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2013年12月

2013年12月27日 (金)

「 ロンダ 」100mの断崖絶壁 静かな天空の町と思いきや !


スペイン アンダルシア州、 海抜739mの 岩だらけの大地に「 ロンダ Ronda 」がある



断崖絶壁に作られた その町は  

天空に浮かぶ お伽噺の舞台のようでもあり、 同時に 時代の足あとが見られる歴史の町でもありました 







01.    ロンダ山地を流れる 「 グアダレビン川 Rio Guadalevin 」が浸食した 深い谷の両側に出来た町を

この 「 ヌエボ橋 Punte Nuevo 18C、 高さ約100m 」が つないでいる

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02.    「 ロンダ 」は ” アンダルシアの白い村 ” の仲間ではありますが、 今や 大きな街となり

白い壁の家々 その窓辺には なんらかの色と装飾が施されている

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03.    「 ヌエボ橋 」 を中心に、 向こう側が旧市街 手前が新市街 


進行方向右手が南側の絶壁   左側が 北側の絶壁となっています

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04.     南側の絶壁  右手には 日本人の観光客に大人気の パラドール・デ・ロンダ ホテルが 、、

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05.     南側の絶壁からは  「 グアダレビン川 」の深い谷が 、、 

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06.     南側の絶壁  左手には 旧市街の家々が 谷にこぼれんばかりにひしめいて 、、

因みに この中の一つの窓が 私たちの部屋でしたよ ~~ 

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07.    厳かな大自然の佇まいをよそに 街中には 観光客がひしめいていました


日本人を含めた アジアのツアー客ばかりでなく  欧米の個人客も相当来ていましたから

「 ロンダ 」は  やはり ある種 世界的な注目株と言えそうです

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08.     北側の絶壁  「 ヌエボ橋 」 の真下が こんな風景ですからたまりません !

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09.      北側の絶壁   あるホテルのテラス

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10.     北側の絶壁  奥の方に アラブ支配時代の古い石橋や宮殿 さらにオリーブ畑などが見えます

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11.     ディナーのあと 10時近くになると、 一部の繁華街は別として さすがにひっそり ・・

明日も 街中 観光客でごったがえすに違いありません ・・

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12.     さて、ディナーは 宿泊したホテルの ” 絶壁テラスレストラン ” にて



明るいうちから 席を予約しておきましたよ ~   メインディッシュは 仔豚の丸焼き 

セゴビア( マドリードの北 )でのように 丸ごとの姿焼きではなく ある意味ホッとしました ~

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赤い夕空が 刻々と変化して やがて 漆黒に溶け込むまで 眺め尽し、 心のアルバムにしっかり収めました







次回は 風景だけが売りではない 「 ロンダ 」、  歴史地区も 訪ねてみます ~ 

2013年12月20日 (金)

スペインの白い村「セテニル」 洞穴が家となり、大岩が道を塞ぐ村

南スペイン アンダルシア州の内陸部では 夏の気温が45度になることもある


山岳地帯には そのまばゆい太陽の光をはね返す 幾つもの「 白い村 」が点在している








01.     乾いた大地、行けども行けども オーリーブの縞模様の樹列が続いていく ・・

収穫しずらそうな、こんな所まで、と思うような崖の上にも オリーブが植えられている

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02.     ここは 「 セテニル Setenil de las Bodegas 」、  オリーブの岩山に接した

小高い丘に 白い家が段々に積み重なり 一つの集落を形作っている   


アラブ支配時代の塔も 丘の上から 家々を見下ろしている

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03.     本来 観光客が車で入れるような村ではなかったが、 訳あって 途中まで先導してくれた

一台の車の ” お蔭で ” 、 一方通行の村道に入り込み   途中で引き返す訳にもいかず

迷路を踏破せざるを得なくなりました ! 
 



道路は 写真よりもっともっと狭くて 急勾配、 案の定 路地の曲がり角で 一台の車の脇腹にコツン !

