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2012年3月

2012年3月29日 (木)

<バカラ> 高級クリスタルが生まれるフランスの田舎町


北フランス、芸術の町を あちこち旅してきましたが、 
今回は  同じ北フランスでも 

パリの東側、  
ロレーヌ地方の < バカラ Baccarat > にまいります。

 

                    

 

01.       バカラと言えば ” 高級クリスタル ” ! 

世界に冠たる 輝かしい 「 バカラ・クリスタル 」 を生み出すこの町ですが
 

ムルト川沿いにひっそりと佇む 思いのほか地味な町でした。 

 

バカラ城下町の人々は バカモア( バカモンでなく  ) と 呼ばれる。

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02.      ここは ふかふかの絨毯が敷かれたショールームですが
 
気軽に買えるものは皆無でした!
 

マイセンやウエッジウッドが 東洋の磁器に触発されたようにバカラも もともとは 

ボヘミアングラスに対抗すべく、 ルイ15世の時代に 発案されたものだ。
 

地域には豊かな森林が広がり、  ガラス生産に不可欠な木材燃料が 

手軽に賄えたため この工業が根付いたのです。

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03.       バカラ製品が 1823年のパリ万博で 透明度とカットの美しさから

金賞を獲ると、
 国内はもとより 世界中の王侯貴族から注文が殺到するようになり、

やがて 普通の人々も その名を口にするような 銘柄となっていく。 

 

’ クリスタル ’ とは 酸化鉛が24%以上のものを指すのですが
 
バカラは 30%を超えており、 指で弾くと キーンと 涼やかな音が響き渡る。

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04.     日本のような地震国ではないから 意外とさらっと展示している。

私は 店内を見てまわるのに 壊さないよう とても気を遣いました~

そして ちゃんとご挨拶と世間話をしましたら ご主人から写真を撮っていいよ、

とOKが出た。 
それから ご主人、 頼んでもないのに クリスタルの成分表や

金属による着色リストなども 持って来て説明してくれた。

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05.       黒いガラスは 新機軸らしく そのリストには載っていませんでしたが

赤いガラスは 金が入っているのでお高いと言いつつ 丸く磨いた赤玉を 

ごろりと回して 嬉しそうでした~

右下は ジャポニズム製品、  右上は 日本の恵比寿ガーデンプレイスに飾られた 

バカラ製シャンデリア、
 6億3000万円ですって・・!   ああ バブル時代!

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ご主人の親切に負けて?  グラスを二つ 買いましたが、

貧乏性にて、 その後 使わずに仕舞ってある。

  
だから 高いものは 始めから買わなきゃいいのに ・・ !!




                        

06.    別れ際に ご主人が うちの町の教会を 是非見て行ってくださいと言った。
 

新しい感じの 鉛筆みたいなへんてこな教会でしたから   言われなかったら

絶対素通りするところでした!

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( 中央奥が サン・レミ教会 )







07.     中に入ると 言葉を失いました ・・・
 サンレミ教会 Eglise Saint-Remy は
 
第二次大戦で連合軍に破壊されたあと、 1957年に再建された
 ’ 20世紀の

近代芸術の至宝 ’ とされる 特別な教会だったのです。

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私が へんてこと言った 55mある三面体の細長い尖塔は 三位一体のシンボルで、

 
錨をおろして船体を固定するがごとく、 

その足元は ムルト川 La Meurthe の岩盤に しっかりと突き刺さっているそうだ。




                    





08.      ステンドグラスは バカラクリスタル製で、 
150種類の色、

20、000ピースから成るものだった。     正に バカラにしか出来ない、 

バカラだから出来た、
 フランスの 珠玉の現代アートと言えるでしょう。

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09.     製造法や設備などの近代化で 現在は19世紀の活況とは違うが、
 

今日でも バカラの工場はちゃんと稼働している

サッカー好きの 小6のこの子の親も 工場で働いているそうだ ・・

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10.     ところで、 この町には 多くの慰霊モニュメントがある

下は  ” 1944年11月15日、 アルザスとストラスブールの開放のために戦った

バカラ人の碑 ”
 戦没者の名前が刻まれている。

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11.      フランス北東部 ” アルザス ・ ロレーヌ ” と言えば
 

