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2013年5月

2013年5月25日 (土)

ハイデルベルクから行ってみたい町 キララ、美しいドイツの宝石

ハイデルベルクから 是非足を延ばしたい 二つの町がある

それ程 有名ではないけれど、 行ってみたら オ~~っとため息が出ること請け合いです!


一つは「 ヒルシュホルン Hirschhorn 」、もう一つは「 ヘッペンハイム Heppenheim 」

                            



01.   「 ヒルシュホルン 」は ハイデルベルクの東 19km、 

ネッカー川が激しく湾曲するあたり、  1200年頃 ヒルシュホルン家によって作られた町

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(  丘の上が 「 ヒルシュホルン城 」  )







02.    「 ヒルシュホルン城の塔 」の 急こう配の階段をよじ登り てっぺんまで行くと  

ネッカー川に面した美しい眺望が開ける

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03.     実はこの古城、  今はホテルとなっている



ホテルの25部屋のうち、  特に 新婚さん向きの 

ロマンチックな天蓋ベッド付き  ”ハ二ムーンスイート(174ユーロ ) ”が ここの自慢です

 
新婚旅行に ハワイやニューカレドニアもいいけれど  「 ヒルシュホルン 」はいかがでしょうか!



日本のテレビで取り上げられて以来、 お客の半分以上が日本人ということで

ホームページも 独・英・日本語ですから コンタクトしやすいかもしれません・・

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(  手前が 人気の 「 ヒルシュホルン古城ホテル 」の テラスレストラン )







04.     いわゆる大企業が 財力を以って開発するリゾートホテルとは また一味違う 

ドイツの歴史の重みと地の利を そのまま生かした古城ホテル、 そしてこの景観


  
   

こればかりは 参りました、、、 畏れ入りました、、、 

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05.    町の郊外で 蚤の市

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06.    どんなものが売られているか 見て回るだけでも 楽しいものですね

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07.    さて、 次の 「 ヘッペンハイム 」は 小粒ながら 宝石のように美しく 可愛い町


ハイデルベルクから北へ27km、 ダルムシュタットまで続く 古くからの山岳道路

「 ベルクシュトラーセ Bergstrasse 」の 中間点に位置している

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(  マリアの泉  )









08.    マルクト広場に面した 「 ヘッペンハイム市庁舎 」

木組みの家々で囲まれた この美しい広場、   やはり これぞドイツ !

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09.    ヘッペンハイムは、 408もの 保護文化財に指定された文化記念物が 

オールドタウンに ギュッと集中しているので 見て回りやすい

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10.      ” ライン盆地の東端 ” に位置している 「 ベルクシュトラーセ 」街道

 
 

ライン渓谷に向かって なだらかに傾斜している日当たりのよい地勢のため  日照に恵まれ、 

他の地域にさきがけて 果樹の花が咲くことで有名だとか ・・ 

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11.     ” ライン盆地の西側 ”には ぶどう畑が連なる 有名な「 ワイン街道 」がありますが


ここヘッペンハイムにも 小さいながら葡萄畑があり、   ベルクシュトラーセの恵まれた季候と 

肥沃な土壌によって 『 ヘッペンハイマー・シュロスベルク 』という 極めて品質の高いワインを産出している

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12.      丘の上にあるのが  「 シュタルケンブルク城 」

カール大帝によって割譲されたこの地を守るために 1065年に 築かれた中世の城塞

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ところで、 ヘッペンハイムには、 中世の頃より ユダヤ人が暮らしており、  既に 当時から  

教会による ユダヤ人迫害が行われ、 近代においても ユダヤ人排斥運動が 繰り返されて来たと言う


                           





とりわけ、 何万と言う人々が命を落とした 「 ダッハウ強制収容所 」の外部施設が ヘッペンハイムに作られ、

収容者たちは ガス室へ至る道程の途中駅として そこから ダッハウなどの強制収容所 又は他の殺害施設へと 

送られて行ったそうだ



こんな美しい町にも 第二次大戦の暗い影は及んでいたのです ・・・ 

2013年5月17日 (金)

「うるわしのハイデルベルク」 何故かロマンチック・・!

