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2012年3月15日 (木)

画家カイユボットの人生は ”連戦連勝!”

ギュスターヴ カイユボット G.Caillebotteは

 

自身も画家でしたが、 当時 まだ売れない印象派の画家たちを
様々な形で支援した パトロンでもありました

 

改装なった 新しいオルセー美術館のお披露目で、

カイユボットの名も 改めてクローズアップされているようですが、、、

 

                     

 

01. カイユボット(1848~1894)は 
繊維産業で財を成した 父親の遺産を 弱冠25歳で相続

 

印象派の画家の絵を買い取り、生活費を援助し、絵の具代を出し、
アトリエを借り上げ、 印象派展開催の費用も捻出し ・・・

 

それは、  お金があるからそうした、というより

同じ画家としての深い洞察と理解 友情からの 信念の行動でした

 01




02. 前回の記事、ルノワール「舟遊びをする人々の昼食」の
絵の中でも カイユボットが登場しておりましたが、

 

彼が セーヌ河畔の ”レストラン、メゾンフルネーズ”に
 

足繁く通ったのには 実は 理由がありました

02

( 上「セーヌの川岸」 絵の具に ポプラの種が混ざっており、
戸外で制作されたことが わかるという )

 

 


03. 彼は一流の画家でしたが、
多分にお金持ちということも あってのことでしょうが

 

大変多趣味な人で、 遺産相続の3年後には、 切手収集と

 
当時新しいスポーツとして人気のあった ”ヨット” を始めました
 

が、 趣味と言っても 彼の場合、桁が違います   !

 

つい最近までは 画家としてより、”切手収集家”として
世界的に有名だった程ですし、

 

レガッタ型のヨット競技 Voilier de regates に出場すれば 連戦連勝!  

結局 フランスチャンピオンになり、

パリヨット連盟(CVP)の副会長まで 登りつめています

03

( ヨットや レガッタの絵も たくさん描いています )



                    

04. さて、 カイユボットは ”ヨットレーサー”として成功を収めると
 

今度は どうしても 自分の手で船を作りたくなる 

 

リュス造船所 Chantier Luce と言う名の、
近代的設備を備えた 本格的造船所を作る一方 

 

ここセーヌ河畔の シャトゥ Chatou のボート工房にも
”ヨットビルダー” として 足繁く通って来た

 

隣の ”メゾンフルネーズ”には ワインと美味しい食べ物があり

ボート気違いの!? フルネーズオヤジさんがいるし
 

画家仲間もたくさんやって来る 

場所としたら もう最高でしょ!!

04







05. カイユボットは モネと共に ジベルニーの温室で

園芸、 特に ”ランの栽培” にも没頭したという

05

( 睡蓮やランの絵も 描いています )

 

 

                   

 

06. さて、カイユボットの最高傑作は 何と言っても
この 「床を削る人々 Raboteurs de parquet(1875年)」

 

パリきっての高級住宅街 ミロメニル通りの アパルトマンの
この一室は カイユボット自身の部屋でした

 

労働者を主題としたこの絵は ”賤しい”ということで

サロン展で落選の憂き目を見るが、 後の印象派展で日の目を見る

 

今日では オルセー美術館の最重要絵画の一枚ですから
カイユボットの執念が実ったと 言えそうです!

06







07. パリの街並みを バルコニーから描いた絵も 魅力のひとつ

07

( オスマン通り )







08. さて、カイユボットは 1880年から住み始めた 
セーヌ河畔の町、プティ ジュンヌヴィリエ Petit-Gennevilliers で
 

人生の最も充実した時期に、45歳の若さで
  

園芸作業中 肺溢血のため 突然死亡してしまう (1894年)

08

( イタリアン通り )






09. カイユボットには 若死にの予感があったのかどうか・・ 

1876年 自分が28歳の時 弟ルネが26歳で死亡した2日後に
 

ルノワールを実行役に指定した 「遺言状」を書いている  (注)

 

ピサロ、モネ、ルノワール、シスレー、ドガ、セザンヌ、マネの、計68点を、

フランス政府に(つまりルーブル美術館に)遺贈するという内容でした

 

しかし、実際 彼が亡くなったあと、この遺言状が
すぐさま 実行に移されることはなかった

 

”ろくでもない” 印象派絵画の 受け取りを拒否する国と
  

印象派を既に理解し始め 買い上げを要求する 一般市民との攻防を

新聞は 1年にわたって センセーショナルに報じた

 

これを 世に ”カイユボット事件”という

09

( これらの傑作は 全てカイユボットが 蒐集したもの )





                

10. 現在のオルセー美術館が ミッテラン大統領の肝いりで

”オルセー駅”から 改装されたのが 1986年
 

”終着駅をルーブル”と指定したカイユボットの夢とは少し違うものの、

 

ルノワールや彼の弟の尽力で、 コレクションが散逸することなく

最終的に 今日のオルセー美術館に収納されたのは

カイユボット自身にとってばかりでなく

印象派そのものにとっても 実に大きな意味があったと言えるでしょう
 

 

このコレクションがあったからこそ クオリティの高い近代絵画が

一般市民から寄せられ、収集家から委託され 雪だるまのように

大きくなって行ったのです


まさにカイユボットコレクションは 「真珠貝の真珠の核」でした!

