦る様子もない ・・・

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03.     次の目的地は 「 オーバーアマルガウ Oberammergau 」 



町の入口に差しかかると 魅力的なフレスコ画が待っていた

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04.     シンボル的な山 「 コッフェルシュピッツェ Kofelspitze 」 を背にした この町、

普通の民家までが マリア像をかかげ、 可愛らしく 華やかな窓辺を見せている

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05.     さて、ここは  NHKのドキュメントでも 紹介された  ” キリストの受難劇 ” で 有名な町。     



この店のフレスコ画には   ” PassionsSpiele 1634年初演 ” と描かれている

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06.     ” キリストの受難劇 PassionsSpiele ” は 実に 10年に1回という周期で上演される。



前回が 2010年(41回目)だったので 次は6年後の2020年になる。   因みに 300年祭は1934年に、

350年祭は1984年に行われたそうだ。     いずれにせよ 物凄い歴史の積み重ねだ !

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07.     「 オーバーアマルガウ 」 は 木彫りの町としても有名です。   手作りとあって 

ちょっとしたものでもお高いが、 芸術の域に達した作品はとても手が出ない。 緑豊かな日本でも 木彫は盛んだが


仏像から 人間そのものの芸術表現にシフトして、 それが町の産業になる、という傾向は少ないかも知れない

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08.     さて、  ” キリストの受難劇 ” の出演者は オーバーアマルガウ生まれの人間か 少なくとも

20年はここに住んだものに限られている。  つまりは プロでなく 全員アマチュアということだ



しかし、5月から10月まで 週5回、1回6時間の上演なので、 全身全霊を賭してやらねば 全う出来ることではない

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09.     オーケストラや合唱 舞台装置 衣装、 子供から老人まで 総勢2000人以上の出演者・スタッフの


力が終結する。    ロバや大群の羊など 本物の動物たちが 舞台を埋め尽くす場面もある
    


オリンピックではないけれど、   人生に こんな目標があったなら、 


オーバーアマルガウ人の 文化程度、 意識の高さは いやが上にも増すに違いない !

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10.     この劇は ヒットラーやローマ法王など 毎回著名な人たちが見に来ているそうだが、 

シーズン中、50万人に上る観光客を受け入れる 人口5000人ほどの 小さな町には どんな工夫があるのだろうか



写真の「 ピラートスハウス Pilatushaus 」 の壁画は 一種だまし絵になっています

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11.     さて、 この建物の内部に トイレットがありましたが、 


一方のドアに ” ヘーレン Herren ” 、 もう一方のドアには ” ダーメン Damen ” と書いてあり 

入っちゃダメなんだ 、  と 諦めました !   (  なーんちゃって   ^&^ )

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12.     ホームページからの写真です。  NHKのドキュメントでもそうでしたが、 とにかく出来がいい !



上質で 品がよく 美しく 情熱に溢れている。   40回も続ていることが 本物の証しでしょう ・・

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ところで、 キリストの受難は ” パッション Passions ” と言いますが 



普通 パッションと言えば ” 情熱 ” ですね。  英語でも ドイツ語でも フランス語でも 

両方の意味があるのは、   元をただせば ラテン語から由来しているからで、 当然のことになります





パッションフルーツも その花弁や額の形が キリストの十字架や 十字架に打ち付けた釘の形をしているから

だそうで、   決して ” 情熱の果物 ” なのではないとか ・・




しかしながら この オーバーアマルガウの ” 受難劇 パッション ” を支えているのは 

間違いなく 人々の ” 情熱 パッション ” だと言っても 過言ではなさそうです  !!     