数百年にわたり ドイツとフランスの間で争奪の歴史が繰り返されて来た地域ですが、
 

とりわけ 第二次大戦の フランス軍とナチスドイツ軍との戦闘では 

まさに激戦の現場となり、 悲惨な物語が 山と生まれた場所でした。

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美しいクリスタルの輝きから 

もしかして  悲しさも 透けて見えるかも知れません   ・・・








                                      

2012年3月22日 (木)

フランスの出生率が高いのは何故? ある家庭の場合

フランスの出生率は 欧州先進国の中でも飛びぬけている

2008年の統計で2.00人 ( 日本は1.37人 )

 

制度が充実しているとか、経済的支援があるとか

育児環境が整っているとか 様々な原因が挙げられる

 

ちょっと変わった見方では、 移民がバンバン産むからとか
婚外カップルの子供たちの数が意外と多いから、

といった フランス的理由も挙げられる

 

今回は、 フランスのある家庭を例に

私なりの 勝手な想像を巡らしてみたいのです 

 

                    

01. パリ郊外、とある町、
ルノワール通りにお住いの ベルナールさんちは 子だくさん

 

フランス人と言えば 夏のバカンスに命を懸けるのは有名ですが、

冬のスキーも 相変わらず なかなの人気です

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( 色素の薄い彼らに サングラスは必需品! )

 

 

 

02. ママは料理名人  今回 私達が訪問した時、

腕に撚りをかけて 家庭料理をご馳走してくださいました

 

メロンのヨット、 牛フィレと野菜の串焼き、ナスとトマトズッキーニの香草焼き・・・etc 

チーズも レストランのように 産地にこだわってます

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03. ママは 料理好きのマダム達と 月に一度、

持ち回りで 料理研究会を開いている

調理の仕方、味や出来栄えに 忌憚ない意見を述べ合って

腕の向上に努めているという

( キッシュ 

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( レシピや料理写真をまとめた分厚いファイルが もう何冊も出来ていました  )

04. 彼女のコレクションは フクロウの置き物

ジャパニーズ梟も 何羽かお仲間に

                   

 

ママは ”コーラス歴”も長い         食事の後、  私たちは

ヴェルディのオペラ ”ナブッコ”の 「行け我が想いよ黄金の翼に乗って」、 

あの素敵なメロディを 彼女はフランス語で、
私は もちろん日本語とハミングで 合唱しました~

 

当たり前ながら 言葉は違ってもメロディは同じ・・

得も言われぬ共感と 感動が湧き起こりました

 

音楽は万国共通の言葉、 音楽の力は偉大ですネ~~!   

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05. パパは 自動車メーカーの平均的サラリーマン
 

現在は ”先祖の足跡を辿る ナントカ学”に没頭しています

 

先祖に有名なキャプテン(船長さん)がいて、

大西洋などを アフリカや南米まで航海したという・・

 

国立図書館に通い キャプテンの出身地の役場に出向き、
新聞記事なども克明に調べ、
 

その詳しい足跡、人生を知ろうとしているのです

 

楽しげに話す彼の目は キラキラしていて

まるで ”男のロマン”を 追体験しているかのようでした!

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06. ”男のロマン”は 自分の足でも 実現しつつあります・・
 

北スペイン、「サンチャゴ デ コンポステラ巡礼」に 夫婦で挑戦中!

「巡礼」ですから 勿論 全行程を歩いて行くわけです

 

年に2回程、7~10日間の巡礼を繰り返し、数年がかりで

これまで ほぼ 三分の二を踏破している

各宿場でもらった 帆立貝の御朱印帳が なんとも誇らしげ・・

 

bellaめの場合、
飛行機で 一足飛びに サンチャゴデコンポステラ入りしましたから
 

有難味が 全然違いますね!          

( サンチャゴデコンポステラの 大聖堂 ↓)

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07. さて、ベルナールさんちの子供は四人  前置きが長くなりましたが、

 
フランスの出生率の高さの 小さな秘密が
 

もしかして この平凡な家庭に垣間見られるかもしれません

                   

 

この四兄妹は 今や立派な職業人 

○○大学を卒業しましたとか、××一流会社に入社しましたとか、

「何処に入るか」が 重要なのではなく、  「何になるか」が 重要!
 

