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2013年4月

2013年4月28日 (日)

「シュヴェービッシュ・ハル」 ドイツの魅力が詰まった町で フランス人のこ洒落た挨拶

シュヴェービッシュ・ハル Schwabisch・Hall は 

団体客が押し寄せるような 派手な町ではないけれど ドイツの魅力がギュッと詰まった町

ケルト時代から 塩水鉱泉から塩が生産され、 12世紀 神聖ローマ帝国時代からは 

Hallerという帝国通貨が鋳造され、 以来 「塩」と「銀貨」で 栄えて来ました 

                                                  





01.   コッヒャー川の谷沿い 急峻な土手に築かれたこの町、 町全体が坂道だらけ・・

マルクト広場 Markplatzでは 「 聖ミヒャエル教会 StMichael 」の大階段が

さらに 上へと伸びている

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02.   聖ミヒャエル教会(15C)の 53段もある巨大な正面階段では  夏、古典文学劇が上演される   

' 宝塚 ' ではありませんが 役者が登場したら 映えるでしょうね~~

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(  写真左は 市庁舎 Rathaus(18C)  右は 珍しく四角い形をした噴水 Marktbrunnen

罪人を縛り付けた 「 晒し台(右端) 」もある  )








03.   町には 15~16Cの木骨組みの家が いくつか残っていますが

左側の切妻の家も 町の3分の2が消失したという 1728年の火災を 幸い免れたものの一つ

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04.   シュヴェービッシュ・ハルは 今でも塩水が湧いており 塩水浴場 Solebad が人気ですが

大学や各種の職業学校も充実していて  学生たちが 結構目立ちます

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05.   聖ミヒャエル教会にも ドイツ特有の 木彫りのキリスト磔刑像(1494年)がありました



金と彩色が施されていますが、  左から右へ 三つのキリスト受難の場面を追っていくと

聖母マリアの絶望の姿に 胸打たれるものがあります

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06.   地下墓地内の ’カタコンベ ’  ガラスを通して 上から覗けるようになっている
 



因みに オーストリアの人気観光地「 ハル・シュタット 」にも、塩と関係した単語「 ハル 」が付いており

やはり 塩の生産が行われ、 カタコンベには 同じく ペインティングされた綺麗な骸骨が 並んでいました

古来 同じ文化圏だったということでしょうか  ・・

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07.   さて 美しい木骨組の家々が建ち並ぶ コッヒャー川 Kocher には 

このような 屋根付きの歩行者専用の木橋が 幾つか架かり なかなかの趣きです

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08.   伝統的な木骨組みの家々ですが 3階あたりまでは 基礎部分が石造りとなっていて

洪水にも耐えられそう ・・  一番奥の大きな建物は「 ノイバウ Neubau 」と呼ばれる 昔の武器庫



ところで ”木組みの家 ”は 日本人としては心惹かれますが 日本の木造と同じと思ったら 間違い !  

お洒落な木枠の内側には 大なり小なり 石やレンガがびっしり詰め込まれていて、 

実際は 重量が嵩む武器だって詰め込める仕組み となっている場合もあるのです

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09.   石橋の中央にお堂がありました  その中には 老婆の人形が2体、 

コインを入れると 老婆たちが 人生訓を だみ声で 滔々と語り出す 



よい食事の仕方、よいお掃除の仕方、よい人付き合いの方法、よい趣味の楽しみ方  等々 

「 よりよい人生の過ごし方 」を かなりのブラックユーモアを交えて語っているらしい    

ドイツ人には大受けでしたから !!

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10.   さて その夜のディナーは 小さなレストラン、  満席だったので ドイツ人夫婦(左側)と

相席となりました    彼らはヒトコトも英語を話さず、 ドイツ語での拙い会話となりましたが、

結婚した年と 子供の数が 私たちと 全く同じことがわかりました~~




ふと気付くと あとからやって来た夫婦と 何やら親しげ・・  てっきり 仲のいい友人かと思いましたが

” いいえェ~~ 今知り合ったばかりよッ ” ですって !

