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2013年3月

2013年3月27日 (水)

老銀杏、ワタシは1300歳になりました そしてボクたち 5歳だよ 

千葉市の古刹、 「 千葉寺 」 境内

 

春爛漫の さくら色に染まる中、 1300歳を迎えた 老銀杏、 デ~ンとそこに御座します

 

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02.      仁王門   1828年

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04.      「 僧行基 」 が 709年に植えた という 銀杏の樹

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05.     ” 老銀杏、ワタシは1300歳になりました そしてボクたち 5歳だよ ”

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09.   垂れている「 乳柱 」を 煎じて飲むと 母乳の出がよくなる、という言い伝え

今では ” 天然記念物 ”につき、 煎じるなんて モッテノホカ !!

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10.     ここの桜も 結構な お歳、、、  お肌を見ればわかります~

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12.    「 椿 」も 彩りを添えておりました~

子供でもなく、 老人でもなく、 ” 妙齢の美人 ” の趣き でしょか ・・・・・

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2013年3月22日 (金)

ドイツ古城街道「 古都バンベルク 」は 明るく華やかで女性にお勧め

「 古城街道 」は ドイツ西部のマンハイムから ハイデルブルク、ローテンブルク、

ニュルンベルクなどを通って チェコのプラハまで伸びている

今回は その「 古城街道 」で、中世から栄えて来た「 バンベルク Bamberg 」を訪
ねます




                                                        



01.    レグニッツ川 Regnitz の小島が そっくりそのまま建物となっている 

それが この街のシンボル「 旧市庁舎 Altes Rathaus 」 

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02.    隣の中州を囲むように いくつかの小橋がかけられている  

堰を流れ落ちる急流を眺めているだけで 30分は過ごせます・・

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03.   ここは 神聖ローマ帝国 ハインリッヒ二世(1002~1024年)の時代に

宮廷がおかれ 司教都市としても発展した街ですから 歴史の古さは太鼓判でしょう



1237年に完成した 大聖堂 Dom と 

その内陣にある「 バンベルクの騎士像 Bamberger Reiter 」 は芸術的価値が高く必見

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ところで 日本で 「 バンベルク交響楽団 」と言う名を 見聞きする機会はとても多いですね

そこの指揮者の ブロムシュテットさんは 日本のN響の 名誉指揮者でもあり、

’ドイツもの ’を 得意とした時代のN響を 支えて来た一人と言えそうです

( ’フランスもの ’を得意とする デュトワさんが来てから N響の守備範囲も 一層広がりましたが・・ )



                                                   



04.    18世紀に改造された 風変わりな建物、 川の真ん中に建っている あの「 旧市庁舎 」の入り口

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05.    ファサード一面に  雰囲気ある壁画が描かれている

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06.    旧市庁舎の川下側の橋からは レグニッツ川岸に建ち並ぶ 古い漁師町の屋根が明るく輝いて見える


このあたりが 「 小ヴェネチア地区 Klein-Venedig 」 と呼ばれているところ

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07.     ウンテレ橋 Untere Brucke

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08.    小さな橋の上 人々が それぞれ思い思いに過ごしています



’橋の上で輪になって踊ろよ ’ という歌もありますが、  

朝市が開かれたり、 待ち合わせをしたり、 闘いの攻防線となったり、 ヒロインが身を投げたり、、 

西洋の橋は いつの世も 社会の縮図と言えそうですね

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09.    橋の右手に建つ像は ハインリッヒ二世の妻 「 クニグンデ皇后 Kunigunde 」

彼女には 「 クニグンデの神明裁判 」という逸話がある


クニグンデを罠に陥れんとして ” 彼女の貞操は汚れている ”という訴えが なされた時、

彼女は 赤く焼けた’こて’を踏んで 身の潔白を証明したという

                                

