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2012年7月

2012年7月26日 (木)

ボーザールで「裸婦デッサン」 : 女はこうでなくっちゃ!

                                             

今回の ルーブルやオルセー美術館、セーヌ河畔、 モンマルトルなどの パリ見物で、

 

ふと昔のことを 思い出しました・・・




私にとって モンマルトルと言えば、
生まれて初めて ” 油絵具 ” なるものを 

買った町。     
昔 ’ ドガ ’ なんかがやって来た 老舗の画材屋でした



ド素人でしたが パリの魅力にそそのかされて、 絵を描いてみる気になったのです!

                      





01.      あの頃は 基礎がない、っていうことを気付かないのをいいことに

かえって素直に絵が描けたものでした ~~ 
  


ひとたび 自意識が目覚めた後は つまずいてばかりですが 、、

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                              ( ボーヌ、夕景   by bella  )



02.      そのうち、 こともあろうに パリの 国立高等美術学校 

アカデミー ・ デ ・ ボーザ-ル  Ecole Nationale des Beaux-Artsの

「 裸婦デッサン講座 」 に 行ってみようと 思い立った・・

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                                   ( 白薔薇   by bella  )




03.      ボーザールの公開講座ですから、 一応誰だって参加できるのです。

とは言え 今なら 二の足を踏んでいたはずですが、素人の強み、 怖いもの知らずでした ・・・


絵が好きな人たちに混じって デッサンに挑戦、 
結局 恥を晒しただけで 

あまり身に付きませんでした
が、 よい経験には なりました !

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( セーヌ川 ポンデザール橋付近のボーザール 丁度 卒業制作展が 行われていました )






04.       因みに その後 現在は、 己の勉強不足を 悔い改めて 

地元の 裸婦デッサンサークルで 修行中の身 、、、


 

年間 のべ二十数人のモデルさんに出会うのですが

これだ! という好みのモデルには なかなか出会えないものです 

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                                (   うつぶせ     by bella  )






05.        日本のモデルさんは 礼儀を心得ていて!? ポーズがおしとやか ・・

芸術が要求する!? 大胆なポーズは  滅多に 取っていただけません

一方、パリのモデルは ポージングに 結構なイマジネーションを持ち合わせておりました

男性モデルも 黒人モデルもやって来て、 やはり 本格的だった記憶があります・・

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                              ( デッサン 10分   by bella  )







06.        ところで、 モデルと言えば 美人でプロポーションがよくて、 と 

想像するでしょうが、 決して そんなことはなく、 美人は滅多に来ない。 

痩せギスの人も 三段腹の女性も たまにはやって来る。

ルノワールのように、 芸術とは美を写し取るもの という考え方もありますが、

一方、  美 ・ 醜にかかわらず ものの本質を 写し取るのが 芸術だとすれば
 

モデルが美しかろうが そうでなかろうが、  描く側は 黙々と 

ただ本質を探り当てる作業を 行わねばならないことになります。

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                                  ( 白百合   by bella  )



07.       さらに、 モデルは若いもの、という空想も 見事に打ち砕かれる !

’ 写真のモデル ’ と ’ 絵のモデル ’ は そもそも 概念が違うのです 

                        




話は 突然 脱線しますが、 

マドリッドで長く修行し、 結局は 「 スペインの写実絵画の旗手 」となった

「 礒江 毅 (ギュスターヴォ・イソエ) 」  という 写実絵画の天才がいる。

彼の 人体デッサンには 興味深い逸話がある ・・

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                           ( ボーザール付近の アーケード )






08.        彼が学んだ マドリッドの大学には デッサン教室が3つあり

1つは 若いモデルが 長時間 固定ポーズを取る部屋、 

2つめは 若いモデルが  20分ごとにポーズを変える クロッキー専門の部屋、

両方とも いつも 学生でいっぱいになる。




3つめの部屋は 年取った やや醜いとすら言える ベテランモデルが来る部屋、

やはり 学生は さほど集まらなかったという。


しかし、その老モデルは 微動だにせず 所定のポーズを 終了まで死守 

本当に生きているのだろうかと 思うほどだったという。

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  ( 昔のボーザールでの デッサン風景  礒江の教室も同じ様子だったと思う )