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11.    後から来た夫婦は 例の ’ドイツとフランスが獲り合いしたアルザス地方 ’の人で

つまりは ドイツ語もフランス語も ペラペラ、、、 幸運にも 貴重な通訳となってくれました




ついでに このレストランのスペシャリテが 「 鶏のロースト 」だということを 教えてくれたのですが

私たちは 既に別なものを注文してしまい 後の祭り!!

あたりを見回すと ほぼ全員が 鶏肉を食べていました ~~ 

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12.    ドイツ人の旦那さんは 唐草模様の看板、手すりやベンチの足部分などを作る鉄細工の職人さん    

長男が父親の手伝いを始め 多分跡取りとなることが なんとも嬉しく 誇りであるらしい



翌年 夫婦で アメリカ旅行をすると言っていたが  

ドイツは 結構グループツアーが盛んな国、 英語については 心配には及ばないでしょう

                           


フランス人の方は 旦那さんが54歳、  奥さんは53歳で 介護ホームで働いている 

常時10人程のお年寄りの面倒を見て いろいろ精神的に疲れてしまったとか・・・

それで 20日間の休暇中だそう   ( 見たところ 元気はつらつでしたが ! )

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その翌朝  教会に付属する修道院の前で ばったり このフランス人夫婦に 再び会った

建物の説明などをしてくれたあと 別れ際に フランス旦那、 恭しく私の手を取り 手の甲にチュッとした



こんな地方の片隅で そんな こ洒落た挨拶の仕方が とっさに出るなんて   





独仏のはざまにある アルザス地方とは言え、 フランス国籍に戻って もう久しい

”  やっぱり彼らは 生粋のフランス人だ!   ”

・・・ 心の中で 面白がった私でした ・・・
 







2013年4月21日 (日)

ローテンブルク 「市長の一気飲み」と「極貧が残した中世の美」

ローテンブルク (ローテンブルク・オプ・デア・タウバー Rothenburg ob der Tauber)は 

南ドイツを  南北に走る「 ロマンチック街道 」と 東西に走る「 古城街道 」の 交わるあたりに位置し 

曲がりくねるタウバー川 Tauberのほとり、 城壁にぐるりと取り囲まれている

 

                          

01.   ローテンブルクは 17世紀の 三十年戦争までは 自由都市として それなりに栄えていました
 


しかし、ルターの宗教改革によって 新教派と旧教派の対立が生じると、
 

それを契機に ハプスブルク家が掌握する各国にも 内紛が起き、 それぞれの事情や利害に左右された  

まるで 宗教的根拠からはかけ離れた戦いが  ヨーロッパ中に繰り広げられて行ったのです



とりわけ 戦の中心地だったドイツは 都市も農村も荒廃し 経済も大きく疲弊しました

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02.  たまたま プロテスタント側に付いたローテンブルクの 三十年戦争に費やした代償は余りに大きく

戦争後 数百年もの間 貧しいまま 再び立ち直ることができずにおりました



その貧しさ故、 町を 新しく城壁の外に拡大することも、 時代の流行にマッチした新しいタイプの家に

建て替えることもできず、 中世の姿のまま 時代から取り残されてしまったのですが、、、

しかし、なんとその極貧のお陰で こうして今日こんなメルヘンチックな町が そっくり残ったのです!