時代は違いますが、  バンベルクは ” 魔女狩り ”の中心地のひとつでした

クニグンデのように 難を逃れた人もいましたが、 悲劇的運命から逃れられなかった 人も多く

17世紀初頭の4年間だけで、 300人もの人々が 拷問を受け 薪の上で焼かれたということです

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10.    旧市庁舎から大聖堂にかけての界隈は ウキウキとそぞろ歩く人々でいっぱい

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11.    バンベルクには、 400年もの伝統がある「 クリッペ Krippe 」

(受胎告知や キリスト生誕などにまつわる聖書物語を 人形などで構成した 大小様々な飾り付けや置き物 )が

有名ですが、 そんなもの 高くて手が出ません ! 



地元の焼き物、 黄色とブルーの 小さい花瓶を買いました~

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12.    それから、 旅の思い出に  版画を一枚買いました



D・Toblerという人の絵から 版画を起こしたもので ”婚礼の祝辞 ”というタイトル

お洒落した人々や 楽隊が集う めでたい婚礼の一場面は 

まさに 私の旅に花を添える 素晴らしいお土産となりました~

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ドイツ  「 古城街道 」 つづきます~

2013年3月15日 (金)

ナチスの「ダッハウ強制収容所」 胸が締め付けられます

ミュンヘンの北西19km、 大都市のこんな近くに  戦時下、

「 ダッハウ強制収容所 Konzentrationslager Dachau 」がありました

ナチス政権下の ドイツの強制収容所としては 最初のもので、 後に続いた強制収容所のモデルとなった ・・

                                            



01.   1933年3月に開所されたこの収容所、 まず始めに、60人の反体制の政治犯が送られて来たが

その後 徐々に ドイツ人を含む 様々な国籍のユダヤ人を収容していくことになる                              

今 見物客がバスを待っている広場の先に、 かつての列車の線路跡が 僅かに残っている

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02.   監視搭をいただく この正門をくぐると そこには極限の苦しみが待っていた訳です

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03.   鉄の扉に 象徴的な言葉が、、 「 労働が自由をもたらす ARBEIT MACHT FREI 」



強制労働をこなせば 自由になる日が来るという意味だが、 これはあながち ”単なる建前 ”ではなく

膨大な囚人を抱え 悲劇的な混沌へ向かう前、 当初の形としては 本当に人々を働かせる意図があったのが

アウシュビッツなど 他の収容所と違い  ここの特徴でした

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04.   ダッハウ強制収容所には 収容棟が32、その他 調理棟、火葬場や処刑場  

薬草を栽培する広大な畑などあったが、 いずれにせよ 収容所は 塀や排水溝、七ヶ所の監視塔 

そして高電圧の鉄柵で、 外部から 厳重に遮断されていた




着いたばかりの人々の出迎えでしょうか、、   まだ コートや帽子を着用しています

直後に 丸刈りされたかもしれません ・・

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05.   かつて 管理棟だった建物では  ナチによる強制収容システムの全容が

パネルやビデオなどで紹介されている

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06.   忌まわしい過去を拭い去るため 戦後、収容棟は 全て取り壊されたが 

現在 2棟だけが ディスプレイ用に復元され、 あとは コンクリートの土台だけが残っている・・

質素な木枠のベッドですが 本当に 一マスに3人づつ入っていたのです~!

これ以上、 1棟 定員250人に対し、1600人も詰め込まれていた時期もあったという

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07.    水洗とは ほど遠いこんなトイレを 何万もの人々が使っていたのですから

収容所の環境が劣悪であったことは 想像に難くありません  瞬く間にチフスが蔓延したという 

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08.    非人間的な扱いの例としては、、、

冷たい海に落ちたパイロットを救う実験として 囚人を冷水に漬けたり ( 左側 )

パイロットが 超高度に慣れる実験として 囚人を長時間 低気圧にさらしたり ( 右側 )

甚だ過酷な「 人体実験 」が行われていたが  その囚人たちは 殆どが 死亡したという ・・

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09.    囚人たちへの「 制裁 」は 強制労働や食事抜き、吊し上げなど 色々あったが

