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2014年1月

2014年1月31日 (金)

「 セビリア・アルカサル 」は 洗練されたイスラム様式の白い宮殿

南スペイン、 アンダルシア州都 セビリア Sevilla の中で 最も印象深かったのが

「 アルカサル宮殿 Reales Alcazares 」 





01.    レコンキスタの後 イスラム時代の城の跡地に、 1350年 キリスト教徒のペドロ一世が城を建て 

その後 歴代の王が それぞれの時代の建築様式を加えながら 今日の姿に至ったのが 「 アルカサル宮殿 」

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02.     ペドロ一世は わざわざグラナダから建築家を呼び寄せ、 イスラム建築の特徴を色濃く残す 

” ムハデル様式 ” の宮殿を造らせたと言うことですが、 

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03.    イスラム勢力を せっかく追い払ったのに、 高い水準を誇ったイスラム文化の魅力に嵌り 

それに固執した 支配者の気持ちは わからないでもありません     



長く英国の支配を受けた香港が   返還されたからと言って 翌日から

全てを中国風にやり直せる訳ではないのと 似ているかもしれません ・・ 

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04.    「 大使の間 Salon de Embajadores 」


漆喰細工を駆使した  白いアラベスク模様 ( スタッコ装飾 )が 意外なほど洗練されていて美しい ! 

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05.    日本の文化は ” 余白の美 ” であり、 ありとあらゆる場所を 模様で埋め尽くすイスラム文化は


一見 対極にあると言えそうですが、 白を基調としたアルカサルの文様は レースにも似て 意外なほどエレガント、


ヒマラヤ杉を用いた 木彫の円天井 (クーポール Cupula )も 仏教文化を彷彿とさせました

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06.     「 乙女の中庭 Patio de das Doncellas 」  2階部分は 16Cに付け加えられたものだが

均整の取れた構成となっている。  パラダイスを意味するこの中庭に植えられているのは 常緑のオレンジ

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07.      ところで、この中庭を見たら グラナダの 「 アルハンブラ宮殿 」の中庭を 思い出すに違いない

それもそのはず、 この宮殿自体 ぺデロ一世が 意識的にアルハンブラを模して造らせたものなのだ ・・



シエラネバダ山脈を背後に 小高い丘の上に建てられた アルハンブラ宮殿は 文字通り 赤褐色の ” 赤い山城 ” 

であるのに対し、  数十年遅く 街中の平地に作られた このアルカサルは ” 白い街城 ” と言えるでしょう

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08.      ところで 暑く乾燥した南スペインの 当時の支配者にとって、 ” 水と緑 ” の維持管理は 

この上なく重要な課題であり、 かつ 権力者として 最高の腕の見せ所だったかも知れません

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09.     アルカサル宮殿内には 数々のパティオ( 中庭 )や 噴水が作られていますが 

水と緑を配置した 見事な「 大庭園 Jardines 」も 見逃せません 



多湿な日本の夏と違い、 フライパンで乾煎りされるようなスペインの暑さは たとえ40度でも 日蔭に逃げれば

なんとか凌げるもので、 こんな緑のカーテンも きっと 随分 役に立ったことでしょう ・・

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10.    「 ライオンの噴水 」

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11.    温暖な地元の植物と エキゾチックな他国の木々とが入り混じる 豪華な庭園には 

築山、迷路、並木道 多くの噴水が配されている
 




時代時代の支配者たちの優雅な日々に 思いを馳せつつ 私は 静かな一時を過ごしましたが

この壁の向こうには セビリアという 世界に冠たる観光地の喧騒が 渦巻いているのです ~

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12.    町の中心 「 大聖堂 Catedral 」に入るには やっぱりこんな行列が必要です !

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因みに この白い宮殿の美しさを さらに一層 際立たせていたのが スペイン独特の 「 モザイクタイル 」、

カラフルで 洒落た図柄のタイルと 白い宮殿のコントラストが 時を超えた魅力の秘密に違いありません !



