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2012年5月 3日 (木)

シュヴァイツァーはドイツ人?フランス人? 好物はゴーフル!



昔は 偉人と言えば ”密林の聖者・シュヴァイツァー” の名が
挙がったものですが、    野口英世にも 大きな影響を与えたこの人、

最近の 日本での ’知名度’はどんなものでしょう・・





                                               

01. アルベルト・シュヴァイツァー Albert Schweitzerは 
フランスの 神学者・哲学者・医者・オルガニスト・バッハ研究者として有名 ・・

    

彼が生まれ育った この町、「 ケゼルスベール Kaysersberg 」 は

フランス北東部 アルザス地方の美しい花の町です

01






02. でも 確か シュヴァイツァーはドイツ人でしたよね~

そう、彼自身は 生涯ドイツ人を自認していました   が、
フランス人も 彼を シュヴェルツェールと呼び親しんでいます


 

つまりは、長い間 独仏で獲り合いをして来た’アルザス地方の歴史’が

そんな曖昧さを生んでいるのです

ドイツ語では ここはカイゼルスベルクと言い 
皇帝(カイザー)の町 という意味合いを持っています

02





03.  シュヴァイツァーは1875年 牧師の家庭に生まれ、

5歳で父親からピアノを学び、   

子供時代から 地域の教会でオルガンを弾いていましたが

18歳で、ストラスブール大学で 神学・哲学を修めたあとも

壮麗なストラスブール大聖堂での バッハ弾きのオルガンの名手として 
名を馳せていました

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04. このように 彼は恵まれた環境で育ちましたが

斟酌なく重い荷を引かされる牛馬や  鞭打たれながら びっこを引きつつ
屠殺場へ連れてゆかれる馬などを 通りで目にするにつけ 心を痛め、

夕べの祈りで 人間のためにだけ祈ることを 良しとせず、

「神様 生きとし 生けるもの全てを守りたまえ」と祈るような子供でした

04

( シュヴァイツァー博物館 )



                   






05. また 幼い頃、同級生の少年と取っ組み合いの喧嘩をした時、

「俺だって、お前の家みたいに肉入りのスープを飲ませてもらえれば

負けやしないんだ!」という叫びを聞き シュヴァイツァーは激く動揺する

「同じ人間なのに、なぜ自分だけが恵まれた生活をしているのか」と・・・

05

06. このように感受性豊かなシュヴァイツァーが 

30歳で医学の門をくぐった後、

 

1913年 38歳にて  大学教授、オルガン奏者、著述家など

 
あらゆる地位を捨て、 すべての財産を注ぎ込み、

 
ヘレーネ夫人と アフリカに旅立つことになっのも


当然の成り行きだったかも知れません

06

( シュヴァイツァーの生家 )




07. 当時アフリカには 
マラリア フィラリア フランベシァ 昏睡病 象皮病などが蔓延し、

動物による外傷や 祈祷師や占い師の習慣とも闘わねばなりませんでした

医者としての活動は 慈悲や慈善という生易しいものではなく

現地の風習と生活を踏まえつつ 科学的療法を少しづつ浸透させてゆく
実に困難な作業でした

07

 



08. 加えて 1914年には 第一次世界大戦が勃発し、

 
ドイツ国籍であった夫妻は フランス領ガボンのガンバレネで 

敵性国人として 捕虜になり、 その後 ヨーロッパへ 帰還させられる
 


残してきたガボンの病院の運営では 莫大な借金を背負うことになる

08_2

( シュヴァイツァーも遊んだヴァイス川、 今は釣りのメッカ 
「五月のはえクラブ」は ”釣ったらリリースしましょう”と呼びかけてます )




09.  しかし シュヴァイツァーの 講演やパイプオルガンの演奏活動が
思わぬ好評を博し、 2~3年で 借金を返済、

黒人救済の新たな資金も作り、 彼は再び10年ぶりにアフリカに戻る

しかし、荒れ果てた ランバレネの自分の病院と 
赤痢や飢餓 前にも増して悲惨な人々の状態を 目のあたりにして


さらに本格的な 「シュヴァイツァー病院」を 建設し 
一層の難事業に取り組むことになりました

09_2

( オリジナリティ溢れる 違反行為ですね! )

                      






10. その後、1953年には フランス人としてノーベル平和賞を受賞、
 

彼はその資金で らい病の患者を収容する村を建設する


 
86歳で亡くなったのが1961年ですから 歴史上の伝説の人というよりは 

現代の私達の近くにいた人だったのです!

10_4
( 魔女とヴァンパイヤー?! )


11. 因みに、シュヴァイツァーの好物は 風月堂のお菓子 ”ゴーフル”

彼の片腕として働いた 日本人医師が お土産として持ち帰った時、

ことのほか 気に入ったのが始まりだそうですが

もともと フランス人が 日本に教えたゴーフルを もっと美味しく作り上げた?!

