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2013年3月15日 (金)

ナチスの「ダッハウ強制収容所」 胸が締め付けられます

ミュンヘンの北西19km、 大都市のこんな近くに  戦時下、

「 ダッハウ強制収容所 Konzentrationslager Dachau 」がありました

ナチス政権下の ドイツの強制収容所としては 最初のもので、 後に続いた強制収容所のモデルとなった ・・

                                            



01.   1933年3月に開所されたこの収容所、 まず始めに、60人の反体制の政治犯が送られて来たが

その後 徐々に ドイツ人を含む 様々な国籍のユダヤ人を収容していくことになる                              

今 見物客がバスを待っている広場の先に、 かつての列車の線路跡が 僅かに残っている

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02.   監視搭をいただく この正門をくぐると そこには極限の苦しみが待っていた訳です

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03.   鉄の扉に 象徴的な言葉が、、 「 労働が自由をもたらす ARBEIT MACHT FREI 」



強制労働をこなせば 自由になる日が来るという意味だが、 これはあながち ”単なる建前 ”ではなく

膨大な囚人を抱え 悲劇的な混沌へ向かう前、 当初の形としては 本当に人々を働かせる意図があったのが

アウシュビッツなど 他の収容所と違い  ここの特徴でした

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04.   ダッハウ強制収容所には 収容棟が32、その他 調理棟、火葬場や処刑場  

薬草を栽培する広大な畑などあったが、 いずれにせよ 収容所は 塀や排水溝、七ヶ所の監視塔 

そして高電圧の鉄柵で、 外部から 厳重に遮断されていた




着いたばかりの人々の出迎えでしょうか、、   まだ コートや帽子を着用しています

直後に 丸刈りされたかもしれません ・・

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05.   かつて 管理棟だった建物では  ナチによる強制収容システムの全容が

パネルやビデオなどで紹介されている

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06.   忌まわしい過去を拭い去るため 戦後、収容棟は 全て取り壊されたが 

現在 2棟だけが ディスプレイ用に復元され、 あとは コンクリートの土台だけが残っている・・

質素な木枠のベッドですが 本当に 一マスに3人づつ入っていたのです~!

これ以上、 1棟 定員250人に対し、1600人も詰め込まれていた時期もあったという

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07.    水洗とは ほど遠いこんなトイレを 何万もの人々が使っていたのですから

収容所の環境が劣悪であったことは 想像に難くありません  瞬く間にチフスが蔓延したという 

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08.    非人間的な扱いの例としては、、、

冷たい海に落ちたパイロットを救う実験として 囚人を冷水に漬けたり ( 左側 )

パイロットが 超高度に慣れる実験として 囚人を長時間 低気圧にさらしたり ( 右側 )

甚だ過酷な「 人体実験 」が行われていたが  その囚人たちは 殆どが 死亡したという ・・

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09.    囚人たちへの「 制裁 」は 強制労働や食事抜き、吊し上げなど 色々あったが

中でも 「 ダッハウの鞭打ち 」は有名で、 鞭打たれながら 20,21、、と 囚人は自ら声を上げて

数えなければならず、   怠ると その分の鞭打ちはカウントされなかった




ここで命を奪われた人々は 32,000人にのぼり 遺体焼却釜は フル稼働、 

それでも 塀際や溝、列車の中に 放置された遺体が山のように積み重なった

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10.   戦争も後半になり、連合軍がドイツに迫ると、他の収容所からダッハウに 続々と囚人が移し替えられた

その 列車による 水無し、食料無しの移送は過酷なもので、 囚人たちは 消耗し衰弱し、半死半生となった

例えば 出発時の4,800人中 到着時 わずか800人しか生き残らなかったという

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11.   1945年4月29日、ダッハウ強制収容所は ようやく連合軍により解放される

アメリカ軍は 32,000人の捕虜を 施設内で発見するが その多くがチフスに罹っていたという

また 近くの列車の39車両でも 多くの遺体を発見した



                      




収容所で 囚人を監視する側の 500人ほどのドイツ人のうち 逃げ出した者もいたし 

直前まで 囚人だった人たちに リンチを受けた者もいた

特に  「 ナチス親衛隊35人 」が アメリカ軍の ” 即決裁判 ”で その場で 壁際に立され銃殺された 

これが 世に言う 「 ダッハウの虐殺 Dachau Massacre 」    



ルーマニア、 チャウシェスクの 即決裁判の光景が 重なって思い出される・・

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( 管理棟  むき出しのコンクリートが 何かを訴えてくる・・・  )