前回の 「 アルカサル宮殿 」のタイルについての記事も  併せて見ていただければ幸いです ~  

2014年1月24日 (金)

「 セビリア・アルカサル宮殿・モザイクタイル 」 見るだけで芸術家気分に! 

南スペイン、 アンダルシア州都 セビリア Sevilla にある 「 アルカサル Reales Alcazares 」 



イスラム文化の影響を残す ムハデル様式で作られたこの宮殿は、 漆喰を用いた 白いスタッコ装飾が特徴ですが

その 白亜の宮殿に 華を添えるのが カラフルなモザイクタイル !




5~600年も前のそのタイルたち、   いかにも スペインらしい 色と風合いは 

眺めているだけで 芸術家気分になれるかも ・・





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「 アルカサル宮殿 」 そのものについての記事も  次に続きますので 

併せてお読みいただければ幸いです
 

 

2014年1月17日 (金)

「セビリア」 闘牛とフラメンコ そして ’ 御者の子は御者 ’

「 セビリア Sevilla 」と言えば ” セビリアの理髪師 ” や ” カルメン ” の舞台として有名ですが

オペラが描けるくらい 多種多様の人間ドラマがあった、、 つまり セビリアは昔から大都会だったと言うこと ・・



実際 今日でも セビリアは  マドリード、バルセロナ、バレンシアに次ぐ スペイン第4の都会です  








01.    「 大聖堂 Catedral 」 イスラム寺院の取り壊しに際して(1401年)、 ” 後世の人々が 

我々を狂人扱いするほど 大きな教会を建てよう ” というスローガンのもと この聖堂が建設された
 



ここが まずは セビリア観光の中心 となります

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02.     ところで、  スペインの観光パンフレットには 

” 明るい陽光 、 熱狂の闘牛 、 情熱のフラメンコ ” と言ったうたい文句が躍っているが、  もしかして

スペインの 光がまばゆければまばゆいほど、 同じくらい その影は黒く濃いのかも知れない 

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03.     「 マエストランサ闘牛場 Plaza de Toros de la Maestranza 」



ローマ時代から 円形劇場での 人間対人間、人間対動物の殺し合いは 儀式という名を借りてはいても

凄惨を極めたものでした 。   ここスペインで  牛か闘牛士 どちらかが必ず死ぬ、という壮絶なショウが 

現代に至るまで続いたことには  それなりの理由があったに違いありません



最近では  闘牛を否定する傾向も出始め、 バルセロナでは 闘牛場が閉鎖され 跡地はスーパーになったらしい 

しかし、 南スペインで 闘牛の火が消えることは しばらくはなさそうです

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04.     一方 「 フラメンコ 」 も スペインにとって 重要な観光資源 ・・  


しかし いつもいつも 狭い酒場で 体の奥底から魂の叫びを表現してばかりいられない訳で  

より手軽で 大人数にアピールしやすい ’ 観光用のフラメンコ ’ が 増えている



ギターや歌の伴奏ばかりでなく、 オーケストラ版の ’ カルメン序曲 ’ をスピーカーで流したり、 

カスタネット以外の小道具を使用したり、 タンゴとは違い 男女は指一本触れないはずなのに

そうでなかったり ・・     お客を楽しませる工夫がいっぱいだ

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05.     今回は 闘牛場近くの 「 El  Patio  Sevillano 」 という劇場で フラメンコを見たが

「 タパス Tapas 」 と呼ばれる 小皿料理のコースを 食べながらの鑑賞で 時間の節約になった ! 




殆どがツアー客だった。   中国人は ショーが始まってもしばらくは大声でしゃべりし続け  

用心深い日本人は 代わり合って頻繁にトイレに立ち、 ドイツ人は 料理を取らずにひたすら飲んでいた ・・

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06.     近くの フラメンコお土産やにて。   彼女は しばらく日本で空手の修行をしたという

とても自然体ですが 空手の 一ポーズを取ってくれていますよ ~

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07.     セビリア市内の 細い路地裏には フラメンコスタジオがたくさんあるが  

帰りの夜道の安全性も考慮した上で  こんな所にも出かけてみたいもの ・・




因みに 全く個人的な好みだが ” フラメンコは男性がいい ”  女は スカートやらなんやらがまとわりついて

本筋が見えずらい。  シンプルに 体のライン一本で勝負する男の姿は この世のものとも思えない程 セクシーだ !