ライン川の支流 ネッカー川の岸辺に ハイデルベルク Heidelbergの町が広がる

”ハイデルベルク ” という名前の響きは 何故か とてもロマンチック ~




                                                              


01.   ハイデルベルクには 1386年創設のドイツ最古の大学があり、 文学者や詩人、作曲家など

訪れた多くの才人が この美しい町から インスピレーションを得たという

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02.   まずは 高台にある 「 ハイデルベルク城 Schloss Heidelberg 」を訪ねます



13Cに プファルツ選帝侯の居城として建設、その後 増築が繰り返されて来たこの城 

結局は 数々の歴史的事象に淘汰され、  今日は ほぼ廃墟に近い姿で 残っている

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(  ディッカートゥルム(太い塔)1533年 付近から 町を見降ろす人々

上の 01.は  ここから撮りました~     )
 









03.   さらに 数段高所にある 「 見晴らしのテラス Scheffelterrasse 」からも 

大パノラマが開ける




世界のあちこちの観光地には  こんな感じの横文字の落書きが あふれていますが

”国辱的だ”と 何度か報道されたお陰か 幸い 日本語の落書きは 最近少ない様な気がします~

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                             (   売店には 日本語が   )








04.   ここから見る ハイデルベルク城は  まるで ” 壁だけが残っている ” かの如し !

右側が 精霊教会 Heiliggeist Kirche、 左側が イエズス教会 Jesuiten Kirche

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05.   城は 三十年戦争や プファルツ継承戦争などで 見事に破壊されて来た訳ですが 

この深い堀は 昔は鹿などの動物を放し飼いにして楽しみ、 戦争時は水を張って敵の侵入を防いだものだという
 

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この城の地下部分には 木樽としては世界一の 「 ワイン大樽 Grosses Fass 」があり

領内から年貢として取り立てたワインが 22万リットルも入っていたが、  ポンプ仕掛けのお陰で

貴婦人でも ワインを容易に汲み上げられたという



樽の前にいる人形は イタリア出身の 「 小人の道化師ぺルケオ 」   1日18本のワインを飲み 

人をからかうのが好きだった彼、  ある日ある人に ワインの代わりに水を勧められたが 

一口飲んだ水の 余りのまずさに驚いて 死んでしまったということです !

                                                                                                                                                           








06.   城の東南の角にある 「 崩れた塔 Gesprengter Turm 」

1693年 フランス軍の凄まじい攻撃があった際 仏工兵隊が仕掛た発破によって 爆破されたもの





当時のまま置かれた 無残な姿が  妙に印象的でしたが、     なんと あのゲーテが 

この塔の残骸の有り様が 何とも美しい! と スケッチに描いたことから 話題が話題を呼び、

一度見てみたいという観光客が わざわざ来るようになったということです !

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07.    町のメインストリート 「 ハウプトシュトラッセ Haupt St. 」

丘の上には 先ほどの 「 見晴らしのテラス 」が見える

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08.    学園都市として有名な この町には 今日でも 多くの優秀な学生が集まっていて 

ハイデルベルク大学は 8人のノーベル賞受賞者を 輩出しています

因みに  京都大学ゆかりのノーベル賞受賞者も 8人ですが ・・

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09.     町全体が大学構内のようなハイデルベルクでは 例えば酒場も 学生には 治外法権ということで 

警察の手が及ばず、 酔って喧嘩をしたり 羽目をはずし過ぎた学生の処分は 古来より大学の手で行われました

そうした 学生を収容したのが 「 学生牢 Studentenkarzer 」 1712~1914年



バンカラをよしとした学生達は 学生牢に入ることを 寧ろ名誉とし、 ウイットとユーモアにあふれた落書きや

哲学めいた文を壁に書き、 当時流行していた シルエットによる自画像も 描き添え、 

なんとか 自分の ” 名誉の痕跡 ”を 残そうとしたのです

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10.    ” 生活芸術家 ” という看板が出てました ~  

さらに  ” 写真を撮るなら ここに小銭を入れてね ”という張り紙もありましたよ

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11.    「 アルテ・ブリュッケ Alte Brucke 」 を渡り 対岸にやって来ると  

緑豊かな丘の中腹に 「 哲学者の道 Philosophenweg 」なる小道が 続いていた



ゲーテばかりでなく ヘーゲルや ヤスパース、 マックスウエーバーなど 多くの哲学者もここで暮らし 

この道で 思索研究にふけったことから そう言う名前が付いた ということ ・・

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12.    対岸から眺めると、  「 ハイデルベルク城 」は  なんと 

それらしく形が整った 立派なお城に見えるではありませんか !

