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2014年2月 7日 (金)

日本人の末裔 ’ハポンさん’ が暮らすスペインの町でお喋りを



01.     セビリアの 大聖堂 Catedral には、 大航海時代の冒険家 

あの「 コロンブス Ch. Colombo 」の墓がある。  ただならぬ威厳を放つ 4人の棺の担ぎ手は、 



当時のスペインの レオン カスティーリャ ナバーラ そして アラゴン公国の王たち

C01

 





02.     モスクの名残りだという 奥行116m 幅76mの 四角に近い大聖堂には

高さ 97mの 「 ヒラルダの塔 Giralda 」が寄り添っている 
 



塔の先端には 高さ4m、重さ1288kgの ヒラルダ( 風見 )が付いていて   風で

微かに回転するそうだが、    同じものが 地上にも置かれている



こんな重いものを 一体どうやってあの先端に付けたのか 考えたら夜寝られなくなる・・!?

C02

(  右側のが 地上のレプリカ   同じものが 塔の先端にある  )







03.    「 ヒラルダの塔 」からは セビリアが一望でき、 奥に「 グアダルキビル川 」が見える



パリやロンドンのように、 内陸にある町が発展できたのは 川のお蔭で、  セビリアもその例だが

ここでは 本来の 「 グアダルキビル川 Rio Guadalquivir 」 から引いた ” 運河 ” が流れている

C03







04.      運河の建設は 12Cから始まったので  コロンブスがアメリカ大陸への航路を発見して後


15世紀から16世紀にかけて   新大陸との貿易が 盛んに行われた時代には

大都会 セビリアとの交易船が この運河を 激しく行き交ったことでしょう

C04







05.     川沿いの土産物屋で  可愛いワンちゃんの ’ カメラ目線 ’ を頂戴し


セビリアに別れを告げ、 次に  南へ12km 日本人の子孫が暮らすという町に 向かいました ~

C05







06.    「 グアダルキビル川 」 沿いにあるその町は 「 コリア・デル・リオ Coria del Rio 」

町に入ると 200mおきくらいに なにやら ” 侍の旗 ” が掲げられてる !

C06







07.     テレビ番組の取材であるなら ’ 日本人の子孫と思われるハポンさん達 ’ をざっと数十人

集めておくところでしょうが、 とにかく 何の手がかりもないまま 小さな町をうろうろした ・・



結局 グアダルキビル川の岸辺に 「 支倉常長 」の銅像が立っていることだけ突き止め 川岸に着くと

丁度 川で釣れた魚の売買が 済んだところ ・・  どんな魚が捕れるのか 見てみたかった !

C07

        






08.     さて、フランシスコ会の宣教師と 支倉常長が率いる ’ 慶長遣欧使節団 ’ が 現石巻港を

1613年10月出航し、 セビリアへの拠点 ここコリア・デル・リオに 到着したのが 1614年10月



今年でちょうど 400年 !    町中に掲げられた旗は その記念だったのです  

常長は スペイン国王との交易交渉、 宣教師派遣について ローマ法王への拝謁 という使命を帯びていた 



川岸には 1991年 宮城県より贈られた 鳥居と常長の銅像が 立っていて

鳥居わきの小さな四角の枠には 日本の皇太子が植樹した幼木が 植えられていました

C08







09.     この銅像は 数年前までは 泥が投げつけられ 落書きで汚れていたという 

「 アンダルシアの人々よ立ち上がれ ビールとロース肉、パンを要求するのだ ! 」 



銅像へのいたずらは万国共通だが、 上の文句は 反日というより スペインの経済情勢への不満に違いない



正面のプレートは剥がされたままだったが  慶長遣欧使節団についての説明パネルが 側面に付き

落書きが消され、   皇太子が来るということで !?  最大限に綺麗にした努力 は 感じられた ・・

C09







10.     今日 この町には 約800人のハポンさんが いると言う。 漁師のおっちゃんに

聞いたら ” そこらじゅうに ハポンがおるよ !  ” と 身振り交じりで答えてくれた 




ところで 使節団 30数名は、 メキシコ スペイン フランス イタリアなどを巡る 過酷な長旅の最中

日本で キリシタン禁止令が発布されたのを知る。  一行のうち帰国せず コリア・デル・リオに 

留まった者がいた。  信仰に身を捧げたのか はたまた 病気になり 帰国の体力を持ち得なかったのか ・・




研究者によると 1667年の洗礼台帳に 初めて「 ホアン・マルティン・ハポン 」 という名が載ったらしい

また ハポンさんの赤ちゃんの中には ’ 蒙古斑 ’ が出る子もいるらしい ・・

C10

(  この町に橋はなく、 渡船が活躍していて 眺めるだけでも楽しかった !  )
 








11.     さて 川辺には 一軒のカフェがある  カフェと言っても 粗末な金属椅子があるだけ。


マスターが 興奮気味に話してくれた  ” うちの この四角い敷地の周りを ナルヒト(日本の皇太子)が

歩いたんだ ! お付きの人たちが ぞろぞろ付いて 歩いたんだ ! ”  指差しながら3回も繰り返した



” そのあと 観光バスが 少し来るようになったんだよ 、、   っで 日本語教えてくれませんか ?