2014年5月23日 (金)

絵本のようなチロルの里・絵本のように可愛いミッテンヴァルト

オーストリアの「 チロル地方 」 には ’ これだ! ’ という 超有名スポットがある訳ではありません



アルプスの連なりと 川と草原と 人々の平和な営みがあるだけ ・・







01.    それでも 非凡な美しさと輝きを放つ、 チロルは 正に特別な存在です



「 ロイタッシュタール Leutaschtal 」 ( インスブルックの北西25km )

二千数百メートルのアルプス連山の麓に 黄色い野の花の絨毯が広がる

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02.     谷間を流れるのは ロイタッシュ川    こんな風景が十数キロ続きます


こういうのを ” 絵本のような風景 ” というのでしょうか ・・

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03.    さて、所変わって  こちらは インスブルックの南15km、 エルベーゲン街道にある町

「 マトライ アム ブレンナー Matrei am Brenner 」 



ジル川 Sill に沿って続く 「 エルベーゲン街道 」 は かつて岩塩の輸送に使われた道。

ジル川の流れは 怖いほど速かった !

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04.   この町をさらに15km南下すると かの有名な 「 ブレンナー峠 BrennerPass」 に至る

遠目から見ても 左右のアルプスの稜線が 一つの谷に向かって下がっている 

あの辺を通って行くのかなあ、と 想像した ・・



ゲーテやモーツアルト 諸皇帝や軍隊など あまたの人々が このブレンナー峠から アルプスを越えて 

陽光のイタリアへ向かったのです ・・・

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05.      次の町は、 01.の 「 ロイタッシュタール 」 を 北上して、 オーストリアの国境を越え

ドイツに入ったばかりの所にある 「 ミッテンヴァルト Mittenwald 」 



家々の壁をキャンバスとして 美しい絵が描かれている 

アルプスを背にした 可愛らしく とても魅力的な町だ  !

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06.     ドイツのアウクスブルクと イタリアのヴェローナを結ぶ昔の通商道路にある町だから

文化・芸術も 間違いなく イタリアからもたらされたに違いない 

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(  中央通り 「 ハウプトシュトラッセ Hauptstrasse 」   )







07.     カラフルで個性的な ハーフト-ンの絵柄には それぞれ何かしらのストーリーがある



ゲーテは 「 ミッテンヴァルト 」 を 「 生きた絵本 」 と評したという

なるほどピッタリだ !  それに そんな昔から この町はこんな風だったのだ ! 

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08.    この町には もう一つの側面がある。  イタリアで 巨匠ストラディヴァリウスのもと

ヴァイオリン制作を習得した この町出身の M.クロッツ Matthias Klotz が 

1684年 故郷に戻り、 ヴァイオリン制作の礎を築いた町なのです

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09.     ヴァイオリンの街として有名な イタリアのクレモナが、 洗練された芸術の都であるのに対し


今日でも十数人のヴァイオリン製作者がいるという ミッテンヴァルトは、 森から切ってきた木材を 

そのまま窓辺で乾かしていそうなイメージの 小さくて 素朴なヴァイオリンの町でした ・・・

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10.     「 パルトナッハ渓谷 Partnachklamm 」 



ヴァイオリン用の木材ではないけれど! 薪が積まれ、 野の花に縁どられた パルトナッハ川沿いを進むと

やがて 両側に岸壁が迫り、 谷川の岩場を切り開いた道に至る

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11.     滝の轟音が響き 近づくと その飛沫を浴びることになる。 冬は 氷のカーテンになるそうだ。


青い川と 緑の木々、 マイナスイオンいっぱいの ハイキングコースでした

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12.     さて、 最後に 話しはガラリと変わり、 09.の写真のご夫婦と話したこと ・・



ドイツについては 殆ど詳しくない私ですが、 どうも最近 南ドイツでは ” グーテンターク ” とか

” グリュッスゴット ” と言った挨拶より、  ” ハロー ” という言葉を頻繁に聞きますが、 という

質問を投げかけてみた



” おっしゃる通り 確かに今日 ハローという人が結構いますよ。  若い人同士とか 外国人相手だから、

という訳でなく、 世の中が少し 簡便な表現法に走っている傾向があるのかも知れませんね。 


英語の Hello と違い ドイツ語には もともと Hallo という単語があるのですよ ・・ 

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土産物やで 店番をしていた 皴だらけの!? お婆さんが、 やって来た 顔見知りの赤い鼻のお爺さんに

” グリュッスゴット (神のご加護を )” と挨拶したのを聞いた時、 私は 改めて なんだか感激しました



古き佳き南ドイツの挨拶が そこにあったからです ・・・  




絵本のようなチロルの風景、   絵本のような町 ミッテンヴァルト、 



そして絵本のような じじばばのご挨拶でした !