さらに ” 女は年増がいい ”  若くて美人で踊りが上手いのは 確かに 目に楽しいが、   

化けて出そうな ベテランの凄味こそが フラメンコの魂のような気もするから ・・

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08.     さて、 馬車に乗って 夜風に吹かれてみたくなった    馬車はタクシーと同じで

待合いの場所も決まっていて 御者のライセンスもある。    ちゃんと値段を交渉して乗り込んだ 

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09.     ところが 御者が二人いる  大きい二つの背中が邪魔をして 馬が見えない 景色が見えない !

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10.     しかも 二人はおしゃべりに夢中で ほとんど案内らしい案内をしてくれない

” シニョール、 あの建物は何!? ”   ” シニョール、 この公園は何 !? ”  

聞けば ついでのように 教えてくれる !




それでも こんな馬の姿が美しかった ・・  夜空に リズミカルなひずめの音が響いて 心地よかった 

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11.     初めから終わりまで 話し続けた二人、  聞いてみたら 父親と15歳の息子だった !

仲がよくて いつもこんな調子で喋るのだろうか、 それとも 日頃のご無沙汰を 職場で埋めているのだろうか・・



怠慢なガイドだったけれど 何故か憎めなかった   寧ろ ほのぼのした ・・ 




スペイン語しか話さないオヤジさんだったが 息子はきっと英語ぐらいは勉強して 現代的な御者になるだろう

いずれにせよ ” 御者の子は御者 ” になるに違いない

痩せっぽの愛馬も 家庭で飼育しているという、  家族が生きていく為の 大切な ’ よすが ’ だ 

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12.     結局  もしかして、 イベリコハムも闘牛もフラメンコも ” スペインの影 ” の象徴かもしれない



スペインを旅すると  確かに海沿いの町の繁栄ぶりは 観光客が目にする通りだが、  全国的に見て 

いわゆる農地というものには 滅多にお目にかからない。 赤茶けた大地に オリーブや果樹があれば 寧ろいい方だ 

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15~17Cの ポルトガルと覇権を争った 大航海時代の繁栄は 植民地の産物を他の先進国へ売るというものだった

その富は 国内を素通りし 庶民は貧しいまま 何世紀も繁栄の蚊帳の外に置かれた



僅かに 牧畜は 輸出用毛織物などに有用だったため 牧場設営が奨励されたが 

いつの世も 国の豊かさを象徴する 「 農地 」の開発は すっかり遅れたのだ 




スペインが 今の欧州の繁栄に取り残されたのは 近代に至っても フランコの内戦が続いたからでもある

1939年まで続いた内戦で フランコ側 共和国側合わせて 20数万人ものスペイン人が 命を落としている





国を覆う暗い影、国として発展し損なったスペインの 人々の鬱積する不満のはけ口として( 支配者側にとっても ) 

闘牛やフラメンコは この上なく重要なものだったに違いない 





” 光のスペイン ” を旅する時 ” 影のスペイン ” に 少しばかり 思いを馳せると

イベリコハムも 一層味わい深く思えるかもしれません ・・

 

 

2014年1月10日 (金)

bellaの アトリエから

2014年、 新しい年が始まりましたが、  あっという間に もう10日が過ぎました

つたない絵ですが ご年始代わり ・・   今年もどうぞよろしくお願いいたします ~







01.     「   Andalucia   」

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02.     「   a  girl   」

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03.     「   a student   」

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2014年1月 3日 (金)