こんにちは、と 有難う、と さよなら って 日本語でどう言うの ?! ”   



私も 3回繰り返して教えたが 、   今頃 ちゃんと役に立っているかしらぁ~~

C11

(   コーヒーは ここでも ガラスのコップ入りでした ~  )






12.     公園の掃除をしていたシニョールと  視線が合ったので しばらくおしゃべりをした    

なかなかインテリぽい語り口だったが

バカンスの話になると、 自分は今失業中で 時間はたくさんあるが バカンスなんかは夢だ、と語り



ついでのように 自分の4代前まで 苗字が ’ ハポン ’ だったと言った

極々薄い血だけれど ハポンさんの末裔に やっと出会えた !  




その時 彼の黒い髭が 日差しでキラキラ輝き 美しいと感じた ・・  撫でてもいいかしら ?   

勿論 !  少し身をかがめた彼の頬を そっと撫でた ・・   

C12





因みに 上の二人 少々フランス語が話せたので助かった。   スペインとフランスは地続きだから

出稼ぎには フランス語は重要な道具だろう。  語学とは 本来 実利があってこそ、のものかもしれない





400年前 ここに残留した ’ 初代ハポンさん ’ が、 切なる望郷の念にかられつつ 眺めたであろう

悠々たる 「 グアダルキビル 」 の 流れを前に、 私も 時間の許す限り そこに居り続けた ~

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コメント

こんばんは (◎´∀`)ノ
ヒラルダの塔から見たセビリアの街、素敵ですネェ!
近代的な建物がそこからはほとんど見当たらず、良い感じの街です。
そして、ついに行かれましたね、ハポンさんの街!
Coria del Rio と言う街なのですか?
支倉常長の銅像がある公園、最近見たTV番組で紹介されていました。
何人もの「ハポン」さんが集まってくれていましたよ。
中には「日本を訪れたことがある」と言う方もいました。
それにしても江戸時代にこの地まで航海するのは、半ば『命懸け』の旅だったことでしょうね。
だからこそ帰国する気力を失い現地に留まった人もいたのでしょう。
不思議な縁ですね。
車ごと乗せて川を渡す艀船、ドイツで経験したことがあります。
わずかな距離でしたが、とても楽しかったです。

お早うございます。
スペイン帝国も一時は世界に君臨し豪華を極めた感じがします。
素晴らしい建造物が多いですね。
支倉常長も懐かしい名前ですね。
スペインも見物したい国でしたが言葉の壁で閉ざされました。

コロンブスの墓は大聖堂にあって、しかも棺の担ぎ手は王とは、コロンブスの活躍は高く評価されているのですね。
ヒラルダの塔からの眺めは素晴らしく、また塔の先端ヒラルダは地上のレプリカを拝見してもその大きさにはびっくりします。
コリア・デル・リオには支倉常長の銅像や鳥居、そして侍の旗までもあるのですね。
そしてハポンさん達がいるというのは、支倉常長一行の中には日本に帰国せずにリオに残った人がいたという事でしょうか。出会えたハポンさんは、やはり黒髪だったのですね。
この町には橋が無く車も渡船で運ばれているとは、今時珍しい景色です。

あいかわらずのいい加減なうろ覚え、支倉使節団はローマに行ったとの記憶だけ。(笑)
なるほど、スペインを足場にしてローマに渡り、再びスペインに戻ったのですね。
片道1年の旅、それでも歴史は数多くの旅を記録しているのが驚きです。
ハポンさん400年の末裔。
熊本の殿はガラシャさまから400年以上ですが、正統遺伝との違いも興味津々と、ふと思いました。

こんばんは。
大聖堂とか教会とか(日本だったら神社とか)大好きなんです。
ヨーロッパの大聖堂のあの独特の重々しい雰囲気や香りは日本では感じられないものですよね。
ときどきそんな中でいつまでも座っていたいな~って思うときがあるのですが、
その場所がないので、代わりに神社にお参りにいってます(*^_^*)
ハポンさんて、いつだったかテレビでやっていたような記憶があります。
皇太子さまも行かれたんですね。お付きの人がぞろぞろっていうのが生々しい。
遠い異国に来て、先に訪れていた日本人がいるとわかったとき、何となく心強く感じてほっとしてしまいます!(^^)!

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