” 対物損傷 ” に対しては、 地元民が いいよ、行け、行けと お目こぼしをしてくれて 助かりました ~

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(  洞穴を そのまま住居やガレージとして使っている  )







04.     イスラムに支配されたこの村を キリスト教徒が 7回も奪回を試みたが いずれも

空しく失敗の憂き目を見たという。 セテ(7回の)ニル(無し・ゼロ) 村の名前自体が こんな意味だ



大岩が垂れ込んで 行く手を阻む細い路地  きっと 天然の守備の要だったに違いない



車で迷い込んだことで、 私たちも  難攻不落の砦の実感を ほんの僅かながら体験した訳です ・・

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05.      僅かながら駐車場のある 村の入口側に やっとのことで到着すると

そこには 「 グアダルボルシン川 」が流れていた

この川が、 何万年かかったか知れないが、 岩肌を削り 今や 村人が憩うテラスとその大屋根を作り上げたのです

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06.     ここが 「 セテニル 」のシンボルである テラス   

自然の大岩が屋根となり 一度見たら忘れられない 大変印象的な風景となっている 

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07.     ここは もともと 地元民の大切な井戸端会議の場所だという  

” この村の方ですか ?  ここで生まれたの ? ” と聞くと  ” Si ~~! ” と返ってきました~ 

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08.     自然の洞窟をそのまま利用した バル、  岩肌がむき出しのままの天井


コーラを注文したが オリーブが付いて来ました、  ホットコーヒーは ガラスのコップで出てきました、

アンダルシアの ’ 庶民的なバル ’では だいたいこんな形でしたよ ~

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09.     ところで  1492年 イスラム勢力の支配するグラナダを 陥落させる際

スペインのイザベラ女王が フェルナンド王と共に ここ「 セテニル 」にキャンプを張ったが

その際王子を早産し、 死んだその王子を弔う教会を建てたことで 王子がこの村の守護聖人となったと言う



この事実を 正式に記述している歴史書は 一つもなく   村人の伝承だけが根拠となっているらしい

早産に立ち会った産婆や 身の回りを世話した村人の話は 代々の語り草となったことでしょう ・・  



いずれにせよ 時代の要請だったとしても  妊婦にして戦いの先頭に立ったイザベラは凄い人だ !!

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10.     「 セテニル 」は 本格的に観光地化しておらず、 いわゆる土産物屋は一軒もない

カラフルな飴を売っている店を見つけ チョコレートを買った



日本のテレビ局が 今年「 セテニル 」を撮りに来ませんでしたか と話を向けると   

ええ、来ました 来ましたと  破顔一笑 ! 

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(  ここも 洞窟をそのまま利用した住まいです   )  








11.     アンダルシアの山岳地帯には 白い村が たくさん点在する

観光客が押しかける 「 ミハス 」や 「 カサレス 」ばかりが 白い村ではありません 


表現は悪いが ’ 蛾が卵を産み付けたような ’ 白い塊りが 山々の腹にへばり付いている

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12.     どうしてこんな村が出来たのだろう ・・  昔は生活をどうやって維持したのだろう ・・


お城が中心だったり 修道院が元であったり、 ローマ時代からのものや イスラム支配に起源をもつものや、

それぞれの村に それぞれの誕生秘話があり 歴史があるに違いない

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改めて スペインは、 闘牛とフラメンコ パエリアとガウディ だけの国ではないと 思ったものでした ~

2013年12月13日 (金)

アフリカが見える「 ジブラルタル 」、猿が車に侵入しました! 

イベリア半島の南東端、 地中海と大西洋が交わるあたり ジブラルタル海峡に突き出た小さな半島が

英領 「 ジブラルタル Gibraltar 」  ( 自治政府があって 防衛以外は 完全な自治が行われている )



ジブラルタルは スペインが王位継承の戦争をしている間に イギリス軍に占領され、 

ユトレヒト条約で   1713年に イギリスに統治権が与えられた後 300年間の英国統治が続いている







01.    英領ジブラルタルの大部分は 岩の塊から成り、 通称 「 The Rock 」と呼ばれます

旅人が アンダルシアの山塊を抜けて海へ向かう時、 かなり遠くからでも 印象的なその姿は 一目でそれと分かる

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02.    スペイン側から 国境検問所を通り、  いざ入国すると そこはもうイギリス



ダブルデッカーが走っていて  ’ ポテト アンド チップス ’ の店もある。   1990年代までは 

英本国と同じく 左側通行だったが、 さすがに現在は混乱を避けて スペイン同様 右側通行となっている

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03.     この「 ザ・ロック 」 長さ5km 幅1.5kmの ’ 盲腸みたいな ’ 狭小半島だが