09.       人生の哀愁を醸し出す プロ根性丸出しの その老モデルは 

普通の学生には 不人気であったにせよ

礒江にとっては この上ない インスピレーションの源だったようだ 。

彼女のシワもたるんだ肉も余す所なく捉え、 それを昇華させた 奥深いデッサンを 

たくさん仕上げている。



                        



内面を表現するための絵のモデルが 必ずしも 若くて、美人で、八頭身である必要が

ない
理由が 少しは語られたでしょうか ・・・

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( 礒江の 老モデルのデッサンと、 ぶどうをテーマとした写実絵画 )







10.      再び 日本での話、、、 デッサングループで モデルが来ない時も たまにはある。

モデルが 寝坊をしたとか 電車に 間違えて乗ったとか、 

モデル事務所が 手配ミスをした、 といった理由からだ



ある日 パリの ボーザールでも 同じようなことが起きた。

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                                    ( 女    by bella )





結局 モデルが来ないことがわかると、 
ざわつく室内で リーダーとおぼしき人物が

言った。   
「 仕方がない、 誰か脱いでくれる人はいませんか~? 」


                                 


11.      あたりを見回して、 いかがですか~? っと 彼が 聞いて回るうち

とうとう 私と目が合った  ” ヤバイ! ”

「 モデルになりませんか~   東洋人はあなただけです。 

僕たちにとって なにかしら 特別なイメージなんです ・・・ 」




勿論 トンデモアリマセ~ン! と断ったが   心で叫んだ。

「 脱げるぐらいなら 苦労はないわよ~   痩せっぽちなんだから  ・・  」

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( ロアン小路、 ボーザール裏には 15世紀来の 趣のある3つの小路がある )






12.        っで どうなったかというと  


颯爽と、本当に サッソウと パリのマダムが脱いだ !!  

30歳代の カトリーヌ・ドヌーヴみたいな 日焼けしたマダムだった ・・・

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                                       ( 白むくげ   by bella )







上流マダム風の彼女、   もしかして、 ニースあたりの海岸で トップレスには

慣れていたかもしれないが、  
モデルは 多分初めての体験だったろう 。


が、 実に堂々と、 
しかも 動かないという苦役に耐え、

立派に みんなの窮地を救った。

                    




やっぱり 女は こうでなくちゃ !!

そして、  これこそ  ” フランスの女  ” !?

2012年7月19日 (木)

ユトリロの傑作は アルコールの賜物

 

                                                   

「 モンマルトル 」と言えば 「 ユトリロ 」ですね

日本人は 「 フェルメール 」が大好きですが、

フェルメールブームが起きる ずっと前から 

ユトリロは ” 元祖 ・ 日本人好み ”の 画家だったかもしれません 



                                                     

01. モーリス・ユトリロ Maurice Utrilloは 始めから 画家だった訳ではなく

人生に頓挫した ただの アルコール中毒患者でした

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02. 入退院を繰り返す モーリスに手を焼いた 母親のシュザンヌ・ヴァラドンが

アルコールから気を逸らせてくれればと ただそれだけで 絵筆を与えてみたのです・・・

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03. 水彩で ’ ジャガイモ ’を 描くところから始めた モーリス、 


下手に 専門教育を受けていない 飄々とした彼の作品に 徐々に買い手が付き始めました

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( ’雪のサンピエール教会 ’  この作品は 後半の円熟期のものです、、

 夏は、 緑に生い茂る 教会前の樹木 )








04. 母親は 息子を画家にする気は毛頭なかったので、 絵の描き方を手ほどきすることもなく、 

結果的に 息子モーリスと 母親シュザンヌの画風は 似通うことなく、

それぞれ 全く 個性の違う傑作を 後世に残すこととなりました

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( ユトリロが 絵を描いた サン・リュスティック通りと リュー・デ・ソール通りの 交わるところ )







05.  因みに 母親シュザンヌ・ヴァラドンの 

” 線の強い 個性的な絵 ”と ” 美しくも逞しい 彼女の面構え ” は

私の「 サティの失恋 オンフルール 」編 (2011年9月28日)に出ていますので

ここでは 重複を避けますね・・ 

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( サン・リュスティック通り )







06. 不思議なことに、 道行く人々が ユトリロの絵の登場人物に見えて来ます~!