それが フランス人の基本的な考え方

それを地で行くのが この ファミリーなのです

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                                        (dessin   by bella )






08. 長男、フィリップは テレビディレクターで 国内外飛び回っている 

が、その傍ら 音楽CDのアルバムを出している ミュージシャン

                                         

 

ママに聞いた ”ステージや 動画の中の フィリップは 

自分の子でなく、別人のように 見えるのではないですか~? ”



" いいえ、フィリップは いつも自然体なの ・・・ 

家でも、職場でも、歌っていても、いつも同じように優しくて、ナチュラル

どんな時も 彼自身であり、 私の息子なのよ・・ ”
 

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( ボーカルの女性は彼の恋人という訳ではないそうです )  

 






09. 長女ソフィーの結婚式

  
彼女は シャンゼリゼーやニューヨークの 「シャネル」で働いていたので
香水のテスティングには うるさいという
 

現在は子育て中だが、この前も 親に子供を預けて

タンザニアに出かけて来たらしい・・

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(両親へのプレゼントは 日本のように、披露宴のセレモニーの一環ではなく
後日、寛いだ中で 自然体で行われる)






                    

10. ソフィーのダンナさま フランソワは 経営コンサルタントの傍ら

漫画の物語本をたくさん出していて 売れ行きも上々

巻末には 「家族と 妻ソフィーのサポートに 感謝している」 と、

カッコいいこと 書いてマス

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11. 次女マリンは ホテルマン
 

ホテル学校を出たあと、インターン修行、 その後も
 

ワインや料理の知識 実際の客商売のノウハウを 身に付けるべく

フランス国内外 かなり旅行をして、
 

現在は 人気のレストランで働いている

 

                  

 

私が訪問した日は たまたま 昼過ぎに仕事明けでご帰宅、 

テーブルで ママの料理を取り分けたり ワインを注いだり
プロの技を披露してくれた

 

しかし、仕事は 相当な肉体労働だそうで、 ”疲労困憊”、 

お先に失礼します、と言い残し 

午後3時には 自分のベッドに倒れこみ、夜更けまで寝込んだらしい

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( 胸の桔梗は マリンがこの日 たまたまママに贈った花  dessin by bella )

 

 

                                          

 

三女アストリッドは 看護婦さん、 

看護婦学校を出て、はやり あちこちでインターンを経験し、
今は ある病院で働いている
 

寮生活が長く、 滅多に彼女には会えないでいる・・

 

                                            

さて、フランス人が 全てこうだ、とは申しません 

ただ、フランス人は いつも 
それぞれの境遇で、 自分なりの道を模索しており
 

”個性的でありたい” ”自立した人生を送りたい” と 願っている
 

それは 子供時代から植えつけられる人生観で、

実に大袈裟に言えば  親は ”産みさえすればいい”のです

 

( 勿論 立派な大人にするために 子供時代のしつけは
群を抜いて厳しいですけど・・)

 

                                     

日本の場合は 良い学校・よい大学に入れて、 よい会社に入れて、、、

職に就くにも 得意分野を 何とか 共に探してあげて、、、

よい伴侶を見つけてあげて、、、   とにかくお金がかかるし、、、

 

もう 親の肩の荷が重すぎて
 

確かに 子供を産む気力も 減退するかも知れません・・

                  

フランスの出生率が高水準で維持されているのは 大方は

様々な環境が整っているお陰でしょうが、

基本的には ほぼ18歳を境として 子供の自立が早く、 

” 養育の苦労 ”より ” 成長後の収穫への期待値が高い ”

という理由が  根底にあるからなのではないでしょうか・・  

 

 

ついでながら 
農業大国 フランスの食料自給率の高さ(130%)(日本は39%)も
 

陰ながらの 出生率維持に貢献しているような気もします

 

フランスのあらゆる地方で、 見渡す限りの豊かな農地を見ていると

 

不思議と  「 子供の二人や三人 なんとかなるサア 」

と言う気がしてくるのは確かです!

 

2012年3月15日 (木)

画家カイユボットの人生は ”連戦連勝!”