2014年5月16日 (金)

皇帝が愛した「インスブルック」、こんな街とは想像外でした!

「 インスブルック Innsbruck 」 は オーストリア チロル州の首都 


アルプス山地の中では 人口10万人を超す大都会は フランスのグルノーブルなどと並んで、 稀な存在です







01.    まずは この ’ アンニュイげな青年 ’ と 同じケーブルカー ( Hungerburg Bahn )

に乗って インスブルックを一望できる展望台に登ってみました



ここは 当然冬はスキー場ですが、今は つづら折りの山道がむき出しに ・・ 青年は そこを自転車で下るらしい

アドレナリン全開でないところが 面白い・・  

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( 因みに 自転車で下った 一人の女の子が転倒して 真っ逆さまに落っこちた !

皆 あゝッ~と 声を上げたが、 起き上がって 何事もなかったように 続けましたよ )






02.     ’ 天空のテラス ’   スカッとする心地よさは 天下一品 !




インスブルックは 1964年 冬季オリンピックの開催地となったが、ゲレンデ、ジャンプ台、スケートリンクなど 

諸設備の質が高く 評判も上々、 1976年 色々な意味でさらに充実した 2度目のオリンピックを開催している 

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03.      北と南のアルプスに挟まれた 標高600メートルのチロルの谷間に 「 インスブルック 」 の

街が広がり、   そのただ中を 「 イン川 」が蛇行して流れている

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04.     さて 今度は  先ほど ケーブルカーで登った山を 逆に 街の方から見上げています



優美な都会と 清らかなアルプスの景観が形作る絵柄は  まるで「 一幅の名画 」であり 

ヨーロッパ観光の中でも 一級のヴューポイントという折り紙がついています

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05.     6月初旬 夕方6時半、  街の人々も 子連れで通りに繰り出す ・・

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06.      ところで、  オリンピックの開催地ということで、  私は 漠然と 

北米にあるような機能的な街か または ヨーロッパの山間のスキーリゾート基地を イメージしていましたが、  

とんだ間違いでした ・・



インスブルックが これ程 高貴な雰囲気の 歴史ある街だと知って 正直 実に 驚いたものでした !

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07.     チロル地方は もともと、 12世紀 ” イタリアのチロル伯爵 ” の領地でしたが

14世紀に ハプスブルグ家のものとなる。    その後 1493年、 大のチロルびいきだった 


皇帝マクシミリアン Maximilian von Habsburg が ここに王宮を作ったこと、  

それこそが、 インスブルックが こんな優雅なアルプスの都会になった 、 事の始まりだったのです !  

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08.     「 黄金の小屋根 Goldenes Dachl (1500年)」(正面)  屋根の瓦は金で出来ており、

マクシミリアンが 建物の外枠に 二人の妃と自分の姿を 彫刻家に刻ませた 観覧用のバルコニー

(   残念ながら 修復中で 垂れ幕に写真が印刷されておりました !   )

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09.     詳細な説明はさて置き、  街には 王宮、王宮付属教会、マクシミリアンの霊廟、美術館、

修道院付属教会、凱旋門、バシリカ大聖堂、アムブラス城、 等々 古めかしく魅力的な建物が満ちている

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10.    「 マリアテレジア 通り  Maria Theresien Strasse 」

「 街路広場 」 から ノルトケッテ Nordkette (北側の連山) を望む眺望は 壮大で感動的 ! 
 