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( ヘルンガッセ Herrngasse     町の要人たちの 旧屋敷が建ち並んでいます )









03.    ”毎日がクリスマス ”という 専門店「 ケーテ・ヴォールファールト 」の前には

年がら年中 クリスマスプレゼントを屋根に載せた車が止まっている ( 写真右下 )

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04.   「 市長の一気飲み マイスタートルンク Mistertrunk 」



1631年 三十年戦争のさ中、 ローテンブルクを陥落させ、意気上がる 皇帝軍の将軍ティリーは 

勝利の証しとして 町を破壊し、議員全員の首も刎ねようとした!  しかし、なんとか急場を凌ごうと 

ローテンブルクの市長が 土地最高のワインを差し出すと、  そのあまりの美味しさに 将軍の心が和み、

寛容さが彼の胸を満たした・・・! ( アルコールの力は偉大です!! )

                      



将軍は 大ジョッキー(3リットル4分の1)のワインを 一気に飲み干すものあれば 

この町を助けようではないか と提案した・・・  すると  市長ヌッシュが 見事にこの大技に成功し    

町は救われた!!  町を救った老市長は その後三日間眠り続けたものの 八十歳まで長生きしたそうです

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( マルクト広場にある 市議宴会館の壁の仕掛け時計、 時間になると 窓が開き

左に将軍ティリー、右に老市長ヌッシュが現れ ワインを飲み干す場面が再現される 写真右下 

その時の ワインジョッキーの実物は 博物館で見られます  )









05.   毎年5月 ローテンブルクでは その「 マイスタートルンク 」を再現する祭りが行われる

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06.   皇帝軍と 地元軍の行進が行われ、 広場では さまざまな余興に花が咲く・・

「 マイスタートルンクの再現劇 」は 市役所の中で行われ、それを見るには 前売り券を買う必要があります~

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07.     ところで、 17世紀と18世紀は 極貧の中で細々と暮らしていたローテンブルクですが 

19世紀になると この町の ”古臭い”特異な美しさが 逆に目立つようになり、 保存措置が取られ

この頃から この町を観光目的で訪れるという動きが ボチボチ始まったという

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08.    子供たちは 祭りへ参加して ただウキウキすればいい、と言うものでもないようだ

光が眩しく、 時々 髪が引きつれる・・ 

おめかしは 子供たちには我慢の時、  髪を結う母親たちにも 勝負の時! 

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09.    さて、これが 木彫像の傑作を数々生み出したドイツで 最も有名な 

「 リーメンシュナイダー Riemenschneider 」の作品 

聖ヤーコプス教会 St Jakob にある 「 聖血の祭壇 Heilig-Blut-Altar 」


ユダが背中を見せ キリストと対峙している独特な構図・・  余計なものをそぎ落としていく日本の木像に対し

木で ここまで表現出来るのかというような 迫真の人物表現です


因みに 写真右上、小さな二人の天使が支える柱の丸ガラスの中に キリストの血の滴が保存されているらしい

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10.   13世紀から14世紀にかけて築かれた 城壁 Stadtmauer 

塔屋を含め 完全に保存されているので 歩いて町をほぼ一周出来る

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11.   ローテンブルクは 地図で見ると 可愛い”ワイングラスの形 ”をしている



表通りは 綺麗な街並みだが 裏側では 家庭菜園などが作られていて 

有名な観光地でも ちゃんと普通の暮らしをしているのだなあ、と ホッとする

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12.       因みに 上の「 聖ヤーコプス教会の 西祭壇 」は 「 聖血 」を安置するために

わざわざ作られたものだが、 こうした聖人にまつわる「 聖遺物 」は 古来 多くの教会が

やっきになって収集したものでした


                            


とりわけ キリスト自身に関するものが 最高クラスとされ、  キリストが磔にされた十字架の一片

キリストがかぶせられた茨の冠、 手足に打つ付けられた釘、 わき腹を槍で突かれた時流れ出た血 などが

最高に尊いものとされる

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しかし 本当に そんなホンモノが この世にあるのだろうか ・・    こうしたものの真贋は 

なかなか決着が付け難いし  中には 科学的検証で 偽物とされたものもある


そんなこんなで カトリック教会も 現在では 聖遺物などには頼らず、”純粋な信仰 ”を奨励している

「聖書」だけを 信仰の拠り所とした プロテスタントの境地に 少し近づいたと言えるかも知れない


                               


