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2012年11月

2012年11月29日 (木)

とてつもない規模「大王わさび農場」と 泣けるように清らかな川 


わさびの育成には 淀むことのない 低温の清らかな水流が不可欠です


長野県安曇野にある わさび農場は 北アルプスからの ひんやりした 豊かな湧水を利用している




゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。゜。°。°。°。°。°。°。°。






01.  ” 清らか ” という以外  言葉が見つかりません ・・

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02.  ここ 「 大王わさび農場 」は 日本最大の わさび園 

私の想像を 遥かに超える とてつもない規模の わさび田でした



このような 幾筋もの 縦縞模様が 延々と続き 、、、

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03.  ”中の島 ” を越えて行くと、 また 次から次へ 別な 縦縞わさび田が 現れます!

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04.  わさび田に引かれる湧水は 一日12万トン、 水温は常に12度、



この水路を 長靴を履いた職員が行き来しながら 作業を行うが

水温も一定であるし、 わさびは 年間を通して 収穫できるそうだ 

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( まるで 川の流れそのものを イメージさせる わさび田の連なり )




05.  そばで見ると 結構な流水量です !

わさびは 直射日光に弱いので、4~9月は 黒い寒冷紗で覆われる

この日は 10月末、 布は黒い棒状に巻き取ってあり、 わさびが見えてラッキーでした!

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06.  ところで、 「大王」とは 敷地内にある 「大王神社」に 由来し、

伝承によれば この洞穴の奥に その八面大王の胴体部分が 埋葬されていると言うことです



1917年 小規模なわさび田の開墾から 今日を築いた 創業者の家族の銅像もありました 
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07. わさび田の 東側には 「犀川」が、 西側には この「蓼川」が 流れている


蓼川には 水車小屋が3つ、  さらに  川下にはいくつもの道祖神が並び、

この上ない情緒を 醸し出している ・・・

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08.  素人カメラマンでも 泣けてくるような美しいシチュエーションですが、


NHKの朝ドラも、 また有名な黒沢明監督も 映画 「夢」で、 この場所を使ったそうですよ

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09.  「 ゆく川の流れは絶えずして、しかも 元の水に非ず 」 

方丈記の 鴨長明さんは、 

人生にも似た もっと 濁った流れを思い描いたとは思いますが ・・・

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10.  安曇野北部、 青き山々に対峙する斜面では  収穫の済んだ ワイン用のぶどう畑が 

なお 赤き葉を輝かせておりました

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11.  ドイツや フランスのぶどう畑とは  面積で 比べものにならないが、

この日差しと乾燥具合からすれば、 きっと美味しい日本製ワインが出来ることでしょう !

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12.  お土産コーナーでは  数々の試食品が 惜しげもなく振る舞われていました

お菓子から 漬物や佃煮まで、 端から端までトライしたことは言うまでもありません   ^&^

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山々が雪の帽子をかぶる頃は また一際魅力的だと、 

安曇野を得意とする 画家さんもおっしゃっていました

 

またその頃、別な顔の安曇野に 再び出会ってみたいものです!

2012年11月23日 (金)

安曇野 NHK朝ドラ「おひさま」と 男神女神の「道祖神」

長野県の「 安曇野 」、 あずみの という地名の響きは とてもロマンチック、

一度 訪ねてみたいと思っていました 

特に 昨年の NHK・朝ドラ 「 おひさま 」のロケ地だった 安曇野を 

この目で 確かめておかないことには・・・!



                 
                

01.  美ヶ原高原に向かう 10月の 山道は

赤い紅葉でなく、 落葉松 (からまつ) の黄金色が 一層渋い 大人の秋色 ~

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02.  高原道路は ひたすら から松の落ち葉で覆われる  ゜・。。・゜゜・。。・゜  





この枯葉の布団は 動・植物の冬支度にとって なんらかの意味があるに違いないけど、

油分の多いから松、  山火事に注意しないといけないとか ・・・

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03.  安曇野の高台 室山から、 早朝  美ヶ原高原や 鉢伏山などを 望む

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04.  朝靄に煙る 松本市の一角

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05.  烏川渓谷の吊り橋から 「 蝶が岳 」に 目をやると うっすらと雪化粧

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06.  安曇野でも北西地区は リンゴなど果樹農家が多く 特に ”枝垂れりんご ”が見事!