中でも 「 ダッハウの鞭打ち 」は有名で、 鞭打たれながら 20,21、、と 囚人は自ら声を上げて

数えなければならず、   怠ると その分の鞭打ちはカウントされなかった




ここで命を奪われた人々は 32,000人にのぼり 遺体焼却釜は フル稼働、 

それでも 塀際や溝、列車の中に 放置された遺体が山のように積み重なった

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10.   戦争も後半になり、連合軍がドイツに迫ると、他の収容所からダッハウに 続々と囚人が移し替えられた

その 列車による 水無し、食料無しの移送は過酷なもので、 囚人たちは 消耗し衰弱し、半死半生となった

例えば 出発時の4,800人中 到着時 わずか800人しか生き残らなかったという

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11.   1945年4月29日、ダッハウ強制収容所は ようやく連合軍により解放される

アメリカ軍は 32,000人の捕虜を 施設内で発見するが その多くがチフスに罹っていたという

また 近くの列車の39車両でも 多くの遺体を発見した



                      




収容所で 囚人を監視する側の 500人ほどのドイツ人のうち 逃げ出した者もいたし 

直前まで 囚人だった人たちに リンチを受けた者もいた

特に  「 ナチス親衛隊35人 」が アメリカ軍の ” 即決裁判 ”で その場で 壁際に立され銃殺された 

これが 世に言う 「 ダッハウの虐殺 Dachau Massacre 」    



ルーマニア、 チャウシェスクの 即決裁判の光景が 重なって思い出される・・

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( 管理棟  むき出しのコンクリートが 何かを訴えてくる・・・  )








12.   現在の ダッハウは、 当然ながら 普通の人が住む普通の町になっている

下段左は マニキュアのお店( ペディキュアも出来ます~)( ネットも15分、たったの6.99ユーロ )

下段右は ダッハウ・セントラル・ホテル      ホテルも必要でしょう・・・


たとえ ” 負の遺産 ”だとしても  世界的に これだけ有名であれば 

ダッハウを訪れる観光客は 絶えることはないでしょうから

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この収容所から生還した ジョゼフ・ロヴァンという人の描写によれば 

「 冷酷で異常な秩序、完璧な殺人組織、人間を卑しめ、非人間化するこの上ない機械装置であった 」

というこの収容所、 

その暗い過去を こうして 粛々と開示することで 人類全体が 同じ過ちを繰り返さない

ある意味 ”いましめ ”となるかも知れない・・・

因みに 現在ここは 「 ダッハウ強制収容所メモリアル 」という意味で、

ドイツ語でのネーミングは次のようになっています 「 KZ-Gedenkstatte Dachau 」

2013年3月 8日 (金)

ドイツにもあった! ”パルテノン神殿” レーゲンスブルクとヴァルハラ

ミュンヘンの北 140kmに ドナウ河畔の古都 「 レーゲンスブルク Regensburg 」がある

                                                        




01.    この古都の歴史は古く 1806年まで 神聖ローマ帝国の議会が置かれており

会議の度、諸侯が集まる ドナウ川の要衝の街として、 

軍事的にも 商業的にも 重要な役割を果していました

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02.    ドイツ最古という 歴史的なソーセージ屋 Historische Wurstkuche の店先

ほんの少し前、 激しい通り雨があったが、 日差しが戻り ベンチが乾くと、 

何事もなかったように 人々の賑わいが戻り、 テーブルに ビールと ソーセージの皿が並ぶ ・・・

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03.    お洒落ダーメ      (  ” 駄目 ”でなく ” ご婦人 ”   ^&^  )

 

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04.    石橋 Steinerne Bruckeを渡り 対岸近くから 返り見た街の姿が とりわけ美しい 

13世紀に建てられた 「 大聖堂 Dom 」の尖塔に抱かれた旧市街は 世界遺産に登録されている

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05.     この石橋、 何故か ベビーカーと子供の往来が激しかったですよ~ 

ドイツは 日本と同様 出生率はかなり低く、フランスのように回復したという話は聞いていないけど・・



たまたま この時の旅行は キリスト教の 何かの祝祭で 10日ほど学校・幼稚園が休みの時期に当たり、

各地で 子供たちの元気な姿に触れることができました

面白かったのは ドイツ人の答えがマチマチで 誰も 正確にその祝祭の名前を答えてくれなかったこと・・!