しかし いろいろな聖遺物やら 聖人の骸骨やら キリストの顔が浮き出た布とか マリア像から流れる涙とか

そうしたものを 信仰の拠り所とする人々の心は 人間的でいとおしく、

人間が人間である限り  そうした傾向は 絶対無くならないかも知れませんね ・・・・

2013年4月16日 (火)

ロンドン「キューガーデンズ」 世界一の植物園 冬来たりなば春遠からじ

ロンドン郊外にある 「 王立植物園 キューガーデンズ Royal Botanic Gardens Kew 」

現在では 全世界の 植物園のメッカ、   総本山のような 存在です





                                                



01. 冬 1月 )     植物園の広さは 132ha、  塀や柵で囲まれた 普通の植物園を想像するのでなく

” 林や丘、川を含めた 一つの町、地域 ”と 考えたらいいのではないでしょうか ・・

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( 02. 冬 1月 )       「 テムズ川 」も 植物園の景観の一部

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( 03. 冬 1月 )     ちゃんと整備された領域の他に 220haもの 緩衝地帯があります~

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( 04. 冬 1月 )     ”冬来たりなば春遠からじ ” この雪景色が 春の栄華を約束している ?!

イギリスの詩人 シェリー P・B Shelley の 「西風に寄せる歌」の一節 

人生を言い表す言葉とは言え、 厳しい気候に晒される 英国の詩人ならではの 発想です・・ 

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( 05. 春 4月 )     そもそも植物園は 1759年に 宮殿併設の庭園として 作られたのが発端ですが、

次第に、 世界中の イギリス領植民地から ”ハンティング ”した ありとあらゆる植物を 

本格的に 分類・育成・研究する場となりました

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 (  八重桜  )  








( 06. 春 4月 )     ” プラントハンターたち ”が 世界中から掻き集めたのは  

美しく珍しい植物ばかりでなく むしろ 非常に実用的な素材が主でした     結局は その研究から 

世界の植物の育成地図が塗り替えられるほどの プランテーションが行われ 膨大な実益を上げたのです

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(   春のテムズ川   )








( 07. 春 5月 )     例えば 中国の茶を インドやスリランカで育てることで、 紅茶が大量生産され

やがて英国の庶民までが 「 イングリッシュ・ティー 」を 楽しむ習慣が 生まれた訳です

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 (  つつじ  )







( 08. 春 5月 )        アマゾン川流域産の天然ゴムを マレー半島へ移し栽培

「 ゴム 」は 石炭や鉄と共に 産業革命の主役の一つとなりましたし、 

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( 09. 春 5月 )         ペルーの キナの木を インドで栽培することで 

「 マラリアの特効薬キニーネ 」が作られ 世界中で 多くの命が救われました

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(  日本にも プラントハンターが  やって来たそうです  )








( 10. 春 5月 )      その他、 産業革命で汚れた空気を浄化する「 シダ類 」や 

繊維やロープを作るための 「 木綿や麻 」の栽培も 人々に大きな利益をもたらしました 

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( 11. 春 5月 )        そうした 膨大な もろもろの植物の研究と その資料が 

今日の植物学の 基礎ともなり 宝ともなった訳ですから

王様とか教会とか 一部のものに権力と富が集中することも よい側面があるという事例になるでしょうか・・

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( 12. 春 5月 )        ここは 2003年に ユネスコの世界遺産に登録されましたが 

今、 キューガーデンズの研究員は、英国人に加えて 外国人をまんべんなく採用しているという

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世界中から ハントして来た植物と その研究ノウハウを   各国の研究員たちが 

今度は自国に持ち帰って 役立てる訳です ・・ 


 ” 大英帝国、心ばかりの利益還元 ” と 言えるでしょうか!