.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.


ところで どうして「 ハイデルベルク 」という名前には ロマンチックな響きがあるのでしょう・・・

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ハイデルベルク大学の学生となった ドイツの架空の小公国、ザクセンーカールスブルグ公国の皇太子、

カール・ハインリヒと、   彼が下宿した ネッカー川のほとりにある 旅亭リューダー館の主人の 姪っ子

ケーティとの悲恋を綴った 戯曲 「 アルトハイデルベルク (マイヤー・フェルスター作)」  が

ベルリンで 初演されたのが 1901年、 



日本人外交官と ドイツ人美少女との悲恋を扱った 森鴎外の短編 「 舞姫 」が書かれたのが1890年、

雰囲気は全く違うが いずれも 戦前の 日本の文学青年や 戯曲ファンの心を深く捉えた作品でした





                         


映画の「 ローマの休日 」や 「 王様と私 」もそうですが、 王様や王女の 平民との恋は 

とりわけ 多くの人々にアピールする ロマンチックな題材と言えるでしょう



最近も スペインやオランダの王室で そんなロマンスが 実際あったのも記憶に新しい

そういう訳で 「 ハイデルベルク 」と聞いただけで ” ロマンチックな思いが 胸にあふれ出す ” 人々が 

今でも 日本に結構多いのは 「 アルトハイデルベルク 」 という作品の影響が

あるからかもしれない ・・・ 

 

                        

対岸から見る ハイデルベルク城の表側の姿が  後世の人たちの努力で 美しく整えられたことは

” ロマンチック・ハイデルベルク ” の魅力を守る上で 本当に良いことだったと思う ・・・



しかしながら、   側で見る古城は 実際は 廃墟と化していた !     

が、  一見 空しいと感じるはずのその姿は  不思議な魅力に満ちており 力強ささえたたえていたのです
 

”  古城は 死してなお芸術的であり  ロマンチックだった !!  ”




一度は このロマンチックなハイデルベルクを訪ねてみても いいかも知れませんね ・・・

 

2013年5月11日 (土)

bella のアトリエから

目に青葉、 光がまばゆい5月と なりました

私はと言えば

普段は 家に籠って 好きなことに 無駄に時間を費やしているばかり ・・・



今回は、 その駄作で 1回分を 賄わせていただきます~





01.   「 スケルトン 」  真珠をまとい、花を愛でる美人も   骨より出でて骨に帰る

A_skelton









02.   「  ホワイト ・ シクラメン  」

B_white_cyclamen









03.   「 エッグ 」      ある種のダチョウ Autruche の卵に 花や小鳥の絵と共に 

” Esprit de l’art  芸術の精髄 ” と 文字が彫られています




そんな玉子、   出来れば 食べてしまいたいところです

C_egg

 

2013年5月 4日 (土)

「バード・ヴィンプフェン」 粘って≪ 東山魁夷 ≫と同じ写真を撮りました!

「 バード・ヴィンプフェン Bad Wimpfen 」は  ハイデルベルクの南東 約40km、

かつて 神聖ローマ帝国の皇帝の城があった 「 ドイツ古城街道 」の小要塞都市




                                                      



01.    川岸に樹木が生い茂る ネッカー川 Neckar 流域には 数々の城がそびえており、

河川輸送の大動脈である ライン川とつながっている為  この川の交通量は多い

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02.    かつて ヨーロッパ中を支配した 神聖ローマ帝国には 定まった首都がなく 

皇帝は帝国内の幾つかの拠点を移動しながら 領土内を統治していました   その拠点の町を 

「 カイザーシュタット 」と呼び、 皇帝が滞在した城を 「 カイザープファルツ 」と呼びますが

 

その 「 カイザープファルツ 」が ここにあったのですから 一応 凄い町だったと言えるでしょう!

