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2012年4月12日 (木)

マジノ線とヴォ―ジュ山脈 仏軍歩兵の白い十字架


<マジノ線>という単語は きっと耳にしたことがあるでしょう

 

それは、 第二次世界大戦時に ドイツ軍侵攻に備えて

当時のフランスの陸軍大臣 アンドレ・マジノが築いた 帯状の防衛線のこと。

フランス北東部の ” ロレーヌ地方 ” に 

25,000人もの 工兵や市民の人海戦術で築かれたのが、 いわゆる <マジノ線>。

全長150km、70の地下基地と 500の砲台を持つ

重装備化された コンクリート造りの大要塞でした。 

                                                 

 

01.    第一次世界大戦時には ロレーヌ地方の南のアルザス地方 にある 

 ヴォ―ジュ山脈が もともと自然の要塞として  独仏軍の攻防の場でありました。

 

本来 安らぎの里であった 緑のヴォ―ジュ山脈が  その時ばかりは

独仏の兵士たちの鮮血で 自らの山肌を 真っ赤に染め、
 
後世に語り伝えられる 悲劇の地となったのです ・・・

01_3

( 白い十字架群 は 第一次世界大戦で 戦死したフランス兵士の墓 )







02.    のどかで美しいヴォージュ山地、 とりわけ高い山という訳ではありません 。

 

高さより、むしろ 起伏に富む険しい岩峰や 川の浸食で急傾斜で降下する山肌が 

戦いに備える自然の要塞として 好都合だったと言われます。

02_3








03.   曲がりくねる山道を走って行くと、標識が現れました

< ル・ランジュ峠 Le Linge 標高976m > < 瞑想の地 >

 

このあたりに、 そうです、   戦死者の遺体が累々と横たわり ・・ 

血の臭いが立ち込めていた ・・
      そんな想像をしたら

思わず、 黙とうしなければ~ という気持ちになりました。

03_3








04.     この「 「 ル・ランジュ峠 」 には 慰霊塔が建てられている

1915年の7月20日から 10月15日までの たった3ヶ月で 独仏合わせて 

17,000人の死者、
 仏軍側では 17大隊の80%が死亡する という凄まじさでした。

 

山岳地帯の局所的な戦いで、 短期間に、 これだけの犠牲者が出るという 

壮絶な悲劇は 
世界史でも 他に類を見ないという !

04_2








05.      今日でも 兵士が身を潜めた濠、朽ちかけた兵器などが、

十字架と共に その面影を留めていた。

05_4







06. アルザス・ロレーヌ地方には このような ” 瞑想の地 ” が 幾つかある。

 

戦争で 極限の恐怖に直面しながらも、 勇気 そして愛国心という美徳を 

発揮しなければならなかった 多くの 平凡な父や息子たちの魂に 

100年後の今日でも 胸打たれるものがあります。

06_3
( この地に 血を滴らせた 10、000人の フランス兵に捧ぐ )








07.     さて、1967年のある日、 ここ< ル・ランジュ >に
 

50年前戦火をくぐり抜けた 一人の老人が 孫を連れてやって来たそうです。

多くの勇敢な兵士が命を落としたこの聖地が、 荒れ果てるがまま ごみ屑のように 

打ち捨てられているのを目の当たりにし、  彼は涙を流して 悲しみました。
 

07
( 写真は ウエットステン Wettstein 無名戦士の墓地 
  
整然と居並ぶ白い十字架群、 3000のフランス兵が眠っている )

                                   







08.    その光景を目の当りにした地元の関係者が ひどく心を動かされ、

この地を整備し、遺骨を収集し、慰霊塔を立てることを 固く決意したのです。
   

 

しかし、50年以上打ち捨てられていた戦場を整備し、記念館などを建てるには  

かなりの年月が必要でした。
やっと記念式典にこぎつけたのが 14年後の1981年。

08_2








09.      近代兵器のなかった第一次大戦までは 攻撃も防衛も 主役は歩兵で、

 

使われた弾薬の量も 半端な数字ではなかったそうだ。

 

確かに、 第一次大戦当時の写真を見れば アルザスの独仏の戦いは 

文字通り アナログ的で 無防備な生身の肉体が 容赦なく 危険に晒された様が

容易に想像される。
09_2








10.     記念館には 独仏両国の武器、火薬、弾薬、個人の持ち物、ヘルメット、

水筒 写真、手紙、地図  などが展示されていた。
 

子供たちには よい学習の場となったかも知れない。

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11.      ところで、第二次世界大戦で ドイツ軍は フランスが自国防衛の砦として