その価値たるやダイヤモンドみたいなもの !     海峡の 軍事上・海上交通上の要衝として 

誰でも喉から手が出るほど欲しいテリトリー 。  当然 イギリス軍は300年間手放さず 駐屯している 

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04.      スペインは 返還を要求し続けているが 今のところ 香港のように返還される見込みはない



ジブラルタルは ヨーロッパという先進国内で 最後に残った植民地 !    しかし 住民投票では 

人々は 圧倒的に 英領のままでいいというのだから スペイン政府にとっては 頭の痛いところ

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05.       経済成長率から見ても 2012年のイギリスが0.2% 失業者であふれるスペインが-1.4%なのに

ジブラルタルは7.8%と 絶好調、  約3万人の住民は 軍事産業、港湾労働、観光 金融などで 豊かに暮らしている




半島の最南端に行き 対岸のアフリカ大陸と対面する ・・   静かなる 感動に包まれました ・・・

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06.      20ユーロ払って 車で「 ザ・ロック 」に登ると  南にアフリカ 西にスペインが見えました



実は、 日帰りで 是非 目の前のモロッコに行ってみかたったが   丁度 英西間で なにかもめごとがあり

出入国審査(日本人は ユーロ国以外の列に並ばなくてはいけないらしい )を 意図的に遅らせる という噂があったり、

船便は 常に時間が正確とは限らず 天候の影響も受けやすいし、  モロッコに着いてから 更にバス移動も必要 など



余程 時間と気持ちに余裕がないと アフリカへの日帰りは とても無理と分かった

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07.      記念碑  ” エリザベス女王 ここに立つ  1954年5月 ”



1981年 チャールズ皇太子とダイアナ妃が この地を新婚旅行に選んだが、 ジブラルタルの返還を求める立場の

スペイン国王フアン・カルロス1世は これに抗議し、結婚式への参列をボイコットした という 



最近も 似たようないきさつで 何かの儀式に 王族が出席するしないという 駆け引きがあったらしい

スペインも 一応 英国支配に抗議する姿勢は見せておかねばならない訳で、 王族は戦術上の駒と言えるでしょうか

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08.     さて、 山の中腹に 猿の一群が 悠々と居おりました 

この ” バーバリーマカク ” と呼ばれる猿たちは 野生ではあるけれど 英陸軍砲兵隊が 古より世話をして来たもので

「 彼らがジブラルタルからいなくなったら 英国もジブラルタルから撤退する 」という伝説がある




そんな有名な猿ならと カメラを向けたら 目が合ってしまった! その瞬間 猿は窓から侵入し 食べ物を物色し始めた  

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09.     襲われないかと ヒヤヒヤしながら ” 降りなさい! ” と必死に叫ぶも 敵はじっくりあたりを捜索

しかし食べ物はない。  諦めて出て行くかと思いきや 右側の窓から退出する寸前 私の赤いバッグをかっさらった !



一瞬の事だったが 夫と猿がバッグを引っ張り合う。 幸い夫が勝った !!  お金とパスポートが入っていたのです・・

谷側へ投げ捨てられてたら   私は その先 随分と 往生したことでしょう ~~~~

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10.    この山には  いくつかの砲台や 第二次戦争時のトンネル 島の東西を貫くトンネル 戦争記念碑 

博物館や教会 等々 歴史を物語る 結構多くの建造物や施設が あちこちに散らばっていますが


猿たちは アラブが支配した時代からいたそうですから  この島では 何と言っても彼らが一番の古株です

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11.     さて ジブラルタルには 失業率が36%にもなる 隣接するアンダルシア地方から 毎日1万人以上の

労働者が働きに来る。  その多くは 徒歩またはオートバイなどでの通勤だ。  夕方 帰宅の列ができる



国境そばの ユーロとポンドのマークがある両替所では ロトくじも扱っている。 労働者のささやかな夢が感じられます

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12.      EUの旗  英国国旗  ジブラルタルの旗 を背に、  英国とスペインの綱引きを知ってか知らずか



一匹のバーバリーマカク  人生 如何に生くるべきや、、  瞑想にふけっておりました ・・・

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次回からは  「 アンダルシアの白い村 」  その幾つかを訪ねます

 

 

2013年12月 6日 (金)

「 南スペイン・マラガ 」 ピカソが生れた町はお洒落な大都会 

画家ピカソが ’ スペインで生まれたスペイン人だ ’ ということは知っていても
 


彼が生れたのは 田舎の村なのか   
地方の町なのか 全くイメージが湧かない ・・



出かけてみたその地は 意外にも、 海に面したお洒落な都会でした!






