「シュヴェービッシュ・ハル」 ドイツの魅力が詰まった町で フランス人のこ洒落た挨拶
シュヴェービッシュ・ハル Schwabisch・Hall は
団体客が押し寄せるような 派手な町ではないけれど ドイツの魅力がギュッと詰まった町
ケルト時代から 塩水鉱泉から塩が生産され、 12世紀 神聖ローマ帝国時代からは
Hallerという帝国通貨が鋳造され、 以来 「塩」と「銀貨」で 栄えて来ました
01. コッヒャー川の谷沿い 急峻な土手に築かれたこの町、 町全体が坂道だらけ・・
マルクト広場 Markplatzでは 「 聖ミヒャエル教会 StMichael 」の大階段が
さらに 上へと伸びている
02. 聖ミヒャエル教会(15C)の 53段もある巨大な正面階段では 夏、古典文学劇が上演される
' 宝塚 ' ではありませんが 役者が登場したら 映えるでしょうね~~
( 写真左は 市庁舎 Rathaus(18C) 右は 珍しく四角い形をした噴水 Marktbrunnen
罪人を縛り付けた 「 晒し台(右端) 」もある )
03. 町には 15~16Cの木骨組みの家が いくつか残っていますが
左側の切妻の家も 町の3分の2が消失したという 1728年の火災を 幸い免れたものの一つ
04. シュヴェービッシュ・ハルは 今でも塩水が湧いており 塩水浴場 Solebad が人気ですが
大学や各種の職業学校も充実していて 学生たちが 結構目立ちます
05. 聖ミヒャエル教会にも ドイツ特有の 木彫りのキリスト磔刑像(1494年)がありました
金と彩色が施されていますが、 左から右へ 三つのキリスト受難の場面を追っていくと
聖母マリアの絶望の姿に 胸打たれるものがあります
06. 地下墓地内の ’カタコンベ ’ ガラスを通して 上から覗けるようになっている
因みに オーストリアの人気観光地「 ハル・シュタット 」にも、塩と関係した単語「 ハル 」が付いており
やはり 塩の生産が行われ、 カタコンベには 同じく ペインティングされた綺麗な骸骨が 並んでいました
古来 同じ文化圏だったということでしょうか ・・
07. さて 美しい木骨組の家々が建ち並ぶ コッヒャー川 Kocher には
このような 屋根付きの歩行者専用の木橋が 幾つか架かり なかなかの趣きです
08. 伝統的な木骨組みの家々ですが 3階あたりまでは 基礎部分が石造りとなっていて
洪水にも耐えられそう ・・ 一番奥の大きな建物は「 ノイバウ Neubau 」と呼ばれる 昔の武器庫
ところで ”木組みの家 ”は 日本人としては心惹かれますが 日本の木造と同じと思ったら 間違い !
お洒落な木枠の内側には 大なり小なり 石やレンガがびっしり詰め込まれていて、
実際は 重量が嵩む武器だって詰め込める仕組み となっている場合もあるのです
09. 石橋の中央にお堂がありました その中には 老婆の人形が2体、
コインを入れると 老婆たちが 人生訓を だみ声で 滔々と語り出す
よい食事の仕方、よいお掃除の仕方、よい人付き合いの方法、よい趣味の楽しみ方 等々
「 よりよい人生の過ごし方 」を かなりのブラックユーモアを交えて語っているらしい
ドイツ人には大受けでしたから !!
10. さて その夜のディナーは 小さなレストラン、 満席だったので ドイツ人夫婦(左側)と
相席となりました 彼らはヒトコトも英語を話さず、 ドイツ語での拙い会話となりましたが、
結婚した年と 子供の数が 私たちと 全く同じことがわかりました~~
ふと気付くと あとからやって来た夫婦と 何やら親しげ・・ てっきり 仲のいい友人かと思いましたが
” いいえェ~~ 今知り合ったばかりよッ ” ですって !
11. 後から来た夫婦は 例の ’ドイツとフランスが獲り合いしたアルザス地方 ’の人で
つまりは ドイツ語もフランス語も ペラペラ、、、 幸運にも 貴重な通訳となってくれました
ついでに このレストランのスペシャリテが 「 鶏のロースト 」だということを 教えてくれたのですが
私たちは 既に別なものを注文してしまい 後の祭り!!
あたりを見回すと ほぼ全員が 鶏肉を食べていました ~~
12. ドイツ人の旦那さんは 唐草模様の看板、手すりやベンチの足部分などを作る鉄細工の職人さん
長男が父親の手伝いを始め 多分跡取りとなることが なんとも嬉しく 誇りであるらしい
翌年 夫婦で アメリカ旅行をすると言っていたが
ドイツは 結構グループツアーが盛んな国、 英語については 心配には及ばないでしょう
フランス人の方は 旦那さんが54歳、 奥さんは53歳で 介護ホームで働いている
常時10人程のお年寄りの面倒を見て いろいろ精神的に疲れてしまったとか・・・
それで 20日間の休暇中だそう ( 見たところ 元気はつらつでしたが ! )
その翌朝 教会に付属する修道院の前で ばったり このフランス人夫婦に 再び会った
建物の説明などをしてくれたあと 別れ際に フランス旦那、 恭しく私の手を取り 手の甲にチュッとした
こんな地方の片隅で そんな こ洒落た挨拶の仕方が とっさに出るなんて
独仏のはざまにある アルザス地方とは言え、 フランス国籍に戻って もう久しい
” やっぱり彼らは 生粋のフランス人だ! ”
・・・ 心の中で 面白がった私でした ・・・