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ところで ユトリロには ”白の時代”という呼び名があるほど、白い絵が多い・・

これは 世間に白い絵の受けがよく、つまり ” よく売れたので ”、 

プロデューサーとして シュザンヌが そうした方向性を 指示したのが始まりらしい

(数百点に及ぶ 白の時代の作品には、 当然

ユトリロ自身が 切磋琢磨して勝ち得た画風の変遷が みられますが・・)

                      




07. 当時 シュザンヌは 13年来、資産家のポール・ムジスと結婚していたので、 

金銭的には 既に 安定した生活を手に入れていました  が、その後、 息子の友人で、

しかも息子より3歳若い、アンドレ・ユッテルと 恋に落ち、 ムジスとは離婚する ・・

結局 この恋人ユッテルが 今や人気作家となった ユトリロの作品や 

お金の出入りを管理する マネージャーとなったのです 
  


3人で避暑旅行をするなど まあ、普通では考えられない 飛んだ!?人間関係でした~

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( テルトル広場、 ユトリロの時代には こんなに閑散としていたのですね! 

右上に 屋根の形が同じ建物が 見られます )

                     




08. 1909年、44歳のシュザンヌが 21歳年下のユッテル、 そして

息子モーリスと生活を始めた場所

ユトリロは 相変わらず、 アル中で 精神病院に拘束されたり、 

酩酊状態で 車の前に飛び出して困らせるなど、警察沙汰も絶えなかったものの、 

母子共々 素晴らしい作品を生み出す 実り多い住まいとなりました


現在は 「 モンマルトル美術館 Musee de Montmartre 」になっています

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( 写真上 右側の建物が美術館   門を入ると 中庭があります )




09. プチトランで、 モンマルトルの丘を降りる

因みに この観光プチトラン、 特にフランス的、ということではありません

ヨーロッパ各国の観光地で ここ十数年 一斉に普及し出したので、 

EUのどこかの国が 一手に製造しているのではないかと 想像していますが・・・

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10. ユトリロ 「 モンスニ通り 」

「 白の時代 」から 黒い輪郭線で絵画空間を構成する「 色彩の時代 」へ 移る

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11. さて ここは 再び モンマルトルの丘  「 旧町役場前 」


現在は 「 A St Pierre de Montmartre 」という名のお土産屋さんですが 

この建物を パリの街角の作品で有名な「 荻須高徳 」が描いています

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12. ユトリロが もし 芸術の高等教育を受けて、 正確な遠近法で

カッチリした街角を描いたなら これほどの名声は残さなかったでしょう

同じく 高須さんの街角の絵も かなりバランスを崩している (この絵はまだいい方です)

文化勲章まで受けた 高須さんですから 恐らく 意識的に 

完璧なデッサンをはずしているのではないかと 想像しています ・・・

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何によらず、  人を感動させるものが 

いつも 美しく・完璧で・立派なものとは限らないのが 面白いところ ・・・

そして ’脱力系の ?!’雰囲気を醸し出す ユトリロの傑作が 

元をただせば アルコールの産物だったことも 興味深いところ ・・・

                         

ユトリロは 描きながら 絵筆を ぶどう酒のコップに 漬けたこともあったそうですから

もしかして 彼の絵から ワインの香りがするカモ ・・・ !

2012年7月12日 (木)

モンマルトルの丘 小銭が稼げます

                                               

パリ観光の目玉のひとつ モンマルトル

昔、この地は パリの街中に比べ 賃料や物価が安かったから

自然と 貧乏芸術家たちが 寄り集って来たわけ・・


やがて 類が類を呼び  活気に満ちた 自由奔放なボヘミアンの丘となった・・

”彼らが撒いた種”のお陰で 今日、 黙っていても 毎日 観光客が大勢やって来る

だから モンマルトルの丘では 小銭が稼げます!



                                          

 

01. サクレクール バシリカ聖堂 Basilique du Sacre-coeur

純白に輝く気高いシルエット パリにこの丘がなかったら その魅力は半減!?

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( イベント用足場が組まれていました~ )






02. パリという ” 白い海  ”

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03. モンマルトルの丘に登る方法は 5つ

フュニクレール(ケーブルカー)と、 プチトラン(観光トレイン)と、 テクシー?(徒歩)

そして 市バス(写真11)に タクシー

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04. 有名な テルトル広場 Place du Tertre

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05. ほぼ長方形の この広場  

カフェやレストラン 土産物屋が、 真ん中の 絵描きたちのテントをぐるりと取り囲んでいます

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06. 小銭を稼ぐには ” 街角ミュージシャン ”とか ” 物乞い ”という手もあるけれど

この稼ぎ口には 「 芸術性 」と「 忍耐力 」が 要求されますね・・・

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07. 画家には いわゆる「売り絵」を描く人と 「似顔絵」を描いて稼ぐ人と 二種類いる 

存在感たっぷりのおばさん お財布は首に掛け しっかり確保中!

