芸術家達の巣窟モンマルトル : シュザンヌとロートレック
モンマルトルの丘への登り口
ブランシュ広場 Place Blanche にやって来ました
01. メトロ ブランシュ駅
アールヌーボーの代表的建築家 ギマール H.Guimard による 出口の装飾
ただし、これは 復元されたもの
こんな魅力的なしつらえも 時代遅れだからという理由で オリジナルは壊されてしまったとか・・
短命に終わった ” アールヌーボー様式 ” の運命を 如実に物語っていますね
02. 19世紀末、ベルエポック時代に パリを熱狂させた ダンスホール
「 ムーランルージュ Moulin Rouge 」
一世を風靡した ”フレンチカンカン” 発祥の地 !
現在、ここの踊り子は 実は ほとんどが出稼ぎ組、 ロシアや北欧の女性が多いらしい
身長・ルックス・バストの美しさ(大きければ良いという訳ではない!)など ハードルが高く、
何より ウイーン少年合唱団のように?
ある年齢が来て 薹(とう)がたつと解雇という 厳しい世界です!
03. この地区の大通りは 端から端まで
キャバレー、ナイトクラブ、劇場、Sexyショップ などで埋め尽くされている
「 Noctambule 」(右下)は 夜更かし好きのとか 夢遊病のという意味ですが
まさに この町全体が ” 夜更かし好きな 夢遊病!? ”
04. そんな地域にも ちゃんと 普通の生活があり、
ちゃんと 小学校だってありますよ ・・・
( お迎えの家族たち )
05. 子供の成長に合わせ ぴったりサイズの”革靴”を 神経質に選んできたフランス人ですが
最近は 子供たち、 スニーカーとリュック、 とても ラフなスタイル !
( 亜熱帯の蒸し暑い気候の中、革のランドセルに あれだけこだわる日本の文化は
ある意味 奇異であり、ある意味 高尚な文化である、と言えるかもしれません・・)
( ブランシュ広場にて )
06. さて モンマルトルと言えば 周知のごとく
有名無名 歴史に残る 多くの ” 芸術家たちの巣窟 ” でしたが、
”ムーランルージュ”を基点に 数々の名作を残した ロートレック H・T・Lautrecを
一番に あげない訳にいかないでしょう
07. 絵描きや画学生が寄り集まる地域では 当然ながら ” モデルの需要 ”も高い
当時、町の女たちは 洗濯や縫い物、家事の下働きをして 僅かな日銭を稼いでいましたから
” 画家のモデルという仕事 ”は ちょっと高尚な、 稼げる仕事だったのです
好みのモデルを求めて 広場にやって来る 画家たちに
はすっぱなお針子や洗濯女たちは 精一杯 自分の魅力をアピールしたものでした
( 上 1900年頃のムーランル-ジュ 右下 ロートレック「 ムーランルージュにて 」 )
自らも 絵を描くようになった シュザンヌ ・ ヴァラドン( Suzanne Valadon ) が、
08. 貧しい洗濯女の 私生児という 境遇から、 自力で のし上がり、
貴族の出ながら 醜い小男の画家 ロートレックの モデルとなり、 やがて
奇妙な恋人関係に発展して行ったのも この町
気の強い 魅力的な顔立ちのシュザンヌは 既に多くの画家たちの 売れっ子モデルでした
彼女が子供の頃から 何かにつけ 出入りしていたのが
ここ 「 ラパン・アジル Lapin Agile 」
シュザンヌが 息子モーリス( ユトリロ )を 出産した時も
父親とされる男が 仲間に担がれて ここにやって来ると、 皆が 歓声を上げながら
勝利の祝杯を掲げたという!