                                            
                                       

2013年4月 9日 (火)

「ニュルンベルク」ナチが裁かれた町、おもちゃと木像彫刻、そしてソーセージ

ニュルンベルクは 重要な交易路が交差する町で、15世紀から16世紀にかけて 繁栄の頂点にありました

ちょうど  芸術や科学 そして職人仕事の粋を 見せつける ’ショウウインドウ ’のような町でした




                                                            



01.   ニュルンベルクは  第二次大戦までは ドイツで最も美しい街の一つでしたが

戦争で 変わり果てた姿となってからも、 街のど真ん中を流れる このペグニッツ川 Pegnitz だけは 

川面に緑の影を宿しつつ 美しい中世の面影を留めて来ました~

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( ペグニッツ川を ”またいでいるのが ” 旧市街をぐるりと取り囲む城壁 の一部 ) 









02.   しかしながら、その気高い美しさ故に、 ニュルンベルクは  ヒットラーによって

ゲルマン民族の権威を示す 典型的な舞台装置として、 ナチス党 年一回の全国大会のデモ行進を行う

恰好の場として 選ばれてしまったのです

02(  写真からは ナチ全盛時代の 華々しい様子が うかがえます )








03.   ドイツ民族が世界で最も優れた民族だとする 「 ドイツ至上主義 」を唱えたヒットラーは 



この街を 自らが作り上げようとしていた第三帝国の ”イデオロギー上の首都 ”となし、 

ユダヤ人迫害の大義となった 「 反ユダヤ主義の綱領 」を、 1935年 ここで制定・公布した

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歴史上のそんな喧騒をよそに 今日も 静まり返る ペグニッツ川

木製の ヘンカーシュテーク橋 Henkerstegは ロマンチックで デートコースにピッタリですね! 








04.    戦後、1945年11月 戦勝国による 「 ニュルンベルク裁判 」が始まり 

その国際軍事法廷で ナチスの24人の最高幹部と 秘密警察とナチの親衛隊など 8つの組織が 

’戦争犯罪と平和と人道への罪 ’で告発され 裁かれました




 

ヒットラーが華々しい宣伝活動を行ったこの街で ナチが裁かれたのは 皮肉でもあり 又当然でもあったでしょう

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05.   大戦中、この街の九割が破壊されましたが 時を経て それぞれが忠実に復元されています

13~15世紀にかけて造られた「 聖ローレンツ教会 St.Lorenz Kirche 」もその一つ

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06.   聖ローレンツ教会の 内陣の天井から下がっている 「 受胎告知のレリーフ(天使の挨拶) 」は

彫刻家 ファイト・シュトスの傑作として 有名です

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07.   ニュルンベルクの「 ゲルマン国立博物館 Germanisches Nationalmuseum 」 は

ドイツでも最大の展示面積と 多岐にわたる展示内容を誇っており、  実際 何を見たらよいか迷いますが

せっかくドイツに行ったなら、 このような「 木像彫刻 」を見逃すわけに行かないでしょう




日本では 木の仏像は 別に珍しくもないが、 石の文化の西洋で 木彫にお目にかかると 

意外と 不思議な魅力を感じるものです・・・ 

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08.    この博物館の、 聖母や天使、使徒や聖人などの彫像は かなり技巧的なのですが 

同時に写実的で妙に人間的・・    人物の内面や精神性をも 見事に表現している・・ 




ドイツでは 「 木像彫刻 」を見る(追いかける?)旅が成り立つほど あちこちに傑作が多いのです 

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09.   玩具産業が有名だった ニュルンベルクには 「 おもちゃ博物館 Spielzeugmseum 」もある

3階建てだったでしょうか~  所狭しと 様々なおもちゃが並んでいましたが




 
正直言って、  ” 西洋アンティークのドールハウス ”などは 別として

おもちゃ全般は 日本も全然負けていないなあと、感じたものでした ・・

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10.   「 中央広場 Hauptmarkt 」   まさに ここがニュルンベルクの中心地

