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2011年12月

2011年12月28日 (水)

ゴーギャン 実在する「黄色いキリスト」(その1)

ゴーギャンが滞在した ポンタヴェンPont-Aven、 

その郊外に 「 トレマロ礼拝堂 Chapelle de Tremalo 」 がある。 

そこには 「黄色いキリスト」という作品に登場した本物の黄色いキリストの木像があった。

 

 

01.    ゴーギャンは 1888年に 「説教のあとの幻影」 を 描いている。


画面 右端の司祭から 天使と闘うヤコブの話を 聞きながら、
 

ブルターニュの素朴な田舎の娘たちが 心にその情景を思い浮かべている場面だ。

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構図などは 日本美術の影響を はっきり受けてはいるが、 美術史的には 

「黄色いキリスト」 と共に
  内面的な思想を 象徴的に表す絵画の始まりとして

重要な作品と言われる。






 

02.      さて、並木を抜けて 「 トレマロ礼拝堂 」 に やって来ると

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03.    素朴な石のチャペルが 紫陽花とともに ひっそりと待ち受けておりました。

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04.      日本の茶室の ” にじり口 ” ではないが、
 

小さな入り口、  やや屈むようにして 現世から 堂内に入る仕組みだ。

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05.        薄暗い内部は 素朴ながら 美しい設えで、

石造りであっても、 不思議な暖かさを 湛えておりました。

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( 数ある欧州の教会で、 信者でもない私が 
名状し難い 不思議な霊感に 

強く抱きすくめられたのは 
ポルトガル、マリアの奇跡で有名な 聖地ファティマ と

ここ トレマロの 2か所だけでした~ ~  )
 








06. 次の作品は 「 キリスト磔刑図 (黄色いキリスト) 」 1889年

 

ブルターニュの晩秋、 哀愁漂う黄色い丘を背に、 

はっきり祈るでもない うつろな目の農婦たちと 祈りもそこそこに 足早に立去る農夫。
 



中心に 十字架上で 一人 
殉教の意味を自問するキリストの メランコリックな姿、 

それらを 平面的なタッチで 象徴的に 描いている。

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この黄色いキリスト像の元になった実物のキリスト像が 
この礼拝堂にあるのです!

 

このあと  次回の 「 黄色いキリスト (その2) 」 に 続きます



                                

2011年12月21日 (水)

ブルターニュは ゴーギャン芸術の 揺りかご!

                                                       

ポール ゴーギャン P.Gauguinが ブルターニュ、

ポンタヴェン Pont-Avenにやって来たのが 1886年

 

5人も子供を設けた妻、メットとの生活が 既に破綻した後でした

 

                                                        




01. アヴェン川 L’Avenは 結構な急流で
ポンタヴェンの町に 流れ込んでいく

 

ゴーギャンの いわゆる ”ブルターニュへの逃避” は


 
パリ画壇の潮流への嫌悪も あったし、
 

素朴でプリミティヴな 当地の風景と人間への憧れも
あってのことでした

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02.コンカルノーに シニャックなどが来ていたように、

ここポンタヴェンにも 毎夏、多くの画家が やって来ていました

 

絵心をそそる風景が そこかしこにあったし、

 

民族衣装の働く女たちが 気軽にポーズを取ってくれるのも

画家にはたまらない魅力でした

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03. 生活費が安く、安心して暮らせる町 ポンタヴェン、

 

ゴーギャンは 当時 芸術家の溜り場となっていた

安宿の旅籠 「グロアネック」を 常宿としていた 

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( パンション(食事付き宿) グロアネック )

 

 

 

04. アヴェン川のほとり、 洗濯場 Lavoir

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05  ここにも 洗濯場が・・・

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06. ゴーギャンは その後 パリに帰るが、

作品は売れず 飢餓状態が続いたため、  

 

”砂漠のような”パリを離れて、 1887年、

今度は ” マルティニック諸島と パナマへ逃避 ”する

 

しかし、パナマ運河で働くも 僅か15日で解雇、

所持金も使い果たし

おまけに 赤痢とマラリアにやられてしまう

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07 マルティニックで描いた エキゾチックな風物の絵の方は

 

ひょっとして パリの収集家の目に 新鮮に映るかも知れないと
期待するが

 

結局 見事に無視される!