ギュスターヴ カイユボット G.Caillebotteは

 

自身も画家でしたが、 当時 まだ売れない印象派の画家たちを
様々な形で支援した パトロンでもありました

 

改装なった 新しいオルセー美術館のお披露目で、

カイユボットの名も 改めてクローズアップされているようですが、、、

 

                     

 

01. カイユボット(1848~1894)は 
繊維産業で財を成した 父親の遺産を 弱冠25歳で相続

 

印象派の画家の絵を買い取り、生活費を援助し、絵の具代を出し、
アトリエを借り上げ、 印象派展開催の費用も捻出し ・・・

 

それは、  お金があるからそうした、というより

同じ画家としての深い洞察と理解 友情からの 信念の行動でした

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02. 前回の記事、ルノワール「舟遊びをする人々の昼食」の
絵の中でも カイユボットが登場しておりましたが、

 

彼が セーヌ河畔の ”レストラン、メゾンフルネーズ”に
 

足繁く通ったのには 実は 理由がありました

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( 上「セーヌの川岸」 絵の具に ポプラの種が混ざっており、
戸外で制作されたことが わかるという )

 

 


03. 彼は一流の画家でしたが、
多分にお金持ちということも あってのことでしょうが

 

大変多趣味な人で、 遺産相続の3年後には、 切手収集と

 
当時新しいスポーツとして人気のあった ”ヨット” を始めました
 

が、 趣味と言っても 彼の場合、桁が違います   !

 

つい最近までは 画家としてより、”切手収集家”として
世界的に有名だった程ですし、

 

レガッタ型のヨット競技 Voilier de regates に出場すれば 連戦連勝!  

結局 フランスチャンピオンになり、

パリヨット連盟(CVP)の副会長まで 登りつめています

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( ヨットや レガッタの絵も たくさん描いています )



                    

04. さて、 カイユボットは ”ヨットレーサー”として成功を収めると
 

今度は どうしても 自分の手で船を作りたくなる 

 

リュス造船所 Chantier Luce と言う名の、
近代的設備を備えた 本格的造船所を作る一方 

 

ここセーヌ河畔の シャトゥ Chatou のボート工房にも
”ヨットビルダー” として 足繁く通って来た

 

隣の ”メゾンフルネーズ”には ワインと美味しい食べ物があり

ボート気違いの!? フルネーズオヤジさんがいるし
 

画家仲間もたくさんやって来る 

場所としたら もう最高でしょ!!

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05. カイユボットは モネと共に ジベルニーの温室で

園芸、 特に ”ランの栽培” にも没頭したという

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( 睡蓮やランの絵も 描いています )

 

 

                   

 

06. さて、カイユボットの最高傑作は 何と言っても
この 「床を削る人々 Raboteurs de parquet(1875年)」

 

パリきっての高級住宅街 ミロメニル通りの アパルトマンの
この一室は カイユボット自身の部屋でした

 

労働者を主題としたこの絵は ”賤しい”ということで

サロン展で落選の憂き目を見るが、 後の印象派展で日の目を見る

 

今日では オルセー美術館の最重要絵画の一枚ですから
カイユボットの執念が実ったと 言えそうです!

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07. パリの街並みを バルコニーから描いた絵も 魅力のひとつ

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( オスマン通り )







08. さて、カイユボットは 1880年から住み始めた 
セーヌ河畔の町、プティ ジュンヌヴィリエ Petit-Gennevilliers で
 

人生の最も充実した時期に、45歳の若さで
  

園芸作業中 肺溢血のため 突然死亡してしまう (1894年)

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( イタリアン通り )






09. カイユボットには 若死にの予感があったのかどうか・・ 

1876年 自分が28歳の時 弟ルネが26歳で死亡した2日後に
 

ルノワールを実行役に指定した 「遺言状」を書いている  (注)

 

ピサロ、モネ、ルノワール、シスレー、ドガ、セザンヌ、マネの、計68点を、

フランス政府に(つまりルーブル美術館に)遺贈するという内容でした

 

しかし、実際 彼が亡くなったあと、この遺言状が
すぐさま 実行に移されることはなかった

 

”ろくでもない” 印象派絵画の 受け取りを拒否する国と
  

印象派を既に理解し始め 買い上げを要求する 一般市民との攻防を

新聞は 1年にわたって センセーショナルに報じた

 