「 ロンダ 」は絶壁だけでなく 闘牛もイスラム遺跡もあります

スペイン、アンダルシア州 「 ロンダ Ronda 」、  断崖の景観が あまりに凄いので

ロンダは ’ 風景だけの町 ’ と思う人が意外と多い


しかし ここには 石器時代から人が住んでいたし

8世紀から500年間も繁栄した イスラム文化の名残りも あちこちにあるのです








01.    「 アラビアン ゲート Arco de Felipe V 」 18Cに作られた イスラム様式の門


「 ロンダ 」は 天然の崖と 人工物の城壁に守られ 守りの堅い町だった 

ロンダへの入城には もっぱらこのゲートをくぐったという

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02.     アラビアン ゲートから 城壁沿いに 道を降りてくる

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03.    「 ビエホ橋 Puente Viejo 」  ( 11~16C )


「 ヌエボ橋(新橋)」が18Cに架けられるまでは 「 グアダレビン川 」の深い谷を渡る 唯一の道でした

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04.    橋のあたりから 階段や坂道を延々と降りて行くと 意外にも 透明な 美しい空色の流れが待っていた

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05.     現地のガイドパンフレットにも載っていない アラビアン浴場跡に 迷い込む !

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06.    こちらは 日本のガイドブックにも出ている 「 アラブ浴場 Banos Arabes 」

13~14Cのものだが スペインに残るアラブ浴場の中でも 規模が大きく 保存状態もかなりよい



天井の星形孔は ライトではなく 採光を兼ねた空気穴、 外から見ると 穴あきの屋根だということがよくわかる

アラブの浴場は 川の水をボイラーで沸かして スチームを全室に送り込む いわばサウナのようなものだった

従って 一種の社交場であり 様々な人間模様が展開されたらしい

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07.     「 サンタ マリア ラ マヨール教会 Iglesia de Santa Maria la Mayor 」( 15~16C )


イスラムを駆逐するレコンキスタが成ったあと( 1485 )、 モスクの跡地に建てられた教会で   

” ムデハル様式 ” と言う 残留イスラム教徒の建築様式と キリスト教建築様式が融合した 

とてもエキゾチックなスタイルです !


しかし 内部は 豪華な金ピカの祭壇と 美しい写実的な天使像が何体も収められ 

充実したキリスト教教会そのものでした

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08.     ロンダの 「 闘牛場 Plaza de Toros (1785年) 」は スペインで最古の闘牛場のひとつ


18Cに ロンダで生まれた フランシスコ・ロメロ というマタドールが 

今では当たり前のようになっている 牛をけしかける赤い布を 初めて考案した人物だが

彼は「 ロンダ闘牛学校 」 なるものも開校し、

その後 息子や孫、一族で 闘牛発展の礎を築いたと言う

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009.      さて 「 春田美樹 (1924~1995年)」という画家をご存じでしょうか ・・

ロンダの闘牛場近くに 彼の 不思議な ” 灯篭モニュメント ” があった 

” 死ぬがために生を受け 生きるがために死す ” と記してある



初めは 日劇などで 出演する女優の絵を描いていた日本人の画家が 何故か ロンダに移り住み

そこで 十数年暮らしたらしいのだが、 その詳しい活動歴・画風 この灯篭が意味することなど全てが謎だ   


そのうちひょっこり テレビの ’ なんでも鑑定団 ’ に 彼の絵が出たりすれば その謎が解けるかもしれない

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10.     改めて ロンダの崖を 谷底から仰ぎ見てみよう !


あれだけ多くの観光客も ここまで降りてくる人は少ない 

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11.     途中の崖道に 水路があった   上流の川面のレベルを保ちつつ 水をどこかに運ぼうという

” 水利 ” がなされている。  石橋のアーチの技術も凄いが  こうした水利の知恵をもたらしたのは

ローマ人だろうか、、 アラブ人だろうか、、

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12.     如何にも危うげな断崖絶壁の町 、、 


しかし 何も崩れ去ることなく  悠久の歴史がしっかりと 面影を残しておりました

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