その後 ハプスブルク家とインスブルックの歴史は 連綿と続き、  18世紀 かの女帝マリア・テレジアも 

インスブルックを深く愛したため、  彼女にまつわる 悲喜こもごもの逸話もたくさん残っている

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11.    「 聖アンナの円柱 Annasaule 」 柱頭でアルプスを見晴るかしているのは 「 聖母マリア 」



母親の聖アンナは 足元の台座で 他の聖人たちと共にひっそりと佇んでいる。 まさに母親の鑑かも知れない

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12.     さて、 その夜は 街中でなく インスブルック裏手の丘の上に安宿を見つけた 。 

宿の隣の 村の公会堂で ” 北島三郎ショー みたいな !? ” 催しがあり 一時 大混雑だったが、

ショーが終わると 村は火が消えたように 暗闇の中に静まり返った。 
 





村の とあるレストランに食べに行ったが 料理を運んでくれたお兄さん、 なんと 身長が 218cm !!

村に来てまで 「 聖アンナの円柱 」みたいな ノッポに出会うとは思わなかった !

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オーストリアの観光で ウイーンやザルツブルクから ここまで足を伸ばしたり、

ドイツロマンチック街道の延長で ここまでやって来るのは 日程的にも大変な事かも知れない   

が、   インスブルックは 確かに 訪ねるに値する街だなあ、と感じた次第でした






” 皇帝が愛したチロル ” 、  そして ” 皇帝が愛したインスブルック ” 



単なる スキー基地と高をくくっていた私、 こんな街とは思いもよらず、 失礼しました インスブルック! 

2014年5月 9日 (金)

オーストリア「チロル」、名もなき一隅がチロリアンの真骨頂! 

ドイツとの 国境の南側に オーストリアの 「 チロル地方 」がある



因みに、 それに接して イタリアにも 「 南チロル 」 という地方があるのですが、 それは 

1919年の条約によって オーストリアが イタリアに譲渡した部分で、

 一般に 「 チロル 」 と言えば 現在のオーストリアのチロルを意味することが多いようです







01.   さて、チロルと言えば どんなことが思い浮かぶでしょうか、、  アニメの場面や チロリアンハット、、

名もなき田舎の こんな風景も チロルです !

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02.     チロル地方は オーストリアの西側部分の 山また山の地域で、  写真のように

そのど真ん中を走る 「 イン川 Inn 」が アルプスを 北側と南側に見事に二分している




このイン川は  オリンピックで有名な あの「 インスブルック Innsbruck ( イン川の橋 )」 

に通じている

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(    左側の 天狗の鼻のような部分が チロル地方です ~    )






03.    さて、 ドイツのアルペン街道を 東に進むと、 そのまま オーストリアに入り込む場合もある

例えば ドイツのアウクスブルクから アルプスを越えて ヴェネツィアまで通じる 歴史的な街道を行くと

オーストリアへ国境を越えた地点で  「 フェルン峠 Fernpass 」 に着く





その ’ 峠の茶屋 ’ から ドイツの最高峰 「 ツークシュピッツェ Zugspitze 2964m 」 の勇姿が

見えるので、 このルートは 現在では ドイツとチロリアン地方をつなぐ 人気の観光ルートとなっています

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04.     チロルでの最初の宿は 「 メーゼルン Mosern 」、  人口約130人の小村だが


イン川を挟んだ向い側には 雪で覆われた 「 ホーアーリフラー 3168m 」等の山々が 屏風のように連なり、

正に チロリアンの絶景を楽しむことが出来るのです !

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05.     窓という額縁越に アルプスを見ながらいただくディナーは、 

お金には換算出来ない ” 人生の贅沢 ” と言えるのではないでしょうか




タブレットを手にした 知的な女主人の チロリアンドレスからのぞく ’ 胸の谷間 ’ が、 

そのお堅い雰囲気と ミスマッチで、 何故か 目が吸い寄せられました ~   ^&^

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06.     イン川には 四方から いくつもの谷川が流れ込んでいる。  全て氷河期に作られたものだが

数ある中で 「 エッツターラー・アッヘ 川 Otztaler Ache 」 の谷を遡ってみることにした

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07.     チロルの家や教会は 玉ねぎ型の塔あり、 とんがりタイプの塔もあり 様々だ


文化が混在しているからだろう  ・・

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(  ピクニックは 地べたでなく、 あくまで マイ・テーブルセット を持ち歩く人が多い  )







08.     5月のこの日、 アルプスの雪解け水を湛えた イン川は かなりの急流です !



