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2012年11月12日 (月)

「アッパー・カナダ村」 フェルメールの絵のように穏やかな・・・


セント・ローレンス川の上流域、 コーンウオール Cornwallの西、22kmあたりに

「 アッパー・カナダ村 Upper Canada Village 」 というものがある


それは

1860年代の カナダ、オンタリオ州地域にあった建物と人々の生活を そっくり再現した歴史村、

その村に潜入して タイムスリップ、、 ”150年前の素朴なカナダ人 ”に 出会ってみませんか~

                               






01.  時は1784年、独立戦争で アメリカが 英国から独立を勝ち取ったにも拘わらず、 

なお イギリス人として生きたいと願った多くの避難民が アメリカからカナダに 逃げて来て

このあたりに 自分たちのコロニーを作ったのです

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02.  彼らは 家を建て、農場を作り、学校や病院を設立、

”初期の産業 ”と呼べるものまで起こし、 近代まで 穏やかな英国流の生活を続けて来ました

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(  鍛冶屋   作業の手順や 道具など 当時のままの姿  )







03.  しかし 時が流れ、 やがて 1950年代になると、 

セント・ローレンス川の水運( St.Lawrence Seaway )のキャパシティを上げようと、 

川底を掘り 川幅を広げる工事と 水力発電所の建設が アメリカとカナダの合弁事業で 着手されました

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(  箒作り  )







04.  これにより、流域の8つの村が 水没することとなり、

それら ”失われた村 Lost Villages”と その周辺から 建物が移築保存され 

生活を丸ごと再現したのが 「 アッパー・カナダ村 」なのです

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(  ブリキ職人  )







05.  当時、この新聞社のオーナーは 一人で 何役もこなさねばなりませんでした~



自分の足で取材して 記事を書く、 鉛や木製の活字を1個づつ並べて版木に割付けし、

そして 一枚一枚、手で刷っていく・・・  まさに 八面六臂の活躍です   



しかし、海外のニュースは 他の新聞記事から拝借しなければなりませんでしたし、 

ローカルニュースには しばしば この新聞社のオーナーの私見が 反映されたということです

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06.  ところで、 ”アッパー” とは 五大湖以北を含む セント・ローレンス川の ”上流”という意味で

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カナダの東海岸の地図上では、 下の方にあるのが アッパー・カナダ 

上の方にあるのが ロウワー・カナダ ということになります~   ^&^

(  木工所  )







07.  糸紡ぎ、洋裁、刺繍、キルティングなどの ’実演風景 ’もありましたが、

実演というより、 むしろ 本当にそこに人々が暮らしている 日常の一コマに出会う、という

自然な雰囲気でした ・・・

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(  裁縫学校  )






08.  私たちが訪れたのは 10月初旬で、 村の中は 結構ひっそりとしていましたが

古き佳き時代を懐かしむ カナダ人やアメリカ人が 

40ほどの建物が点在する 60エーカーの この村に、シーズン中は18万人も 訪れるという



とりわけ 学校行事の一環として 子供たちには この上ない体験授業となり

牛の乳搾りも 人気の作業だそうですよ

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09.  ここ カナダ村は、ミシュラン・ガイドで 

” 訪れるべき 北米の歴史的観光スポット ベスト・テン ”に入っているし、

他に並ぶものもない 北アメリカで最も優れた修復事業として「 国際観光賞 」も得ている

日本で 古いものを保存した場合、出来るだけ 人から隔絶して厳粛に保存するか

または 逆に  賑やかな人寄せアトラクションで 派手に人をもてなす場合とがある

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そういう意味では このカナダ村は アトラクションとしては 拍子抜けするほど地味かもしれないが

手に触れることのできる 平凡な日常が そこはかとない香りを漂わせる 

” フェルメールの絵画の境地 ”を 感じさせました ・・・

 

                                    

10.  当時の小学校、   男女は 左右別々の壁際に 座りました

” 七歳にして 席を同じゅうせず ”は 日本だけではなかったのですね~

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11.  ところで、セント・ローレンス川を しゅんせつ・整備したことで、 その後

より大型の貨物船やコンテナ船が 航行できるようになったが

ドイツの「 ライン川 」でも 実は 同じことがありました




                                      





かの有名な ” ローレライの岩 ”の流域で 船の難破事故が多かったのは 

なにも 怪しく妖艶なローレライが 手招きしたからではなく、

あのカーブは もともと 航行の難所だったのです

暗礁を 爆破・しゅんせつした大工事のあとは、 大型船も 無事航行できるようになり、

最早 ローレライの出番はなくなった という訳です

( ローレライの岩から ライン川を見下ろす風景は いずれ「ドイツ編」でお目にかかります~ )

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(  水車小屋  )

12.  ごう音轟く ナイヤガラ瀑布の一滴が オンタリオ湖、 セント・ローレンス川、を経て

こんな穏やかな 水車小屋の裳裾を濡らす・・・  素敵な 水の旅路デスネ ・・・

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広い敷地です  次回も「 アッパー・カナダ・ヴィレッジ 」 を回ります ~~

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コメント

昔ながらの手作業の数々が今も行われているんですね。
観光的な意味もあるとは思いますが、そこで暮らす方々の生活も
守られているという事なんでしょうか。
カナダの歴史は短いですが、そこには祖国イギリスの歴史の
延長として続いているものなんですね。 決して短くは無いという事が
分かります。

Upper Canada Village、時代からいえば、さしづめカナダの明治村なのでしょうか。
犬山の明治村とは、内容は違って、カナダは当時の生活優先のようですが。
写真(見事な)を拝見すると、ボクなどは西部劇の時代を思い浮かべたりします。
Vermeerの時代から2世紀、生活の様式はあまり変わりはなくて、
時の流れはゆるやかであったのだと改めて感じさせていただきました。

今晩は!カナダの東はあくまでヨーロッパの延長と言うか拡張なんですね。
原住民のインディアンは西に追いやられたのかな?
この後西にも廻られるんですよね。
bellaさんの視点でとらえた旅行記楽しませていただいてます。

こんばんは (◎´∀`)ノ
実に興味深いところです ;:゙;`(゚∀゚)`;:゙!
中世から現代までの暮らしぶりそのまま保存された『野外博物館』でしょうか!
ただ単に”展示”だけなら、ドイツのある古城でも見たことがありますが、ここは実際に人がそれらをしているわけですから、スゴイですね。
今後カナダへ行く機会があるか分かりませんが、もし奇跡的に行けたのならここはぜひ訪れてみたいところです。

今日は
地名を聞いているとイギリスにいるようです。
写真を見ると子供の頃の生活を思い出します。
ホウキ造りや生糸などを祖母が紡いでいました。
日本の戦後は諸工業の急変が生活様式を変えています。
特定の家屋を除いては茅葺き屋根、家財道具が全て消えました。
木造家屋は日本と同じようで冬は寒いでしょうね。

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