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( 町の中心あたりの アヴェン川  建物は共同トイレ )

 

                                

08. 肉体と心と、満身創痍のゴーギャンを受け入れたのが

再びのブルターニュ、 ポンタヴェンでした

 

1888年、エミール・ベルナールなどと共に

 

「ポンタヴェン派」の画家として、
 

数々の有名な絵を描いたのは この頃です

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09.次に、有名な ” アルルでの ゴッホとの共同生活 ”に
踏み切ったのが 1888年の10月、

 

僅か3か月で 二人の関係は破綻する

 

狂気のゴッホに対して、 理性のゴーギャンと 言われるが

ゴーギャンにも 言いたいことは 山ほどあっただろう

 

その ザワザワと波立つ感情を 懐深く受け止めたのが 

またしても ブルターニュ

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( アヴェン川には 多くの水車があり
ここの風景を ゴーギャンが描いています  )

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10. さて、ゴーギャンは 1890年まで
 

ポンタヴェンで 数々の傑作を描き、 その後、

 

パリ生活を経て、いよいよ ” タヒチ ” へ向うことになる

10週間の船旅の後、タヒチに到着したのが 1891年6月

 

その後のタヒチでの生活は
 

多くの作品と共に よく知られるところです・・

 

                                 

ところで このアヴェン川は、 町を出てから

徐々に その川幅を広げ、


直線で約6km先 大西洋へ 洋々と流れ込む

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ゴーギャンに
 

画家魂を満足させる 豊かな画題を提供したのも ブルターニュ

 

傷ついたゴーギャンを 幾度となく抱きしめたのも ブルターニュ

 

ゴーギャンが タヒチという大海原の向こうに 夢を託すと

発想させたのも

もしかして、このアヴェン川だったかもしれません

 

                               



「 ポンタヴェン 」 こそ 

” ゴーギャン芸術の 揺りかご ” だったでしょうか・・・

2011年12月14日 (水)

「クレープ」と「ガレット」は ブルターニュが発祥の地 

ブルターニュ発祥の食べ物と言えば  「クレープ と ガレット」 ですが、

「クイネット Kouignette」も 忘れてはなりません

 

                                                         

 

 

01.   城壁で囲われた島 Ville close、コンカルノー Concarneauに有名な 「ショコラトリー」が あります

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( Maison Georges Larnicol )






02. ここで売られているのが 「クイネット」 

プレーン、アーモンド、アプリコット、塩キャラメル、サクランボ、チョコレート、レモンなど 味付けは16種もありますよ

 

どんなお味かと言うと・・・    しっとりした菓子生地が 渦巻き状に巻かれていて・・ 

日本では 西洋菓子のブームが 次々来てますね   「クイネット」も 候補の一つでしょうか~

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( 写真   上が クイネット、  下は メレンゲ菓子 )

 

 

03.      これ全て チョコレート    力作ですね~!

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04.     このお店のモットーは      「お菓子作り 技術は情熱なり」 

「セルフサービス」の貼り紙もあります

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05.       さて、 寒冷なブルターニュの土地は 痩せていて
 

ワインの代わりに 「シードル」が 作られ、小麦の代わりに 「蕎麦」が 作られて来ました

 

今日でも ブルターニュに足を踏み入れると、

ホテルやレストランから フランスらしい あの「 バゲット 」は パタリと姿を消す
 

(   もちろん いわゆる ” パン ” は出ますけど  ・・・  )

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( サンマロにて 露店のクレープ屋さん )

 



                         

06.   昔、 ブルターニュの人々は  蕎麦を 「蕎麦がき」 や 「粥」にして 食べていましたが 

ひょんなことから、それを 熱い小石 Galetの上で 焼いて食べると 美味しいことを 発見した

 それが、ブルターニュの名物 「 ガレット Galette 」 になった訳 !

 

ガレットは そば粉と塩と水だけで 生地を作り、

そこに ハムやチーズ 野菜、玉子などを乗せる 惣菜系の食べ物なのです

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07.    やがて、そば粉の代わりに 小麦粉を使い、牛乳 バター 玉子 砂糖などを

混ぜて 生地にしたものが 今日の 「 クレープ Crepe 」 となったのです

 

クレープは ご存じの通り、  甘いお菓子系と 塩味の惣菜系と、両方あります

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( 私は 写真のように マロンペースト、アップルなど もっぱら菓子系のクレープばかり 食べ歩きました! ) 






08.   ところで 「ガレット」は  もう一つ別なものを 指すことがあります
 

いわゆる ” 丸く平たい 焼き菓子のガレット ” のこと

 

そう言えば  モンサンミッシェルのお土産も ”ガレット ”  でした

 

                           



ゴーギャンが活動した町、ポンタヴェンにある 

この 「Traou Mad」 という店のガレットは とても有名で、お客さんもたくさん来てました~ 

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09.     「 Traou Mad 」社のガレット、  「 ガレット ド ポンタヴェン 」 は 

イメージキャラクターに採用したゴーギャンの絵と相まって 今では 広く その名が知られています

 

                            


1975年には「Les Galettes de Pont-Aven」  という映画も作られていますが 

芸術的な意味で? 女性の美しいお尻を崇拝する アル中気味の画家の話で、 

いかにもフランス的な映画です~!

