「うるわしのハイデルベルク」 何故かロマンチック・・!
ライン川の支流 ネッカー川の岸辺に ハイデルベルク Heidelbergの町が広がる
”ハイデルベルク ” という名前の響きは 何故か とてもロマンチック ~
01. ハイデルベルクには 1386年創設のドイツ最古の大学があり、 文学者や詩人、作曲家など
訪れた多くの才人が この美しい町から インスピレーションを得たという
02. まずは 高台にある 「 ハイデルベルク城 Schloss Heidelberg 」を訪ねます
13Cに プファルツ選帝侯の居城として建設、その後 増築が繰り返されて来たこの城
結局は 数々の歴史的事象に淘汰され、 今日は ほぼ廃墟に近い姿で 残っている
( ディッカートゥルム(太い塔)1533年 付近から 町を見降ろす人々
上の 01.は ここから撮りました~ )
03. さらに 数段高所にある 「 見晴らしのテラス Scheffelterrasse 」からも
大パノラマが開ける
世界のあちこちの観光地には こんな感じの横文字の落書きが あふれていますが
”国辱的だ”と 何度か報道されたお陰か 幸い 日本語の落書きは 最近少ない様な気がします~
( 売店には 日本語が )
04. ここから見る ハイデルベルク城は まるで ” 壁だけが残っている ” かの如し !
右側が 精霊教会 Heiliggeist Kirche、 左側が イエズス教会 Jesuiten Kirche
05. 城は 三十年戦争や プファルツ継承戦争などで 見事に破壊されて来た訳ですが
この深い堀は 昔は鹿などの動物を放し飼いにして楽しみ、 戦争時は水を張って敵の侵入を防いだものだという
この城の地下部分には 木樽としては世界一の 「 ワイン大樽 Grosses Fass 」があり
領内から年貢として取り立てたワインが 22万リットルも入っていたが、 ポンプ仕掛けのお陰で
貴婦人でも ワインを容易に汲み上げられたという
樽の前にいる人形は イタリア出身の 「 小人の道化師ぺルケオ 」 1日18本のワインを飲み
人をからかうのが好きだった彼、 ある日ある人に ワインの代わりに水を勧められたが
一口飲んだ水の 余りのまずさに驚いて 死んでしまったということです !
06. 城の東南の角にある 「 崩れた塔 Gesprengter Turm 」
1693年 フランス軍の凄まじい攻撃があった際 仏工兵隊が仕掛た発破によって 爆破されたもの
当時のまま置かれた 無残な姿が 妙に印象的でしたが、 なんと あのゲーテが
この塔の残骸の有り様が 何とも美しい! と スケッチに描いたことから 話題が話題を呼び、
一度見てみたいという観光客が わざわざ来るようになったということです !
07. 町のメインストリート 「 ハウプトシュトラッセ Haupt St. 」
丘の上には 先ほどの 「 見晴らしのテラス 」が見える
08. 学園都市として有名な この町には 今日でも 多くの優秀な学生が集まっていて
ハイデルベルク大学は 8人のノーベル賞受賞者を 輩出しています
因みに 京都大学ゆかりのノーベル賞受賞者も 8人ですが ・・
09. 町全体が大学構内のようなハイデルベルクでは 例えば酒場も 学生には 治外法権ということで
警察の手が及ばず、 酔って喧嘩をしたり 羽目をはずし過ぎた学生の処分は 古来より大学の手で行われました
そうした 学生を収容したのが 「 学生牢 Studentenkarzer 」 1712~1914年
バンカラをよしとした学生達は 学生牢に入ることを 寧ろ名誉とし、 ウイットとユーモアにあふれた落書きや
哲学めいた文を壁に書き、 当時流行していた シルエットによる自画像も 描き添え、
なんとか 自分の ” 名誉の痕跡 ”を 残そうとしたのです
10. ” 生活芸術家 ” という看板が出てました ~
さらに ” 写真を撮るなら ここに小銭を入れてね ”という張り紙もありましたよ
11. 「 アルテ・ブリュッケ Alte Brucke 」 を渡り 対岸にやって来ると
緑豊かな丘の中腹に 「 哲学者の道 Philosophenweg 」なる小道が 続いていた
ゲーテばかりでなく ヘーゲルや ヤスパース、 マックスウエーバーなど 多くの哲学者もここで暮らし
この道で 思索研究にふけったことから そう言う名前が付いた ということ ・・
12. 対岸から眺めると、 「 ハイデルベルク城 」は なんと
それらしく形が整った 立派なお城に見えるではありませんか !