正面の 「 フラウエン教会 Frauenkirche 」では 正午になると 仕掛け時計が 動き出し、

皇帝と7人の選帝侯の人形が登場する




ドイツの諸都市での こうした仕掛け時計こそ 根本は ’玩具産業の技の結晶 ’なのかもしれません

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11.    広場には 「 美しの泉 Schner Brunnen 」という ゴシック様式の泉水がある

金ピカの 40人もの人物像で飾られており ニュルンベルクの 最も人気のある観光目玉のひとつです


鉄柵に付いている 金のリングを3周回すうちに 願い事をせよ、 と言われています・・

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12.   さて、ニュルンベルクのソーセージは ドイツで一番美味しいといわれるが

炭火で焼かれた 5cmくらいの 香辛料の利いた小型ソーセージが テーブルにやって来た




付け合わせは ザワークラウト, ポテト団子と肉団子, ホワイトアスパラスープなど

典型的なドイツ料理ばかり ・・       ボーイさんは 4か国語を話します



    

何でも イタリア語は ローマに住んでいたから、 フランス語は 彼女がフランス人だったから 

話せるんですって・・       じゃあ 次の彼女は 日本人にしないと・・・!

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余談ですが、 今日 日本人は ドイツのソーセージだって イタリアの生ハムだって フランスのお菓子だって

イタリアのピッツァだって  現地で修行して あっという間に 本場の技術と味を習得してしまう

だから 最近は 日本で食べるものと 現地のものは 驚くほど違っている訳ではない・・

                                            

しかしながら、スペインの生ハムと フランスのバゲットだけは まだまだ 修行の余地がありそう~

もしかして ” 空気そのもの ”が 美味しさの原因だとしたら どうしようもないですけど・・・ !  

 

2013年4月 2日 (火)

「ニュルンベルク」 デューラーが暮らした街 ”憂鬱だっていいんです!”

ニュルンベルク Nurnberg といえば、 サッカーファンには 清武弘嗣の「 FCニュルンベルク 」

音楽ファンには ワーグナーの 「 ニュルンベルクのマイスタージンガー 」

歴史に詳しい人には ナチ戦犯に対する 「 ニュルンベルク裁判 」、、、


そして、何と言っても 絵画ファンにとっての 「 アルブレヒト・デューラー Albrecht Durer 」が

ニュルンベルクの華と言えるのではないでしょうか

                        






01.   街の北側 小高い岩山に、 15世紀半ばに完成した神聖ローマ皇帝の城

「 カイザーブルク Kaiserburg城 」が 堂々とそびえています


  

その 主塔 ジンヴェルトゥルム Sinwellturmから眺める ニュルンベルクの風景は 値千金!

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02.      主搭の足元、 カイザーブルク 城壁内の様子

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03.   城の一部は 自然の岩肌を取り込んで造られています

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   ( 搭に登る 木製の螺旋階段 ) 








4.   カイザーブルクの両端から伸びる城壁が ニュルンベルクの旧市街ををぐるりと取り囲んでいる



大昔の城壁は たいてい 戦争で破壊されたり 街の発展を妨げるからと 取り壊されたりするものですが

ニュルンベルクの城壁は ドイツで唯一 ほぼ無傷で残っている!

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05.  さて、「 カイザーブルク 」の目の前に、   デューラーが  1509年から 

亡くなる1528年まで 20年近く暮らした「 デューラーハウス Durerhaus 」がある

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( 右側の 赤い木枠模様の家が 築600年の デューラーハウス )








06.    デューラー28歳時の「 自画像 」は ミュンヘンの アルテ・ピナコテークにありますが

13歳・ 22歳・ 26歳時の 魅力的な自画像も含め、 

” 自画像を作品として描いた ” 初めての画家だったと 言われており、



作品には 金細工師の子らしく 金彩による AとDの 独特なサイン(モノグラム)が

印されていますが    ” 絵画にモノグラムを記したのも ” 彼が最初だと 言われています 



 

因みに 自分をキリストになぞらえ 堂々と真正面から描いた この構図も 大変珍しく

彼のただならぬ決意が窺えます

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07.   室内の家具や 制作道具などは 当時のまま、、、 

デュ-ラーがここで生活したかと思うと 心が震えました~!