これを 世に ”カイユボット事件”という

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( これらの傑作は 全てカイユボットが 蒐集したもの )





                

10. 現在のオルセー美術館が ミッテラン大統領の肝いりで

”オルセー駅”から 改装されたのが 1986年
 

”終着駅をルーブル”と指定したカイユボットの夢とは少し違うものの、

 

ルノワールや彼の弟の尽力で、 コレクションが散逸することなく

最終的に 今日のオルセー美術館に収納されたのは

カイユボット自身にとってばかりでなく

印象派そのものにとっても 実に大きな意味があったと言えるでしょう
 

 

このコレクションがあったからこそ クオリティの高い近代絵画が

一般市民から寄せられ、収集家から委託され 雪だるまのように

大きくなって行ったのです


まさにカイユボットコレクションは 「真珠貝の真珠の核」でした!

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( カイユボットの子供たち、ではありません・・ ↑
弟マルシャルの子供たち、ジャンとジュンヌヴィエーヴ
 

長い巻き毛のジャンは男の子ですが、一定の年齢まで 女の子のようにして育てる、、
いかにも上流階級らしい カイユボット家の姿が見られます )

 

                  

 

11. カイユボットには 
シャルロット・ベルティエ(Charlotte Berthier)という恋人がいました

 

彼の急死で 結婚という形には至りませんでしたが
 

カイユボットに ”売約済み”だったかもしれませんね!

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( 女性は シャルロット )

 

 

                   

 

多趣味で 才能豊かだったカイユボットは
 

絵画はもとより どの分野でも ”連戦連勝!”

 

”ヨットデザイナー” としてのキャリアは 非常に短かかったけれど

彼のヨットの性能は あっという間に フランスの競技船舶の最高の域に達し、

彼の作ったヨットは 1900年のオリンピックにも出場している

 

しかしながら、 彼の人生において 最も大きな勝利は

 
今日の印象派絵画の価値に 早くに 気付いた

”目利きの勝利” だったかもしれません

 

しかも 遺言通り 国家買い上げまで成就させて、

あの世で カイユボットが言っているかもしれません

 

「 ほ~ら 言った通りでしょう 僕の勝ちですね!!」って

                  







(注)「私が所有している作品を、国家に寄贈する

 

ただし、受け入れられたとしても
屋根裏部屋や、地方の美術館に置かれるのではなく、

 

リュクサンブール(当時の近代美術館)へ、そして後にはルーブルへ
収められることを 切に希望する」

 

≪ Je donne a l’Etat les tableaux que je possede;

 

seulement comme je veux que ce don soit accepte
et le soit de telle facon que ces tableaux n'aillent
ni dans un grenier ni dans un musee de province

 

mais bien au Luxembourg et plus tard au Louvre,≫

 

2012年3月 8日 (木)

ルノワール「舟遊びをする人々の昼食」 舞台はメゾンフルネーズ


今回は ルノワールの傑作 「舟遊びをする人々の昼食」が描かれた
 

セーヌ川のほとり、 << シャトゥ Chatou にあるレストラン、
 

メゾンフルネーズ Maison Fournaise >>

を訪ねます

 

                    


セーヌが蛇行する パリ西側の郊外は 今や首都への通勤圏, 

一部は住宅地となり 一部は工業地帯となりましたが
 

古き良き時代にあっては、 印象派の画家たちが 

こぞって 岸辺の町々で 絵を描いておりました

                      

 

 

01. ここ セーヌ河畔の シャトゥ Chatouにも 

マネ、 モネ、 シスレー、 ピサロ、 カイユボット、 クールベなど 
多くの画家が来ていますが

 

本日の主人公は <<ルノワール Auguste Renoir>>

01_3

( ルノワールは シャトゥで 30作以上の絵を描いています )

 


02. 実は、 シャトゥ近くの とある町の
”ルノワール通り”に 私たちの友人が住んでいます
 

「 前から気になっていたのだけど、ルノワールって
まさか ”あの”ルノワールのこと~ ?」
 

「 もちろん、”その”ルノワールよ 」

 

そういうことで、二つ返事、  有難いことに、

日本人が ウロウロと 場所探しに苦労することもなく、 

 

ルノワールの「 舟遊びをする人々の昼食 」の舞台 

”メゾンフルネーズ ”に 案内してもらうことになりました !