収穫に便利なように 下向きの枝振りを 長年かけて作ったのでしょう

老齢の木肌に 農家の方の努力と執念が にじんで見えました・・ 

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07.  さて、ここが ” おひさまのロケ地 ”

探し当てるのに 少し時間がかかりましたが、、、



美しいけど 何の変哲もない山あいの里に、 観光バスが何台も停まれる大きな駐車場が出来ていて

そこから、 観光客用に 木くずチップを敷いて作った細道を しばらく歩くのです ~

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08.  ロケ地のそばにある 「 江戸時代の庄屋 山口家 」、 ここも ドラマに登場

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                                                ( 山口家 )



因みに 安曇野、松本あたりには ”道祖神 ”が 800体近くもあるという

いずれも 男女対の「双対道祖神」で 五穀豊穣・無病息災・子孫繁栄を祈願するものらしい


朝ドラでは 何組かの夫婦の人生が描かれていた  

男神・女神が 手を握ったり、  時には生殖を暗示する 同祖のデザインは

夫婦相和す ドラマのテーマにピッタリだったのかも知れない
   



見ていた頃は   ついぞ気が付きませんでした・・!

 

                    

09.  次は 東光寺の 「 吉祥仁王さまの下駄 」

心を込めて この下駄を履くと 願いが成就するとか ・・

小から大へ 履き替えるのですが、 大きいものは 偉そうに、かなり脚を開かないと届きません 

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10.  落ち葉と 秋の空

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11.  柿 と コスモス

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12.  ここは 「 安曇野わさび田 湧水群 」  

清らかな水が湧き出る池が たくさん点在している 

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知りませんでした ・・  

心底 清らかというのは、 寧ろ ”うっすら影を帯びた 蒼い透明 ”なんですね ~~ 

                                     

次回も 安曇野、   驚くほど大規模な わさび田農園を訪れます

2012年11月16日 (金)

「アッパー・カナダ・ヴィレッジ」  植民地に逆襲されたイギリスは・・

1783年、 独立戦争を経て  英国から アメリカの独立が叶ったのに、 

英国人であり続けたいと望んだ「 王党派・ロイヤリスト 」が 

アメリカからカナダに 集団で移住した後の生活を再現したのが ここ アッパー・カナダ・ヴィレッジ

                                                             

さて、 北米大陸は そもそも ” 西欧諸国の植民地として ”

西洋史に 本格的に登場してきました

                                                     




01.  例えば 英国のピューリタンたちが  かの有名な ”メイフラワー号 ”で 

マサチューセッツに やって来たのが 1620年、 しかし 実は その十数年前から

フランスとイギリスによる アメリカの植民地化の熾烈な争いが 始まっていました

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(  セント・ローレンス川から 運河が引かれている  )







02.  まず 先陣を切ったのが(1534年) フランス 

英国に支配権を奪われるまでの100年余、 ミシシッピ川を軸とした ” ニュー・フランス ” は

フランス国王 直轄の植民地として  南部のフロリダ半島まで達し、

  
  

ニューオーリンズに生まれた ”デキシーランド・ジャズ ”も

フランスのリズム ” カドリーユやラグタイム ” をルーツとして 生まれたものなのです

                                                     



一方イギリスは、 フランスに70年ほど遅れたが

東海岸の ニューハンプシャーからジョージアにかけて 13州の植民地を持つに至り、

イギリス流の緩やかな統治の元 貿易を軸とした植民地は それなりに活況を呈していました

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(  赤が イギリス統治の13植民地  ピンクが フランス領  黄色が スペイン領  )

(  植物染料で染めた 羊毛を紡ぐ娘   )






03.  しかし、1763年  英仏7年戦争で 敗北したフランスは 

北米の仏領植民地を イギリスに 泣く泣く割譲することになる




それから250年、 一たん カナダを手に入れたイギリスは 今も完全には手放していない

イギリス連邦に加盟する独立国家として エリザベス女王が カナダに ”君臨”しており、
 

まさに カナダは ”アメリカ的な国 ”ではなく ” イギリス的な国 ”である 証しです 

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04.  さて、 アメリカ13州が独立した後、 

なお イギリス側に立っていた「 王党派 Loyalist 」の人々は

13植民地の人口の 3分の1、 125万人に達していました

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(  かぼちゃを 賽の目に切って、 干しカボチャ  )







05.  彼らは 嫌がらせやリンチを受け、 さらには 家を略奪され 財産を没収され、

命からがら、 あるものはイギリスへ戻り、あるものは国外に逃げたのです



特に、土地の無償供与が約束された カナダへは 約8万人が渡ったとされます

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06.   王党派を中心とした 前代未聞の大規模な人口移動により、
 