09. 「 ラパン・アジル ( すばしっこいウサギ という意味 )」 は、
当時は ふところの寂しい 駆け出しの作家や画家たちが 酒を飲む溜り場でしたが
現在は ” シャンソニエ ”として 人気を集めています
階段を下りた半地下の 薄暗い小部屋で 酒を飲みながら シャンソンを聞くのですが
” 歌詞が命の小難しい ” シャンソンを 心から楽しめる外国人は どれほどいるでしょうか・・
相変わらず ” 通の連中 ”が 好みの歌に 酔いしれる場であり続けているか
チンプンカンプンの観光客に 少しは おもねる スタンダードナンバーを選曲をしているか
興味あるところです・・・
「ラパン・アジル」の向かい側は 今でもブドウ畑になっていて
毎年、 盛大な収穫祭が行われます
10. ところで、シュザンヌは あのルノワールの ”恋人 兼 モデル ”でもありました
下段の 「 都会のダンス 」「 髪を編む娘 」など ルノワーが、 どちらかと言えば
シュザンヌを 単にモデルとして ”自らの画題に沿うように” 描いているのに対し、
上段の ロートレックの 「 二日酔い 」「 洗濯女 」は まさに彼女の人生と人間性を余すところなく捉え
” シュザンヌを シュザンヌとして ” 描いていると 言えるでのではないでしょうか!
しかし、
11. いずれにせよ 二人の関係は 長くはつづきませんでした
シュザンヌの力強いデッサンに 画家としての才能を見出したのも ロートレック、
彼女に油彩と版画を指導し、彼女を庇護することになった ドガに引き合わせたのも ロートレック、
彼女に 多くの画集や書物を与え、画家としての基礎知識を与えたのも ロートレックでした
( ロートレックも出入りし 昔は酒場だった メゾン・ローズ La Maison Rose )
12. その後も シュザンヌは 数々の浮名を流し、
かの 作曲家サティをも 失恋のどん底に 追いやることになるのですが、
一方、アル中に陥った 息子「 モーリス・ユトリロ (モンマルトルを描いたあの画家)」を
アルコールから救い出すため 、 七転八倒の 不毛の闘いを続けるうち、
思いもかけず 息子に画才があることに気付くと、
彼を一人前の画家に仕上げ、絵を売って儲ける という ”事業”にも 取り組んだのです
自らは ソシエテ・ナショナル・デ・ボザールの 初の女性会員となり、
作品も国に買い上げられるなど、画家としては 恵まれた終わり方をしたのではないでしょうか
一方 己の醜さを 世界中の誰よりも 自分で軽蔑してみせたという 悲しきロートレック
酒池肉林の中に燃え尽きた ロートレックの 短い人生
胸打たれる ある種の感慨を 覚えずにいられません
そんな彼の 心の支えとなったのが 、 フランスでも有数の 伯爵家出身の
” 本質的に高貴な貴族魂 ”と ” 母の愛 ”だったかもしれません
南フランス 薔薇色の町 アルビ、 「 ロートレック美術館 」で 出会った
「 母親の肖像 ( アデール・ド・ツールーズ ロートレック ) 」 (by Lautrec)
本日の 「私の一枚」です・・・
つぎは モンマルトルの山のてっぺん サクレクール寺院 界隈を ぶらぶらします
« ブローニュの森 : ダイアナさんとシンプソン夫人 そして森の女 | トップページ | モンマルトルの丘 小銭が稼げます »
「魅惑のパリ」カテゴリの記事
- 「フランスの洪水ビフォー・アフター」「ハンサム顔のビフォー・アフター」(2016.07.01)
- ボーザールで「裸婦デッサン」 : 女はこうでなくっちゃ!(2012.07.26)
- ユトリロの傑作は アルコールの賜物(2012.07.19)
- モンマルトルの丘 小銭が稼げます(2012.07.12)
- 芸術家達の巣窟モンマルトル : シュザンヌとロートレック(2012.07.05)
コメント
« ブローニュの森 : ダイアナさんとシンプソン夫人 そして森の女 | トップページ | モンマルトルの丘 小銭が稼げます »
bellaさん、
女の盛りはあっという間です(花街の母)
投稿: getteng | 2012年7月 5日 (木) 16時18分
モンマルトル 一度は行ってみたいと思いますが、いろいろな画家の足跡が
残っているのでしょうね。 ロートレックの描いた「母親の肖像」 いいですね。
母親はどんな思いで、息子の絵のモデルになったのでしょう。
投稿: たかchan | 2012年7月 5日 (木) 20時32分
60年以上前に見た映画の記憶が蘇ってきます。その頃 新宿にもムーランルージュがありましたが ・・・一枚一枚の絵 一つ一つの建物 街並み ストリートに こんなにも芸術家とそれを取り巻く女たちの一切が今もまつわりつく様を見ることができ 感動しました。
投稿: ケン | 2012年7月 5日 (木) 22時28分
このあたりの画家やモデルたちの人間関係は、もう、図式化でもしておかなければ
よく分からないほどなのですが、
いずれも後世に名作や名を遺した方々だけでもこの有様(笑)。
なぜか、何回か遭遇したシュザンヌの作品が妙にこころの隅っこに刺さっています。
奇しくも(?)昨日、グループ展の場で友人との雑談。
「なぜか家に、ほら、パリの街を描いたモーリス・なんとか」の水彩画があって、鑑定団に出そうか思ったが、云々」
「ユトリロ」、あっそうそう、でもユトリロに水彩画ってあるのかな。」
「いや、あると思うよ」
てな会話が交わされていましたっけ。
投稿: kurakame | 2012年7月 6日 (金) 08時46分
こんばんは (◎´∀`)ノ
う~ん・・・さすが!bellaさん!