02

 

 

03. ところで、  私は ずっと以前から
 

この絵に 特別な関心を 抱いておりました

 

それは 美術館でたまたま立ち寄った 高校生の作品展でのこと・・・

03

「舟遊びをする~~」の 部分模写が 30作ほど並んでいた 

顔つきも帽子も襟も それぞれ微妙に違っていて 実に面白かった

 

本物はどんな風だったかしら・・
家に帰ってすぐ 画集を開いて確認

 

登場人物の話など 読み進めるうちに

いつかは メゾンフルネーズに行くぞ! と心に決めてしまった

 

 

                   

 

 

04. これが 「 舟遊びをする人々の昼食 」
( Dejeuner des Canotiers ) 1881年 

登場人物は 全て実在で どれが誰か 名前もわかっている 

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画面左手 子犬と遊ぶのが ルノワールの妻アリーヌ

その後ろの麦わら帽が このレストランの主人 アルフォンスフルネーズ

手前右が 画家カイユボット

その向こうが 女優 エレン アンドレ      etc・・・・・

 

                       

 

05. 現在の”メゾン フルネーズ Maison Fournaise”

レストラン、小美術館、土産物コーナーなどで構成されている

05







06. 絵の中のバルコニーは セーヌに突き出しているものと
私は 勝手にイメージしてましたが
 

建物は 川岸から少し離れていました

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07. この2階部分が 件のバルコニー 

07








08. モーパッサンの短編には 何回か この ”メゾンフルネーズ” が
登場しているそうですが
 

単なる舟遊びの場だっただけでなく 文化的社交場として

大きな役割を果たしていた訳です

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09. 毎年、9月の第三日曜日、フランス文化遺産の日には
ここ ”メゾンフルネーズ”に 19世紀の衣装を纏った人々が集う
 

「船遊びをする~~」 の画面構成通りに 人物を配置すると ↓

 
これも又、 フランス的で お洒落な試みですね

09






10. ジベルニーの 蓮池がある <モネの庭>も 
一時は 人手に渡り 荒れ果てていましたが、

     
”メゾン フルネーズ”も 例外ではありません

 

1906年に 50年の営業歴史の幕が下ろされた後 荒れるがままだった建物を
 

1979年に シャトゥ市が買い取り、改修、

 

文化遺産として 新しい形の ”メゾンフルネーズ”が 1990年に再開されました
 

10








11. ところで この ”メゾンフルネーズ ”は、セーヌの中州、細長い島の中にある

 

パリの西側では セーヌが2本に分かれたり 一本になったり
変化に富んだ 岸辺の風景が続きます ・・・
 

画家にとっては たまらないロケーション! 

 

この地域に 多くのインプレッショニストたちが 集ったのも

当然のことだったかもしれませんね

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12. こちらは 中州の もう片側のセーヌ川 

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蛇足ですが、 ”メゾンフルネーズ”のオヤジさん 
アルフォンス・フルネーズは もともと船大工、
 

熱心に ボート作りに励んだばかりでなく、
 

鉄道の開通で パリからアクセスし易くなった愛好家の為に 

貸ボートを提供し、   速さを競うレガッタ競技や、

みんなが楽しめるフェスティバルを開催し、、、

 

言ってみれば ” ボート馬鹿 ”でした!

 

 

一方、 美味しいフランス料理を作り、客をもてなし、レストラン運営を軌道に乗せ、 

パリからの観光客、 画家や文化人たちのハートを捉え
 

心地よい溜り場となし、、、

 

ボートのことで頭が一杯のアルフォンスを 支えたのが

 
まさに 妻、 娘(特に画家たちのモデルとしても愛された)、

そして息子でした

 

                     

男の夢 と ”メゾンフルネーズ ”

 
絵に描いたような <<家族愛の場>>でしたし、 

 

不朽の名作「 舟遊びをする人々の昼食 」を生み出した 

ルノワールを取り巻く人々の友情や人生を乗せた<<舞台>>でもあったのです

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