10

( カイユボットの子供たち、ではありません・・ ↑
弟マルシャルの子供たち、ジャンとジュンヌヴィエーヴ
 

長い巻き毛のジャンは男の子ですが、一定の年齢まで 女の子のようにして育てる、、
いかにも上流階級らしい カイユボット家の姿が見られます )

 

                  

 

11. カイユボットには 
シャルロット・ベルティエ(Charlotte Berthier)という恋人がいました

 

彼の急死で 結婚という形には至りませんでしたが
 

カイユボットに ”売約済み”だったかもしれませんね!

11

( 女性は シャルロット )

 

 

                   

 

多趣味で 才能豊かだったカイユボットは
 

絵画はもとより どの分野でも ”連戦連勝!”

 

”ヨットデザイナー” としてのキャリアは 非常に短かかったけれど

彼のヨットの性能は あっという間に フランスの競技船舶の最高の域に達し、

彼の作ったヨットは 1900年のオリンピックにも出場している

 

しかしながら、 彼の人生において 最も大きな勝利は

 
今日の印象派絵画の価値に 早くに 気付いた

”目利きの勝利” だったかもしれません

 

しかも 遺言通り 国家買い上げまで成就させて、

あの世で カイユボットが言っているかもしれません

 

「 ほ~ら 言った通りでしょう 僕の勝ちですね!!」って

                  







(注)「私が所有している作品を、国家に寄贈する

 

ただし、受け入れられたとしても
屋根裏部屋や、地方の美術館に置かれるのではなく、

 

リュクサンブール(当時の近代美術館)へ、そして後にはルーブルへ
収められることを 切に希望する」

 

≪ Je donne a l’Etat les tableaux que je possede;

 

seulement comme je veux que ce don soit accepte
et le soit de telle facon que ces tableaux n'aillent
ni dans un grenier ni dans un musee de province

 

mais bien au Luxembourg et plus tard au Louvre,≫

 

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コメント

お恥ずかしい事ですが小生カイユボットについては、その絵も人物についても殆ど知りませんでした。
たまたま先日「美の巨人たち」の特別番組「パリの美の殿堂ミステリー探訪」をみて、今回ご紹介頂いた「床を削る人々」の絵や、まさにオルセーを作った人とも言えるカイユボット自身について知りました。
そして今回bellaさんのブログで、絵以外の分野でも幅広く活動した彼の側面も知ることが出来感謝しています。
これほどの才能に恵まれた人が、若しルノアール程生きていたら、どんな絵を残したのだろうかと思うと、45才で亡くなったのは残念ですね。

今晩は
とても楽しく拝見いたしました。
カイユボットは全く知りませんが印象派の絵画を逸散させなかった功労者ですね。
彼の絵、労働者は絵画というより写真のようですね。

昨夜の地震は驚きましたね。
被害は無かったでしょうね?
サッカーの得点シーンを見逃しました。

ギュスターヴ カイユボット は bella さんのブログで
初めて知りました。 やはり印象派の雰囲気を持っていますね。
本当に、どれだけ長く生きたかという事ではなく、どれだけの事を
やり遂げたのか、という事の大事さを教えてくれているようです。
いつもそうですが bella さんのブログは、今回も写真の数が
たいへん多い事といい、また深く歴史的な背景を調査して絶妙な
文章表現で構成した記事といい、力の入れ方が半端では無い、
ブログに掛ける情熱に驚きます。  みなさんきっとそう感じて
おられる事と思います。  拍手 \(^o^)/

こんばんは (^o^)/
カイユボット・・・、す・すみませーん、初めて聞く名前の画家です (^_^;;
それにしても、多趣味な方だったのですね。しかもすべてにおいて成功を収めるとは (゚o゚)スゲェ!
趣味というより、それだけ多彩な才能があったということなのでしょうね。
その時代、名刺というものがあったのか分かりませんが、もしあったとしたら、どの肩書きを使っていたのかナァ・・・(-_-)ウーン?
”連戦連勝”の人生、そういう星の下に生まれたのでしょうね。羨ましい限りです。

bellaさん、
貴姉は(毎度のことながら)立派な美術評論家、美術史家になれますし、
既になっております。
本まで書けそうですね。
写真の術も文章も申し分なく、ぜひ出版することを望みます。
山田五郎とそん色ないですよ。

カイユボットは知りませんでした。
オルセーで目にしたあれらの絵画は彼のおかげなんですね。
読んでいて少しうるうるしてしまいました。
前記事のルノアールも、とても素敵でした。
気のきいたコメントができませんが、いつもとても楽しませていただいてます。

今晩は!
モネ、ルノワール、シスレー、ドガ、セザンヌ、etcと名前だけは承知してますが、カイユボットは初めて知りました。
印象派の絵は総じて明るく、宗教臭さもなく馴染みやすいです。
そして写真の構図に大いに参考になります。
この後、ゴッホ・ピカソへと変遷していくのでしょうね。(この後に続きますか?)
いずれにしても現場に立ちその上での解説は生きた教科書です。
今週も楽しみにしています。

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