原住民は別として もともと無人に近かった カナダの土地が、  ほとんど一夜にして 

” 白人が住む オンタリオ州 となった ” という訳 ・・・

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( 有力者の家は 小作農と比べると 豪華な作りでした~







07.  五大湖以北の 「 アッパー・カナダ 」 の町々には  ロンドン、 パース

ケンブリッジ、 リッチモンド、 ストラトフォード、 ヨーク(現トロント) 等々、

直接 イギリスを想起させる 名前が ずらりと並んでいます ~ 

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(  村では  牛ばかりでなく、 豚くんたちも飼育されておりましたよ  )







08.  さて、 ここ カナダ村の広い園内は 馬車で移動・見物することが出来る

当然、馬たちの ”落し物 ”も !   ご愛嬌ですね ・・


電信・電報などをキャッチする電波塔は 
当時から 新聞記事のネタともなる 貴重な情報獲得手段でした

奥の白い教会は クライスト・チャーチ

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09.  ところで、 現在の強大なアメリカが 東海岸の わずか13州から出発したとは 正直 驚きですが、 

 

その後、アメリカは  フランス領、スペイン領、メキシコ領を 次々 手に入れ、
 

ついには ゴールドラッシュに沸いた 西海岸のカルフォルニアに 触手を伸ばし、

約70年で 今日の 大きなアメリカの姿に 近づいていきました




しかし 独立して強くなると 今度は 支配者だったイギリスと アッパー・カナダを舞台に 

何度か闘いましたし、 国内でも 南北戦争という試練を くぐり抜けることになります

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(  ダンス  )  






10.    自分の植民地だったアメリカに 逆襲され、苦しめられることになったイギリスは

自戒も込めて、  その後、アイルランドを含む 英国本国からの移民を奨励し、

カナダを 一層 イギリス色の強い植民地とすることに努めました




もともとイギリスの植民地政策は  そこを ” 治める ” ことではなく、

そこから 本国にとっての生活必需品や 貿易資源を ” かっさらう ” ことでしたから

現地を 本質的に イギリス化する必要はなかったのです



                       



余談ですが、大英帝国が世界中に植民地を持てた一因は 兵隊さんたちが 粗食に慣れていたから、

という説もあります    ましてや 現地にイギリス文化を持ち込もうなどという

アイディアは無かったかもしれません

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(  パン屋さん、靴屋さん、紡績・フェルト布工場 染めの原料・べにばな  )







11.   しかしながら カナダについては、別でした

かつての アメリカ13植民地のように 急激な民主化が起きないよう 
 



階級制度を設け、 地位や特権に対して 忠誠心を煽り、

” 些細なことから重要なことまで、 英国流の習慣や流儀、原則を教え込むため ”

あらゆる配慮が払われたと言うことです




こうして アッパーカナダは  保守的傾向が強いまま 今日に至っていますが

大都市となると その辺は どうなのでしょうか ・・・ 

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12   大都市と田舎では きっと大きく異なるに違いありません !

それから カナダで 忘れてならないのが フランス系住民 !


100年以上も フランス人として生活して来たのに、 ある日から イギリスの支配を受け・・・

それでも どっこい、フランス語とフランスの精神を忘れなかった フレンチ・カナディアン、、、



そんな 街と人とを 訪ねてみたいものです

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(  ダンスがスンダ あと、  薔薇の垣根越しに 彼らは 散っていきました ~ )


♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪

次回は 仏語圏 、モントリオールへ向かいます

 

2012年11月12日 (月)

「アッパー・カナダ村」 フェルメールの絵のように穏やかな・・・


セント・ローレンス川の上流域、 コーンウオール Cornwallの西、22kmあたりに

「 アッパー・カナダ村 Upper Canada Village 」 というものがある


それは

1860年代の カナダ、オンタリオ州地域にあった建物と人々の生活を そっくり再現した歴史村、

その村に潜入して タイムスリップ、、 ”150年前の素朴なカナダ人 ”に 出会ってみませんか~

                               






01.  時は1784年、独立戦争で アメリカが 英国から独立を勝ち取ったにも拘わらず、 

なお イギリス人として生きたいと願った多くの避難民が アメリカからカナダに 逃げて来て

このあたりに 自分たちのコロニーを作ったのです

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02.  彼らは 家を建て、農場を作り、学校や病院を設立、

”初期の産業 ”と呼べるものまで起こし、 近代まで 穏やかな英国流の生活を続けて来ました

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(  鍛冶屋   作業の手順や 道具など 当時のままの姿  )







03.  しかし 時が流れ、 やがて 1950年代になると、 

セント・ローレンス川の水運( St.Lawrence Seaway )のキャパシティを上げようと、 

川底を掘り 川幅を広げる工事と 水力発電所の建設が アメリカとカナダの合弁事業で 着手されました

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(  箒作り  )