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06.    橋の上で ・・

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07.    ”  絨毯の クリーニングと修理専門店 ”


何故か テヘランの絨毯と日本人形が 一緒に飾られていました  アンティーク同志 結構 似合うものですね ・・

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(  「 ひな人形 1880年 」  「 お座り人形 1930年 」  )








08.    さて、 レーゲンスブルクから ドナウ川を 東に10km下ると 

まさに 想像外!   壮大な神殿が デ~ンと 小高い丘の上に現れる 



「 アテネのパルテノン神殿 」と見紛う、、  これが 「 ヴァルハラ神殿 Walhalla 1830年~ 」

正面側の柱が8本、側面が17本、  アテネの神殿と 同じ様式 ・ 大きさです

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(   階段は かなりの 急勾配    )








09.   ” ドイツ文化の繁栄に寄与し 称賛に値する偉人たち ” を祀るため

こんな とてつもない建物を作ったのが、  他でもない
 


「 美術館 アルテ・ピナコテーク 」 を作った あの 「 ルートヴィッヒ一世 」

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10.   「 130の胸像 」と「 肖像や外見が不明の人たちの 65枚の銘盤 」が収められている


神聖ローマ帝国の法王たちをはじめ、 べートーヴェン、バッハ、モーツアルト、ワーグナー、シューベルト

ブルックナー、ハイドン、R・シュトラウス、    画家の デュラー、ヤン・ファン・エイク 

その他 ゲーテやビスマルク、 ルターやエラスムス  カントやケプラー  レントゲンやアインシュタイン 等々

有名人が居並ぶ 

女性も12人含まれているようだが、 女帝や女王、巫女や聖女、修道院長といった顔ぶれ・・

2003年には ナチス・ドイツに非暴力で抵抗した女性も 追加されたという

大昔の偉人ばかりでなく、 今なお ” 殿堂入り ”の選定が 続いている点が 面白い!

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一見ドイツ人とは思われない人も入っているが ドイツ語を話すゲルマン系を 広範囲に含めている



興味深いことに、 日本でも 西郷隆盛とか徳川家康など 誰もが知っている特定の肖像があるように

ここでも 西洋史の教科書などに出て来る 日本人にも分かり易い ステレオタイプの肖像が多かった!

                         




11.     さて、「 ルートヴィッヒ一世 」は 宮殿や美術館などを建設し、 芸術を奨励し

ミュンヘンを ヨーロッパのどこにも負けない文化都市に仕上げましたが
 


市内の道路や広場を整備し マイン川とドナウ川の間に水路を作り 鉄道も敷き 工業を奨励し、  

ミュンヘンに 大きな繁栄を もたらしました


 

その都市整備の 中心となったイデアが 徹底した ” ギリシャ古典主義 ”、

ミュンヘンは ” イーザル河畔のアテネ ” とも呼ばれるようになったのです




ところで ルートヴィヒは、概念的に ギリシャに惚れ込んだばかりでなく、 実際にギリシャ独立戦争を支援し

次男オットーを 初代 ギリシャ国王オソン1世として 送り込んだぐらいですから


 

パルテノン神殿そっくりの 「 ヴァルハラ宮殿 」 を建設した時の 彼の満足感は如何ほどだったでしょう !