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10.    ところで、「Traou Mad」は ブルトン語で 「良きこと」を 意味する単語らしい
 

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Traou Mad社の この商標登録図は 

 

ゴーギャンが 1888年に描いた 「 ブルターニュの少女たちの ロンド(輪舞) 」 という絵です~

                            

日本でも お洒落な食べ物として  すっかり定着したクレープ、

 

本来は ブルターニュの 貧しい食糧事情から  発展してきたものだったのですね
  

 

                           

2011年12月 6日 (火)

「囲われた町 コンカルノー」 と 画家シニャック

ブルターニュといえば やはり ” 海 ”、

 

今回は 海に面した、  と言うより 「  どっぷり海の中にある町 コンカルノー 」を 訪れます

 

                          

 






01.    「 コンカルノー Concarneau 」 は
 

口を開けたワニのような形のブルターニュ半島、 その下あごの部分にあたる 港町

 

日差しの輝きは 南仏に負けてません !  

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02.    「  コンカルノー 」は 島全体が城壁で囲まれており、
 

14世紀に、  継承争いの内戦や イギリス軍の侵攻があった時

その城壁が 大きな役割を果たしたのだという

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03.       真ん中の小島が 城壁で囲われたコンカルノー 

 

Google Earthで この俯瞰の姿を見たとたん、  どうしても行ってみたくなったのです !

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( 現在は 当然ながら その小島ばかりでなく 回りの地域全体が コンカルノー市になっています )

                             





04.       島を囲む 城壁の入り口       潮が満ちています・・・・・

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05.       潮が引きました  ・・・・・

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06.        そして また 潮が満ちて  ・・・・・

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07.        また 潮が引いて   ・・・・・

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昔から コンカルノーは  豊富な魚介に恵まれた漁港として 活況を呈してきましたが

 

近年でも トロール船や 貨物船が出入りし、

多くのヨットが停泊する 大西洋側の重要な港となっています

                             







08.        島の中は 現在は 観光が中心です ~

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09.       シードル ( りんご酒 )は もともと グラスでなく 「 陶器 」で飲むのが 正式
 

ムールは 貝殻をピンセット代わりにして  身をつまむのが 正式です~

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10.      お二人とも リタイア組み   
左側の紳士は 元エールフランスのパーサー

ヨットで生活し、 週に3回は このレストランに来るという  ( なんと優雅なこと ~~~ )

 

実は 彼には 我々の ’ 夫婦喧嘩 ’の一部始終を 隣のテーブルで 聞かれてしまった  

でも 日本語でよかった~~~   

国際派の ’ パーサー氏 ’も さすが 日本語はわからないと言ってました~  ホッ! 

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11.    ところで 多くの画家が コンカルノーで絵を描いているが

海辺や港の風景、ヨットなどを好んで描いた画家  「 ポール シニャック Paul Signac 1863~1935 」 

彼が ここ コンカルノーを見逃すはずがありません

 

彼は 1891年にコンカルノーに滞在 ( 1925年にも再来している ) 

輝く海と帆船の 独特の明るい「点描画」を仕上げたのち、

 

所有するヨット 「オランピア号」を 自ら操縦して  南仏サントロぺに向ったという

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( 左 「 コンカルノー港 」ブリジストン美術館蔵、  右上 「 朝の静けさ 」 右下 「 夕べの静けさ 」    )

                         

 

実は シニャックは あのゴッホに  ゴーギャン同様、 アルルに来るよう 勧誘を受けていた 

実際 その話には乗らなかったが、  ゴッホの 「耳切り事件」のあと、 シニャックは
ゴッホの見舞に行っている

 

                            

 

ところで、「 コンカルノー 」の近くには 「 ポンタヴェン 」 という町があり 

ゴーギャンを筆頭に  「ポンタヴェン派」という画家グループが 活動していました

 

 

南フランス同様  北フランスでも、  いろいろな画家たちの人生が


網の目のように 複雑に 絡み合っていたのです・・・

                              

「ブルターニュ」 つづきます

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