04.  これにより、流域の8つの村が 水没することとなり、

それら ”失われた村 Lost Villages”と その周辺から 建物が移築保存され 

生活を丸ごと再現したのが 「 アッパー・カナダ村 」なのです

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(  ブリキ職人  )







05.  当時、この新聞社のオーナーは 一人で 何役もこなさねばなりませんでした~



自分の足で取材して 記事を書く、 鉛や木製の活字を1個づつ並べて版木に割付けし、

そして 一枚一枚、手で刷っていく・・・  まさに 八面六臂の活躍です   



しかし、海外のニュースは 他の新聞記事から拝借しなければなりませんでしたし、 

ローカルニュースには しばしば この新聞社のオーナーの私見が 反映されたということです

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06.  ところで、 ”アッパー” とは 五大湖以北を含む セント・ローレンス川の ”上流”という意味で

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カナダの東海岸の地図上では、 下の方にあるのが アッパー・カナダ 

上の方にあるのが ロウワー・カナダ ということになります~   ^&^

(  木工所  )







07.  糸紡ぎ、洋裁、刺繍、キルティングなどの ’実演風景 ’もありましたが、

実演というより、 むしろ 本当にそこに人々が暮らしている 日常の一コマに出会う、という

自然な雰囲気でした ・・・

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(  裁縫学校  )






08.  私たちが訪れたのは 10月初旬で、 村の中は 結構ひっそりとしていましたが

古き佳き時代を懐かしむ カナダ人やアメリカ人が 

40ほどの建物が点在する 60エーカーの この村に、シーズン中は18万人も 訪れるという



とりわけ 学校行事の一環として 子供たちには この上ない体験授業となり

牛の乳搾りも 人気の作業だそうですよ

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09.  ここ カナダ村は、ミシュラン・ガイドで 

” 訪れるべき 北米の歴史的観光スポット ベスト・テン ”に入っているし、

他に並ぶものもない 北アメリカで最も優れた修復事業として「 国際観光賞 」も得ている

日本で 古いものを保存した場合、出来るだけ 人から隔絶して厳粛に保存するか

または 逆に  賑やかな人寄せアトラクションで 派手に人をもてなす場合とがある

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そういう意味では このカナダ村は アトラクションとしては 拍子抜けするほど地味かもしれないが

手に触れることのできる 平凡な日常が そこはかとない香りを漂わせる 

” フェルメールの絵画の境地 ”を 感じさせました ・・・

 

                                    

10.  当時の小学校、   男女は 左右別々の壁際に 座りました

” 七歳にして 席を同じゅうせず ”は 日本だけではなかったのですね~

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11.  ところで、セント・ローレンス川を しゅんせつ・整備したことで、 その後

より大型の貨物船やコンテナ船が 航行できるようになったが

ドイツの「 ライン川 」でも 実は 同じことがありました




                                      





かの有名な ” ローレライの岩 ”の流域で 船の難破事故が多かったのは 

なにも 怪しく妖艶なローレライが 手招きしたからではなく、

あのカーブは もともと 航行の難所だったのです

暗礁を 爆破・しゅんせつした大工事のあとは、 大型船も 無事航行できるようになり、

最早 ローレライの出番はなくなった という訳です

( ローレライの岩から ライン川を見下ろす風景は いずれ「ドイツ編」でお目にかかります~ )

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(  水車小屋  )

12.  ごう音轟く ナイヤガラ瀑布の一滴が オンタリオ湖、 セント・ローレンス川、を経て

こんな穏やかな 水車小屋の裳裾を濡らす・・・  素敵な 水の旅路デスネ ・・・

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広い敷地です  次回も「 アッパー・カナダ・ヴィレッジ 」 を回ります ~~

2012年11月 6日 (火)

カナダ リドー運河とサウザンド・アイランズ ”水の風景画”


カナダの首都 オタワから  リドー運河沿いに南下すると

ナイヤガラ瀑布が流れ込む オンタリオ湖 Lake Ontarioに ぶつかる




この 全長200キロ余の 世界遺産「 リドー歴史街道 Rideau Heritage Route 」は

運河と言えど その大部分が  自然の湖や川を利用して 水路がつながっている



川と滝、水門や跳ね橋、森と大小の湖水、 そこかしこが 美しい水の風景画でした


                      




01. そろそろ 夕方の6時過ぎ、  ホテルを見つけなくては・・・

この日は リドー運河のほぼ中間点にある スミス・フォールズ Smiths Falls 泊 

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02.  がんばって早起きすると 朝日が眩しい !  川面に靄がかかる