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12.   神殿の列柱から眺める ドナウ川の風景は 爽やかで雄大・・  一見の価値がある



ドイツ南西部の シュヴァルツヴァルト (黒い森)に 端を発したドナウ川が、  

西欧・東欧の10か国を通って 黒海に注ぐまでを 想像するだけでも楽しい

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(   ドナウの曲がり角が見える 写真の右側が上流   左側が下流   )







因みに、そんな数々の功績を遺した 立派な「 ルートヴィッヒ一世 」ですが  無類の女ったらしで、

数々の愛人のうちの一人、 60歳の時出会った 美貌の踊り子 ローラ・モンテス に耽溺、 

”1848年革命 ”の真っ最中だというのに、 政治を顧みなかったことから 周囲の反発を受け 

王位を退かざるを得なくなったということです

王位と女性を巡るスキャンダルは いつの世にもあったのですね ・・


                          


孫の 「 ルートヴィッヒ二世 」が ワーグナー芸術に没頭し 王位と人生を失ったのも

もしかして 偶然ではなく、  ” 血のなせる業 ” だったかも ・・・

 

2013年3月 1日 (金)

ミュンヘン・ビアホール なにもかもお酒のせいです、だんな様 

ビール文化の中心地 ミュンヘンで 最も有名な ビアレストランが

「 ホフブロイハウス Hofbrauhaus 」

ビールと喧騒に酔った あの一夜、 楽しい思い出です!

                                                       



01.   そもそも バイエルン国王の命で作られた「 宮廷ビール醸造所 Hofbrau 1589年 」が

今日のビアレストランの前身ですから、 1897年に建てられた この建物も なかなか立派!
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02.    中に入ると もう 楽隊が 列をなして客席のあいだを 練り歩いておりました~

空席を探していると、突然 背中を抱かれ 声を掛けられた 「 あなた カザフスタン人でしょ!?  同胞よ~ 」



いいえ、日本人です  「 そんなはずない、 ねえカザフでしょ! 」   いいえ ジャパン、ハポン、ヤーパンよ!

「 ええ~~(悲)」 未練たっぷり、何度も 何度も押し問答の末 やっと 彼女はその場を離れました
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それ以来、 カザフのニュースが気になって仕方ない!!  カザフって どんな人??

そんなこんなで・・ メニューを見て注文にも忙しく、  ” 一組目の相席さん ”とは 口も利かず仕舞い




                 
                






03.   楽隊に チップをやると 指揮棒を渡されて ” 指揮 ” が出来る

もっとも 誰も 指揮者に従っちゃおりませんけど~

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04.   ” 由緒正しき ” ビール娘の姿   ホルスタイン的!? 胸があってこその 民族衣装です  

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05.   ” 二組目の相席さん ” は 香港娘   


アジア系が同席すると お互い 探りを入れたりしてぎこちない  始めは殆ど目を合わせなかった

後から来た方が  一言 ハローとかなんとか 声をかければ 済むことなんだけど・・




アジア系の社交下手は 実際 無礼なこともあるにはあるが、 特に責められる程のことでもない
  

西洋人の挨拶は、  公領や国境を接し、攻防の歴史を 共有してきた人々が  

”敵意は持ってません ”ということを示す ある意味 必要不可欠な’儀式’に過ぎない場合も あるからだ

本心は また別問題 ・・・ 

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06.    まずは ”年の功 ”、  私たちの方から声を掛け いろいろ話すうちに

彼女たちと 怒涛のように親しくなった!

うちの Dannaさん、 彼女らの一人と ホールで何曲も踊っタン!  