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ところで どうして「 ハイデルベルク 」という名前には ロマンチックな響きがあるのでしょう・・・
ハイデルベルク大学の学生となった ドイツの架空の小公国、ザクセンーカールスブルグ公国の皇太子、
カール・ハインリヒと、 彼が下宿した ネッカー川のほとりにある 旅亭リューダー館の主人の 姪っ子
ケーティとの悲恋を綴った 戯曲 「 アルトハイデルベルク (マイヤー・フェルスター作)」 が
ベルリンで 初演されたのが 1901年、
日本人外交官と ドイツ人美少女との悲恋を扱った 森鴎外の短編 「 舞姫 」が書かれたのが1890年、
雰囲気は全く違うが いずれも 戦前の 日本の文学青年や 戯曲ファンの心を深く捉えた作品でした
映画の「 ローマの休日 」や 「 王様と私 」もそうですが、 王様や王女の 平民との恋は
とりわけ 多くの人々にアピールする ロマンチックな題材と言えるでしょう
最近も スペインやオランダの王室で そんなロマンスが 実際あったのも記憶に新しい
そういう訳で 「 ハイデルベルク 」と聞いただけで ” ロマンチックな思いが 胸にあふれ出す ” 人々が
今でも 日本に結構多いのは 「 アルトハイデルベルク 」 という作品の影響が
あるからかもしれない ・・・
対岸から見る ハイデルベルク城の表側の姿が 後世の人たちの努力で 美しく整えられたことは
” ロマンチック・ハイデルベルク ” の魅力を守る上で 本当に良いことだったと思う ・・・
しかしながら、 側で見る古城は 実際は 廃墟と化していた !
が、 一見 空しいと感じるはずのその姿は 不思議な魅力に満ちており 力強ささえたたえていたのです
” 古城は 死してなお芸術的であり ロマンチックだった !! ”
一度は このロマンチックなハイデルベルクを訪ねてみても いいかも知れませんね ・・・
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こんばんは
ハイデルベルク、街の名前だけは何度も聞いて知っています。
が、ドイツを3度も訪れながらにこの魅力溢れる街へは一度も足を運んでいません
だからこそ、bellaさんのブログで拝見でき、旅の疑似体験させていただき、とても楽しいです。
崩れたまま残された塔、歴史的遺産なのでしょうね。
しかし、もしゲーテがスケッチに残さなかったら・・・、今日までこの姿が残っていたかどうか・・・?
ドイツってわりと平坦な土地のイメージですが、ハイデルベルクは小高い山があって、
そこからの眺めも素晴らしいからこそ、その名を知らしめているのでしょう。
私も痴呆症の母の世話という『手枷・足枷』がいつか無くなったら、のんびりドイツを訪れてみたいです。ドイツ語もう一度勉強しなければ!
投稿: 慕辺未行 | 2013年5月17日 (金) 23時55分
ドイツというと何故か、若いころ読んだドイツの作家、
ヘルマン・ヘッセの作品を思い出します。
本当に懐かしい感じのする響き、ハイデルベルク です。
山の上からの景色は、絵になりますね。
ここに行けたなら、何枚もスケッチを描いていることでしょう。
早朝から夕暮れまで、きっとさまざまな表情を見せてくれるはずです。
すばらしい風景をありがとうございます。
投稿: たかchan | 2013年5月18日 (土) 22時13分
お早うございます。
ハイデルブルグは最も印象に残っている街です。
近代高層ビルが無く中世を街全体が保存されおとぎの国のように感じました。
世界一大きなワイン樽の前で写真を撮って貰いました。
bellaさんの樽の写真で懐かしく思いました。
リタイアしたらもう一度ドイツと思いながら実現できません。
言葉の壁でしょう。
投稿: Golfun | 2013年5月19日 (日) 09時36分
ドイツにもドイツ語にもあまりご縁の無かった身ですが、ハイデルベルグという名を聞くと、やはり懐かしい響きを感じます。
「学生の街」のイメージが自身の青春時代に重なるのか、「アルトハイデルベルク」の余韻なのでしょうか。
「哲学者の道」がゲーテやヘーゲルらに由来するとは、なるほど京都の「哲学の道」も本歌はここにあったのかと納得です。
投稿: kurakame | 2013年5月19日 (日) 10時46分
素敵な町ハイデンベルグには残念ながら行っていないのに、ドイツで何度も行っている町より小生にもより懐かしさを感じさせる名前ですから不思議です。今回のブログで町の様子を知る事ができ感謝しています。
廃墟のハイデンベルグ城も5枚目の写真のように見る場所によっては立派な城の姿を残しているのですね。太い塔や見晴らしのテラスから見た町の景色が素敵です。
学生牢、そしてそこに入ることを名誉とした学生達、いい時代があったのですね。
生活芸術家とは、お洒落の名前を付けたものですね。やってみたい様です。
投稿: ktemple | 2013年5月20日 (月) 16時11分