ヨーロッパのあちこちで出会う ’ 移動遊園地 ’ 、 常設でないので 環境に優しいし 

田舎の子供たちも 楽しませることが出来ますしね・・

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09.     数々のスキー場や 大展望台で有名な 「 グルグル渓谷 GurglTal 」 に入ると

雪を頂く 3000メートル級の山々が 迎えてくれる

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10.    ホッホグルグル Hochgurglにある 「 ヴィンテック展望台 」 からは、 

ヴァイスクーゲル 3736m などの雪山を 360度 見渡すことが出来る



カッコいい 皮ジャンのバイク族、 ロマンスグレーのおじさんが多いのも ヨーロッパの特色でしょうか ・・ 

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11.     展望台を降りて 今来た道を戻り、 アッヘ川がイン川に合流するのを見届けたあと、 

イン川沿いにさらに歩を進め、

かのハプスブルク家の マクシミリアン皇帝が愛した都、「 インスブルック 」 まで行くことになりました 

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12.      谷川と 水車小屋、 教会と雪のアルプス、 チロルの舞台装置は 清らかにして素朴、

名もなき一隅が チロリアンの真骨頂と言えそうです ! 

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2014年5月 2日 (金)

「ノイシュヴァンシュタイン城」「リンダーホーフ城」 美男王の狂気の産物!

南ドイツ「 フッセン Fussen 」 という町は ドイツロマンチック街道の終着点として有名ですが

むしろ アルプスの山裾に位置する 「 ドイツアルペン街道 花形の町 」と言う方が相応しいかも知れない




フッセン郊外の小高い丘には、 世界中の観光客がやって来る バイエルン王宮の二つの城があります







01.    「 ホーエンシュヴァンガウ城 Schloss Hohenschwangau 」

一見 ホテルかなとも思えるほど 新しく 整っている城で ( 1832~1836年築 )、 

その足元は 押し寄せる多くの観光客用の 駐車場になっていました 

 



マクシミリアン2世が 12Cの廃墟城のあとに 建てたものだが、  彼の長男 世に名高い

 
” ワーグナーに執着した ルートヴィヒ2世 ” が 夢見がちな少年時代の大半を過ごしたのもここ

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02.    モンサンミッシェルと並んで ’ 是非行ってみたい人気観光地 ’ となったこの地域に 

多国籍の観光客が 大勢 押し寄せていました ~ 

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03.     ディズニーランドの シンデレラ城のモデルとなったと言われる

「 ノイシュヴァンシュタイン城 Schloss Neuschwanstein 1886年 」




この城を作った ルートヴィヒ2世は、  約1km離れた ホーエンシュヴァンガウ城の窓から  

望遠鏡で 城の工事の進捗状況を観察したという                           ところで、




ノイシュヴァンシュタイン城は 歴史的には結構最近の建物で、 鉄骨造り、当初からエレベーターや電話が備わており

 ’ ほぼ現代建築だった ’ と言えるのではないでしょうか

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04.    治世を等閑にし 芸術に耽溺していたルートヴィヒは、 

ワーグナーのローエングリンの場面を描いた居間、タンホイザー伝説を彷彿とさせる庭など

一般的な城の概念からかけ離れた ” マニアックで夢のような城 ” を
築こうとした


発注先が 建築家でなく 舞台装置家や画家だったということからも その異常さが窺えます




ディズニーランドに真似されたこの城ですが、 こちらこそが既に 本家 ” シンデレラ城 ” だったとも言えそうです 





前回城の中に入ったので 私は今回は遠くから眺めるだけにしましたが、 私が訪れた3カ月後、 13年にわたる


改装工事が終了し( 昨2013年 )、   このシートが取れ 今は 白亜の美しい姿が見られるそうですよ ! 

