<バカラ> 高級クリスタルが生まれるフランスの田舎町
北フランス、芸術の町を あちこち旅してきましたが、 今回は 同じ北フランスでも
パリの東側、 ロレーヌ地方の < バカラ Baccarat > にまいります。
01. バカラと言えば ” 高級クリスタル ” !
世界に冠たる 輝かしい 「 バカラ・クリスタル 」 を生み出すこの町ですが
ムルト川沿いにひっそりと佇む 思いのほか地味な町でした。
バカラ城下町の人々は バカモア( バカモンでなく ) と 呼ばれる。
02. ここは ふかふかの絨毯が敷かれたショールームですが
気軽に買えるものは皆無でした!
マイセンやウエッジウッドが 東洋の磁器に触発されたように 、バカラも もともとは
ボヘミアングラスに対抗すべく、 ルイ15世の時代に 発案されたものだ。
地域には豊かな森林が広がり、 ガラス生産に不可欠な木材燃料が
手軽に賄えたため この工業が根付いたのです。
03. バカラ製品が 1823年のパリ万博で 透明度とカットの美しさから
金賞を獲ると、 国内はもとより 世界中の王侯貴族から注文が殺到するようになり、
やがて 普通の人々も その名を口にするような 銘柄となっていく。
’ クリスタル ’ とは 酸化鉛が24%以上のものを指すのですが
バカラは 30%を超えており、 指で弾くと キーンと 涼やかな音が響き渡る。
04. 日本のような地震国ではないから 意外とさらっと展示している。
私は 店内を見てまわるのに 壊さないよう とても気を遣いました~
そして ちゃんとご挨拶と世間話をしましたら ご主人から写真を撮っていいよ、
とOKが出た。 それから ご主人、 頼んでもないのに クリスタルの成分表や
金属による着色リストなども 持って来て説明してくれた。
05. 黒いガラスは 新機軸らしく そのリストには載っていませんでしたが
赤いガラスは 金が入っているのでお高いと言いつつ 丸く磨いた赤玉を
ごろりと回して 嬉しそうでした~
右下は ジャポニズム製品、 右上は 日本の恵比寿ガーデンプレイスに飾られた
バカラ製シャンデリア、 6億3000万円ですって・・! ああ バブル時代!
ご主人の親切に負けて? グラスを二つ 買いましたが、
貧乏性にて、 その後 使わずに仕舞ってある。
だから 高いものは 始めから買わなきゃいいのに ・・ !!
06. 別れ際に ご主人が うちの町の教会を 是非見て行ってくださいと言った。
新しい感じの 鉛筆みたいなへんてこな教会でしたから 言われなかったら
絶対素通りするところでした!
( 中央奥が サン・レミ教会 )
07. 中に入ると 言葉を失いました ・・・ サンレミ教会 Eglise Saint-Remy は
第二次大戦で連合軍に破壊されたあと、 1957年に再建された ’ 20世紀の
近代芸術の至宝 ’ とされる 特別な教会だったのです。
私が へんてこと言った 55mある三面体の細長い尖塔は 三位一体のシンボルで、
錨をおろして船体を固定するがごとく、
その足元は ムルト川 La Meurthe の岩盤に しっかりと突き刺さっているそうだ。
08. ステンドグラスは バカラクリスタル製で、 150種類の色、
20、000ピースから成るものだった。 正に バカラにしか出来ない、
バカラだから出来た、 フランスの 珠玉の現代アートと言えるでしょう。
09. 製造法や設備などの近代化で 現在は19世紀の活況とは違うが、
今日でも バカラの工場はちゃんと稼働している 。
サッカー好きの 小6のこの子の親も 工場で働いているそうだ ・・
10. ところで、 この町には 多くの慰霊モニュメントがある 。
下は ” 1944年11月15日、 アルザスとストラスブールの開放のために戦った
バカラ人の碑 ” 戦没者の名前が刻まれている。
11. フランス北東部 ” アルザス ・ ロレーヌ ” と言えば
数百年にわたり ドイツとフランスの間で争奪の歴史が繰り返されて来た地域ですが、
とりわけ 第二次大戦の フランス軍とナチスドイツ軍との戦闘では
まさに激戦の現場となり、 悲惨な物語が 山と生まれた場所でした。
美しいクリスタルの輝きから
もしかして 悲しさも 透けて見えるかも知れません ・・・