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08. 似顔絵描きは 腕を磨くため 画学生が出ているという場合もあるけれど

大半はベテランの ” 商売似顔絵描き ”

値段は 30ユーロから80ユーロ、   結構な稼ぎです

勧誘されるまま 気軽に描いてもらったら 思わぬ高値ということもあるので

事前に交渉して ちゃんと値段を決めてからスタートしましょう・・・

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09. 画廊    ”  複製 ”と ” 手描き ”が ありますよ・・

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10. お飾り程度の打楽器と ” 回し蹴り ”のデモンストレーション

こんなことで 小銭を稼げるんですね~ ・・・

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11. 上の花嫁は ” 本物 ” で、 下の花嫁は ” お仕事中 ” ?!

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12. さて最後に ”謎”・・・  

ヤカンが たくさん掛かっています 

「 熱いので さわってくれるな!!」と 看板が出ています



コーヒーなら 店の中で入れるでしょうし、、、

熱いヤカンなら 危険この上ないですし、、、

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サン・ピエール教会 Eglise St-Pierre 前の 広場です
 


お出かけの方、 偵察して来て下さいませんか~~


                                        

2012年7月 5日 (木)

芸術家達の巣窟モンマルトル : シュザンヌとロートレック

                        




モンマルトルの丘への登り口 

ブランシュ広場 Place Blanche にやって来ました

                       





01. メトロ ブランシュ駅

アールヌーボーの代表的建築家 ギマール H.Guimard による 出口の装飾

ただし、これは 復元されたもの

こんな魅力的なしつらえも 時代遅れだからという理由で オリジナルは壊されてしまったとか・・

短命に終わった ” アールヌーボー様式 ” の運命を 如実に物語っていますね

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02. 19世紀末、ベルエポック時代に パリを熱狂させた ダンスホール

「 ムーランルージュ Moulin Rouge 」

一世を風靡した ”フレンチカンカン” 発祥の地 !



                        

現在、ここの踊り子は 実は ほとんどが出稼ぎ組、 ロシアや北欧の女性が多いらしい

身長・ルックス・バストの美しさ(大きければ良いという訳ではない!)など ハードルが高く、



何より ウイーン少年合唱団のように? 

ある年齢が来て 薹(とう)がたつと解雇という 厳しい世界です!

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03. この地区の大通りは  端から端まで

キャバレー、ナイトクラブ、劇場、Sexyショップ などで埋め尽くされている

「 Noctambule 」(右下)は 夜更かし好きのとか 夢遊病のという意味ですが

まさに この町全体が ” 夜更かし好きな 夢遊病!? ”   

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04. そんな地域にも ちゃんと 普通の生活があり、

ちゃんと 小学校だってありますよ ・・・   

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( お迎えの家族たち )








05. 子供の成長に合わせ ぴったりサイズの”革靴”を 神経質に選んできたフランス人ですが

最近は 子供たち、 スニーカーとリュック、 とても ラフなスタイル !


 

( 亜熱帯の蒸し暑い気候の中、革のランドセルに あれだけこだわる日本の文化は

ある意味 奇異であり、ある意味 高尚な文化である、と言えるかもしれません・・)

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( ブランシュ広場にて )







06. さて モンマルトルと言えば 周知のごとく 

有名無名 歴史に残る 多くの ” 芸術家たちの巣窟 ” でしたが、

”ムーランルージュ”を基点に 数々の名作を残した ロートレック H・T・Lautrecを 

一番に あげない訳にいかないでしょう

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07. 絵描きや画学生が寄り集まる地域では 当然ながら ” モデルの需要 ”も高い

当時、町の女たちは 洗濯や縫い物、家事の下働きをして 僅かな日銭を稼いでいましたから

” 画家のモデルという仕事 ”は ちょっと高尚な、 稼げる仕事だったのです 



好みのモデルを求めて 広場にやって来る 画家たちに 

はすっぱなお針子や洗濯女たちは 精一杯 自分の魅力をアピールしたものでした

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( 上 1900年頃のムーランル-ジュ  右下 ロートレック「 ムーランルージュにて 」 )