パッケージツアーに参加していく旅行者たちとは、見る視線が全然違います。
団体ツアーは悪く言えば『ガイドブックの確認旅行』みたいなもの。
個人で目的を持って計画していく旅とは全く違うことを、bellaさんの旅でより強く感じます。
『ムーラン・ルージュ』、言葉だけは聞き覚えがあります。
そして03の写真、夜になると妖しげな雰囲気になるのでしょうね。
でもその地域にも小学校・・・、日本ならあり得ないしあったとしても住民の反対運動が起こりそうです。文化の違いと言えばそれまでですが、果たしてどちらが良いのか・・・(-_-)ウーン...
はてさてタイトルのシュザンヌとロートレック、ロートレックは聞いたことがある名前ですがシュザンヌは・・・?ルノワールのモデルと言えば、イレーネが真っ先に浮かびます。
投稿: 慕辺未行 | 2012年7月 7日 (土) 00時36分
アールヌーボーの素敵な装飾を、時代遅れと取り去ったりまた復元したりとは、フランスは面白い国ですね。
普通の日本人なら多分撮りそうもないモンマルトの歓楽街近くの学校や、子供達の通学の様子を写真に撮られたのは、やはりパリに長くおられ、何物にも興味をもたれて世の動きを的確に捉えておられるbellaさんならではです。
シュザンヌの事は色々読んでいましたが、改めてロートレックとルノワールの描いた彼女を見ると、bellaさんの解説通りですね。
ロートレックを支えた母親の今回ご紹介頂いた絵は写真だけでしか見ていないと思いますが、以前東武美術館で行なわれたロ-トレック展で、やはり白い被服を纏ったロートレック伯爵夫人像を思いだします。
懐かしいムーランルージュ。パリ2度目の小生では夜一人ではとても行けない場所と思っていましたが、ホテルで日本人運転手がホテルからの送迎をしてくれる事を知り、夜の踊りとショーを楽しむことが出来ました。
またサクレ・クール大聖堂からの素敵な眺めや、テアトル広場で絵を買った等懐かしい思い出が蘇ります。
投稿: ktemple | 2012年7月 7日 (土) 09時46分
こんにちは!
シュザンヌがロートリック&ルノワールの恋人?
「髪を編む女」を見るとうなづけるかな?
そしてユトリロの母だったんですね。
やはりシュザンヌを取り巻く芸術家たちの血がユトリロを生んだのでしょね。
以前にもユトリロを紹介されたときにその生い立ち記憶があります。
さすがの名解説頭が下がります。
投稿: minoji | 2012年7月 7日 (土) 16時35分
フランスについては未知で無知な国ですがロートレックのムーランルージュを見ますと
S.20年後半初めて上京して浅草を案内されたのを思い出します。
フランス座やロック座で驚きましたがその頃は卑猥さはなかったと思います。
変なコメントは差し控えます。
投稿: Golfun | 2012年7月 7日 (土) 21時25分