12.   現在の ダッハウは、 当然ながら 普通の人が住む普通の町になっている

下段左は マニキュアのお店( ペディキュアも出来ます~)( ネットも15分、たったの6.99ユーロ )

下段右は ダッハウ・セントラル・ホテル      ホテルも必要でしょう・・・


たとえ ” 負の遺産 ”だとしても  世界的に これだけ有名であれば 

ダッハウを訪れる観光客は 絶えることはないでしょうから

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この収容所から生還した ジョゼフ・ロヴァンという人の描写によれば 

「 冷酷で異常な秩序、完璧な殺人組織、人間を卑しめ、非人間化するこの上ない機械装置であった 」

というこの収容所、 

その暗い過去を こうして 粛々と開示することで 人類全体が 同じ過ちを繰り返さない

ある意味 ”いましめ ”となるかも知れない・・・

因みに 現在ここは 「 ダッハウ強制収容所メモリアル 」という意味で、

ドイツ語でのネーミングは次のようになっています 「 KZ-Gedenkstatte Dachau 」

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ミュンヘン ” のん兵衛天国 ”」カテゴリの記事

コメント

画家を志したとも云われる一人の青年の狂気が、集団の狂気へと拡大し、
ひいては民族の、人類の悲劇を引き起こした事実を、忘れることは許されません。
しかしながら、忘れないための復元収容所を正視出来ない心の弱さもあります。
bellaさんの、冷静な記述に身を正す思いがしました。

むごく悲惨な歴史が負の遺産として残っているわけですね。
広島、長崎もそうですが、二度と繰り返してはならないと思います。
しかしながら、今この時でさえ、世界各地で争いが絶えないという事は
どういうことなんだろうか、と考えてしまいます。 
それぞれが正義を掲げて、正義のためにと、闘う。
正義は人の数だけあるのでしょう。

bella さんが この記事を書かれたことに、敬意を表します。

こんばんは (◎´∀`)ノ
ドイツにドイツ人の友人を持ち、ドイツ語を学び、ドイツへ3度も訪れながら、ダッハウという街も、この強制収容所のことも全く知りませんでした。
強制収容所と聞くと、どうしてもアウシュビッツしか思い浮かばないのですが、他にもこのような施設はあったのですね。
ベルリン駅には今では使われていないホームと線路が残されていると聞いたことがあります。そのプラットホームもきっとここに収容された人たちと同じ、そしてその線路はアウシュビッツへと続いているそうです。
このような施設、過去の過ちを2度と起こさないためにも必要であり、そして現代に生きる我々から次の世代へ語り継ぐためにも、必要不可欠な存在だと思います。
しかしこれと似たような現実が、とある一国家では行われているのではないか?と懸念しています。

こんばんは!
ドイツ人にしては触れられたくない暗部でしょうね。
戦時のことと一言では片付けられない過去、こうして直視できるように残す国に敬意を表します。翻って日本の場合はどうだったのでしょうか?
未だ慰安婦の問題がくすぶっていますね。戦後がまだ続いてます。
ドイツ人も日本人も背負わねばならない深い傷ですね~。
のん兵衛天国の心の裏側のような気がします。
minojiにとっては技術のドイツとは別の側面を見せていただいてます。

慰安婦の事を日本人が背負わなければならない深い傷。と言っている人がいますが、とんでもないですね。 いい加減、事実を知ったらどうですか?と言いたい。

さて、このダッハウ収容所ですが、この収容所を開放したのは、実際には日系アメリカ人部隊である第442連隊戦闘団所属の第522野戦砲兵大隊によるものですが、このことは1992年(ジョージ・H・W・ブッシュ政権下)まで公開されませんでした。

しかも、この日系アメリカ人は全員、アメリカ本国で全財産を没収のうえ「日系人強制収容所」に収監されていた人たちですが、アメリカに忠誠を誓うことと引換に、米軍志願を許された人たちです。

嘘・捏造を撒き散らす、どこぞの人たちとは大違いです。

ダッハウ収容所の真実がどうだったかわかりません
ダッハウにはガス室があったとかで、それを根拠に処刑されたドイツ人が多くいました。
それが後日否定されると、ダッハウでのガス室や虐殺の証言は何だったのか。
またダッハウの従業員達も虚偽の証言で処刑されていきました
revisionist.jp/trial/others/petratGustav Petrat _01.htm

今私はこれらを勘案すると、ダッハウとは何だったのか
今でも考えてしまいます

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