鉄壁の装備を誇った 「 マジノ線 」 を正面突破するのでなく、

思いもかけぬ地点、つまり フランスが 防衛の想定外としていた

ベルギーのアルデンヌの森方面から なだれ込んだ ・・・


仏国が莫大な国家予算を投じた 「 マジノ線 」 は 無用の長物と化し、
  

ベルギー国境防衛の たった一か所の 気の緩みが 命取りとなった形となりました。 

11




 第一次世界大戦は フランスにとっては もともと ドイツからの 

「アルザス・ロレーヌ地方奪還」 という 具体的命題を持った戦いではありましたが、

名もなき父や息子たちが繰り広げた ヴォ―ジュ山脈での 局所的な 悲惨極まりない

小さな戦いを 笑うがごとく、

英仏伊米などの連合国 対 ドイツという より複雑且つ大局的な構図から

別な場所で 決着が着けられることになったのです。 

時を経て 現在は 「 アルザス ・ ロレーヌ 」 は フランスのものとなっていますが

戦争というものは どの時代にあっても 勝者にも敗者にも つらい禍根を残すもの。


                   





現在は 山あいにスキーリフトなども張られ、平和で静かな ヴォ―ジュの佇まいですが

青い森の中の 白い十字架は 紛れもなく 今日の豊かなフランスの 

歴史の深い傷跡であることに違いありません。


 

                     

 

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コメント

ヨーロッパも世界の戦いの歴史の例の漏れることなく、
長閑な田園や山地に多くの血が流されてきたことに改めて思いを新たに
させていただきました。
極東の島国で生まれ育った身には、
到底想像の及ばない歴史の血が流れているのでしょうね。

のどかで平和そうな村にも、悲惨な過去があるんですね。
現在でも、世界のあちこちで紛争が絶えません。
「世界に国の数だけ正義がある。」 という言葉を聞いた事がありますが、
みんな正義のために戦うのでしょうか。 どれだけ戦いを繰り返せば
世界から戦いが無くなるのか。  (-_-;)
一つの星の上で争い続ける人類の歴史は、この先いつまで続くのか。
改めて考えさせられました。 

こんばんは ヽ(´▽`)/
(-_-)ウーン...かなり考えさせられました・・・。
この地球上で唯一の被爆国・日本。しかし悲惨な戦争の歴史は、世界中どこにでもあるのですね。
フランスとドイツは隣り合っているからこそ、戦火の歴史も激しかったことでしょう。
”マジノ線”は、恥ずかしながら知りませんでした。
しかし、夥しいほどの十字架の数々・・・、そのほとんどが”無名兵士”のお墓なのでしょうね。
合掌 m(u_u)m !
数年前開催された”愛知万博”では、ドイツ館とフランス館は隣同士の一体のパビリオンとして造られていました。
これは『敵対』するのではなく『仲良く協調』することを意図していたと聞いた記憶があります。

bellaさん、
こと同様に、日本中の子供たちには当地の原爆資料館を見学してもらいたいものです。

Bellaさんならではの巧みな文章と、それにマッチした写真にしばし吸い込まれ、興味深く拝見しました。
若夫婦のオーベルジュがある長閑なヴォージュ山地が、多くの戦死者を出した激戦地で、戦死者が50年も放置されていた場所であったとは、予想も出来なかったことです。
改めて戦争の酷さを感じると共に、もう二度とこの長閑で美しい地が乱される事が無い事を祈りたいです。
カジノ線名前だけは知っていましたが、色々と教えて頂き有難うございます。

戦火を交えた両国が、過去の歴史を乗り越えてユーロ圏として共同歩調をとる、やはり大人の国ですね。
同じく昔、無用の長物を巡らしたお隣の国やその他周辺国とは大違いです。
ドイツの奇襲の前に役に立たなかったマジノライン、聞き及んではいます。
「国を守る」という事で築く無用の長物現代版が、フランスにあったんですね。
洋の東西、時代変われど考えることはあまり進歩してなかったという事ですかね~。
(笑)

今日は
水戸には幕末の志士たちが無残な刑死や流罪者を葬った回天神社があります。
1758墓標が整然と建っています。
見た者は厭戦気分になるでしょうね。
主導者になると権限維持でどんな犠牲にも犯します。
私たちも原爆の悲劇は世界に伝えていかねばならないですね。

今日は
水戸には幕末の志士たちが無残な刑死や流罪者を葬った回天神社があります。
1758墓標が整然と建っています。
見た者は厭戦気分になるでしょうね。
主導者になると権限維持でどんな犠牲にも犯します。
私たちも原爆の悲劇は世界に伝えていかねばならないですね。

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