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2011年9月15日 (木)

ペストの大流行 その時ルアン公国はどうしたか~


さて、  14世紀に起こった 恐ろしいペストの蔓延を、

ここ北フランスのルアンも 免れることはありませんでした




累々と積み重なる遺体を 何とか処理しなければならなかった公国は

埋葬と言うよりは、死体処理の為の アトリウム( 回廊墓地 )を作ったのです


                                         



サン・マクルー アトリウム (Aitre St Maclou)こそ 現存する 中世の「死体置き場」として 

貴重な歴史の証人なのです



                                     






01. ここは サン・マクルー教会前広場 ( Eglise St Maclou)

1348年に始まった黒死病(Grand Pest Noir) つまりペストの大流行によって、

ヨーロッパの人口の三分の一が 失われたという

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02.   ルアン市は 当初、 ここサンマクルー教会の墓地に 遺体を埋葬していたが、

後からあとから増える 遺体の山を 処理し切れなくなったのです !

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03.  そこで 1526年から1533年にかけて建てられたのが 

死体置き場(Charnier)としての 回廊(Aitre)

狭い入り口を抜けると、 四方を黒い木組みでとり囲まれた 回廊が現れます

かなり不気味でした~!

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04.    柱という柱に 骸骨のレリーフが彫られ、 大腿骨、頚骨、スコップ、剣、棺桶、

砂時計、ロウソク、釘、鞭、十字架などの彫刻が  建物を一周する

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05.    さて、回廊というだけに、当初は1階部分は 窓ガラスはなく、

石の柱が連なる 吹きさらしの廊下でした

 


ペスト大流行当時、  山のように積み重なる遺体は 簡素な布に巻かれただけで、

だれ彼構わず ごちゃごちゃに 回廊床の共同穴に 放り込まれました

それでも 遺体の数は 墓のキャパシティをどんどん上回る !


穴の中の遺体の肉が 一刻も早く腐り、骨になるよう

強い熱(仏語では chaud vive、具体的にどういうものかは不明) を用いて 腐食を促進したらしい

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06. そうして 肉が落ち骨だけになると、 墓掘り人はそれらを取り出し、

上の階の天井から屋根裏まで、順番に ぎっしり骨を並べて行ったのです!

                                                       


今日あちこちで目にする ” カタコンベ ” の骨も、 墓から掘り出した骨を

長い時の流れを経て きれいに組み合わせて積んでいったもので

最初から ああだった訳ではありません・・

緊急を要した このルアンのアトリウムの場合とは 事情がだいぶ異なりますが・・・

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07.   死者と生者、ここでは骸骨と聖職者が踊る 

「 死の舞踏( Dance Macable ) 」 も 左側の柱のデザインに 見られます

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08.   16Cになると  ここは墓でありながらも 貧しい少年たちの学校になり、


18Cに骨が他へ移されると、 若い女の子たちの寄宿舎にもなりました

                                                     





現在では ルアン市が買い取り、 
学生180人が集う 美術学校となっている

学生達の芸術的インスピレーション、 さぞかし どんどん沸くことでしょうね~   ^&^


                                                     



ところで、この入り口脇の 汚れて曇った小窓、    両手で光を遮り中を覗くと  

何やら 動物のミイラが見えました~

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09.     気が付く人は少ないのですが・・・   何のミイラかわかりますか~~

壁の中から発見された中世の動物だそうですよ  500年の長い歴史で 何度も改修作業があった

でしょうが よく残りましたね!

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10  不思議なムードにすっかり酔っ払って 現世に!戻ったところ、

現世の建物も なにやら傾いているではありませんか~

この窓辺の ” 実に巧みな 傾斜の 帳尻の合わせ具合 ” 見てください!

ママも 我が子を抱きながら 傾きのバランスを取っていますね ~~    ^&^

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先ほどの 「ミイラ」   答えは「ネコ」でした~

 






次回は モネの描いた ルアンの「ノートルダム大聖堂」です

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コメント

今晩は
花の都パリとは全く趣が違いましたね。
イタリアのボンベイが火山で消えてミイラ?になったのは読んだことはありました。
猫のミイラは恐ろしいですね。

お早うございます。
火葬の習慣が無い西洋人ならではの遺構ですね~。
そしてその跡地が若者の教育の場というのも日本とは一味違いますね。
建屋の傾き、広角のレンズのせいではなかったのですね~。( ^ω^)おっおっおっ

回廊墓地の物語にはびっくりするとともに、恐ろしい様です。
其の上柱という柱に 骸骨のレリーフが彫られている建物が
女子の寄宿舎や美術学校として使われるとは、ただ驚きです。
しかも今もってネコのミイラが置いてあるとは。
我々の感覚とは大分違いますね。

bellaお姉さま、こんにちは~
今回のは怖いお話でしたね
ペストが流行るとそんなに亡くなるものなんですね!
ヨーロッパの人口の三分の一ってすごい数ですよ
それをこの場所で埋めた・・・というよりも置いた
積んだ 後で別の場所に埋めた~
一番驚きましたのが、この場所に女の子の寄宿舎にしたということでした
骨を移動しても・・・霊魂はどうなんでしょうね
なんか出そうで、私なんかとても泊まる気持ちにはなれませんが~
今は美術学校ですか
いや~、私も歪んでしまいますよ(苦笑)
骸骨模様ですもん
猫のミイラもお出ましで・・・bellaお姉さまの勇気に乾杯!

毎日残暑が続きますねー
物語に引き込まれるように読んでいます、
それとは別にbella さんのブログテンプレートを
キョロキョロ楽しいです
トロピカル・フイッシュ 外国からのおみやげ?  フフッ

凄く迫力のある日記ですね。

こんなおどろおどろしい所で、寄宿舎生活が出来るもんですね。

猫のミイラは、初めて見ました。

近代史以前は世界中のあちらこちらで、様々な病気が蔓延したことでしょう。
日本とて同じことで、その都度祈祷をしたりお祭りなどで神様の怒りを鎮めたそうですね。
しかしここは・・・、今は美術学校なのですか (゚o゚)エェッ!
通っている学生さんたち、かつてここが”回廊墓地”であり”死体置き場”だったこと、
知っているのでしょうか?
何だか夜な夜な幽霊が出てきそうな・・・?!
ネコのミイラ、これも不気味ですヨォ!ネコのミイラなんて...初めて見ました。

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