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05.      実際のところ、  こんな君主 ” 狂王 ” に付き合う政府や国民は たまったものではない。 



ルートヴィヒ2世が この城で暮らしたのは わずか170日。 1886年6月10日 ミュンヘンから派遣された 

政府委員会によって 王の廃位が通告され、  その3日後  王は シュタルンベルク湖で

医師のフォン・グッデンと共に 謎の死を遂げている。  他殺説も自殺説もあり、 ミステリーのままだ  ・・・

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(   城を東側から眺めています    こちら側は 嘘のように静かでした!   )    








06.     フッセンの東側 町を巻くように流れる レッヒ川



オーストリアとの国境付近に 「 レッヒ滝 Lechfall 」がある。  雨上がりで 濁流が 渦巻いていた

普段は 青く澄んだ水が 段々になった堰を サラサラと流れ落ちている

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07.    川は この先の 水利を目的とした人工湖 フォルゲン湖 Forggensee に向かっている

岩肌には 水利開発に寄与した マクシミリアン2世の像。       変わった 男性トイレでした ~ !



こんな水流を見ていたら きっとトイレに行きたくなりますよね !?

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08.     「 リンダーホーフ城 Schloss Linderhof 」 ( 1869~1879年築 )

狂王 ルートヴィヒ2世は  森に覆われた アマルガウの谷間にも こんな小宮殿を建てている 



360度 見渡す限り 目に入るのは深い緑だけ ・・  イタリアの別荘をモデルに 池やテラス 噴水・花壇を

中心軸に沿って配置しているが、 谷間の斜面を利用したことで ひときわハイセンスな立体感が生れている

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09.     この頃 オリエントの物語や ドイツの英雄伝説などに憑りつかれていたルートヴィヒは

モロッコ風の家や パリ万博で購入したムーア風のあずまやなどを庭に配置し、 そのムードに浸ったという

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10.    しかし 宮殿の内部はもっと凄い。  基本的には ヴェルサイユ宮殿を模したと言われるが

贅を尽くした内装は、 未だ現役として使われるマドリード王宮と並んで 豪華さは一番かも知れない



ルイ14世 ルイ15世 ポンパドール夫人 デュバリー夫人などの肖像画や胸像に ルートヴィヒは 

毎日 挨拶をして回ったという

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(  この宮殿に入るにも 長い行列を作る必要があります  )







11.    凝りに凝った演出の最たるものが 「 ヴィーナスの洞窟 Grotte 」 



ワーグナーの楽劇 「 タンホイザー 」 の ヴィーナス山 Venusberg の雰囲気を醸し出そうとして

わざわざ人工的に作ったもの。   金色の小舟が浮かぶ池には 実際白鳥が入れられることもあったという



カラーライティングも含め、 当時も オペラの舞台装置らしく 色々な演出があったかも知れない

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12.     ところで ルートヴィヒ2世と言えば ” 美男 ” で一世を風靡したものでした

私のブログ 「 ミュンヘン ” のん兵衛天国 ”」の回で、 彼のお墓と ハンサムな写真を掲載しましたが、



あんな儚いほどの美男も 肖像画によれば、 晩年は こんな風に太り また歳を重ねたと見えます (上の写真)




噴水の前で 記念写真を撮る彼は もしかして ルートヴィヒの化身かしら ・・

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彼の夢想のために 国民の血税が浪費され 政治も等閑にされた 当時の人々からしたら、 

ルートヴィヒは  呆れてモノが言えないような はらわたが煮えくり返るような存在だったかもしれない。  



しかし こうして いくつものお城と個性的な文化が残った ・・   




歴史とは  いつも いつも 摩訶不思議なもの !!

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