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03.    現在は 観光客が 大挙して押しかける様な 派手な町ではありませんが

そんな 神聖で! 静かな町に惹かれたのが 日本画家 ≪ 東山魁夷 ≫




町の象徴とも言える 「 青の塔 Blauer Turm 」から俯瞰した 切妻屋根の美しい町、 

望遠でやっと捉えた そのほんの小さな一角を 東山は ≪ 静かな町 ≫という 絵にしています

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04.    こちらが、 町の中心の マルクト広場 Markt-platz から見た「 青の塔 」 

この塔には 監視哨があり 20世紀半ばまで 絶えることなく 番人が住んでいたそうです

予約ナシでしたが この広場に面した ホテル・ヴァインマンに 飛び込みで 部屋を取ることが出来ました

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(  塔の手前は 市役所 Rathaus  )









05.    ホテルの部屋の窓から 福音派教会が見えましたが、 鐘の音もよく聞こえました




各時報毎、  さらに15分間隔で 教会の鐘が鳴るのですが、 その鳴らし方が 15分、30分、45分と

それぞれ厳密に異なっていて  さすが 律儀で正確なドイツ人気質だことと、妙に感心しました 

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06.    町の人たち・・   観光客とは 一目で違いがわかりますね ・・

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07.    旧市街の通りには 美しい木組みの家々が並んでいます

バード・ヴィンプフェンは 「 下の町 Wimpfen im Tal 」と 「 上の町 Wimpfen am Berg 」に

分かれていますが、  中世のたたずまいが残っているのが 上の町


特に 下の町の「 塩田 」では 製塩産業が 富をもたらし、

「 塩泉 」は 温泉療法のセラピーにも役立つとして、 1835年には 公衆浴場やホテルが開業、

加えて 当時  鉄道が敷かれたことから、 ますます観光事業が盛んとなったという経緯がある




それで 近世 経済的に発展したバード・ヴィンプフェンでしたが、 上の町、オールドタウンの方は 

幸い戦災も免れ  ” 時が止まったかのような 中世の趣き ”を そっくり残しているのです

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08.   木組みと言っても 日本の木造とは違います ~

ほら、木枠の内側に ぎっしりレンガが 詰め込まれているでしょう ・・・

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09.   下の町にある「 聖ペテロ ・ 聖パウロ司教座教会 」に付属する 中庭回廊 1350年頃 

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10.   1182年に 神聖ローマ皇帝 赤髭王バルバロッサが 築いた「 皇帝城カイザープファルツ 」は

実際は 現在 殆んど崩壊していますが、    ネッカー川の土手に沿って 

当時「 皇帝の間 」があったとされる場所に  アーチの窓付きの壁だけが ひっそりと残っています



たった一面の 赤い壁ではありますが 歴史の重みと寂寥感が感じられました ~

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日本画家 ≪ 東山魁夷 ≫も 彼の絵の左手に この壁を しっかり 描きこんでおりますよ・・ 









11.    ≪ 古都遠望 ≫ 東山魁夷 1971年

東山は 暮色に包まれた美しい中世の古都にすっかり魅せられ、「 中世の景観を損なう何ものも加えられてない

ことに 驚きの目を見張らずにいられなかった 」と述懐しています



作品は ” 東山ブルー ”の淡いフィルターがかけられ 冷静で厳粛な構成の中に 豊かな詩情を漂わせている 

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12.   さて これが ネッカー川越しに見る 実際の風景、 スカッと明るい切れ味です 
    

バードヴィンプフェンは ” ドイツで 最もスカイラインのシルエットが 美しい町 ”とされています




実は この写真、橋の中ほどに 一時停車して車から撮ったもの  後続の車にクラクションを鳴らされました     

焦りましたけど  この景色の余りの素晴らしさに 何としても撮らずにいられなかった !

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それから1年ほど経ったある日、 

東京国立近代美術館の「 東山魁夷展 」で  この絵に ばったり遭遇しました

それまで 東山魁夷が バードヴィンプフェンを描いていたとは 全く知らなかったのです・・・! 





  

折しも 日経新聞では 日本画家の千住博が  ” 詩魂の一点 ” として 

特に  この ≪ 古都遠望 ≫を 紹介していました 




                  
                

あの時、 ≪ 東山魁夷 ≫と同じまなざしで、 ≪ 古都を遠望 ≫する 写真を撮ることが出来て

後続の車に ブーブーッと 煽られながらも 粘った甲斐があったと言うものでした !!

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