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2011年12月21日 (水)

ブルターニュは ゴーギャン芸術の 揺りかご!

                                                       

ポール ゴーギャン P.Gauguinが ブルターニュ、

ポンタヴェン Pont-Avenにやって来たのが 1886年

 

5人も子供を設けた妻、メットとの生活が 既に破綻した後でした

 

                                                        




01. アヴェン川 L’Avenは 結構な急流で
ポンタヴェンの町に 流れ込んでいく

 

ゴーギャンの いわゆる ”ブルターニュへの逃避” は


 
パリ画壇の潮流への嫌悪も あったし、
 

素朴でプリミティヴな 当地の風景と人間への憧れも
あってのことでした

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02.コンカルノーに シニャックなどが来ていたように、

ここポンタヴェンにも 毎夏、多くの画家が やって来ていました

 

絵心をそそる風景が そこかしこにあったし、

 

民族衣装の働く女たちが 気軽にポーズを取ってくれるのも

画家にはたまらない魅力でした

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03. 生活費が安く、安心して暮らせる町 ポンタヴェン、

 

ゴーギャンは 当時 芸術家の溜り場となっていた

安宿の旅籠 「グロアネック」を 常宿としていた 

03_3

( パンション(食事付き宿) グロアネック )

 

 

 

04. アヴェン川のほとり、 洗濯場 Lavoir

04

 





05  ここにも 洗濯場が・・・

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06. ゴーギャンは その後 パリに帰るが、

作品は売れず 飢餓状態が続いたため、  

 

”砂漠のような”パリを離れて、 1887年、

今度は ” マルティニック諸島と パナマへ逃避 ”する

 

しかし、パナマ運河で働くも 僅か15日で解雇、

所持金も使い果たし

おまけに 赤痢とマラリアにやられてしまう

06





07 マルティニックで描いた エキゾチックな風物の絵の方は

 

ひょっとして パリの収集家の目に 新鮮に映るかも知れないと
期待するが

 

結局 見事に無視される!

07

( 町の中心あたりの アヴェン川  建物は共同トイレ )

 

                                

08. 肉体と心と、満身創痍のゴーギャンを受け入れたのが

再びのブルターニュ、 ポンタヴェンでした

 

1888年、エミール・ベルナールなどと共に

 

「ポンタヴェン派」の画家として、
 

数々の有名な絵を描いたのは この頃です

08






09.次に、有名な ” アルルでの ゴッホとの共同生活 ”に
踏み切ったのが 1888年の10月、

 

僅か3か月で 二人の関係は破綻する

 

狂気のゴッホに対して、 理性のゴーギャンと 言われるが

ゴーギャンにも 言いたいことは 山ほどあっただろう

 

その ザワザワと波立つ感情を 懐深く受け止めたのが 

またしても ブルターニュ

09

( アヴェン川には 多くの水車があり
ここの風景を ゴーギャンが描いています  )

09b_3








10. さて、ゴーギャンは 1890年まで
 

ポンタヴェンで 数々の傑作を描き、 その後、

 

パリ生活を経て、いよいよ ” タヒチ ” へ向うことになる

10週間の船旅の後、タヒチに到着したのが 1891年6月

 

その後のタヒチでの生活は
 

多くの作品と共に よく知られるところです・・

 

                                 

ところで このアヴェン川は、 町を出てから

徐々に その川幅を広げ、


直線で約6km先 大西洋へ 洋々と流れ込む

10

 




ゴーギャンに
 

画家魂を満足させる 豊かな画題を提供したのも ブルターニュ

 

傷ついたゴーギャンを 幾度となく抱きしめたのも ブルターニュ

 

ゴーギャンが タヒチという大海原の向こうに 夢を託すと

発想させたのも

もしかして、このアヴェン川だったかもしれません

 

                               



「 ポンタヴェン 」 こそ 

” ゴーギャン芸術の 揺りかご ” だったでしょうか・・・

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コメント

bellaさん、こんばんは。
かなり感激してます。。。
描かれた作品と実在の風景をこうして比べて観てみると、
うんと昔の有名画家がまだ生存して作品を描いているような不思議な感じがします。
川で洗濯している女性たちの姿を描いたものとか、いいな~。
いつも褒めてくださいますが、bellaさんの文章はわかりやすくて、まるで作家さんが書かれたみたいに引きこまれます。。。

bellaさん、
タヒチに行く前にこういうことがあったとは全く知りませんでした。

ゴーギャンといえばタヒチとアルルのゴッホ事件ばかりが有名になっていますが、
ポンタヴェン派の中心人物であった彼の画家としての「揺りかご」の土地が
bellaさん流のペンとカメラが、何時もながら素晴らしいです。
あの時代に、貧乏画家が短い期間のあいだに、パナマ、マルティニク、ブルターニュ、
アルル、そしてついにタヒチまで移動したのも驚きですが、
ゴーギャンの画家修業以前の、子供の頃の南米移住から船員などの経歴をみると、
なるほどと肯かれるようです。

今日は
造詣の深いbellaさんのフランスの風景や画家達の解説に何時も魅せられています。
ゴーギャンについてはゴッホとのトラブル、
タヒチの住民達の姿を描いた画家であるだけしか知りませんでした。
落ち着いた綺麗な所ですね。

ブルターニュの景色の写真を拝見すると、それまでの印象主義的画法で更に進むこともありえそうと思われる程美しい景色です。
しかし以前のブログで、ブルターニュはケルト文化を受け継いでいることを紹介されていましたが、パリと対極にあるケルト文化を引き継ぐ素朴な人々や風物が、ゴーギャンを印象主義から単純化されたフォルムや色彩による独自の様式へと転換させたのっでしょうね。
ブログを拝見して、ブルターニュに来た1886年からタヒチに去る1891年の40歳前後の僅か5年の間に、ゴーギャンは実に色々の事を経験したのに驚かされます。
その体験が彼をして、最後には文明社会とわかれれを告げてタチヒに旅立たせたのでしょうね。

bellaお姉さま、メリークリスマス!
今頃、お姉さまは温かい暖炉のそばでお過ごしでしょうか?
それとも教会?
ゴーギャンの数奇な人生を見事に描かれた今回のブログ
素晴らしいですね
私のような芸術オンチでもよくわかるように詳しく説明されていらっしゃいます
ゴーギャンも挫折だらけですね~
マラリアと赤痢・・・ダブルパンチでよく命があったなと思いますよ
私ならもうお陀仏様かも~(汗)
共同のトイレが川のすぐそばにあるのは驚きました
これぞまさしく水洗トイレ?(笑)
水車小屋の絵のとおりの光景が今もなお残っているのが
素敵ですね~
こういう場所に私も行ってみたいなと思います
お姉さまのブログは夢のブログですわ♪

こんばんは (^o^)/
ゴーギャンといえば、どうしてもタヒチのイメージが強いです。
でもブルターニュでの暮らしがあったからこそ、なのですね。
私は美術にはとんと疎いもので、名前ぐらいしか知らないのですが、
関心のある方は、その作品が描かれた場所を訪れることも楽しいでしょうね。
bellaさんのブログでいつも思うのは、絵心がある方だけに写真の構図も素晴らしく、
絵画的な写真だナァ!と感じます (^_^)!

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