« カナダ・ケベック・シティ 明日も来たい「 シャンプラン通り 」 | トップページ | ケベック・シティ 大都会の隣に ” 大瀑布とグルメの島 ” »

2013年1月25日 (金)

ケベック・シティ 陸軍22連隊のマスコットは山羊とビーバー 由来はな~に?

世界遺産に登録されている カナダ、ケベック・シティの オールドタウン(歴史地区)のうち 

昔のケベック市民は たいてい 「 ロウワータウン 」と呼ばれる 川沿いに住んでいました


                                             



01.  というのも、 岩肌がゴツゴツした「 アッパータウン 」には 教会や軍隊、行政府などはあったものの、

とうてい 普通の人が住めるような場所ではなかったからです ・・

今はこうして ケーブルカーで 楽チンに 往復できますが~ !

01







02.  その後 富裕な商人たちが ようやく街の活性化に着手、 高級住宅街が出来始めましたが

北米大陸横断鉄道の開通に伴い 建設された(1893年~) この豪華ホテル

フェアモント・ル・シャトー・フロントナック・ホテル Faimont Le Frontenacの出現で

ケべック・シティは ようやく ” この上なく魅力的な 風景画のような街 ” となりました

02








03.  「 アッパータウン 」は 城壁で ぐるりと囲まれており  

東側が セント・ローレンス川の断崖、 西側には 外敵の侵入に備えた3つの門があります

03







04.  「 市庁舎 Hotel de Ville 」と その向いの公園では 

ハロウィンを前に それらしい 楽しい飾りが 彩りを添えておりました

04







05.  「 要塞博物館 Musee du Fort 」

1759年 イギリスとフランスの間で繰り広げられた激戦の模様を ジオラマと音声で 解説してました~

05

( 右上: 英軍と仏軍が戦った広大な敷地、 今は ”戦場公園 ”となっています )









06.  さて、ケベックでの敗戦を機に フランスは カナダを英国に割譲せざるを得なくなりました


行政の高官や軍人は  さっさとフランスに帰ったのですが  

帰るあてもない 貧しい市民や入植者は ただ そこに居続けるしかありませんでした




今でこそ、ケベック・シティは ”フランス系住民が住む お洒落な街 ”などと 評されますが、

当時の入植者は、 母国フランスでは お金に貧したもの、孤児や犯罪者、位の低い兵隊など

いわば ”はぐれもの扱いされた人々 ” が多かったとも言われています

06









07.   さて フランス領を手に入れた英国ですが、 もともと 経済活動や貿易の基盤とするのが目的でしたから

フランス人たちに英語を押し付けたり、 英国流の文化・生活を根付かせるようなことはしませんでしたが



8万人近いフランス人の扱いには 手をこまねき、

不穏な住民運動などが起きないよう、 むしろ フランス語文化を温存する方策に出たのです



プロテスタントの英国ではありましたが カナダ人のカトリック信仰に干渉しないことも 保証しました

07

( 似顔絵描き、カリカチュア Caricatures  風刺画または滑稽漫画という意味 )









08.  しかしながら 確かにフランス人たちは 激しい弾圧は免れたものの、

実際は 体のいい ” ネグレクト ”を 蒙った と言えそうです ・・




フランス系カナダ人は 小学校を出るとすぐ働きに出、 ひたすら社会の底辺に置かれ、、

イギリス系カナダ人より あらゆる分野で、地位も収入も ずっと低いままの時代が続きました

08

( ピアノ、ギター、サッカーなど モデルさんそれぞれの得意分野を 絵の中に描きこんでいますよ~ )








09.  さて、話は 現在のこと・・    ケベック・シティに 駐屯しているのが

「 カナダ陸軍第22連隊 Royal 22m Regiment Canadien Francais」、
 

その駐屯地が カナダ最大の「 星形要塞 シタデル La Citadelle 」です

                      

実は  この連隊には ” 2つのマスコット ” がいる  

一つは 衛兵交代式の時 衛兵と共に登場する 角を金色に染めた < 山羊 bouc >

どうして山羊が 式典に登場するようになったか 由来は定かでないが、 

そもそもは アメリカ独立戦争時、 英軍駐屯部隊に ”山羊の方から ” ふらっと付いて来たらしい 
 

その後 部隊と山羊の付き合いが続き、ヴィクトリア女王に 部隊の山羊が献上されたこともあったという

09

現在の山羊には 名前が付いており、 1955年の初代から数えて 

10代目の ” バティッス君 Batisse ” だということまでわかっている




                       






10.   もう一つのマスコットは 

シタデルの門に掲げられている 連隊エンブレムの < ビーバー castor > 

どうして 連隊の象徴がビーバーなのでしょう・・・?


ここの「 衛兵交代式 」は カナダで唯一 フランス語で執り行われるというのに 

衛兵の恰好は 英国バッキンガム宮殿の衛兵そのものだし、 ここの名誉総司令官も エリザベス女王だ

そのくせ?! エンブレムには 

”Je me souviens 私は忘れない(フランスとフランス語を) ”と掲げている ・・・


いろいろなファクターが 入り混じり、  カナダの内情は 実に 複雑です~ !

