ボーザールで「裸婦デッサン」 : 女はこうでなくっちゃ!
今回の ルーブルやオルセー美術館、セーヌ河畔、 モンマルトルなどの
パリ見物で、 ふと昔のことを 思い出した・・・
私にとって モンマルトルと言えば、生まれて初めて ” 油絵具 ”
なるものを買った町。 昔 ’ ドガ ’ なんかがやって来た
老舗の画材屋でした
素人だったが パリの魅力にそそのかされて、
絵を描いてみる気になったのです!
01. あの頃は 基礎がないことにも気付かずに
かえって素直に絵が描けたものでした ~~
ひとたび 自意識が目覚めた後は つまずいてばかりですが 、、
( ボーヌ、夕景 )
02. やがて こともあろうに パリの 国立高等美術学校
アカデミー ・ デ ・ ボーザ-ルの
「 裸婦デッサン講座 」 に 行ってみようと思い立った・・
03. ボーザールの公開講座だから、一応誰だって参加できる。
とは言え 今なら 二の足を踏んでいたはずだが、素人の強み、
怖いもの知らずでした ・・・
絵が好きな人たちに混じって デッサンに挑戦、
あまり身に付かなかったが、 よい経験にはなった !
( セーヌ川 ポンデザール橋付近のボーザール 丁度 卒業制作展が 行われていた )
04. 因みに 現在は、 己の勉強不足を 悔い改めて
日本で地元の 裸婦デッサンサークルで 再修行中の身 、、、
年間 のべ二十数人のモデルさんに出会うのだが
これだ! という好みのモデルには なかなか出会えない。
05. 日本のモデルは礼儀を心得ていて!? ポーズがおしとやか ・・
芸術が要求する!? 大胆なポーズは滅多に取らない。
一方、パリのモデルは ポージングに 結構なイマジネーションを
持ち合わせていた。
男性モデルも 黒人モデルもやって来て、 やはり 本格的だった。
( デッサン 10分 )
06. ところで、 モデルと言えば 美人でプロポーションがよくて、と
想像するかもしれないが、 決して そんなことはない。
痩せギスの人も 三段腹の女性も たまにはやって来る。
ルノワールのように、 芸術とは美を写し取るもの
という考え方もあるが、
一方、 美・醜にかかわらず ものの本質を写し取るのが
芸術だという考え方もある。
モデルが美しかろうが そうでなかろうが、描く側は黙々と
ただ本質を探り当てる作業を 行わねばならない。
( 白百合 )
07. さらに、モデルは若いもの、という空想も見事に打ち砕かれる !
’ 写真のモデル ’ と ’ 絵のモデル ’ は そもそも 概念が違う。
話は 突然 脱線するが、 マドリッドで長く修行し、
結局は 「 スペインの写実絵画の旗手 」となった
「 礒江 毅 (ギュスターヴォ・イソエ) 」 という
写実絵画の天才がいる。
彼の 人体デッサンには 興味深い逸話がある ・・
( ボーザール付近の アーケード )
08. 彼が学んだマドリッドの大学には デッサン教室が3つあり
1つは 若いモデルが 長時間 固定ポーズを取る部屋、
2つめは 若いモデルが 20分ごとにポーズを変える
クロッキー専門の部屋、
両方とも いつも 学生でいっぱいになる。
3つめの部屋は 年取った やや醜いとすら言える
ベテランモデルが来る部屋、
やはり 学生は さほど集まらなかったという。
しかし、その老モデルは 微動だにせず 所定のポーズを
終了まで死守、 本当に生きているのだろうかと
思うほどだったという。
( 昔のボーザールでのデッサン風景 礒江の教室も同じ様子だったと思う )
09. 人生の哀愁を醸し出す プロ根性丸出しのその老モデルは
普通の学生には 不人気であったにせよ
礒江にとっては この上ないインスピレーションの源だったようだ 。
彼女のシワもたるんだ肉も余す所なく捉え、 それを昇華させた
奥深いデッサンを たくさん仕上げている。
内面を表現するための絵のモデルが 必ずしも 若くて、美人で、
八頭身である必要がない理由が 少しは語られたでしょうか ・・・
( 礒江の 老モデルのデッサンと、ぶどうをテーマとした写実絵画 )
10. 再び 日本での話、、、 デッサングループで
モデルが来ない時も たまにはある。
モデルが 寝坊をしたとか 電車に 間違えて乗ったとか、
モデル事務所が 手配ミスをした、 といった理由からだ
ある日 パリの ボーザールでも 同じようなことが起きた。
( 女 )
結局 モデルが来ないことがわかると、 ざわつく室内で
リーダーとおぼしき人物が言った。
「 仕方がない、 誰か脱いでくれる人はいませんか~? 」
11. あたりを見回して、 いかがですか~? っと
彼が 聞いて回るうち とうとう 私と目が合った
” ヤバイ! ”
「 モデルになりませんか~ 東洋人はあなただけです。
僕たちにとって なにかしら 特別なイメージなんです ・・・ 」
勿論 トンデモアリマセ~ン! と断ったが、 心で叫んだ。
「 脱げるぐらいなら苦労はないの、 痩せっぽちなんだから ・・」
( ロアン小路、 ボーザール裏には 15世紀来の 趣のある3つの小路がある )
12. っで どうなったかというと
颯爽と、本当に サッソウと パリのマダムが脱いだ !!
30歳代の カトリーヌ・ドヌーヴみたいな 日焼けしたマダムだった。
上流マダム風の彼女、 もしかして ニースあたりで
トップレスには慣れていたかもしれないが、
モデルは 多分初めての体験だったろう 。
が、 実に堂々と、 しかも 動かないという苦役に耐え、
立派に みんなの窮地を救った。
やっぱり 女は こうでなくちゃ !!
そして、 これこそ ” フランスの女 ” !?