テーブルでは リズミカルで明るい楽隊の音楽に合わせ 万歳スタイルで踊ったり 腕を組んで左右に揺れたり・・

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特に楽しいのが、短くて歯切れのいい「 乾杯の歌(Ein Prosit)」、 音楽が休止する度 みんなで乾杯する

酔っ払いが ぶつけ合っても壊れない、、、 ハハ~ン だから グラスがこんなに 頑丈に出来てるノダ

                           



07.   実は 彼女たち ” 看護婦さん ”、  日本語の単語を 少し知っている

’私達 カンゴクです ’と言うので、 ナプキンに書いてあげた  ’そりゃあ大変 牢屋に入っちゃう! ’

アイスクリームを ご馳走して、  紙に ” 美人 ”と書いた 

’あなたこそ ’と 礼儀をわきまえた やりとりでした~  

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08.    さて、彼女たち この後 スイス、フランス、イギリスを回ると言う

香港のOL事情は 結構豊かなのかも知れない


実は最近 私も 香港に旅する機会があったが、 近代的ビル群が林立する 香港のオフィス街での

若い人たちの生活は、  日本のそれと 殆ど違わない、 と 感動すると共に 

ひょっとして もう 追い抜かれているかもと、 妙な焦りすら覚えたものでした・・

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(  左はドイツ人、  真ん中のお髭は イタリア人  )








09.   ” 三組目の相席さん ” は  スコットランド人の親子

久しぶりに合流した 二人の息子たちを両脇に、 ママの首には 小粒ながら 美しい真珠の首飾り、  

今日の日の為に、 息子から プレゼントされたという

話の合間、  いえ、乾杯の合間に  指先が真珠の珠をまさぐる ・・ 

お母さん、その気持ち 痛いほどわかります!!

                        




それにつけても 息子たちの 顔付きが個性的、  スコットランドの源流 ケルト人がそこにいる

左側の寡黙な息子と ちょくちょく目が合う   その都度 陰ある視線に 胸がドキッとした・・・

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10.    ” 四組目の相席さん ” は  地元のドイツ人
 


ビールも飲まず、 食べ物も食べず、 ちょっと コーヒータイム

なんでも有り なんです、  ドイツのビアホール 

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11.   3000人を収容できる ホフブロイハウス、 

1階のフロアには 広間の他に あちこちブースがあり、 中庭は 文字通りビアガーデンになっている 

   


2階は 基本 レストランで、 時々ショーが行われる ( ↓ 写真右上 )
   

日本の大人数のツアーの場合、 ショーの件もあって、始めから 2階に割り当てられる場合もあるらしいが 

出来れば 1階の ” 混沌 ”の中で ビールを飲んではいかがでしょうか~  せっかくの異文化交流ですから!

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12.    さて、 ” 四組目の相席さん ”の一人と うちの Dannaさん、ゲームを始めた

軽妙なポルカに合わせて 手を打ち合うのだ  左、右、両手、膝、膝、両手、 ってな具合・・

手の打ち方が 結構複雑な上、 ビア・グラスで鍛えた ドイツおじさんの馬鹿力が 桁外れに 途方もない!

見ているだけでも 腕力の逞しさが ひしひしと伝わる~

 

                          




数回繰り返して、 不器用な?日本人が やっとコツをつかんだ頃  ご機嫌のドイツおじさん、

回って来たお菓子売り子から ドイツ菓子を買い、 私の首に下げてくれた

 
それと同時に  私をきつく抱きしめたと思ったら くちびるにチュ~ッ   周りは大受け

とっさの出来事で、、  馬鹿力から 逃げようがなかった~~! 

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さて、 夜も更けて ホテルの部屋に帰って シャワーを浴びようとしたところ 

Dannaさんの 手のひらから手首にかけて そして太ももの一面に 内出血が広がっている! 

しばらく その理由が分からず、 血の気は引くし、、、   悪い病気の発病では、と いぶかった・・



                      


事態が呑み込めたのが 翌朝、  

そう ドイツ人の馬鹿力に対抗して 無意識のうちに 己の太ももを 必要以上に叩いたのだ!!

 

しかも 昨夜のことは 酔っぱらっていて 殆ど覚えていないらしい

私がキスされたと知った Dannaさん ・・・    ムッとした!!



                            

なにもかも 全ては お酒のせいです・・・・・   だんな様 !!

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