08. 貧しい洗濯女の 私生児という 境遇から、 自力で のし上がり、

自らも 絵を描くようになった シュザンヌ ・ ヴァラドン( Suzanne Valadon ) が、

貴族の出ながら 醜い小男の画家 ロートレックの モデルとなり、 やがて 

奇妙な恋人関係に発展して行ったのも この町




                          




気の強い 魅力的な顔立ちのシュザンヌは 既に多くの画家たちの 売れっ子モデルでした

彼女が子供の頃から 何かにつけ 出入りしていたのが 

ここ 「 ラパン・アジル Lapin Agile 」

シュザンヌが 息子モーリス( ユトリロ )を 出産した時も 

父親とされる男が 仲間に担がれて ここにやって来ると、 皆が 歓声を上げながら

勝利の祝杯を掲げたという!

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09. 「 ラパン・アジル ( すばしっこいウサギ という意味 )」 は、   

当時は ふところの寂しい 駆け出しの作家や画家たちが 酒を飲む溜り場でしたが

現在は ” シャンソニエ ”として 人気を集めています


 

                     




階段を下りた半地下の 薄暗い小部屋で 酒を飲みながら シャンソンを聞くのですが

” 歌詞が命の小難しい ” シャンソンを 心から楽しめる外国人は どれほどいるでしょうか・・


相変わらず ” 通の連中 ”が 好みの歌に 酔いしれる場であり続けているか 

チンプンカンプンの観光客に 少しは おもねる スタンダードナンバーを選曲をしているか

興味あるところです・・・

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「ラパン・アジル」の向かい側は 今でもブドウ畑になっていて

毎年、 盛大な収穫祭が行われます








10. ところで、シュザンヌは あのルノワールの ”恋人 兼 モデル ”でもありました

下段の 「 都会のダンス 」「 髪を編む娘 」など  ルノワーが、 どちらかと言えば

シュザンヌを 単にモデルとして ”自らの画題に沿うように” 描いているのに対し、

 
上段の ロートレックの 「 二日酔い 」「 洗濯女 」は まさに彼女の人生と人間性を
余すところなく捉え 

” シュザンヌを シュザンヌとして ” 描いていると 言えるでのではないでしょうか!

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11. いずれにせよ 二人の関係は 長くはつづきませんでした   

しかし、

シュザンヌの力強いデッサンに 画家としての才能を見出したのも ロートレック、

彼女に油彩と版画を指導し、彼女を庇護することになった ドガに引き合わせたのも ロートレック、

彼女に 多くの画集や書物を与え、画家としての基礎知識を与えたのも ロートレックでした

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(  ロートレックも出入りし 昔は酒場だった メゾン・ローズ La Maison Rose )









12. その後も シュザンヌは 数々の浮名を流し、 

かの 作曲家サティをも 失恋のどん底に 追いやることになるのですが、



 

一方、アル中に陥った 息子「 モーリス・ユトリロ (モンマルトルを描いたあの画家)」を 

アルコールから救い出すため 、 七転八倒の 不毛の闘いを続けるうち、

思いもかけず 息子に画才があることに気付くと、 

彼を一人前の画家に仕上げ、絵を売って儲ける という ”事業”にも 取り組んだのです




自らは ソシエテ・ナショナル・デ・ボザールの 初の女性会員となり、 

作品も国に買い上げられるなど、画家としては 恵まれた終わり方をしたのではないでしょうか




                          







一方 己の醜さを 世界中の誰よりも 自分で軽蔑してみせたという 悲しきロートレック

酒池肉林の中に燃え尽きた ロートレックの 短い人生

胸打たれる ある種の感慨を 覚えずにいられません 



そんな彼の 心の支えとなったのが 、 フランスでも有数の 伯爵家出身の

” 本質的に高貴な貴族魂 ”と ” 母の愛 ”だったかもしれません

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南フランス 薔薇色の町 アルビ、 「 ロートレック美術館 」で 出会った 

「 母親の肖像 ( アデール・ド・ツールーズ ロートレック ) 」    (by Lautrec)

本日の 「私の一枚」です・・・






                             




つぎは   モンマルトルの山のてっぺん サクレクール寺院 界隈を ぶらぶらします

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