朝になって 初めて気が付いたが  ホテルの目の前の散策路は 

3つあるこの町の水門のうち 最も大きな コンバインド水門 Combined Lockに面していた

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03.  水門の向こう側で 待機している船の水面、 相当高いですね~

水門から解き放たれた 小舟、 なんだか 小躍りして進んで行く! っていう感じ・・

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ところで ここスミス・フォールズは「 王党派 Loyalist 」の人々が移住し 発展させた町



したがって、 イギリス風の暮らし方が垣間見えたとしても 不思議ではありません

                                                  





04.  朝食には 食パンと玉子にソーセージ、これにトマトが付けば まさに英国の朝食そのもの・・ 

お昼のホットドッグも パンが柔らかい     イングリッシュ・パブも健在だ

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05.  さて、ここが 

オンタリオ湖に面し 水運で栄えて来た 水の都 「 キングストン Kingston 」

イギリス領時代は 対米国の要衝として 重要な役割を果していた

白亜の石灰岩が用いられた 歴史的建物が多いので、 

” ライムストーンシティ ” とも呼ばれている

 

キングストンは 1841年から 3年間 カナダ連邦の首都だったが、

” 首都が こんなにアメリカに近いのは問題だ ”と、すぐに その座を他に譲ることになった経緯がある

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(  市庁舎 )







06.  キングストーンの
郊外にある 「 フォート・ヘンリー Fort Henry 」 は

1812年の 米英戦争時、 アメリカからの攻撃に備え 造られた砦だが 

今では ガン・パレードや 大砲・デモンストレーション、 衛兵交代式などを見せる 観光地となっている

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ところで イギリスのロンドンなど 大都市では 夜になると ” ファントム・ツアー ”なる余興がある



案内人が 観光客を引き連れて、 ” ほら あの窓から王妃の亡霊が~~ ”などと 怖がらせながら

街の 歴史的逸話にまつわる場所を巡るのだ    

突然 足元を指さされたりすると、 お客が キャ~~っと 悲鳴を上げて 後ずさったりする 



                     





まあ、英国人のオカルト好きは 有名だが、 やはり ここ フォート・ヘンリーも さすが英国流、

”恐怖の砦 ”なる エンターテインメントが かかっていた

しかし、残念なことに 衛兵交代も 恐怖の砦も 9月までで終了

カナダの秋は足早だ・・・  日本の観光シーズンとは ずれているのでご注意を !



                              






07.  さて、 キングストンを後にして いよいよ、  オンタリオ湖に源を発し、

カナダとアメリカの発展の礎となった大河「 セント・ローレンス川 St.Lawrence River 」を

辿ることになります~

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08.  「 セント・ローレンス川 」の 源流部には 80kmにわたって 大小の島々が点在している

実際 995から 1010の島があるらしいが、 

その名を 「 サウザンド・アイランズ The Thousands Islands 」と言い、

一大観光地となっている

( ドレッシングの ”サウザンド・アイランズ” も ここの名に因んでいるそうだ )

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川岸からも 島々が見えるが、 クルーズ船に乗ると、 個性的な島の数々を

もっと近くから 楽しく見て回ることが出来る

日本から ” 紅葉 と サウザンド・アイランズを巡るツアー ” もあるそうですが  楽しそう~!

                        





09.  家一軒分の ミニミニ小島や お城が建つ豪華な島もあるが、 いずれにせよ、 

洪水に悩まされる日本人からしたら 考えられない風景です !!

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(  白黒の写真は ネットから 借用です  )







10.  キングストンから30kmも走らないうちに 何故か道に迷った

  

ガナノック Gananoque という町の インフォーメーションセンターに立ち寄ると

赤い実を透かして カナディアン・ブルーが輝いていた・・・

道に迷って正解でした   カナダの秋が 目に沁みました~~

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11.  カナダの樹 「 メープル Maple 」は 木全体が 一気に赤くなるのでなく、

一本の木の中で、 緑、黄色、赤へと 徐々に変化していく

このあと 嫌と言うほど メープルに出会うことになるが

ここのメープルが まずは ” 初恋の人 ” ということになりました!

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(  赤い実の向こう側が メープルの木  )





12.  ガナノックにも 川と水門があり、 ほとばしる水の流れは

セント・ローレンス川へと降り注ぎ、やがては 大西洋へと 長旅に出るのです・・

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ところで、「 王党派 Loyalist 」とは

1775年、イギリス本国に対して アメリカの13植民地が 独立戦争を起こした時、

ジョージ三世への 忠誠の姿勢を示し、

 ”  植民地アメリカに居ながら   イギリス側に立った人たち ” のこと


                                      




次回は ” これらのロイヤリストが カナダで作った村の 再現地 ”を 訪れます~

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