10

( トレゾール通り Rue du Tresor  常時 画家たちが自分の絵を売っている )








11.  ここで 歴史を振り返ってみると 

そもそも カナダに侵攻したヨーロッパ人の 関心を引いたものは まずは「 タラ 」でした

今日の英国のファストフード ” ポテト アンド チップス (ポテトと白身魚のフライ) ”は 

この「 タラ 」があってこその 伝統でしょう!




英・ 仏・ ポルトガルなどは カナダの最良の漁場を荒らしまくったあと、 

引き続き 「 木材 」に目をつける。   そして その後が 「 毛皮 」でした


                          

とりわけ ビーバーの毛皮は 理想的な帽子 ”ビーバーハット ”の素材であったため、

”シルクハット ”に取って代わられるまでの間に、 一説に50万頭というビーバーが乱獲され、 

ビーバーは 絶滅の縁へと追いやられました

                          



因みに、 特定の日以外 肉食をしないはずの聖職者が、 尾の形から ”ビーバーを故意に魚類と認定し ” 

食したことも 乱獲の一端となったという話もあります~~ !

11_2

そう言うことで ビーバーにとっては 誠に迷惑で 悲劇的な数百年ではありましたが

ケベックにとっては ビーバーは 直接・間接 莫大な富をもたらした 恩恵の小動物だったのです



 

体は小さくとも、 木を倒し、ダムを築き、森の形を一変させるほどの実力がある「 ビーバー 」を採用した

連隊のエンブレムから 様々なカナダの歴史が読み取れそうです・・・




                       




12.    さて、 最近のカナダ ケベック州の繁栄ぶりは 周知のごとく ですが

” 私は忘れない、 ジュ ム スヴィアン、 Je me souviens ”なんていう カッコいい標語は、

恐らく フレンチカナディアンが 市民権を回復し 教養と地位を獲得するようになったあかつきに、

ようやく 声高に発するようになったものに違いない・・


因みに 自動車のナンバープレートに 番号と共に この言葉が併記され始めたのは 1978年のこと!

12

 

しかも その標語は 今や イギリスに向けて発しているのではなく、

” カナダ国家 ” に対して ” 独立の機運高まる ケベック市民 ”が発しているのだ、という点も 

注目しておかなければならないでしょう・・・ 




                      


上の写真は 手前が アッパータウンで 城壁も見えますね

画面奥が 急激に川幅を広げる セント・ローレンス川のど真ん中に浮かぶ 中の島、

オルレアン島です~

次回は  そのオルレアン島などを 訪れます 

« カナダ・ケベック・シティ 明日も来たい「 シャンプラン通り 」 | トップページ | ケベック・シティ 大都会の隣に ” 大瀑布とグルメの島 ” »

モントリオールとケベックシティ ”私は忘れない”」カテゴリの記事

コメント

美しい北アメリカのパリ(?)、bellaさんのお説を拝読するにつけ、
改めて歴史の複雑さを思わないわけにはいきません。
しかし、見事にイギルスとフランスの文化や歴史を融合したケベックのひとたちの英知に感服です。

アッパータウンにあるホテルには、驚くほど急傾斜の
ケーブルカーを利用するんですね。 また、たいへんなところに
造ったものです。
ビーバーはその毛皮と共に食用として乱獲されたとは初めて聞きました。
ビーバーにとっては災難でしたね。 現在はおそらく保護されているものと
思いますが。 
最後の写真で見ると、緑が多く過去の歴史を感じさせない、
落ち着いた街に見えますね。

その名だけは聞き知ったケベック、まさに虐げられた歴史の町だったんですね。
でも西洋人はやはり大人ですね。テロ等引き起こさず今日の発展をしているのは。
綺麗な町一度訪れて見たいです。
bellaさんのブログ拝見してると、次々旅したくなります。潤沢な老後資金が必要です。(笑)

こんばんは (*゚▽゚)ノ
『地球の歴史は戦争の歴史』、街を城壁で囲んだり、大砲を置いたり・・・。
中世ヨーロッパはとかく『土地の奪い合い』をしていたのですね。
あの可愛らしいビーバーが、そんな悲惨な目に遭っていたとは、知らなかったです。
乱獲され、さらには食用にもされ・・・(;_;)
今は希少な動物として、保護されているのでしょうか?
それにしてもイギリスの策、賢いのかずる賢いのか・・・どちら何だろう (-_-)ウーン...?

bellaさんでなければの素敵な写真と、広範にわたる解説を読ませて頂くと、綺麗な街並みを見せ発展しているケッベク州が、独立したいという気持ちをもっている背景が良くわかりました。
側で見るフロントナック・ホテルのお城の様な立派さには改めてびっくりします。市庁舎周辺のお花も綺麗ですね。二つのマスコットに絡んだ色々のお話も面白く読ませて頂きました。

bellaさんのカナダ紹介がなければカナダについては全く無知でした。
ケベックは綺麗な所ですね。
昔、ケベックが独立する記事を思い出しました。
カナダ横断鉄道に乗って楽しむのも夢になりました。
イギリスやフランスに近い東部の方が綺麗でしょうね。
次回を期待しています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« カナダ・ケベック・シティ 明日も来たい「 シャンプラン通り 」 | トップページ | ケベック・シティ 大都会の隣に ” 大瀑布とグルメの島 ” »

2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

カテゴリー

リンク先

フォト
無料ブログはココログ

最近のトラックバック