01.     パブロ・ピカソ Pablo Picasso(1881~1973)が生れたのは  南スペイン アンダルシア地方の


「 マラガ Malaga 」、    地中海に面した港湾都市 マラガは   国際的なリゾート地 コスタ・デル・ソル

( 太陽の海岸 )の 中心地として賑わう商業都市でもあります

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02.    ピカソがマラガで暮らしたのは10歳までですが、  明るい地中海気候の、 大きな船が出入りする 

活気あるマラガが   ピカソの人格形成に 大きな影響を与えたのは 間違いないでしょう



ピカソで有名になるずっと前から マラガには ヒブラルファオ城、アルカサバ要塞、半円形のローマ劇場、マラゲータ闘牛場

そして エル・パロ・ビーチ等々  観光に不可欠の歴史と魅力が 有り余るほど満ちていたのです 

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(    ローマ劇場跡の背後は  ローマの要塞城壁アルカサバ  

闘牛場の背後は 現代のマンション群     )






03.     「 カテドラル Catedral 」  資金不足で 右側の塔が未完成のまま 工事が終了したため

” 片腕の貴婦人 ”と呼ばれているが、 内部には 聖母マリアを主題とした 多くの油絵や彫刻の傑作が 居並んでいる 

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04.     「 ピカソ美術館 Museo Picasso Malaga 」   ピカソの最初の妻オルガ、 

オルガとの間に生まれた息子パウロ、  自殺した親友カサへマス などを描いた作品が展示されている



” 腕白ピカソ ” が 将来 この中から生まれるでしょうか!

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05.     「 ピカソの生家 Casa Natal de Picasso 」   想像とは異なり、 意外と現代的な建物でした!

考えてみれば ピカソが没したのが1973年、 結構最近の人ですから、このような住まいで当たり前ですね ・・ 



昔はこの中の一室に暮らしていたのでしょうが、 今は 建物の大部分が ミュージアムとなっていて

油絵 陶器 写真 衣装 インスタレーションなど、 ビデオ上映も含め 様々なものが展示されています

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06.     生家の前にある 「 メルセー広場 Plaza de la Merced 」   幼少時代 ここで遊んだピカソは

のちに この広場の鳩を懐かしく思い出し 娘に パロマ( 鳩 )という名を付けたということです




何やら 変な?人たちが 通りかかりました。  聞いてみると マラガには ” セグウェー ツアー ” なるものがあり

指導員付き添いのもと 1~2時間かけて  セグウェーで あちこち観光して回るのですって !

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(  樹木は 紫色の花を付ける ジャカランダ  )








07.     さて マラガで  是非寄ってみたいのが 「 バル Bar 」    数ある中でも

「 エル・ピンピ El  Pmpi  」は アンダルシア情緒あふれる 個性的な内装、 美味しい料理とワインで有名です

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08.     グラナダ通りの入口から入り、 お洒落に飾られた各ブースを くねくねと辿っていくと 

古代ローマの要塞跡 アルカサバ側に出てしまう !  

スペインのバールはどこか開放的、 見るだけでも 楽しい散歩となりますよ 
   


ワイン樽に 例の鳩子  ’ ピカソの娘 パロマ ’ のサインがありました !

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09.     さて 通りに出ると 町には 焼き栗やアーモンドの露店が あちこちにありました

肌を露出したシニョーラが なんとも逞しい !

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10.     「 マラガのアーモンド 」  スペインの地中海側、 特にマラガ産アーモンドは有名で

日本にも輸出されている。   アーモンドの花は 日本の桜よりちょっとピンクが濃いが よく似ていて美しい


ゴッホは 青空に映えるアーモンドの花を描いているが  多作のピカソも、きっとアーモンドを描いているでしょう  

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11.     マラガは 海沿いの町、 もちろん 魚貝のメニューも豊富です

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12.     当夜は シーフードレストランにて お食事 

しかし、 スペインの全行程で ” 生ハムをいただく ” という目標を掲げておりましたから

注文はこんな具合となりました ・・

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バルセロナ、マドリード、パリ、南仏と  これまで ピカソゆかりの町々を見てきましたが 

まさか 生誕の地・マラガまで来るとは 我ながら驚きました ・・   





それでも ” ピカソファン ” になり切れないなんて オツですね~ !?

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