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08.   ところで、 デューラー(1471~1528)は 

ダ・ヴィンチ(1452~1519)や ラファエロ(1483~1520)と ほぼ同時代人


イタリアに2度旅行して、イタリアルネッサンスから 大いなる刺激を受けたデューラーですが  

同時に ダ・ヴィンチやラファエロからも 尊敬を勝ち得て、 書簡などを交わしていたと言う


また マルチン・ルター(1483~1546)とも ほぼ同時代人

    


ルターの宗教改革に共感したデューラーは  ニュルンベルク市が 新教側に付くことを知り、

「 四人の使徒 」という絵を市に寄贈し、ルター訳の聖書の言葉を絵に添えている

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09.    銅版画 「 メランコリア Melancholia 」


深い瞑想にふける女性の背には 翼が生え、  室内には 釘、鋸、鉋などの大工道具、 梯子や砂時計、

痩せこけた犬と童子、 どの列も足すと34になる魔法陣、炎を上げる炉と 水の風景と きらめく彗星と虹




” 名状しがたい不思議 ”があふれた画面だ・・  世の中には 謎を紐解く多くの論文や本が出ていて

ギリシャ哲学、イタリア・ドイツの自然哲学、それらと芸術の融合を 解説してくれている

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しかし、  難しいことは さて置き、

ただ一つ言えることは 登場した人物も道具も 「 憂鬱質の擬人像 」だということ !


人間は ’知性 ’を持ったその瞬間から ’憂鬱 ’という気質を 同時に背負うことになったに違いない

デューラーの この銅版画は ” 憂鬱は人間の証し ” ” 憂鬱だっていいんです! ”って言ってくれる

ある意味 心強い 一枚の絵と 言えるかも知れません ・・・  

                        


10.    デューラーハウスの窓から カイザーブルクと ティアゲルトナー門広場が見える

窓越しに こんな日常風景を垣間見ながら 彼は 毎日制作に勤しんだのですね~


ところで 「 ティアゲルトナー門 Tiergartnertor 広場 」 には 

奇妙な ” うさぎのブロンズオブジェ ” がある

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11.    このオブジェは  30年ほど前に設置された 現代作家の作品ですが

これは デューラーの水彩画 「 野うさぎ 」1502年を 念頭に 作られている



デューラーのうさぎは 毛一本一本にいたるまで 細密に 卓越した技量で描かれているが 

警戒心と憂鬱さを湛えた その表情は ” 可愛らしいうさぎ ”とは ほど遠い

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ブロンズオブジェの方も、 壊れた木箱に 木っ端と共に押し込められた 大小のうさぎたち 

気味悪く、  
いかにも意味不明!!     ふと気づくと 人間の足がはみ出しているではありませんか~ 

まるで ” うさぎという形をした憂鬱 ”に 人間が押し潰されているかのようだ ・・・


                                               


12.   さて、 今回は  デューラーハウスのすぐ隣のホテルに 宿泊したが

城や城壁につづくこのエリア、

つま先上がりの 極端に急こう配な道に 嫌気が差し 2泊の予定を1泊で切り上げてしまった~

穏やかなステイを望むなら 旧市街の真ん中の広場や ペグニッツ川沿いに 素敵なホテルが多々あるが・・

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そんなホテルではありましたが、   メイドさんが 民族衣装でお出迎え

この時期(6月)、南ドイツのお天気は気まぐれ・・・ 晴れていても 急に雨が降って来る・・・

ガーデンチェアのクッションを 慌てて取り込むメイドの姿は 

まるで 中世の 一幅の絵画のようだった






                          



 

世界遺産の威容ばかりでなく こんな 何気ない一瞬が 瞼に焼付く、、、、、  

旅とはなんと不思議なもの!

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