風月堂の技が シュヴァイツァーに 感動を与えたのは

面白い逸話です~

11_2

( お土産のリトグラフ )


さて、余談ながら  フランスの哲学者 ジャンポール・サルトルや
ルノーの取締役 ルイ・シュヴァイツァーは 彼の親戚筋にあたる


アルベルト・シュヴァイツァー自身は ドイツ人の血を自認していましたが

その血は その後 確実にフランスで根を張り 

きれいな花を咲かせたと言うことになりますね






                      





しかし、 本当に誇りに思っているのは ドイツ人でもフランス人でもなく、
「アルザス人」に違いありません 

”シュヴァイツァーはアルザス人だ! ”

”シュヴァイツァーは アルザスの英雄だ! ”って ・・・

 

ことほど左様に 今日でも アルザスは特別で 独自な存在なのです

                     



さらに 蛇足ですが、 日本で、「ゴーフル」 という名前のレストランが

風月堂の訴えで 屋号を変更することになったという話がありました



「ゴーフル gaufre」 は フランス語では お菓子の”普通名詞”ですが、

日本では 風月堂の「ゴーフル」を 意味する”固有名詞”となる訳です

レストラン側にも 風月堂側にも それぞれ言い分があったでしょう


とりあえず、 シュヴァイツァーは フランスの 「普通名詞のゴーフル」でなく

風月堂の 「固有名詞のゴーフル」が 気に入ったということでした・・・

                       





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コメント

bellaさん、
シュヴァイツァ-とゴ-フルの歴史にまで精通している貴姉に敬意を表します。

今晩は
アルベルト・シュヴァイツアーは頭脳明晰で精神的にも肉体的のも超越した人ですね。
何時もわかりやすく解説して呉れるので旅の様子が伝わってきます。
木骨組の家はチェスターを思い出します。
出窓の花飾りは素敵ですね。

お嬢さんの水戸見物は偕楽園のツツジ祭や笠間のツツジと陶炎祭を勧めます。
天気と混雑が気になりますね。

こんばんは (◎´∀`)ノ
シュヴァイツアー、久しぶりに聞く名前のような気がします。
確かに誰しも一度は聞いたことがある偉人ですよね。
でも、どんな功績を残した方なのか、忘れてしまいました (^_^;;
で、慌ててウィキペディアを見ました。「フムフム、なるほど・・・」...
名前の読み方からすれば、ドイツ語と分かります。が、生まれは今のシュトラスブールなのですね。
歴史に翻弄された地域ですし、ドイツ人ともフランス人とも言えますね。
街並みがとても素敵ですネェ (*^o^*)!
花や緑に飾られた民家、その造りも本当に惚れ惚れします。こんなところで暮らしたいです。
ところで、風月堂以外にもゴーフルを作っているメーカー、あるような・・・?
そして風月堂の名前、フランスの”フーケッツ”から取ったと聞いたことがあります。

ほとんど、子供のころに読んだ本か教科書のイメージでしか記憶に無い
シュヴァイツアー博士の物語。
名前から勝手にドイツの人と思い込んでいましたが。
アスザスの歴史からゴーフルまで、見事に博士を再発見させていただきました。

歴史を見ると色々な苦難を経たであろうケゼルスベールの街ですが、
そのの景色は何とも素敵ですね。
bellaさんの懇切丁寧なシュヴァイツァー博士のご紹介で
博士についての知らなかった多くを知る事が出来有難うございます。
風月堂のゴーフルを博士が気にいったとは。このような事をどうして
調べれたか不思議の様です。
bellaさんのなんでもお出来になる能力にはただただ脱帽です。

bella さんの旅行記で、絵、風俗、料理、歴史、人物等の多様な内容の記事に出会い
勉強になり、本当に感心するばかりです。 もちろんどれも関連がありおそらく記事を
書いているうちに、深く掘り下げる結果となっていくのでしょうね。
シュヴァイツァー博士の事は、久しぶりに思い出しました。 

追記です、すでに、ご存じかもしれませんが。

先日、他の方のブログで、群馬県渋川市 日本シャンソン館 ル・ジャルダン  
にある「モネの庭」が紹介されていました。 
下記URLから一度ご覧になってください。   
http://sozanan.cocolog-nifty.com/mount_/2012/05/post-a6d1.html

シュヴァイツァーは 少年時代の私の心を支配していた感動です。でも今はこの老いらくに涙を誘うだけです・・・・・・bellaさん こんにちは!懐かしう存じます。azur と言ったら思い出してくれますか???

ケンさま

Azurさんこんにちは! 忘れるはずがないではないですか・・
如何お過ごしでいらっしゃるか、ずっと気になっておりました~
たまにお写真サイトで確認しておりました
気が向かれた時で結構ですので ご健在を時々お知らせくださいませ!!

今晩は!楽しく拝読いたしました
。シュバイツァーはもっと過去の人と思っていました。目から鱗です。
神戸の焼き菓子ゴーフルとの意外な関連も納得です。
よくご存じで敬服です。

学生時代、第2外国語でとったドイツ語の教科書に、博士の子供時代、教会でのパイプオルガン奏者の記述があったように覚えています。今日(2013/02/24)の世界街歩きに大聖堂が出て来たので、アルザス 大聖堂 シュバイツァー パイプオルガンのキーワードを入れてたらお宅のブログがトップでヒットしました。番組に博士の話は出て来ませんでしたが、時代の流れでしょうね。番組にニースも出て来ましたが、ニースからマルセイユを通り、ローヌ川沿いに北上した安いパックツアーで、ルーブル博滞在時間45分だったのを鮮明に覚えています。なお、孫にとって神奈川のじいじと二人居るので、仙台の・・・を名乗っています。ご健闘を祈ります。

仙台のじいじさま

検索から入っていただいて 本当にありがとうございます~
楽しそうな旅をなさったのですね
ストラスブールの大聖堂は それはそれは魅力的です
南仏も早くブログにしたいと思っていますが なかなか時間がなくて・・

お孫さん 仙台のじいじさまが きっと大好きでしょう
頻繁に会えるといいですね! 

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